デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

大正14年9月30日（1925年）

是ヨリ先、参戦・兵器両借款ノ整理問題ニ対シテハ、中華民国世論ノ反対激烈ヲ極メタルモ、当会社ニ於テ、同国政府当局ト交渉ヲ重ネタル結果、是月ニ至リ、漸ク解決ヲ見タルニツキ、十六日、当会社副総裁高木陸郎・取締役江藤豊二ハ、執政段祺瑞ヲ訪ヒテ謝意ヲ表ス。是日栄一、当会社書翰ニヨリ、右ニ関スル報告ニ接ス。

中日実業会社書類（一）　　　　　　　　　（渋沢子爵家所蔵）
（謄写版）
　　大正十四年六月一日
　　　　　　　　　　　　図中日実業株式会社
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　専務取締役　春田茂躬(印)
　　　　（宛名手書）
　　　　相談役　渋沢子爵閣下
拝啓　益御清祥奉賀候、陳者弊社第拾弐回定時株主総会ハ、予而御通知申上候通リ五月参拾日弊社北京総行ニ於テ開催仕リ処候、凡テ原案通リ可決シ、且ツ監査役ハ森恪氏・于振宗氏重任、加藤辰弥氏・袁永廉氏新ニ選任相成候旨入電有之候間御了知置被成下度、尚新任監査役袁永廉氏ノ閲歴ハ左ノ通リニ有之候条、御含ミ置被下度候
　袁監査役経歴　山西整理財政副監理官ニ歴任シ、民国成立後財政部事、賦税司第一科長兼代理司長タリ、次テ印花税処会辦トナリ、財政部賦税司署司長ニ進ミ、同九年税務徴収検査処主任・糧食調査会副会長ヲ兼ヌ
先ハ右不取敢御通知迄得貴意候　敬具

中日実業会社書類（一）　　　　　　　　　（渋沢子爵家所蔵）
　　大正十四年九月一日
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（栄一墨書）
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　同月七日一覧
　　　　　　　　　　　　図中日実業株式会社
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　専務取締役　春田茂躬(印)
　　　　（宛名手書）
　　　　子爵　渋沢栄一閣下
拝啓　益々御清康之段奉慶賀候、陳者今秋十月北京ニ於テ開催セラルベキ関税会議ニハ、先以テ担保不確実ナル各種債権ノ整理ニ関スル討議行ハル可キ儀ト被察候処、従来我国ノ所謂西原借款、特ニ其ノ内ニ含マルヽ参戦借款ヲ初メ兵器借款ノ整理ノ如キハ、支那側ニ於テ之ガ整理ニ対シ兎角ノ議論アリテ、会議ノ結果如何ニ処理セラル可キヤハ逆睹シ易カラザルモノ有之候、就テハ此際支那側ニ於ケル右借款ニ対スル批評ノ一班《（斑）》ヲ叙シ、御参考ニ資シ度、別紙御目ニ懸ケ可申候条、
 - 第55巻 p.52 -ページ画像 
御劉覧被下候ハヾ幸甚ニ奉存候　敬具
（別紙、謄写版）
（表紙）

　　　支那ニ於ケル参戦・兵器借款書替延期反対ノ真相

　　　　支那ニ於ケル参戦・兵器借款書替延期反対ノ真相
寺内内閣時代ニ締結シタル所謂西原借款契約ハ、其何レナルヲ問ハズ均シク支那国民大部ノ反対スル所ナレドモ、中ニモ参戦・兵器借款ガ特ニ反対ノ激烈ナルハ、其名ガ参戦ナル為メ、一般支那人ノ注意ヲ惹キ易キノ一事与ツテ力アルモノト云ハザルベカラズ。蓋シ、袁世凱死後、支那政局ニ絶大ノ影響ヲ与ヘタルハ、民国六年ノ参戦事件ニシテ政府ト国会トノ衝突ハ延イテ督軍会議トナリ、国会解散トナリ、大総統逃亡トナリ、宣統帝復辟トナリ、終ニハ南北分立ノ現局面ヲ招来スルニ至リシモノ、其直接原因一ニ此参戦案ニ在リシヲ思フ時、参戦ナル一語ガ現支那国民ニ如何ナル感想ヲ与フベキヤ、恐ラク智者ヲ待タズシテ自ラ明ラカナルベシ。サレバ参戦ナル文字ヲ冠スル事ノミニテ頗ル支那国民一般ノ視聴ヲ惹キ易キハ勿論ナルニ、尚ホ其参戦案ニ事実上ノ活力ヲ附与セル財政援助、並ニ武器供給ノ借款ナリト云フニ至ツテ、更ニ世人ノ耳目ヲ聳動セシメタル事一段ナリ。
斯ク参戦・兵器両借款ハ、其名称已ニ支那国民注意ノ焦点タルニ加ヘテ、其使途ノ乱脈ナル、民国成立以来恐ラク之レガ右ニ出ズルモノ之レ有ラザルベシ。即チ参戦・兵器両借款ハ、借款自体ガ支那国民思ヒ出ノ種子タルニ加ヘテ、使途ノ不自然ナリシニ由リ、愈々国民一般ノ反感ヲ増進スルニ至レルナリ。惟フニ支那政府ハ日本ヨリ参戦・兵器両借款ノ援助無クンバ、協商国ニ加入シ得ザルノ状態ナリシヤ、将タ又二千万円ノ資金ト多数ノ兵器トヲ得テ如何ナル目的ニ使用スル意向ナルヤハ、当時ニ於テサヘ八ケ間敷ク論議サレタル所ニシテ、今左ニ代表的トモ目スベキ一・二ヲ掲ゲテ、以テ聊カ参考ニ供スベシ。
　一、反対論（対独宣戦ノ反対論ハ之ヲ略ス、今ハ参戦・兵器借款ノ反対論ニ限ル）
　　支那ガ協商国ヘ加入シタリトテ、直ニ欧州戦線ニ派兵スルト云フニ非ザルベシ、然ルヲ何ノ目的ニテ参戦軍ヲ新編シ、巨資ヲ浪費スルノ必要アルカ、国内ノ防衛ニハ現在ノ軍隊アリ、万一兵力ヲ要ストセバ、現在ノ軍隊ヲ改編シテ可ナルノミ云々
　二、賛成論
　　青島ノ独逸根拠地ハ日本軍ニ由リ一掃サレタリトハ云ヘ、露国ノ崩壊ハ何時国境ニ事変ノ勃発スル無キヲ保シ難シ、尚ホ欧州戦局ノ趨勢モ、支那ノ派兵ヲ必要トスルヤモ計ラレザル状態ニシテ、別ニ新鋭ノ参戦軍ヲ編成シ、教官ヲ日本ヨリ聘シテ教育スルハ是レ刻下ノ急務タルヲ失ハザルナリ云々
以上ノ賛否両論ハ、極メテ大体ノミヲ摘録シタルニ過ギズト雖、要スルニ当時支那政府ノ独墺ニ対シ宣戦スル為メ参戦軍ノ編成ヲ必要トス
 - 第55巻 p.53 -ページ画像 
ト云フハ、単ニ表面ノ口実ニシテ、内実ハ徐樹錚・靳雲鵬ノ一派ガ此機会ヲ利用シ、自己ノ爪牙タル私兵ヲ養成シタルニ外ナラザルナリ、而シテ其所謂参戦軍ハ一切参戦督弁ニ統卒サルヽト称スルモ、実際ハ模範隊トモ称ス　　《（欠字）》若干部隊ヲ日本将校ニテ教育スルニ止マリ、日本ヨリ買入レタル兵器全部ハ徐樹錚ノ別ニ組織セル辺防軍四個混成旅団ヘ配給セラレ、参戦借款ニ由ル二千万円ハ、一部ハ安福倶楽部ノ政党費ニ、其他ハ辺防軍々費ニ流用セラレ、支那ノ協商国参加ニ由ル国際的方面ニハ一モ使用セラレズシテ消尽シタリ。
蓋シ参戦・兵器両借款成立ノ結果、参戦督弁処ナルモノ新設サレ、段祺瑞氏親シク督弁トナリ、靳雲鵬氏之レガ参謀長ニ就任シタリト雖、徐樹錚氏ハ参戦軍ノ設立ト前後シテ別ニ辺防軍四個混成旅団ヲ新編シ之レニ要スル兵器ハ悉ク参戦軍ヨリ暫ク借用スルノ形式ヲ取リ、且ツ参戦軍ハ先ヅ模範隊ヲ教育シ、順次拡張スルモノナルニ付キ、之レガ完成ニハ多大ノ時日ヲ要スベク、兵器モ今直チニ必要ナリト云フニ非ザルヲ以テ、暫ク辺防軍ニテ借用シ、後日参戦軍完成ノ時ヲ待チ返還スト言明セリ、然レドモ斯ハ真ニ国民ヲ愚弄セル口実ニシテ、徐樹錚一派ノ真意ハ、表面ヲ繕フ為メ形式丈ケノ少数参戦軍ヲ新編シ、実際ハ一切ヲ挙ゲテ自己ノ私兵タル辺防軍（一旅ノ兵力ハ支那ノ一師ニモ匹敵スルノ実力ヲ有ス）ノ編成ニ利用スルノ魂胆ナリシハ争フベカラズ、而シテ徐樹錚氏此種ノ内幕ニ対シテハ、当時已ニ非難ノ声頗ル高ク、同ジク段祺瑞氏ノ股肱タル靳雲鵬氏スラ、遂ニハ反対ノ地位ニ立ツヲ余儀ナクセシメラルヽニ至リシナリ。
斯ク観来ル時ハ、当時日本側ノ取リタル財政援助並ニ軍器供給ハ、一ニ徐樹錚一派ノ私兵養成ト、安福倶楽部ノ政費供給トヲ援助シタル結果ニ了リ、所謂支那ノ協商加入ニ由ル当然ノ義務ニハ何等貢献スル所無カリシヲ知ルベキナリ、但シ当時日本当事者ノ真意ハ、段祺瑞氏ヲシテ統一ヲ実現セシムルニ在リテ、参戦問題ノ如キ唯ダ一時ヲ糊塗スル口実ニ過ギザリシヤモ計ラレズト雖、段祺瑞氏ノ実力ヲ過信シ、援助ニ其手段ヲ撰バザリシノ一事ハ、返ス返スモ遺憾ナリト云ハサルベカラズ、又仮リニ参戦・兵器両借款ノ使途ハ暫ク問ハズトスルモ、其他ノ所謂西原借款約一億円内外ノ巨資ハ、果シテ如何ナル用途ニ使用サレタリヤ、表面上ノ名義ハ鉄道布設費ノ前借ナリト云フモ、其鉄道ニ投資サレタルモノ幾何カアル、若シ公平ニ該借款ノ使途ヲ批判セバ武力統一ノ軍費ニ供給セラレ、江西ト湖南トニ無辜ノ国民ヲ殺セル外其他ハ北京ニテ有邪無邪ニ葬リ去ラレタリト云フニ《（ヲ）》妥当トスベシ、而シテ支那国民ハ、今二・三有力者ガ自己ノ勢力拡張ニノミ消費シタル一億五千万円ノ外債ヲ負担スルヲ已ム無クセシメラル其西原借款全体ニ好感ヲ有セザル、亦正ニ無理ナラズト云ハザルベカラズ。
要スルニ、西原借款殊ニ参戦・兵器両借款ハ、支那国民トシテ、彼等一部ノ言フ如ク、或ハ事実堪ヘ難キ負担ナルベキモ、当時ノ中央政府ガ日本ヨリ借款シタルハ事実ナル以上、結局負担セザルヲ得ザルハ明カナレドモ、対内的ニハ議論ノ沸騰スル之レ亦当然ニシテ、目下延期手続ニ支障ヲ生ジ居ルモノ、其因誠ニ此種議論ノ影響ニ外ナラザルナリ、今左ニ延期手続履行反対者ノ主張二・三ヲ掲ゲ、尚ホ詳細ニ亘リ
 - 第55巻 p.54 -ページ画像 
テ説明スベシ。
一、両借款ノ内容ト使途トヲ審査シタル上可否ヲ決セント主張スル者此説ヲ主張スルハ支那一部ノ識者カ、又ハ少クモ真面目ニ此ノ問題ヲ研究セントスルノ人士ニシテ、当時ノ文書並ニ帳簿ヲ精査シタル上ニ非ザレハ、可否何レトモ決定シ難ク、且ツ審査終了マデハ、此問題ニ手ヲ触ルベカラズト為セルニ在ルナリ。蓋シ問題ハ契約ノ改訂若シクハ支払ノ履行ニ非ズシテ、単ナル延期手続ニ過ギズトスルモ、一旦政府ガ此手続ヲ履行セル以上、支那政府ハ日本トノ契約全部ヲ承認セル証左トナリ、仮令審査ノ後日本方面ニ不利ナル実証ヲ発見スル事アルモ、已ニ政府ガ全部ヲ承認シタル上ハ、復タ如何トモ為ス能ハザルヲ惧ルヽナリ、故ニ此論者ハ、審査以前ノ延期履行ハ絶対ニ不可ナリト極論シ、殊ニ審査セバ、関係者タル靳雲鵬氏ノ罪跡必ズ暴露スベキヲ予期シ、少クモ彼等ヲ処罰シテ当時ノ鬱憤ヲ晴サント企劃セルナリ、而シテ此審査案ハ昨年旧国会恢復以来屡々議会ノ問題トナリ、各新聞紙又相競フテ審査ヲ主張シテ止マザルヲ以テ、輿論益々沸騰シ、中ニハ靳雲鵬氏ヲ逮捕シ、法廷ニテ究訊スベシトサヘ極論シタリ。
　斯ク一般ノ輿論沸騰スルト共ニ、国会ハ議員ノ決議ニ由リ、政府ニ「参戦借款ニ関スル一切書類及清算書ノ公開方」ヲ要求シ、該借款ノ内容ト使途トヲ審査スルノ主張ハ玆ニ愈々具体化スルノ傾向ヲ示シ、又一方ニハ靳雲鵬派陰ニ抹殺運動ヲ開始セリトノ風説伝ハリタルタメ、民論益々激昂シタリ、今年三月初旬、陸軍部ニ小火災アリテ多少ノ公文書焼失シタル事件アリシガ、世人ハ之ヲ目シテ靳雲鵬派ノ部員ガ証拠ヲ湮滅センタメ、故意ニ火災ヲ起シ、参戦借款ノ関係文書ヲ焼棄シタルモノト為シ、新聞紙亦タ真トシヤカニ報道セルヲ以テ、時ノ陸軍総長ハ「火災ノ起レルハ参戦借款関係文書ノ保管シアル室ニ非ズシテ、焼失シタルハ借款関係以外ノ文函ナリ、参戦借款関係ノ書類ハ未ダ些少ダモ遺失セズ、完全ニ保管シ居ル旨」公告シ、僅カニ世上ノ浮説ヲ止メ得タルニ見ルモ、当時参戦借款ガ如何ニ世論ヲ沸騰セシメタルカヲ想見スベシ。
　爾後政府ハ参戦借款ノ契約文写ノミヲ議会ニ送附シタルガ、何故カ関係文書並ニ清算書写ハ未ダニ廻送セズ、為メニ内容依然トシテ不明ナリ。
二、両借款ハ国会ノ同意ヲ経居ラザルニ付無効ナリト主張スル者
　此説ヲ主張スルハ、硬論ヲ唱ヘテ自ラ快トスルノ徒カ、或ハ奇論ヲ吐キテ血気ノ青年ニ歓迎サレントスルノ政客等ナレドモ、事理ヲ解セザル一般民衆ニハ之レ亦最モ喜バルヽ議論タルヲ失ハザルナリ、然レドモ唱導者自身ハ斯カル暴論ヲ以テ日本ヲ屈服シ得ベシトハ信ジ居ラザルベシト雖モ、多数国民ガ此説ヲ公平ノ議論ト誤信シ居レルハ事実トス、殊ニ此種暴論者ノ多クハ、単ニ参戦借款ノミナラズ旅大ノ回収其他一般排日案件ヲモ一併シテ論議スルノ徒輩ニシテ、其参戦借款無効モ二十一箇条無効ト同一ノ理由ニ拠ラント欲スルニ外ナラザルナリ、而カモ彼等ノ無智ナル、二十一箇条ハ努力次第ニテ回収シ得ベシト誤信シ居レルガ故ニ、参戦借款ノ如キ亦庶幾クハ
 - 第55巻 p.55 -ページ画像 
無効タラシメ得ベシト思惟セルベシ。
　更ニ又最近支那政府ガ独墺公債壱千五百万磅ノ無効ヲ宣言シタルハ此種暴論者ニ尚ホ一層ノ力ヲ与フルモノト云ハザルベカラズ、即チ参戦借款ト独墺公債トハ性質内情共ニ全然相異レリト雖モ、無智ノ国民ハ其内容如何ヲ顧ミルニ非ズシテ「外債ヲ無効ナラシメタリ」トノ結果ノミヲ見、其他モ亦斯クアルベシト速断スベキガ故ニ、畢竟ハ彼等ヲシテ益々増長セシムベキヲ惧ルヽナリ、殊ニ彼等ノ主張ニ反対スル者ハ、直ニ呼ンデ売国奴ト為シ、参戦借款延期ノ如キ又売国的行為ノ一部分ト見做セルヲ以テ、今日当局ノ延期手続実行ニモ是レ亦多大ノ障碍タラズトセザルナリ。
三、参戦・兵器借款ハ、当時ノ日本政府ニモ幾分ノ責任アリトシ、殊ニ年来ノ排日騒動ハ日本国民上下ニ多大ノ衝動ヲ与ヘ居ル現状ナルヲ以テ、我国（即支那）ハ此機ヲ利用シ、利子丈ケデモ軽減セシムルガ得策ナリト思惟スル者
　国会其他多数政治家実際ノ心理ハ、必ズ此点ニ存スルヲ疑ハザルナリ、即此意思ヲ有スル者ハ、前項無効論ヲ主張スル者ト異リ、仮令国会ノ同意ハ経居ラズトスルモ、各国ノ承認セル中央政府ガ合法ノ手続ニ由リ日本ヨリ借款シタルモノナル以上、其使途ガ不法ナリトノ内輪事情ヲ以テ、日本トノ契約其物ヲ破棄センハ不可能ナルベク寧ロ外交的手腕ニ由リ、幾分ニテモ利息ヲ軽減セシムルガ得策ナリト思惟スルモノトス、然レドモ此種ノ意見ヲ表面ヨリ唱導スルニ於テハ、対内的ニハ参戦借款ノ承認者、即無効論者ヨリ売国奴ト誤解サルヽヲ恐レ、対外的ニハ支那側ノ弱点ヲ暴露シ、日本ヲシテ却ツテ間隙ニ乗ズルノ素因ヲ為スニ至ルヲ惧ルヽ結果、唯ダ心中ニ斯ク希望シ、又内々ニ論議スル外、敢テ公然意見ヲ発表スル迄ニハ至ラザルナリ、而シテ此種論者ノ手段ハ、出来ル丈ケ日本ノ軍閥援助ニ「ケチ」ヲ付ケ、且ツハ又日本ノ対支発展行詰リノ窮境ヲ利用シ、利子ノ幾分デモ軽減セシメント企図スル者ナルヲ以テ、表面上ハ寺内内閣当時ノ援段方針ヲ大袈裟ニ吹聴シ、段内閣ノ武力統一失敗、安直戦争ノ勃発（参戦・兵器両借款ノ成立無クバ、辺防軍ハ組織サレザルベク、辺防軍ノ組織無クバ、安直戦争ハ起リ得ザリシナリ）等日本政府亦其一部ノ責任ヲ免レ難ク、而カモ徐樹錚ノ私兵トモ目スベキ辺防軍ニ供給サレタル軍機（名義ハ参戦軍ナルモ実際ハ辺防軍）其他ヲ支那国民全体ノ負担ニ帰セシメルヽニ対シテハ、国民亦多少ノ不満無キ能ハズト主張セリ、又支那各地ニ勃発セル排日運動ト、日本在野党一部ノ西原借款攻撃トハ、共ニ乗ズベキ好機会ナリト思惟セルヲ以テ、今日日本ガ多大ノ譲歩ヲ肯ゼズトスルモ、出来得ル限リ本問題ノ解決ヲ引キ延バシ、徐ロニ日本ノ苦ムヲ待ツニ於テハ、日本亦終ニハ国内ノ輿論ニ動カサレ譲歩スルノ時機到来スベシト信ゼルナリ。
以上列挙セル参戦・兵器借款延期反対論ナルモノヲ綜観スルニ、借款使途ノ是非問題トシテナラ兎モ角、之レヲ直ニ債権者ニ対スル、延期手続反対ノ理由タラシメンハ余リニ薄弱ナリ、惟フニ其使途ハ如何ナルニモセヨ、借款其物ハ合法ノ手続ヲ取リテ借入レラレタル外債ナル
 - 第55巻 p.56 -ページ画像 
以上、支那政府トシテ飽クマデモ其責務ヲ履行スベキモノタル事勿論ニシテ、国内事情ノ如何ヲ口実トシ、債権者ニ対スル手続ヲ怠ルガ如キハ、之レ亦不合理至極ノ行為ト云ハザルベカラズ、故ニ道理ヲ以テ推サバ、参戦・兵器両借款ノ延期書替ハ極メテ事理明白ノ問題ニシテ支那政府ハ却ツテ日本債権者ノ好意ヲ感謝スルガ当然ナリ、然ルヲ事実ハ全ク之レト相反シ、債権者側ヨリ懇請至ラザル無シト雖モ、支那政府ハ言ヲ左右ニシテ履行ヲ避ケ、国家ノ信用ヨリモ、寧ロ国民ノ反対ノミヲ顧念シツヽアル有様ナルハ洪嘆スベシ。
又支那官民ノ斯ク無責任ナル態度ハ、国家トシテノ信用ヲ殆ンド根底ヨリ滅却スルモノナリトノ解訳ハ、是レ極メテ当然ノ議論ニシテ、支那当局亦知ラザルニ非ザルベシト雖モ、唯ダ今日ハ未ダ此正当ナル主張サヘモ其儘ニ受ケ入レ得ザル政情ナルヲ遺憾ト為スナリ、即中央政府ノ根底堅固ナラザル結果ハ、一面ニハ国民ノ反対ヲ招来スベキ問題ヲ避クル事必要ニシテ、而カモ其反対ハ不合理ナル事明白ナルニモセヨ、成ルベク斯カル事件ニ触レザルヲ以テ内閣維持ノ秘訣ト心得タルナリ、蒙シ国家ヲ前提トシテ其所信ヲ決行スルノ政治家ハ、今日支那政界ニハ求メ難カルベク、又仮リニ斯カル政治家ノ存在スル事アルモ民情ノ極度ニ悪化セル結果ハ、直チニ国民多数ノ反対ニ逢ハン事必然ニシテ、結局其抱負ヲ実際ニ断行シ得ベキヤ否ヤ疑問ナルベシ、目下支那一般ノ民情ヨリセバ、対外的ニハ極端ナル強硬論ガ喜バレ主張其物ノ合理ナルト否トハ全然問フ所ニ非ザルナリ、故ニ支那当局者ガ国民ノ歓心ヲ失ハザラン為メニハ、勢ヒ少々位ノ不合理ハ忍ブモ強イテ対外強硬ヲ粧ハザルヲ得ザルノ立場ニシテ、又此内情コソ実ニ外国債権者ヲシテ支那当局ノ無責任ヲ嘆ゼシムル素因タルヲ知ルベキナリ。要スルニ、支那政府ニ対スル一切交渉ヲ唯ダ専ラ条理ニノミ倚頼センハ不得策ニシテ、結局ハ至公ヲ執ツテ正面ヨリ対待《（峙）》スルト同時ニ、他面ニハ先方自体ノ内情ヲモ斟酌考慮スルヲ至要トナスベシ、然レドモ一概ニ内情考慮ト云フモ、如何ナル程度ニ斟酌ヲ加フベキカヾ最モ難事ニシテ、一切ハ機ニ臨ミ変ニ応ジ、宜シキニ従フト云フノ外、復タ殆ンド説明ノ辞無キニ苦ムベキナリ、兎ニ角、参戦・兵器両借款案ハ金仏郎案以上ノ難問題ニシテ、且ツ支那政府ハ国民ノ反対ニ逡巡シ、一ニ責任ヲ回避スル事ノミニ汲々タル今日、一面ニハ法ヲ尽シテ此等反対ノ緩和ヲ計リ、他面ニハ当局ノ果断ヲ求メ、以テ之レガ目的ヲ貫徹セントスルモノナリ。
附記
　両借款ハ国会ノ同意ヲ経居ラザルニ付キ無効ナリト主張スル反対説ニ付イテハ、前掲記述セシ処ニシテ、原契約ヲ無効ナリトスルハ到底問題ヲナサズトスルモ、今回ノ原契約ノ無担保ヲ有担保トシ、且ツ新ニ利払借款ヲ締結セントスルハ、明カニ国庫ノ負担ヲ増加スルモノニシテ、国会ノ同意ヲ得ザル可カラザル事旧約法ノ規定ニモ有リ、新憲法第百十条
　　第百十条、国債募集及国庫ノ負担ヲ増加スル契約ノ締結ハ、須ラク国会ノ議定ヲ経ベシ
　ノ条文ニヨルモ昭々タル事ニシテ、単ニ閣議ノミヲ以テ擅ニ之ヲ行
 - 第55巻 p.57 -ページ画像 
フ可カラズトハ、現国会一部ノ主唱スル処ニシテ、交渉進捗上ノ一大難関タルナリ、故ニ現閣員ノ一部ニテハ、契約ノ形式ヲ採ラズニ契約ト同等ノ効力ヲ生ズ可キ公文書ノ交換ヲ以テセン事ヲ説ク者アリ、中日総裁袁乃寛氏モ之レニ賛成シ、且ツ先キノ電話借款ノ如キ利払借款ヲ契約スル事ニヨル国会ノ反対ヲ避ケテ、公文書ノ交換ヲ以テ打切リト為シタルモノナリ。

中日実業会社書類（一)　　　　　　　　　　（渋沢子爵家所蔵）
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（栄一鉛筆）
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　九月三十日一覧
　　大正十四年九月二十六日
　　　　　　　　　　　　図中日実業株式会社
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　専務取締役　春田茂躬(印)
　　　相談役
　　　　渋沢子爵閣下
拝啓　愈々御清穆奉賀候、陳者本月十六日高木副総裁・江藤取締役同道、段執政ト会見シ、参兵借款解決ニ対スル謝意ヲ述ベ、且諸種ノ問題ニツキ交談致候由ノ処、其会見顛末手記別紙ノ通リ送付越シ候ニ付玆許同封奉供御高覧候　敬具
（別紙、謄写版）
　　　　段執政トノ会見顛末
　　　　　　　　　　　　　　　　　中日実業株式会社
　　　　　　　　　　　　　　　　　　副総裁　高木陸郎
九月十六日午前十一時江藤取締役同道、執政府ニ於テ段執政ト会見ス先ツ当方ヨリ参戦・兵器両借款解決ノ配慮ヲ謝シ、次テ当社ノ問題ニ移リ、中日実業株式会社株式ノ半数ハ中国政府ノ出資ニ係リ、日本側株主又重ナル支那関係者ヲ網羅シ居ル次第ナルニ付、此後共日支経済提携其他ニ就キテハ貴下ノ御配慮ニ俟ツ事多カルベク、当方トシテモ出来ル事ハ何事ナリトモ之レヲ遂行シ、日支両国ノ為メ当社ノ使命ヲ果シ度キ考ナルニ付宜敷御高配ヲ乞フ旨陳述シタルニ、段執政ハ○下略

（中日実業株式会社）第拾参回営業報告書
　　　　　　　　　　　　　　　自大正拾四年四月至大正拾五年三月　第一―二頁刊
　　　　営業報告書
　　　　　　第一　業務ノ概況
○上略
一、債権ノ取立委任
　前期ニ於テ予告セル通リ、吾社ガ取立委任ヲ受ケタル各口債権ノ内参戦借款及ビ兵器借款ハ、大正拾四年九月迄ノ遅滞利子ノ書換ヲモ承諾セシメタルガ、右ハ大正拾弐年以降弐ケ年半以上ノ苦心努力ノ結果ニシテ、吾社ガ本交渉ニ入リテヨリ、民国側内閣ノ更迭スルコト実ニ六回、吾社ノ支払ヒタル犠牲ノ莫大ナル、真ニ株主諸君ノ御諒解ヲ得タキ次第ナリ
○下略
　　　○尚、右借款ノ書換調印ニ関シテハ次掲大正十五年四月一日ノ条参照。