デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

6章 対外事業
2節 支那・満洲
6款 日華実業協会
■綱文

第55巻 p.165-171(DK550030k) ページ画像

大正9年6月18日(1920年)

是日、帝国ホテルニ於テ、当協会創立総会開カル。
 - 第55巻 p.166 -ページ画像 
栄一、病気ノタメ出席セズ。

栄一、右総会ニ於テ、会長ニ推挙セラレ、在任歿年ニ及ブ。


■資料

中外商業新報 第一二二一五号 大正九年三月二六日 ○日華協会協議 四月中旬設立(DK550030k-0001)
第55巻 p.166 ページ画像

中外商業新報  第一二二一五号 大正九年三月二六日
    ○日華協会協議
      四月中旬設立
日華協会設立に関し、既報の如く廿五日午前十一時より東京商業会議所に於て発起人準備協議会を開き、杉原副会頭より全国各会議所より到着せる発起人として推薦快諾せる報告ありしが、大阪側は藤田・住友各男、久原・片岡・堀・菊地其他五十名、京都は奥村電機社長外十名、名古屋伊藤盛松氏外十二名、神戸武藤山治・川崎芳太郎・松方幸次郎氏外十五名、横浜原富太郎・大谷嘉兵衛・阿部幸兵衛・茂木惣兵衛氏其他十名、函館十名、東京側は三井・三菱・古河・大倉・高田・森村・村井其他日支関係貿易会社代表者五十名約百六十名に達し、尚未到着のものあれば、総発起人二百五十余名となるべきを以て、愈々来る四月十日より十五日迄の間に発起人総会を開き、続いて創立総会を開会する事に決定せるが、会長には予て交渉中にて考慮を求めつゝありし渋沢男は、廿四日に至りて快諾せるを以て、発起人会開会以前に副会長及幹事長を推定し、創立総会と共に評議員の選挙を行ふ事に決定し、同三時散会せり


中外商業新報 第一二三〇〇号 大正九年六月一九日 ○日華協会設立 役員悉く決定(DK550030k-0002)
第55巻 p.166-167 ページ画像

中外商業新報  第一二三〇〇号 大正九年六月一九日
    ○日華協会設立
      役員悉く決定
全国商業会議所聯合会に於て、日支両国親善の実を挙ぐべく決定し、会議所代表者発起人となり、兼て日支貿易に関係ある全国有力実業家の賛同を求めて、設立計画中なりし日華実業協会は、準備大体完了せるを以て、十八日午後五時四十分帝国ホテルに其創立総会を開きたるが、出席者四十余名にて、渋沢会長病気のため欠席せるを以て、藤山東京商業会議所会頭座長席に就き、杉原副会頭より設立の動機より設立に至る迄の過程に就き報告あり、次で副会長・評議員・幹事の選挙は座長指名と決し、藤山氏は左記諸氏を指名せり
 ▽会長 男爵渋沢栄一
 ▽副会長 男爵藤田平太郎・和田豊治
 ▽名誉顧問 三井八郎右衛門・岩崎小弥太・大倉喜八郎・近藤廉平・古河虎之助・井上準之助
 ▽評議員 藤山雷太・山岡順太郎・浜岡光哲・鈴木摠兵衛・大谷嘉兵衛・橋本辰次郎・岡本忠蔵・山本厚三・稲畑勝太郎・岩井勝次郎・服部金太郎・堀啓次郎・星野錫・大橋新太郎・大沢徳太郎・添田寿一・内藤久寛・武藤山治・島定次郎・杉原栄三郎・増田増蔵・喜多又蔵・今西林三郎・伊藤忠兵衛・田村新吉(以上会議所側)藤瀬政次郎・奥村政雄・伊東米治郎・鈴木島吉・荻野元太郎・小池張造・白岩竜平・土佐孝太郎・中川小十郎・門野重九郎・須田信治・持田
 - 第55巻 p.167 -ページ画像 
巽・竜居頼三・永滝久吉・高杉晋・伊沢良立・武智直道・尾崎敬義・夏秋十郎・小倉正恒・小野英二郎・木村雄次(以上懇話会側)
 ▽幹事 藤瀬政次郎・鈴木島吉・土佐孝太郎・小池張造・奥村政雄・白岩竜平・伊東米治郎・中川小十郎・荻野元太郎・門野重九郎(以上懇話会)杉原栄三郎・増田増蔵・喜多又蔵・今西林三郎・伊藤忠兵衛・田村新吉(以上商業会議所)
終つてデザートコースに入り、藤山雷太氏より
 日支親善は言ふは易くして行ふは難き事なり、蓋し全国実業家が爰に日支親善の必要よりして協会の設立を見るに至りたるものなる事は、普通の協会と其選を異にし、有意義なるものにして、又親善の効果は直ちに実現すべきものに非ず、将来に亘りて初めて顕現すべきものなれば、不撓不屈の精神を以てするの覚悟と決心とを要す、而かも日支親善に就ては、米国其他諸外国の有識者間には、日支親善は日本が支那の内政に干渉し利権を獲得するものなりとの誤解を懐けるもの尠なからざる故、其等誤解を釈明して、真に両国親善の意義を中外に宣言するの要あれば、協会は第一に是より着手すべきなり
とて発起人側を代表して挨拶をなし、近藤男は第三次桂内閣時代の日支親善より上海に同胞会を組織せる事、並に現在に至る迄の道程に就きて述べ、併せて真の日支親善は両国の利害一致てふ点にあり、故に相互に於て相拠り相援けて、与に益する抱負なかるべからす、殊に両国の交渉は凡て国民的外交に依りて決定せざるべからずとて、巴里に於ける媾和会議より各国視察の結果に基く日支親善を説きて、発起者の労を謝して乾杯し、各自歓談を交へ同九時散会せるが、幹事長は追つて幹事互選の上決定すべく、又事務所は有楽町日清汽船会社内に置く事となれり


竜門雑誌 第三八六号・第四三―四四頁 大正九年七月 ○日華実業協会総会(DK550030k-0003)
第55巻 p.167 ページ画像

竜門雑誌  第三八六号・第四三―四四頁 大正九年七月
○日華実業協会総会 予て創立計画中なりし日華実業協会は、六月十八日午後五時帝国ホテルに於て創立総会を開きたり、青淵先生には病気引籠中にて欠席せられ、東京商業会議所副会頭杉原栄三郎氏代つて開会の辞及創立経過を報告し、次に座長には会頭藤山雷太氏を推挙し同座長より左の役員を十名選定し、是れにて総会を終り、晩餐会を開きて午後八時散会せる由、因に役員諸氏は即ち左の如し
 会長 青淵先生、副会長 和田豊治・藤田平太郎、名誉顧問 三井八郎右衛門・岩崎小弥太・大倉喜八郎・近藤廉平・古河虎之助・住友吉左衛門・久原房之助・井上準之助、評議員 藤山雷太・星野錫・大橋新太郎・杉原栄三郎、常任幹事 藤瀬政次郎・伊東米治郎・白岩竜平・荻野元太郎・杉原栄三郎(以上東京)小池張造・喜多又蔵(以上大阪)


日華実業協会主意書及規則(DK550030k-0004)
第55巻 p.167-168 ページ画像

日華実業協会主意書及規則
(印刷物)
    日華実業協会
 - 第55巻 p.168 -ページ画像 
      主意書
日支共存ハ基礎ヲ経済的相互ノ提携ニ置クヲ以テ其第一義トスルコト蓋シ何人モ異議ナキ所ナリ、而シテ之ヲ遂行スルニハ先ヅ彼我ノ意思ヲ疎通シ、相互ノ渾然タル諒会ニ待タザルベカラザル、又多弁ヲ要セズ、然ルニ共存ノ運命ヲ有スル両国々民ガ、反目排擠、遂ニハ国交ヲ危殆ニ陥レントスルノ虞アル現状ニ就テハ、吾人ノ深憂措ク能ハザル所ナリ
思フニ事ノ玆ニ至リタルハ、両国為政者ノ責其多キニ居ルコト勿論ナルモ、両国々民ノ責任亦決シテ軽カラズ、況ンヤ事ニ日支間ノ実業ニ従フ吾人ニ於テハ、其将来ニ対シテモ直接利害ノ感受者ニシテ、一層責任ノ重大ナルコトヲ自覚セザル能ハズ、今ヤ各国共ニ大戦ノ後ヲ承ケ、平和ノ宣伝、通商ノ拡充、殆ンド従来ノ施設ヲ改造セズンバ已マザラントス、而シテ支那国内ニ於ケル交通・産業及天産ハ、劇烈ナル国際的競争ニ委セラレントス
此時ニ当リ、為政者ヲシテ大勢ニ順応シテ其方針ヲ誤ルコトナカラシメ、又既往ノ政策ニシテ苟クモ両国々民誤解ノ因トナルモノハ、大局ニ鑑ミ、猛然トシテ之ヲ改メシメ、其他必要ナル民間ノ施設ニ対シテハ適切ナル協調援助ヲ与ヘ、以テ両国々交ノ改善ト国民相互ノ福利ヲ維持増進スルコトヲ企図スルハ、吾人経済的実際ノ業務ニ当ルモノヽ先ヅ尽スベキ急務ナルヲ信ズ
玆ニ同志相諮リテ本会ヲ設ケ、以テ所期ノ目的ヲ遂行セントス
      規則
        第一章 総則
第一条 本協会ハ日華両国ノ親善ヲ企図シ、相互ノ経済的発展ヲ増進スルヲ目的トス
第二条 本協会ハ日華実業協会ト称ス
第三条 本協会ハ本部ヲ東京市ニ置キ、必要ニ応シ各地ニ支部ヲ設ク
        第二章 会員
第四条 本協会ノ会員ハ会社・銀行・商店及個人ニテ日華経済ニ関係ヲ有スルモノニ限ル
○中略
        第三章 役員
第七条 本協会ニ左ノ役員ヲ置ク
     会長          一名
     副会長         二名
     評議員        五十名
     幹事長         一名
     幹事(幹事長ヲ含ム) 十七名
○中略
        第六章 規則ノ変更
第二十八条 本規則ノ変更ハ総会ノ決議ラ経ルコトヲ要ス
      附則
 創立第一期ノ役員ハ発起人ニ於之ヲ推挙ス
○下略

 - 第55巻 p.169 -ページ画像 

青淵先生職任年表(未定稿) 昭和六年十二月調 竜門社編 竜門雑誌第五一九号別刷・第一三頁 昭和六年一二月刊(DK550030k-0005)
第55巻 p.169 ページ画像

青淵先生職任年表(未定稿) 昭和六年十二月調 竜門社編
              竜門雑誌第五一九号別刷・第一三頁
              昭和六年一二月刊
    大正年代
  年 月
 九 三 ―日華実業協会発起人―大、九、六、―〃会長―昭和六 一一。


集会日時通知表 大正九年(DK550030k-0006)
第55巻 p.169 ページ画像

集会日時通知表  大正九年        (渋沢子爵家所蔵)
六月十八日 金 午後五時 日華実業協会発会式(銀行クラブ)


対支回顧録 対支功労者伝記編纂会編 上巻・第六九三―六九四頁 昭和一一年六月訂正再版(DK550030k-0007)
第55巻 p.169 ページ画像

対支回顧録 対支功労者伝記編纂会編
                  上巻・第六九三―六九四頁
                  昭和一一年六月訂正再版
 ○第五編 第四節 対支文化施設
    六、日華実業協会
 大正八年、山東還附問題に関聯して、支那全土に猛烈な日貨排斥運動が起り、日支経済上に少からぬ悪影響を与へたことがある。従来も頻々たる排日貨に手を焼いて居た我国実業界の有志は、此に於てか、何等かの根本対策を講ずるの必要に迫られたのであつた。即ち九年一月、全国八商業会議所及び、対支関係の銀行・会社・実業家を以て組織する支那懇談会代表者協議会を東京商業会議所に開き、対策講究の結果、同年二月十五日から五日間に亘り、前記懇話会代表者・十商業会議所代表者、及び在支各商業会議所並に実業団代表者聯合協議会を開き、協議の結果、同年六月十八日帝国ホテルに日華実業協会の創立総会を開き、会長に渋沢栄一、副会長に和田豊治・藤田平太郎を推し幹事に伊藤米治郎以下十五名《(伊東米治郎)》の一流実業家を挙げた。其趣旨とするところは『日支共存は其の基礎を経済の提携に置くを以て第一義とするは、異議のない所である。然るに近年両国国民が反目排擠するに至つたのは、両国為政当局の責も多いが、両国国民の責任も決して軽くはない、況んや日支間の実業に従ふ吾人は、直接利害の感受者としても一層責任の重大なるを覚える。今や大戦後の平和的競争は、支那を舞台として最も激烈に展開されんとする今日、為政者をして方針を誤らしめず、又過去の政策中、両国国民誤解の因となるものは之を改除し必要なる民間施設に協力せしめ、以て国交を改善し、相互に福利の増進を企てるのは吾人の急務である』といふのであつて、爾来政府に重要献策を為し、又各種刊行物を社会に提供したのである ○下略


白岩竜平談話筆記(DK550030k-0008)
第55巻 p.169-170 ページ画像

白岩竜平談話筆記             (渋沢子爵家所蔵)
                      昭和二年八月十日
    日華実業協会と青淵先生
日華実業協会の創立は大正九年の六月であつた、従来支那懇話会とか日支協会とか種々の団体があつたが、欧洲大戦後の国際経済競争の熾烈ならんとする潮合に刺激されて、純実業家の対支団体の有力なる活
 - 第55巻 p.170 -ページ画像 
動を必要と感じたので、同人間に議が熟した。さて会頭は……協会は東京・大阪を初め実業家の有力分子を網羅することであり、全国の商業会議所会頭や、各団体の首脳者を包容する為め、青淵先生の外にはない、どうしても、御願ひせねばならぬ、因て発起者は色々に相談を凝らし、その承諾を求むることゝした。東商副会頭の杉原栄三郎君・郵船社長の伊東米治郎君と私とが子爵説き落しの役目を引受けた。伊東君先づ口を切りて、杉原君と私とが続いた、王子の別荘であつた。日支関係の日米以上の緊切なる所以、齢徳共に高き子爵が会頭でなければ内外に重きをなさぬ、目的を達成することが出来ぬ、是非にと要請した。子爵は老齢引退の身とて容易に引請けられそうにない。杉原君は御承諾を得ねば協会は成立ちませぬ、是非にと直立不動の姿勢で果ては熱心の余り両眼に涙さへ宿して居たのを私は見た。私等の願望は終に容れられた。子爵はよし同族会に多少の異議ありてもと固き決心を示し、快諾された。かくて協会は生れ出たのであつた。
○中略
子爵は爾来会務を統率され、和田故副会頭並に現児玉副会頭と共に尽瘁されて今日に至つた。時には御老体故会の方より遠慮しても、御病気の外は殆んどすべての会合に臨まれる。精神を入れての御心配又万忙の間を当局者の訪問等、幹部一同は感激を通り越して居る。特に支那より有志家・実業家団体等が来朝する毎に赤心を他の腹中に置くの慨を以て懇切に応接される。思ふて言はさるなく、言ふて尽さゞるなからしめ、如何なる相手方でも之に心服せぬものはなかつたと思ふ、誠に吾等の偉大なる会頭である。


中外商業新報 第一二三〇一号 大正九年六月二〇日 日華実業協会 共存共助の大義(DK550030k-0009)
第55巻 p.170-171 ページ画像

中外商業新報  第一二三〇一号 大正九年六月二〇日
    日華実業協会
      共存共助の大義
日支両国の共存共助は必要と謂はんよりは寧ろ両国の国是ならざる可らず。而して此の共存共助の基礎を経済的相互の提携に置くを以て第一義と為すべきこと、是亦云ふを要せざる所なり。此意義を徹底せしむべく、我財界の名流並に東西実業家の巨頭に依りて、今次日支実業協会の設立せられたるは、余輩の最も歓ぶ所なり。同協会設立趣旨書にも大綱を述べ居れるが、要するに経済的相互の提携に基礎を置くの第一義を徹底せしめんとせば、先づ彼我の意思疎通と相互の諒解とに待たざる可らず。彼我の意思疎通を欠くに於ては、直に一個の疑惑となり、疑惑誤解の結果は恐怖となりて、益々反抗的気勢を煽り、竟に排日排貨の運動となりて、両国民に対し所謂不時の不利恐慌を来さしむるの事例は過去頻々として、之を事実上に標示し居れるものとす。而して両国民の反目排擠益々甚だしきに至りては、結局両国の国交をして危殆に陥れんとする傾向を見たるは、余輩の憂虞措く能はざる所にして、機会ある毎に屡々論評して、両国の為政者或は民間識者の奮起覚醒を促したること一再に止まらざりしなり。勿論此の如き事態は両国為政者の共に負ふべき一大責任なるが、同時に又両国々民の責任も絶無なりと謂ふ可らず。従つて本協会の設立を見るに至れるもの決
 - 第55巻 p.171 -ページ画像 
して偶然に非ず、惟ふに、直接利害を感ずること最も痛切なる実業家が、玆に蹶起したるは、恐らく我為政者をして大勢に順応せしめ、此の大方針を誤ることなからしめ、又既往の政策にして両国々民誤解の因となり居れるものは、大局高処より達観して断然之を改めしめ、而して又必要なる民間の施設に対しては、適切なる協調援助を与へ、以て両国々交の改善と国民相互の福祉とを維持増進せんことを企画することが、経済的実際の業務に当るものゝ先ず第一に尽瘁すべき急務なりとの見解に基きて、同協会は設立せられたるものなるが故に、寔に時宜適応の一施設と謂ふべく、果して如何なる方針、如何なる事業に依りて、能く本協会所期の目的を遂行すべきやは、猶ほ未知数なるも其健全なる発達、並に既定の目的を達せられんことは、恐らくは何人も希望し居れる所ならん。
今更日支両国の共存共助の大義を説明するは、聊か常套陳腐に属するの感なきを得ず。何となれば両国共存共助の大義は、夙に諒解せられ居るべきことにして、余りに明白一点疑義を挟むの余地なければ也。然れども此の共存共助の大義は諒解せられ居るに拘らず、未だ両国々民間には徹底せざるの憾みあり、之れ蓋し欧米人の排日宣伝に負ふ所尠からざるは、敢て絮説の要なきが、彼等欧米人等は、真に日支両国共存共助の観念が両国々民間に徹底的に諒解せられたる場合、広大無辺なる支那四百余州の富源は、我国の資本並に技術の供給に依りて開発せられ、支那工業の勃興となり、又我国国力の増進となりて、遂には欧米人の企業を奪ひ、四億の人口を有する支那の市場は我国に依りて独占せらるゝの傾向を見るに至り、終に欧米人は東亜より一掃せらるゝの憂ひなきを得ず。之れ長く東亜に跳梁跋扈したる白人の忍ぶ能はざる所也との見地より、乗ずべき機会を捉へて幼穉なる支那人民の心理を支配し、我国が何事をか企画せんか、直に支那の領土を侵略するが如くに誣ひ、以て排日を宣伝し、亦直接運動を背後より援助し来れるものなり。支那の領土保全は我国の国是にして、日露戦役を始めとし、山東の一角より独逸の勢力を駆逐したる今次の日独戦争等、孰れも此観念より計出せられたる大方針の一端なるを知らざる可らず。若し我国が国家の運命を賭して露国の東漸を防止することなく、又平時東亜全局の平和維持を目標として、軍備充実の計画を怠る如きことありしとせんか、支那の領土は果して今日の状態を維持し得たるべきや否や、之れ実に一大疑問と謂ふべし。我国の国防は決して単なる我国のみの国防に非ずして、東洋全体の国防と云ふも敢て過言に非ざるべきなり。支那国民にして此大義大道を正解するに至らば、自ら幾多の疑惑誤解は氷釈一掃せらるべく、而して提携一致し、以て両国共存共助の前に邁往するに至らん。余輩は真に支那国民が斯る迷夢を打破し、日支両国の親善輯睦に勗め、東洋をして東洋人の東洋たらしめ、所謂臥榻の傍他人の鼾睡を容さずと云ふが如き、自主自彊の観念に到達し来らんことを痛切に希望せんと欲す。