デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

6章 対外事業
2節 支那・満洲
6款 日華実業協会
■綱文

第55巻 p.193-196(DK550038k) ページ画像

大正11年8月28日(1922年)

是月二十一日、栄一、渋沢事務所ニ於テ、中華民国実業家張謇ノ特使章亮元・張同寿・陳儀ノ来訪ニ接シ、通州ニ於ケル棉花栽培等ノ事業資金融通ニツキ援助ヲ請ハル。二十三日、当協会幹事会ニ於テ評議ノ結果、我国紡績業者ノ協力ヲ求ムルニ意見一致シ、是日栄一、東洋紡績株式会社社長斎藤恒三ニ書翰ヲ送リ、右ニ関シ打合セノタメ上京ヲ促ス。


■資料

集会日時通知表 大正一一年(DK550038k-0001)
第55巻 p.193 ページ画像

集会日時通知表  大正一一年       (渋沢子爵家所蔵)
六月廿七日 火 正午    日華実業協会(同会)
  ○中略。
八月廿一日 月 午前十―十一時 陳儀氏外三名来約(兜町)
  ○中略。
八月廿三日 水 午前十一時 日華実業協会幹事会(同会)
八月廿四日 木 午前十時  陳儀・章・張・工藤鉄雄四氏来約《(工藤鉄男)》(兜町)


渋沢栄一書翰 斎藤恒三宛大正一一年八月二八日(DK550038k-0002)
第55巻 p.193-194 ページ画像

渋沢栄一書翰  斎藤恒三宛大正一一年八月二八日   (斎藤恒一氏所蔵)
(欄外記事)
 張氏書簡ハ支那文なるも、陳儀氏翻訳ハ別紙○欠ク相添候ものニ御坐候也
拝答 残炎猶未退候へとも、賢兄益御清適欣慰之至ニ候、老生不相替頑健、目下群馬県下伊香保温泉場ニ避暑罷在候、御休神可被下候、偖至急一事申上候要件ハ、本月廿一日老生一時帰京之際、外務省嘱托駒井徳三氏同伴にて現下支那実業界ニ有名なる張謇氏之書翰携帯にて、
 - 第55巻 p.194 -ページ画像 
張氏より特ニ我邦に派遣せられし章亮元・張同寿・陳儀之三氏来訪有之、張謇書状之表面ハ、大体ニ於て日支経済聯絡を切望する趣旨ニ止るも、実ハ目下南通州ニ於て農業と工業ニ種々着手いたし、殊ニ其農業といふは、通州ニ於て棉花耕作ニ大起工之由ニ有之、幸ニ日本紡績業者之同意を得ハ、所謂経済同盟も切ニ相望候様子ニ有之、旁以単ニ当業者のミに交渉せすして、老生にも書を寄せたる趣ニ有之候、而して其実子張孝若氏実業考査として渡来するも、要は張謇企図之事業ニ関し其財源を得る之目的ニ有之候様被察候間、本月廿三日日華実業協会ニ於幹事会を開き、和田豊治君・伊東米次郎《(伊東米治郎)》・児玉謙二《(児玉謙次)》・白岩竜平君等相会し、種々評議之上ニて、張謇氏現在経営之各事業及其人と為り等詳細ニ取調候処にてハ、頗る大仕掛ニ計画いたし居、現ニ相応之紡績工場も所有し、且其棉花耕作と申起業ハ、広漠之塩田を棉花農場ニ開拓するものにして、此企図にして目的を達して成功するを得るときハ、棉花之供給ニ変化を生すへしとも被申候由にて、可相成ハ我紡績業者中ニ於て関係致候様希望之至と一同申合候義ニ御坐候、依而更ニ老生ハ外務省ニ次官を訪ひ、埴原氏と篤と協議いたし、更ニ其廿四日を以て、再応前書三氏及駒井氏と会見し、当方ニ於てハ夫々熟議を進め、張孝若氏は九月中旬ニ東京着と申事なれハ、夫まてニハ概略之考案相立置、前書三氏又ハ孝若氏とも御引合致候様可取運と答置候義ニ御坐候
右様之都合ニ付、過日和田君之希望も、此度は可成ハ在大阪之紡績聯合会ニ於て引受、充分之交渉を重ねて契約致度、但其取扱方ハ或ハ東亜工業会社《(東亜興業)》ニ任せしむるも可然歟、而して聯合会と申候而も不同意の人にても有之、面倒ニ相成候義ハ不好次第ニ付、有力なる紡績会社と東亜工業会社等《(東亜興業)》ニて一時之シンヂケートを組織するも可然歟と申事ニ御坐候、依而賢兄ニハ来月初旬其為是非御出京被成下度候、但此事ハ両三日前当地ニ於て岡常夫氏面会ニ付伝言も致置候、御聞取と存候
張謇氏南通州ニ於る各種事業経営之直想《(真相カ)》ハ、貴地日本棉花株式会社上海支店長井藤幸次郎氏より、其社長喜多君へ詳細報告有之候由ニ付、就而御聴取可被下候、而して老生ハ喜多君とハ単ニ面識と申まて別ニ御交誼無之ニ付、卒爾之呈書ハ遠慮仕候へとも、賢兄ニ於て可然と御考ニ候ハヽ御相談可被下候
老生ハ本月六日より伊香保に避暑いたし居、去ル十八日一時帰京、更ニ廿五日当地着、来月三日頃にハ引揚け帰宅之筈ニ候、為念申添候
右様之都合ニ付、賢兄之御出京ハ九月五日頃ニ候ハヽ、当方之便宜無此上事ニ御坐候、是又申上候
右要件可得貴意如此御坐候 敬具
  十一年八月廿八日 伊香保客舎ニ於て
                      渋沢栄一
    斎藤恒三様玉案下


竜門雑誌 第四五六号・第六―八頁大正一五年九月 三知人の訃音に接して 青淵先生(DK550038k-0003)
第55巻 p.194-196 ページ画像

竜門雑誌  第四五六号・第六―八頁大正一五年九月
   三知人の訃音に接して
                      青淵先生
 - 第55巻 p.195 -ページ画像 
○上略
      二、張謇氏
 張謇氏は支那南通州の実業家である。私はまだ会つたことはないが其の訃音を聞いては、会つて居ないだけに遺憾の念が強かつた。張氏は誰の内閣であつたかよく記憶せぬが、閣員となつた事もある人で、年齢は八十歳位であつた筈である。大正十一年であつたかと思ふが、突然詳細の手紙を寄こし、且章亮元・張同寿・陳儀と云ふ三人に委任状を持たせて来訪させた。其の主旨は
 『実は金融をして欲しいと思ふのであるが、力を添へてもらへないでせうか。それは日本から自分の経営して居る事業に三百万円程借入れたい。そして追々日支経済上の聯絡を図りたいと思ふ。未だ会つたことはないが、貴方は日本国家の為め、又経済界発展の為めに力を尽して居られるさうで、誠に結構なことである。私は民国で事業をやり、関係地方で色々の仕事をして居る者であるが、今後は出来るだけ力を添へてもらひたいと思ふて居ります。国と国との交りには、両国の相当の人物が相知ることが必要であります。即ち貴方と私が相知ることは、日本にとつても支那にとつても必要である。依て以て先づ経済問題で互に利益を増し、事業を進めるならば、結局両国の親善はいよいよ増進するであらう』
 と誠に辞令に巧みな申越しであつたので、私は使として来た人々にも会つて見た。そして借金の方は心配してもよいと云ふことにして、棉花栽培の事情など色々聞いて見、其点に就て詳しく話がしたいと使の人々に内意を伝へて置いたが、其後調査を依頼して置いた駒井徳三氏から、張謇氏に於て借金の必要も無くなつたとの報告を得たので、来書の回答旁こう申送つた。
 『……昨年貴門章亮元・張同寿・陳儀三名を以て御提案の義は委曲拝承致候得共、貴方現況等篤と調査の上、弊邦実業界の人々に協議致度と存じ、外務省駒井徳三氏に其調査を依頼致、同氏其用務を帯び貴地に罷出候義は、已に御承知の通に御座候。同氏は渡航後貴台の御厚意により都合克く其用務を終へ、旧臘帰朝相成候。然る処、老生年初以来旅行勝なりし為め、同氏帰着後御面会之機無之打過候ひしが、頃者漸く面会の上貴地の状況等篤と承知致、且貴台益御健勝にて各般の事務御鞅掌の由を拝承、欣慰此事と存候。然も御関係の事業爾来大に好都合に発展の由にて、昨年三君より御来談の義も自然其必要を見ざる迄に相成候趣に承知致、欣快至極に御座候。
 右之通り事情変化致候に付、御提案は促進の必要無之儀と相成候得共、貴国との親善は最必要の義に有之、親善増進には、両国の経済提携肝要と存候。而して経済提携は忠恕相愛を基礎となさゞるべからずと確信仕候。此点に付ては、昨年の尊示にも有之候義にて、至極御同感に御座候。老生は既に先年、実業界を隠退致候身柄には御座候へども、常に各国との親善、殊に貴国との善意疎通の必要を高唱致居候義に御座候。尚将来とも、御同様努力を継続致度と企望仕候。……』
 そして其後格別の要務もなかつたので、其のまゝにして居たが、突
 - 第55巻 p.196 -ページ画像 
然訃音を聞いたのである。然し令息張孝若氏とは二回程面会した間柄であるから、尚ほ聯絡もとれ、何かと相談にも来るであらうが、それにしても張謇氏の逝かれしことは残念である。序でに支那に対する事業に就て云へば、中日実業、東亜興業等着々仕事を進めては居るが、なかなかに要領を得ない状態にあるので、張謇氏との提携事業を実行して居つたなら、うまく行つたのではなかつたかと思ひ、遺憾の念が一層に深い訳である。
○下略
  ○本資料第五十二巻所収「綿業関係諸資料」中「中国南通地方ニ於ケル棉花栽培」ノ項参照。