デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

6章 対外事業
3節 其他ノ外国
6款 コナ開拓株式会社
■綱文

第55巻 p.630-640(DK550124k) ページ画像

大正15年9月3日(1926年)

是ヨリ先、栄一、当会社社長紺野登米吉ノ懇請ニヨリ、事業資金ノ斡旋ニ尽力シタルガ、其後当会社ノ経営振ハズ、債務ノ弁済不能ノ状態トナル。栄一、之ガ善後措置ニ関シ、増田明六ヲシテ、外務省当局・日本興業銀行総裁小野英二郎・塩水港製糖株式会社社長荒井泰治・同専務取締役槙哲等関係各方面ニ奔走セシメ、是日、自ラモ横浜正金銀行頭取児玉謙次ト会見シテ、融資ノ依頼ヲナス等、種々尽力ス。


■資料

「コナ」開拓製糖会社外資輸入計画書 第一―三一頁一九一七年一〇月刊(DK550124k-0001)
第55巻 p.630-636 ページ画像

「コナ」開拓製糖会社外資輸入計画書  第一―三一頁一九一七年一〇月刊
    一、趣意書
 米領布哇県布哇島所在、「コナ」開拓会社ハ、世界ノ糖業地トシテ知ラレタル布哇ニ於テ、大資力ヲ有スル外人経営五十有余ノ会社ト伍シ、邦人経営製糖会社タルコトヲ、内外各位ニ宣明スルヲ光栄トス。
 惟フニ布哇ニ於ケル邦人発達ノ歴史ハ、其第一期タル移民時代已ニ去テ第二期永久土着ノ時代来レリ。此唱導一度起テ在住邦人中、商才財力併セ有スルノ人ハ着々独立経営ノ事業ヲ創設セリ。然モ糖業国タル布哇ニ於テ邦人自ラ経営スル製糖事業ハ、唯我「コナ」開拓会社アルノミ。之レ一小会社ノ未ダ全ク成功ヲ告ゲ得ザルモ猶且以テ誇トスル所ナリ。
 蓋シ邦人ノ布哇ニ移住セル、先ヅ耕地ニ於ル各種ノ労働ニ従事シ、次デ甘蔗耕作受負ノ地位ニ進ミ、更ニ我開拓会社ノ創設ニ依リ始テ自ラ経営者タル地位ヲ贏チ得タルモノ、嘗テハ大農作業、製糖工場経営ノ如キハ優良人種ノ事業ナリト臆断シ、我等ノ到底企及スベカラザルモノナリト思惟セシモ、今ヤ自ラ経営者ノ地位ニ進ミ得タルハ豈快哉ヲ叫バザルベケンヤ。
 此ノ如クニシテ邦人最始ノ試練トシテ企図シタル事業ハ、内外人士ノ間ニ、一面ハ危懼不安ノ裡ニ、一面ハ同情声援ノ下ニ、刻苦万難ヲ排シテ、千九百十五年八月外人経営者ヨリ買収シテ本会社創立ヲ遂ゲタルモノナリ。爾来二年有半更ニ基礎ヲ堅固ニシ、進ンデ一大発展ヲ期センガ為ニ、先ヅ現在ノ社債ヲ償却シテ、実質上邦人独自経営ヲ完成セント欲ス。
 曩ニ本社ヲ創立スルヤ、我等ハ単ナル営利目的以外ニ深キ理想ト堅キ決心トヲ有セリ。今日正シク其理想ヲ実現センコトヲ期ス。曰ク、欧洲大戦終結後ハ世界ノ中心ハ必ズヤ大平洋ニ移動スベシ。然シテ月米両国ハ其舞台ニ登場スル大立物タラザルベカラズ。即チ我ガ日米両国ハ相互対者ノ位置ニ在リ、関係益複雑ニシテ親善愈密ナルベキコト
 - 第55巻 p.631 -ページ画像 
之レナリ。
 凡ソ日米親善ノ政治的意義、若クバ其成案ノ如キ恐ラク多々アルベシト雖モ、真ノ親善ヲ期待センニハ、我等在米領邦人ノ進ンデ外人対等ノ地位ヲ獲得スルニアルヲ信ゼントス。然ラザレバ之レ親善ニ非ズシテ屈従ナリ。日本民族ハ固ヨリ平和ヲ愛好スル国民ナリト雖モ、併モ屈従ヲ快トスル国民ニ非ズ。国家相互ガ対等ノ地位ニアリトモ、国民相互対等ノ地位ニ立ツニアラザレバ、之レ理ニ偏シテ実ニ迂ナルモノト云フベキナリ。然ルニ布哇在住邦人ノ現状ヲ視レバ、経済上事業上ノ独立ニ於テ遺憾ナガラ距離猶遼遠トイワザルヲ得ズ。
 更ニ眼ヲ転ジテ我等ガ後継者タル布哇出生児ノ将来ニ就テ考フルモ自己ノ先輩ガ一個外人対等ノ事業スラ有セザルニ於テハ、不面目ト不安ト果シテ如何。我等ガ生ミシ日本人、我等ガ育テシ米国市民ハ何等ノ見識アリテ外人社会ニ伍センヤ。我等ハ後進ヲ扶掖シ教育スルト同時ニ、彼等ガ為ニ前進開発ノ義務アルコトヲ自覚セザル可ラズ。
 如是意義ニ依リテ、我等ハ如何ニシテカ先ヅ事業上ニ外人対等ノ地位ヲ獲得センカト企画スルコト多年ナリシ。「コナ」開拓会社ハ此理想ヲ体現スル一部分タラズンバアラズ。我等ハ日米親善ノ前駆者ニシテ、邦人海外事業ノ模範タルヲ期ス。事業小ナリト雖モ、其責任重且大ナリ。凡ソ社会万般ノ事業何レモ其建設ヲ難シトス。建設固ヨリ難シ、雖然建設ニハ同情アリ、興味アリ。守成ト発展トニ際シテハ、同情或ハ薄ラギ、興味マタ減退ス。将ニ事業家ノ奮闘ト努力ト自覚ト決心トヲ要スベキ期ナリ。
 現時大戦ノ影響ニ依リ製糖ノ事業頗ル有利ニシテ、従テ本社ノ前途マタ光明ノ耀ケルモノアリ。加之内地ニ於ケル金融潤沢、投資ノ余力大ナルノ好機ニ際会ス。敢テ資力輸入ヲ希望スル所以ノモノハ、如上ノ理想ヲ一層徹底セシメ、名実全キ日布邦人合資組織ノ下ニ、内地人士ガ進ンデ海外投資ノ好例ヲ示サレ、以テ此事業ノ完成ヲ期センガ為メナリ。
 若シ夫レ資力ヲ布哇在留人ニ求メンカ、邦人ノ蓄財力一ケ年一千万円ト見積リ、其八割ハ毎年母国ニ送金スルヲ以テ、剰ス処僅カニ弐百万円ニ過ズ、而モ之レ一人当リ弐拾円ニ過ギザルノ少額ナリ。此零砕ノ余財ヲ吸収スルハ寧ロ累ヲ及ボスノ恐レ無シトセズ。然ラバ之ヲ白人間ニ需メンカ、彼等ハ喜デ応ジ、大資本ハ直ニ投下セラレン、併モ真意ハ近キ将来ニ本社ヲ自己ノ手ニ復帰セザレバ已マザルニアリ。彼等ハ悲境ニ際シテ棄テ、順境ニ復ルヲ奪フ。海外邦人ヲ代表スベキ当初ノ理想ヲ放擲スルハ我等ノ克ク忍ブ能ハザル所也。
 若シ我等ガ築キシ塁塞一度崩壊センカ、再起固ヨリ不可能ナルノミナラズ、布哇ニ於ケル邦人経営ノ製糖業ハ或ハ永遠ニ起ル能ハザルニ到ランヲ恐ル。於此我等ハ自家ノ利害ヲ思フヨリハ、布哇唯一ノ我等ノ製糖工場ヲ堅実ナル経営ノ下ニ飽迄保全シ、更ニ其発展ヲ企図シテ我ガ実力ヲ示シ、以テ在留邦人ノ地位ヲ高メ、而シテ我等ノ責ヲ完フセン事ヲ誓フ。我精神ハ事業ト共ニ倒レテ已マザル不抜ノ決心ヲ有ス希ハ理ヲ諒トシ情ヲ酌ミ、以テ此事業ノ完成ニ援助セラレンコトヲ。
○中略
 - 第55巻 p.632 -ページ画像 
    三、在外邦人ノ模範事業
 「コナ」開拓会社ハ、海外ニ在ル邦人事業界ニ一新記録ヲ作リタルモノニシテ、且ツ模範的事業ナリト云フヲ得ベキ乎。大陸事業界ハ姑ク措キ、今之ヲ布哇ニ見ルニ、邦人経営ノ諸会社年々続出シ、大ニ発展ノ実績ヲ挙ゲツヽアリト雖モ、其資本額多キモ五万弗乃至七・八万弗ニ過ギズ、十万弗ノ資本ヲ有スルモノアラザルナリ。然ルニ我「コナ」開拓会社ハ西布哇鉄道会社ヲ併セテ、実ニ七拾万弗ノ資本額ヲ有ス。資本額ニ於テ邦人事業ノ記録ヲ作リ、且外人経営ノ諸会社ト伍シ着々発展向上ノ途ニアルモノナリ。
 本社ハ多年ノ経験ヲ基礎トシ、更ニ改良ノ施設ヲ以テスル紺野社長ガ鋭意不断ノ努力ヲ以テ経営ニ従事セル結果、本年度ノ如キ格段ノ好成績ヲ挙ゲ得タルモノニシテ、之独リ本社ノ名誉ノミニ非ズシテ、布哇在住邦人ノ名誉ナリト云フモ、蓋シ誣言トイフベカラズ。本社ノ事業ニシテ一敗地ニ塗ルコトアラバ如何、外人ハ以テ邦人ガ経営的才能無キモノト断定シ、同胞亦以テ事業的自信力ヲ失フヤ必セリ。然ルニ杞憂ハ遂ニ杞憂ニ終リテ、事業ハ数字上ニ明ニ提示サレ、外人経営当時曾テ見ル能ハザリシ好成績ヲ挙ゲ得タルナリ。
 此ノ如ク内外人士一般ノ社会ニ、邦人経営模範事業タル真価ヲ認識セラルヽニ至レリ。併モ我等ハ之ヲ以テ満足スルモノニ非ズ。本社ガ県政府ヨリ許可セラレタル存立期間ハ猶三十八ケ年ヲ余シ、所有地及借地域五千五百英町ニシテ、現開拓耕作地ハ千九百十八英町ナレバ、猶半以上ノ余地ヲ存ス。然シテ定款ニ規定セル資本総額壱百万弗ニ対シ現払込金額ヲ六拾万弗トス。事業ハ好成績ヲ示シ発展ノ余地大ニ存ス。之レ基礎ヲ固クシ更ニ一歩ヲ進メテ、以テ在外邦人模範的事業ヲ完成セントスル所以也。
○中略
    六、「コナ」開拓会社沿革概要及状況
○中略
      ○資本金額(千九百十七年七月現在)
一金五拾万弗   「コナ」開拓会社資本金総額
 株式額面  金壱百弗
 株券数   五千株
      ○現在重役姓名及株主名義
一、社長              紺野登米吉氏
一、副社長             ゼー・ビー・キヤツスル氏
○中略
一、株券四千八百九拾四株      紺野登米吉氏
一、株券壱百株           西布哇鉄道会社
○中略
 合計五千株
      ○現在営業状態及使用人種別
      (イ)製品販売方法
○中略
 本社ハ千九百十七年度ニ於テ四千六百噸ノ砂糖ヲ産出シ、年々逐次
 - 第55巻 p.633 -ページ画像 
事業ノ拡張ヲ行ヒ、千九百十九年・二十年両年度マデニハ、少クトモ七千五百噸ノ砂糖ヲ産出センコトヲ期ス。
○中略
      (ニ)使用人種別
 現在本社ニテ雇役シ又ハ作業ニ従事スル者ヲ国別スレバ左ノ如シ
一、英国人        壱名
一、米国人        壱名
一、日本人        弐百六拾六名
一、葡国人        参拾参名
一、布哇人        弐拾弐名
一、ポートリカン     弐拾壱名
一、比律賓人       九拾名
 合計 四百三十四名
 此内日本人ハ主トシテ小作農業ニ従事スル者及ビ工場ニ従事スル者ニシテ、余ノ各国人ハ日給労働者トシテ耕作地ニ就働スル者ナリ。
      ○「コナ」開拓会社財産状態内訳
              (千九百十七年七月現在)
一、自働車         参台
  ○内訳略ス。
一、社宅及建物
  社宅(大小)      六拾参棟
  事務所兼化学室     壱棟
  倉庫          弐棟
  雑建物         参棟
○中略
一、借地地上権
  借地面積三千四百八十六英町二六。此借地ハ小作農業者ニ対シ貸附クルモノナレバ其間マタ利収ヲ得。
○中略
一、工場建物(鉄骨亜鉛板葺セメント叩キ)
  弐階建工場   (間口六十九尺、奥行七十三尺)
  機関室     (間口五十尺、奥行七十五尺)
  燃火室     (間口六十六尺、奥行九十一尺)
 モラス入室    (間口二十八尺、奥行五十尺)
 ケン、キヤリア室 (間口二十七尺、奥行九十七尺)
一、工場機械
  圧搾機 三重ローラ三組 直径三十吋、長六十吋クラツシヤー 二重ローラ一組 直径二十六吋、長六十吋
    此圧搾力  六百噸(二十四時間)
  バツカム、パン 二十五噸入 壱個
    此能力一時間壱万弐千五百ギヤロン
  セントリヒユガル(砂糖晒機械)(二組)十二個
  アンローダー 壱個
    此能力一時間弐拾五噸
 - 第55巻 p.634 -ページ画像 
    スミス式カツター、ケン、ナイフ  八個
    ケン、キヤリア  幅四呎五吋、長六十呎
    諸管装置及ポンプ其他
    ボイラー室其他一式
    糖汁及糖汁タンク其他一式
    機械附属品一式
  一、所有地及借地
    所有地
      ワイアハー   三百五十六英町
      ホルアロア   六百六十三英町
      カフルイ    六百英町
             外三百九十二英町六五
             計二千十一英町六五
    借地        三千四百八十六英町二六
    総計 五千四百九十七英町九一
一、タンク及貯水池(計七拾壱個)
○中略
一、荷馬車及荷車
  四頭荷馬車             四台
  弐頭荷馬車             四台
  壱頭荷馬車             参台
一、馬匹
  馬               五十四頭
  ミウル             百十五頭
    計百七拾弐頭
○中略
      ○コナ開拓会社創立以来ノ甘蔗及砂糖生産額表
           (千九百〇六年四月十七日認可)

 年度     甘蔗収穫噸数     砂糖生産高噸数  平均砂糖一噸ニ要スル甘蔗噸数率
 一、九〇九年 一〇、六二二噸八四六  一、二七一噸     八噸三六五
 一、九一〇年 一二、六一二噸九七〇  一、五八九噸四三七  七噸九三五
 一、九一一年 二〇、〇六九噸四六一  二、三三三噸九三七  八噸五九九
 一、九一二年 二〇、七八〇噸七三一  二、五七〇噸     八噸〇八六
 一、九一三年 二三、六五八噸三〇四  二、九四三噸     八噸〇三九
 一、九一四年 二七、七六六噸     三、四七七噸     七噸九八六
 一、九一五年 三四、一二六噸四四三  三、五八九噸 一八七 九噸五二二
 一、九一六年 (此年ハ紺野氏ノ手ニ移リシ為メ全収穫ハ前年度ニ繰上ゲタルヲ以テ収穫ナシ)
 一、九一七年 三六、四三九噸七一八  四、五五五噸     七噸九九九
 以下予想
 一、九一八年 二四、〇〇〇噸     三、〇〇〇噸
 一、九一九年 四八、〇〇〇噸     六、〇〇〇噸

      ○千九百拾七年度営業成績表(九月三十日締切)
    収入
                             弗
一、砂糖(四千五百十五噸)売上金      五三四、三八一、一〇
 - 第55巻 p.635 -ページ画像 
  (但シ代理店手数料及桑港迄ノ運賃諸掛リ一切ヲ控除ス)
一、雑収入金                 一五、〇二五、九三
  合計金                 五四九、三〇七、〇三
    支出
一、甘蔗代(整地・種苗・肥料・耕作費一切) 一七八、二八一、二五
一、収穫運搬費一切              五三、二三五、二二
一、製糖費一切                二九、六〇七、五〇
一、工場機関及諸機械修繕費           三、九三六、二〇
一、会社諸経費                四一、九〇六、〇〇
一、地代・保険料・ホノルル運賃        二六、一九一、二五
一、租税金                   一、三六六、五〇
一、利子支払                  四、五五五、〇〇
一、動産減価準備金控除             九、一一〇、〇〇
  合計金                 三四八、一八八、九二
差引当期純益金               二〇〇、一一八、一一
 (金弐拾万〇百拾八弗拾壱仙也)
○中略
    「コナ」開拓会社定款(布哇県政府認可)
      第一章 会社
布哇県法規ノ定ムル所ニ従ヒ、本定款ノ規定スル期間ト条項トニ準拠シテ株式会社ヲ組織ス
      第二章 名称
本会社ハ「コナ」開拓会社ト称ス
      第三章 会社存立期間
本会社存立期間ハ設立ノ日(千九百六年四月四日)ヨリ起算シテ五拾箇年トス
      第四章 事務所
本会社事務所ハ之ヲ「ホノルル」ニ設置ス
      第五章 目的
本会社ノ目的ハ次ニ示ス如シ
一、本会社ノ権利ニ属スル布哇島「コナ」ニ在ル永代借地及ヒ製糖場栽培中ノ甘蔗、店舗、蔗苗植附等前持主ヨリ本会社ニ交附セル売渡証書中ニ記入セル租借地内及ビ之ニ連接セル土地ニ在ル財産・請負等ノ権利ヲ獲得スルコト
二、甘蔗及ビ其他ノ農作物ヲ栽培シ、之ヲ製糖シ、若クハ他ノ製品ニ作成スル等一般ノ耕作農業・製造等ヲ営ムコト
三、本会社ノ為ニ甘蔗及ビ他ノ農作物ノ耕作ヲ受負シムルコト、但シ此場合ハ受負人ニ前貸ヲナシ又ハ保証金ヲ積マシムルコトヲ得
四、甘蔗・製糖若クハ他ノ農産物ヲ売買スルコト
五、治水ニ関スル各種ノ権利ヲ獲得保管シ、灌漑・運輸・電力等必要ナル各種ノ設備ヲナスコト
六、砂糖・珈琲・サイザル・烟草又ハ製糖所・機械・軌道・鉄道線路・其他ノ道路・荷揚地・桟橋・倉庫・建物等ノ売買・租借・保管・建設ヲ布哇島内ニ於テ為スコト
 - 第55巻 p.636 -ページ画像 
七、土地・動産・特許権等ヲ所有・売買・租借・保管シ、或ハ之ヲ抵当ニ入レ、又ハ其他ノ処分ヲ為スコト
八、布哇島ノ各港間及ビ布哇全島ノ各港間ノ運輸ニ充ツルタメ船舶・艀舶ヲ建造シ、若クハ売買・貸借等ヲナスコト
九、本会社ハ株主過半数ノ意見ニ依リ会社ノ為ニ最モ利益ナリト認ムル場合ニハ、他会社ノ株券ヲ購入シ、保管シ、売却シ、又ハ抵当ニ附スルコト
十、商品ヲ売買スル為メ店舗ヲ所有シ、並ニ輸出入業ヲ経営スルコト
十一、本定款ニ於テ是認セラレタル目的事業等ヲ遂行シ、若クハ之ヲ補助スルタメ個人若クハ他ノ会社ト組合ヲ結ブコト
十二、前記本会社事業ノ全部若クハ其一部ニ対シ必要且ツ有利ナル場合ニハ、農業・商業・機械業等ヲ営ムコト
○下略


渋沢栄一 日記 大正七年(DK550124k-0002)
第55巻 p.636 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正七年         (渋沢子爵家所蔵)
一月三十一日 晴 寒
八時○午前布哇人紺野登米吉氏来リ、砂糖工場ノ件ニ付謝詞ヲ演フ○下略


渋沢栄一 日記 大正一〇年(DK550124k-0003)
第55巻 p.636 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正一〇年        (渋沢子爵家所蔵)
十月二十三日 半晴 軽暑
今朝ハ布哇島内外ノ知友来訪ノ約アルニヨリ六時半起床、洗面了テ衣服ヲ整ヘ七時半朝飧ス、畢テ紺野氏先ツ来リ、砂糖業経営ノ沿革ヲ詳話ス○下略
  ○十月十三日栄一、横浜解纜米国旅行ノ途ニ上リ、二十二日布哇ニ着ス。


渋沢栄一 日記 大正一五年(DK550124k-0004)
第55巻 p.636-637 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正一五年        (渋沢子爵家所蔵)
二月八日 晴 寒
午前七時半起床入浴朝飧ヲ畢リテ、外務省吏員斎藤良衛氏ノ来訪ニ接シ、布哇コナ地方ニ於テ紺野某経営セル、製糖業善後ノ処置ニ関シテ種々ノ談話アリ、且同地領事ヨリ外務大臣ヘ進達セシ各種ノ書類ヲ示サル、依テ熟覧ノ後何分ノ意見ヲ具陳スヘキ旨ヲ答フ○下略
  ○中略。
二月十日 雨 寒
○上略 朝飧畢リテ増田明六氏来リ、頃日外務省斎藤良衛氏ヨリ懇請セラルル、布哇コナ地方ノ紺野氏経営セル製糖事業継続ニ関スル問題ニ付種々意見ヲ交換シ、増田ヲシテ外務省ヘ出仕シテ斎藤氏ニ回答セシムル事トス○下略
  ○中略。
二月十三日 晴 寒
○上略 増田明六来リ庶務ヲ談ス、布哇紺野氏経営ノ砂糖事業継続ノ事ニ付、興業銀行総裁ヘ金融ノ依頼ヲ為サシム○下略
  ○中略。
二月十六日 曇後晴 寒
○上略 朝飧ス、食後増田明六来リ要務ヲ談ス、布哇コナ製糖事業ノ事ヲ
 - 第55巻 p.637 -ページ画像 
外務省ニ回答セシム○下略
  ○中略。
四月三日 曇又雨 軽寒
○上略 九時過ヨリ布哇ヨリ出京セル毛利伊賀氏、同行ノコナ地方人箱田某ト共ニ来訪、曩ニ紺野氏経営ノコナ製糖業ノ善後方法ニ関シ、種々爾来ノ沿革ト目下其筋ヘノ請願等ニ付説明アリ、長時間ノ談話ヲ交換ス○下略


(増田明六)日誌 大正一五年(DK550124k-0005)
第55巻 p.637-640 ページ画像

(増田明六)日誌  大正一五年      (増田正純氏所蔵)
十二日○二月 金 曇               出勤
午前十時外務省ニ石射通商局第三課長を訪問し、布哇コナ開拓会社救済策ニ関する状況を聴取
午後二時塩水港製糖会社ニ槙哲氏を訪問、同氏並岡田  《(原本欠字)》氏ニ面会し同氏とコナ開拓会社との関係及同社救済策ニ付き考慮を聴取す
○下略
十三日 土 曇                  出勤
早朝飛鳥山邸ニ子爵を拝訪して
○中略
一コナ開拓会社ニ関する件
同社ハ布哇ニ於ケル唯一ノ日本人ノ経営ニ係ル製糖会社ナリ、先キニ大正五年同地在住ノ紺野登米吉氏(最初ヨリ同社長トシテ経営ノ衝ニ当リシカ、大正十四年八月逝去)帰朝、渋沢子爵ノ紹介ニ依リテ当時ノ外務大臣後藤子爵・大蔵大臣勝田主計氏等ノ尽力ニ依リ、塩水港製糖会社々長荒井泰治氏・専務槙哲氏・取締役藤崎三郎助氏ノ保証(後保証ヲ解キ直接ノ債務者トナレリ)ノ下ニ、金参十五万弗ノ資金ヲ日本興業銀行ヨリ仰キ経営シタルカ、財界ノ不振ト経営宜シキヲ得サリシトノ為メ、最初ノ五年ハ年賦ニヨル元利金ヲ返済シタルカ、其後年年損失ヲ重ネ、遂ニ前記ノ荒井氏外二氏ハ合計百参十万円ノ債権ヲ有スルニ至リシ折柄、昨年八月紺野氏逝去ト共ニ将来ニ対スル見込立タサル状況ニ陥リ、三氏ハ紺野氏ヨリ債務ノ担保トシテ提供セルコナ開拓会社全部ノ財産ヲ、本年一月競売ニ附スルニ至レリ
 三氏ハ興銀ノ融通資金参十五万弗ニ関シ初メ保証人ノ立場ニアリシカ、後同行ニ迫ラレ各自ノ私財ヲ提出シテ直接債務者トナルト同時ニ、紺野氏ニ対シ債権者トナレルナリ、即肩代ハリヲナシタルナリ競売ノ止メ値ハ弐十万弗ナルカ、其価格ハ公定評価人ニ依リテ裁定シタルモノナリト云フ
然ルニコナ在留ノ本邦人ハ、同会社ニ売込ミタル物品代金ノ未払及労賃ノ未払等ヲ得ルニ途無ク(同社ノ全財産ハ債権者ニ差押ヘラレ競売ニ附セラルヽニ至リシ為メ)同地ノ本邦人商店及労働者ハ惹テ破産ノ悲境ニ陥リ、此際何等カノ方法ニ依リテ之等ヲ救済スルト同時ニ、人心ヲ安定セシメント、布哇ニ於ケル総領事ヲ始メトシテ毛利伊賀氏等一方外務省ニ懇請スルト共ニ、渋沢子爵ニ電報シテ救治ヲ請ヒ、他方ニハコナ在留者ヲ基トシテ布哇在留邦人ニ依リテ之ヲ債権者ヨリ譲受折角獲得シアル同地ノ経済的基礎ヲ、邦人ノ手ニ依リテ維持セント企
 - 第55巻 p.638 -ページ画像 
図シタルカ、其方法トシテハ大凡
一、全財産ヲ十万弗ニテ譲受クルコト、但此代金ハ玆ニ邦人ノ力ニ因リテ一会社ヲ組織シ、優先株十万弗ヲ発行交付スルコト
二、砂糖耕地維持及開拓資会《(金)》トシテ日本政府ヨリ八万円ノ低利年賦資金ノ融通ヲ受クルコト
ニアリシカ、右ニ対シ
一、槙氏等債権者ハ弐十万弗ノ代金トシテ興業銀行ヨリ同氏等債務ノ肩代ハリヲ為スコト、槙氏ノ計算ニヨレハコナ会社ノ現財産ハ耕地二、七〇〇ヱーカー(此部分ハ放牧地ノ由)、借地二、〇〇〇ヱーカー、レール十哩分、機関車・貨車・工場ノ外ニ加非耕地三〇〇《(咖啡)》ヱーカー(此丈ノ価格五万弗)ノ外、現金五、〇〇〇弗、砂糖産出価格二〇、〇〇〇弗アレハ、此中ニ就キ咖啡耕地五〇、〇〇〇弗ト砂糖ノ二〇、〇〇〇弗ト現金五〇〇〇弗合計七五、〇〇〇弗ハ直ニ現金ニ換算シ得ルモノナレハ、差引残一二五、〇〇〇弗ヲ以テ砂耕全部ト、レール・器機・建物一式ヲ購入スルコトヽナリ、決シテ高価ノモノニアラス、之ヲ尚十万弗、併カモ優先株ニテ譲受ケントスルハ如何ニモ虫ノ良キ話ニテ、予等トシテハ仮リニ二十万弗ニ売却シテモ尚多額ノ損失ヲ蒙ル次第ナルヲ以テ、到底コナ側ノ希望ニ応スルコト能ハサルナリ、併シ之カ関係ノ起リハ元ヨリ布哇在留邦人ノ経済的基礎ヲ確立セシメヤラントノ義侠心ニ出テタルモノナレハ、此際予等ノ興銀ヨリ負フ債務弐十万弗ノ肩代ハリヲ為スコトナラハ毫モ異議無キ処ナリトノ主張ナリ
又外務省石射課長ノ談ニヨレハ、政府ハ予算以外ニ低利資金ヲ出ス途全然ナシ、是非必要ノ場合ハ追加予算ヲ提出スル一途ノミ存スルヲ以テ、此際コナ側ノ申出ト債権者三氏ト興銀トカ渋沢子爵ノ尽力ニ依リテ何等カ協議成立シタル後、更ニ之カ融通ヲ必要トスル場合ニ到達セサレハ、之ヲ提出スルコト不可能トノ意見ナリシ
以上ノ談話ヲ子爵ニ報告シタルニ、子爵ハ
一、コナ側申出ト槙氏外二債権者トノ希望ヲ興銀小野総裁ニ談話シ、同氏ニ於テ全然之ヲ認メサルヤ、又幾分ニテモ受入ルヽ意思アルヤ予ニ代ハリテ一応之ヲ試ミヨト命セラル
午後三時同総裁ヲ同銀行ニ訪問シテ懇談シタルニ、総裁ハコナノ事業ニ就テハ多年其実績ヲ観、又将来ノ成績ニ付キ調査シタルカ、過去ニ於テハ多年毎期欠損ニテ、始メ五ケ年間年賦償還ヲ為シタルモ、利益金ニ因ラスシテ、其都度更ニ他ヨリ融通ヲ受ケタルモノナリ、尚将来ニ付テハ過去ノ成績如此ナルヲ以テ到底望ミヲ難属、依テ銀行トシテハコナ側希望ニ応諾スルコト能ハサルニ付キ、此旨子爵ニ復命シテ、槙氏等希望ノ如ク競売ニ附セシムル方、同氏等ニ取リテモ利益ナリト思フ旨伝ヘラレタシトノコトナリ、尚小野氏ハコナニ於ケル製糖事業ハ全然米国人ウオーターハウス氏ニ依リテ左右セラルヽモノナルニ付キ、仮リニコナ側ニ於テ之ヲ競落又ハ譲受クルコトアリテモ、紺野氏ノ時代ト均シク結局困難ニ陥リ、所詮ハ米人ノ手ニ帰セシムルニ至ルベシト語リタリ
午後四時事務処ニ至リ、外務省石射課長ニ右ノ旨電話シ、同氏ヨリ之
 - 第55巻 p.639 -ページ画像 
ヲ槙氏ニ伝フルコトヽナシタリ
来ル十五日ハ競売第三回ノ執行(第一回ハ延期、第二回ハ不成立)此不成立ニ付テハ、コナ社ノ労働ニ従事スベキ同地本邦在留民及邦字新聞ガ挙テ之ヲ邦人ノ手ニ帰スル目的ニテ多少論議スルヲ以テ、米人ニテ之カ入札ヲ避ケタルニ依ルモノヽ如シ)日ナルカ、若シ興銀ニテ多少トモ槙氏等ノ希望条件タル肩代ハリヲ承諾スル意思アルニ於テハ、或ハ之ヲ延期スルコト必要ナラズヤト思考シタルガ、興銀ノ意思如此ナルニ於テハ全ク其必要ナキニ付キ、石射課長トモ電話ノ上之ヲ槙氏ノ自由意思ニ委スコトヽシタリ
  ○中略。
四月一日 木 晴               (出勤)
○上略
後三時、布哇コナ島ニ於ケル製糖事業資金ノ義ニ付、日本興業銀行ニ小野英二郎総裁ヲ訪問ス
○下略
  ○中略。
七月廿四日 土 晴               出勤
○上略
後三、毛利伊賀氏来訪、布哇コナ島製糖事業地継承の件ニ付種々協議あり、債権者として同事業の全権を有する槙哲氏等を訪問して、其譲渡代金を可成低減する様懇願すべき事を約す
○下略
  ○中略。
七月廿七日 火 晴                出勤
前十一時、塩水港製糖会社ニ槙氏代理岡田氏を訪問す、毛利伊賀・高桑  《(原本欠字)》両氏を同伴す
問題 布哇コナ島ニ於て十数年前より紺野登米吉氏(仙台の人)甘蔗栽培及製糖業を営む、但其資金ハ槙哲・荒井泰治・藤崎三郎助の三氏よりて《(マヽ)》たり、近年砂糖市価安ク紺野氏の奮闘も其効薄く、比年損失を重ね、債務の利息すら支払ふ事能ハす、為之債務額は累加し殆と困頓の極ニ際したる折モ折、同氏病の為めニ逝去し、遂ニ従業者ニ対する給料の支払すら不可能となり、最早之を救済するニ途無く、不得止債権者は之を競売に附して債権の一部にても回収せんとするニ至れり、於之コナ在留邦人ハ之を他ニ競落せしむるよりハ、先つ自己等ニ於て可成安価ニ之を引受けんと企図し、毛利氏の上京に託し之が尽力を請ふニ至りしなり
爾来小生も毛利氏ニ力を併ハセ、外務省ニ興業銀行ニ将又槙氏等ニ交渉示談する処ありしも、未た整ふニ至らさ《(ざ)》りしなり
交渉の要点は如左
槙氏等債権者ニ対してハ、同氏等が日本興業銀行より負へる債務中米貨弐拾万弗(此金額は競売ニ附する財産の公定評価額なり)を肩代ハりせは、同耕地並製造機其他一切を交渉《(マヽ)》すべきと云ふに対し、毛利氏等ハ十五万弗ニテ引受けたしと云ふニあり、又外務省ニ対してハ右の事情ニ付低利資金拾万弗と補助金拾万弗を支出せられたしと云ふニあ
 - 第55巻 p.640 -ページ画像 
るなり、今日の岡田氏との会見ハ、同氏より篤と槙氏に談話したる上回答すべしとの事なり
○下略
七月廿八日 水 晴                出勤
午後、毛利伊賀氏と共ニ外務省ニ石射通商局第二課長訪問、コナ島製糖事業引受の為ニ要する資金弐拾万弗の支出を懇願したり
  ○中略。
八月十二日 木 晴               湯ケ島
○上略
午前十一時半、毛利伊賀・高桑与市両氏来訪、小生の室ニ迎ふ、用件は布哇コナ島ニ於ける砂糖耕地問題ニ関し、予て外務省ニ懇談したる補助金並低利資金貸下の件同省ニて殆と拒絶の状態となりたるが、之が対策如何と云ふニあり、午食後相携へて附近を散歩し○中略 夕刻帰宿して問題ニ関し協議を為し、更ニ夜川岸の小亭ニ会し十一時迄談話、一の成案を得
○下略
八月十三日 金 晴               湯ケ島
午前七時、高桑与市氏前夜の作成案を携へ帰京の途ニ就く○下略
  ○中略。
九月三日 金 曇                出勤
○上略
午後二時子爵、児玉正金銀行頭取と会見○中略
此日子爵ハホノルヽ毛利伊賀氏計画コナ島事業復興資金の件を児玉正金銀行《(頭取脱)》ニ語り、何分の援助を与へられたしと懇談したり○下略


集会日時通知表 大正一五年(DK550124k-0006)
第55巻 p.640 ページ画像

集会日時通知表  大正一五年       (渋沢子爵家所蔵)
九月三日 金 午後二半時 児玉謙次氏ト御会見(事務所)


(増田明六)日誌 大正一五年(DK550124k-0007)
第55巻 p.640 ページ画像

(増田明六)日誌  大正一五年      (増田正純氏所蔵)
九月九日 木 晴                出勤
午後四時、毛利伊賀・高桑与市両氏と共ニ外務省ニ至り、斎藤通商局長及石射同第三課長と会し、布哇コナ砂糖耕地買収資金の一部を同省より、又ハ同省の配慮ニて融通を受くる様致度と、三人より交々懇願する処ありしが、同局長は
一同省には斯る性質の予算全然無き事
一機密費は少額にして到底其資金と為す事を得す
一次年ニ於て予算に計上するとせば、其性質使途を明かにせさるべからす、之れ徒に排日の資料を提供するに外ならさる事
等同省としてハ全く其資金調達の途なき旨を述べたるニ対し、予等ハ此上更ニ懇請するも其効無かるべきと思ひ、就てハ
一外務省より横浜正金銀行ニ対し、資金貸出ある様十分なる勧告を請ふ旨
を陳べ、局長之を快諾し、明日同行重役を訪ひ懇頼すべしと約せられたり