デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

6章 対外事業
3節 其他ノ外国
11款 其他 1. 移民ニ関スル栄一ノ談話・講演
■綱文

第55巻 p.676-682(DK550134k) ページ画像

大正8年(1919年)

是年栄一、三回ニ亘リ雑誌『拓殖新報』ノタメニ談話セル、移民問題ニ関スル意見、同誌上ニ掲載セラル。


■資料

竜門雑誌 第三七四号・第二四―二七頁大正八年七月 ○海外出稼に就て 青淵先生(DK550134k-0001)
第55巻 p.676-678 ページ画像

竜門雑誌  第三七四号・第二四―二七頁大正八年七月
    ○海外出稼に就て
                      青淵先生
 本篇は「拓殖新報」記者が青淵先生を訪問して、拓殖事業に就て其の意見を聴けるものゝ由にて、同雑誌本年四月号に掲載せるものなり。(編者識)
△無鉄砲の渡航を警む 戦後の経営として幾多の重大なる問題あるが就中拓殖なるものは我国民の最も考慮を要すべきことで、此事に就ては当局者は勿論、当業者に於ても熱心に尽瘁せられつゝあるであらうが、今日のやうに物価昂騰し、一般生活上困難を来たした場合、何うしても拓殖業を大に盛んにしなければならぬ。知らるゝ通り日本の人口は年々激増するばかりであるから、食糧の如きも欠乏を告ぐるは無理からぬことである。如何に海外より物資を輸移入するとも、到底予想通りに行ふことは不可能である。彼の国際上の関係にしてもなかなか約束通りに行ひ得るものではないから、徒らに海外に仰ぐといふことのみに執着することが出来ない。今一方では土地開墾助成案なるも
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のが議会に提議せられたが、好んで該案が通過し愈々荒地の開拓に着手するとしても、玆五年や十年の間には完成することは出来まい。一方では
△人口は益々増殖 するばかりであるから、勢ひ海外に数多の人間を移住せしめなければならぬことになる、臆面無く言へば、我邦の海外拓殖は未だ幼稚の範を脱しない。加之列強中一番に後れて居るので、之が進歩発達は遼遠である。
 玆に於て最も懸念に堪へざるは、植民地に於ては徒食の輩が数多に住して居ることである。何ういふものか、一体日本人の中には無鉄砲な考を以て無暗に海外に飛び出すやうに見受ける、それで折角有為有材のものも適当なる仕事に有附くことが出来ない処から、非常な逆境に陥ることは尠くない。遂には浮浪の民となり社会から埋没せらるゝといふ悲運に陥るに至るので、之は亦普通の人にありても自ら赴くべき土地の事情を能く取調べない処から、路頭に迷ひ遂に堕落するに至ることも珍らしくない。而して今一面には、日本内地に住するものゝ中でも、兎角海外に赴くことをば非常に事難かしく解し居るものも之れ亦少くないのである。之は一に長い間の鎖国生活の余弊である。今は徒らに小天地に蟄居すべき時代ではない。
△青年は大に海外に雄飛せよ 此の世界的気運に乗ぜざる人は、必らず社会の落伍者となり果つるは当然である。人各々天与の職分を有するからは、可及的向上発展に努め、世界を家とし、進んで海外に雄飛するといふ気分があつて欲しいのである。何処何処までも自分が海外に於て大いに発展すべき余地ありと自覚自信したならば、喜び勇んで海外に出懸けねばならぬ。今日は拓殖に関する調査機関が設けられ、政府に於ても相当の便宜を与へられることになつて居るから、夫々自己の落附く先を取調べ、充分の準備を整ふて出発するやうにせば決して身を誤まるやうなことはないのである。処が無分別に飛び出す者等の心裡を解剖すれば、彼地に赴いたならば、資本や手腕が無くとも大に奪闘すれば目的を達せられるものであるといふやうな夢想を描いたもので、所謂万一の僥倖を望んで、前後の考へもなく飛び出したものである。之が婦人殊に年若き女で然も意志薄弱なるものは、直ちに誘惑せられ、あるまじき行為を敢てするやうになるのである。現に支那朝鮮には随分相当教育ある者にして
△奈落の淵に沈溺 せしもの数多ある位で、洵に慨歎に尠へざる次第である。能く世間の人は排日といふ怨声を放つものあるが、之は植民地に限らず外国に於て日人排斥を受くる理由は、今も云つた如くに、何等素養無きものが無分別に飛び出した結果、何等恥辱を顧みざるに至るものであるから、斯かる忌はしい事を仕向けられるのである。此の実例は屡々帰朝者より、耳にする処で、之は無理からぬことゝ信ずる。若し何かの事情で、是非海外に赴かなければならぬ場合に到りし時は、決して彼地に於て流浪することのないやうに、可成は有力なる団体に頼つて赴くべきである。又此外には、一体日本人は土着心がない。彼地に於て僅か千か二千の金が貯まると直ぐに帰国して了ふ。之は甚だ良くないことであつて、「業若不成死不還」といふ覚悟があつ
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て欲しい。此海外移民に就いては当路の大臣も大に憂慮し、有力なる団体に対しては相応の補助を与へられつゝあるのであるから、是非渡航なすべきことになつたならば、適当の業務を撰択することが肝要である。当時或方面に於ては頻りに人種差別撤廃問題を唱導するものもあるが、私が思ふに人類の異なるを厭ふよりは、前にも云ひし如く、劣悪なる行為をなす処より自然に排斥の声が盛になるものであらうと信ずる、之等は須らく自重し以て一等国民たる体面を把持しなければならぬ。
△拓殖機関を改善せよ また一方には拓殖の機関たる団体に於ては、啻に自己団体の利益のみを計るといふことでなく、海外に志す人士に対しては可及的親切に誘導し、力めて其人々の長所を発揮するやうに務められ度いのである。中には能く整頓したる団体もあるが、兎もすると純営利的のものが尠くないやうにも見受くるが、斯様な事では純良なる国民を扶植するといふことは不可能であるから、大に改善し以て完美なる所の拓殖機関として夫々範を示され度いのである。其処に至つては欧米の拓殖機関は非常に完備し、凡俗の者に対しても、一目瞭然能く植民地の内情を証示し、献身的に努力しつゝあるは、到底我国内では観得られぬのである。然らば此の拓殖機関をして如何に完備せしむるかといへば、官民和合一致以て一般国民に拓殖の有望なるを種々なる手段方法に拠り親切丁寧に誘導すべきである。之は講演に、活動に、刊行により努めて適切なる方法を執るが至当である。乍去射倖心を喚起せしむるやうな悪手段は絶対に避くべきであるから、重ねて玆に遺算あらしめざるやう注言し置く次第である。


竜門雑誌 第三七四号・第二二―二四頁大正八年七月 ○拓殖は先づ国内より 青淵先生(DK550134k-0002)
第55巻 p.678-680 ページ画像

竜門雑誌  第三七四号・第二二―二四頁大正八年七月
    ○拓殖は先づ国内より
                      青淵先生
 本篇は青淵先生の談話として「拓殖新報」第七十七号に掲載せるものなり。(編者識)
私は政治家でも何でもないから、殖民政策とか何とか云ふ難しい問題に就て、今論議する訳には行かないが、唯だ私としての考から云ふと、此殖民事業と云ふことに就ては、大体国家を重んじてから論ずると云ふと、例へば台湾であるとか、朝鮮であるとか、北海道であるとか、斯う云ふ我版図に対して、今日よりも、より以上の開発をされんことを希望するのである。確固たる所の基礎を造り、之に拠つて確実なる仕事を国民が為し、而して国家の生産力を更に増大せしむると云ふことが必要であると思ふのである。亜米利加に移民を送つて其土地の産業に従事せしむるとか、若くば南米なり北米なり南洋なりに好い土地があるから、其処に移民を送つて働かせれば宜しからうと云ふことは、唯だ日本の人口が増大したから、国民を国外に出して国内の国民を減すのであるから、国土狭少にして年々増殖する国民の為に、其国土で産する食糧其他にては、到底国民が安閑として生活して行くと云ふことは出来ないから、之が調節を図る、斯う云ふては語弊があるか知らぬが、兎に角、限りある土地に対して年々人口が増大するから
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之を国外に出して生活せしむると云ふ、斯う云ふことは一応尤もなことではあるが、併ながら、夫れが国家として最上の手段であるかどうかと云ふと、是は最良なる手段であるとは、謂へぬかも知れぬのである。一方から謂ふとどうも人口が増殖するから、食糧が窮迫を告げて十分に之を供給することが出来なくなる。故に他に向つて発展せしむることにしなければならぬと云ふ論がある。又国の状態から言ふと人口が段々増大して、国内で生産する物だけでは到底是等の人口を支へ兼ねる、詰り国内の食糧と云ふものが無くなつて、結局は共食ひをしなければならぬと云ふことになるから、どうしても外に出さなければならぬと云ふことであるが、併ながら此問題に就ては、是はどの位人口が殖えたか、而して之に対してどの位食糧と云ふものが不足を来すであらうかと云ふことに就て、余程私は研究して見なければならぬと思ふのである。試みに其一例を言ふならば、若し肥料を完全に使用して田地の耕作を十分に行ひ、而して之より倍にして食糧を取ると云ふことになれば、是等増殖せる人口に対して、之を養ひ行くと云ふことは出来ることであらうと思ふ。例へば五千万石の収穫を得て居た米が一億万石の収穫を得ると云ふことになれば、仮りに之れまで五千万人の人が生活し得られたものが之に依て一億万人生活し得、食ふて行かれると云ふことになるのである。而して斯うなつて行けば米計りで生活をすると云ふものでないから、従つて他の生産力も自然と増して行くと云ふことが出来ると思ふ。斯う云ふことをするには未だ日本には幾らでもやれる余地があると思ふ、尤も森林と云ふものも必要なものであるから、何でも土地を開墾して米其他のものを造り、森林は無くなつても宜しいと云ふのではない。森林も勿論必要である、併ながら此森林を相当に植林して行つても他に荒蕪地、不毛の場所があるから是等をも開墾利用して行けば、相当なる生産力を増すと云ふことは出来るものであるから、斯う言ふやうな点から考察すると云ふと、人を他に移して稼がせると云ふことは、最上の手段であるとは国家の上から見て余りに謂ふことは出来ないと思ふ。然ればと云ふて、私も絶対に人を海外に出してはならぬと云ふ論者でもない。其人の考に依り或る事業の経営に就て、基礎あり確信あるものに於ては大に活躍すべしである。唯だ漫然と、例へば亜米利加に行けば日本に居るよりは金が取れて面白いと云ふやうな、浅薄なる考から、唯だ渡航すれば、移民となつて行けば生活し得ると云ふ考の下に、海外に出ると云ふことは宜しくないと思ふ。此拓殖と云ふことに就ては、余程能く種々なる方面から考察し、而して確実なる根柢の下に行ふと云ふことにしなければ不得策であり、却つて之が為め失敗を招くと云ふことになると思ふのである。今日迄の、海外に移民すると云ふ人の状態を見ると、確実なる根柢の下に出る者もあるが、又唯だ出ればどうにかなるだらうと云ふ考で行く者もあるやうであるが、此海外に出ると云ふことは、私はもう少し出る人が考を定め、考慮を尽して而して出ると云ふことにしたいと思ふのである。唯だ漫然としての考でなく、其事業の成敗利鈍を能く考察し、而して其土地の気候・風俗・民情等に就ても精細に覈査し、其事業と照合研究を施したる上に於て、一定の方針を定めて
 - 第55巻 p.680 -ページ画像 
行くが宜しいと思ふ。斯くせずして漫然と其地に赴き転々する如きことは、遂には其土地に於て、嫌はれ者となり、排斥を受けることになる。亜米利加に於て、日本人にして成功して居る者も数あるが、其一方に於ては一定の考なく、唯だ出懸ければ何とかなるだらうと云ふ、漫然たる考の下に渡航し、失敗して転々各地に徘徊する者あるが故に亜米利加人は日本人を冷遇視すると云ふやうなことがあるのである。欧羅巴人などゝ差別して取扱ふと云ふやうなことが間々あるやうである。であるからどうしても海外に出る人は、余程是等の点に留意してやらなければならぬことであると思ふ。夫れで是等見地から既に移民会社なるものが出来て、現今では二つ計りの会社が合併して移民のことに努力して、相当なる成績を挙げて居るやうではあるが、之も唯だ目下の所では宜しいと云ふだけで、未だ完全なりと云ふ点までには行かぬやうではあるが、是等が完全するに至れば、移民と云ふことに就ても亦宜しいかも知れぬ、兎に角拓殖事業に就て私の論ずる所は、日本全体からして国民を増大の結果、唯だ海外に出すことを誘導すると云ふことは宜しくない、成るたけ内地に居られるやうにして、而して内地の即ち台湾・朝鮮・北海道及び本土に於ける所の拓殖に努め、国内の生産力を増大にし、以て増殖せる人口を他に出さずして、我版図内に於て之を生活し得さしめ、而して国を同一に発達せしむると云ふことが必要であると思ふのである、而して夫れと同時に、海外発展と云ふことは寔に結構なることで、大に海外に雄飛して活躍すると云ふことは結構なことであるが、併し此海外に発展すると云ふことに就ては、前述の如く軽卒なる考で走らず、慎重なる考察と、其確固たる方針の下に精細なる研究に依つて出づべきであると思ふ。私は斯う云ふ意見で、決して海外に発展するのは悪いと云ふのではない、大にやるべきではあるが、其処に慎重なる老慮を要すると云ふのである。


竜門雑誌 第三八三号・第一八―二一頁大正九年四月 ○内地拓殖と海外移住 青淵先生(DK550134k-0003)
第55巻 p.680-682 ページ画像

竜門雑誌  第三八三号・第一八―二一頁大正九年四月
    ○内地拓殖と海外移住
                      青淵先生
 本篇は青淵先生が「拓殖新報」記者の訪問に対し語られたるものゝ由にて、同誌九月号に掲載せるものなり。(編者識)
△地球は人類の棲家 現代の社会状態より推察するに、勿論我国の人口は激増するに違ひない。之は最も争ふ可からざる事実である、如何にしても国内だけでは生活が益々困難になる訳である。左れば何んとかして安楽な土地に赴き度いものであると考ふるは人情の常である。之は極く広い意味から云ふたならば「普日照処人可棲也」といふことである以上には、人類の何れを問はず何処の土地に棲んでも差支なからうと思ふ。又各人類が此土地は我物とか我所有であるといふやうな差別を附くるは、之は自然の道理から云つたならば間違つて居る。況んや人々の作つた物産や或は其の土地に在る財物さへ忽せにすることの出来ないのは人の務めだ。既に万物が蒼生して居る土地に於て何々はする事は出来ないとか、他の者が扱ふことは不可ないといつて、他の人の為す事を妨ぐるといふことは甚だ善くないことゝ思ふ、今後は
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只人類に限らず何物も大に発展しなければならぬと考ふるが、併し既に定まつた土地をば我所有とするといふことは出来ぬ。支那の或る有名な詩にもある如く「江上の橋の欄干に腰を掛け流るゝ水を眺むるは宜いが、その江水までも我物になさんと貪る勿れ」と戒めて居る。之は所謂造物主は勝手に人類の為に造つたものでないといふことを論じたものだ。物の主ある以上は仮令好い土地であつても相当の方法がなければ、勝手に我物とすることは出来ない、之等は何人も大に考慮を要するのである。
△海外移住は転ばぬ先の杖 の如くに注意しなければならぬ、随分場処に依つては嫌はれものにされる虞れがある、海外の発展は甚だ必要であるが、それ等発展の方法に就いては充分の注意を払ふ必要があらうと思ふ。日本は永き間鎖国せられて居つたから海外に出るといふことも無かつた故、海外に発展といふことが出来ず、僅に移民といふ上に就いても忘れられて居つた。去り乍ら今日の如き日本の地位に在りては、海外移民の事に就いては、在来の弊習を除去し、先づ自己の赴く可き土地の実情を研究し誤り無からんことを期す可きである。例へば土佐の国に行く者が綿入衣を用意し、越後に行く者が帷子を用意するといふやうな狂態を演じてはならぬ、従つて海外に出やうといふ者は其国の物産・風俗・人情などを誦んじ、失敗せざるやうに心懸くるが必要である。処が日本人の海外に赴く人々の多くは、何等充分に研究もせず所謂不用意であるから、兎もすると向ふの人々に嫌はれ、果ては排日運動をせられるやうなことになるのは当然である。日本に於ても久しき以前より海外移民を取扱つて居つたものもあるが、何れも只下級の者で食ひ詰めものを世話して所謂人夫の如きものを送り、頭を刎ねるといふことをやつて居つたのである。処が近来世界の進歩発展に伴れ、海外移住者は智識あるものを出さなければならぬ状態になつたが、日本の遣り方は未だ完全でないと思はれる
△日本内地の拓殖に着目せよ 私は先づ拓殖を論ずる為には、臆面なく言ふを憚らぬ、露骨に云へば日本の海外移住者の考へは未だまだ幼稚であつて、多くは一攫千金とか冒険的に出懸くるものなるを見受くるが、之は甚だ遺憾である。成程拓殖といふ上から云へば、海外の事を意味するが、私は日本内地に於て未だ未だ開拓すべき余地が沢山にあることを信ずる。如何に海外発展といふも、内を忘れ外にのみ着目するが如きは之亦大に顧慮せねばならぬ。日本内地は確に人口稠密で一寸考へると最早之以上に開拓す可き処がないやうに想はれるが、私の考へでは余程綿密に調査し完全に開墾したならば、未だ優に二・三千万の人口を定住せしむることは可能であると信ずる。今度日本内地では開墾助成法案なるものが出来たが、之は未だ不完全なるを免れない。之に就いては第一に食物が充分に出来なくては不可ぬ、現今の人口に割当つれば三割方不足して居るさうである。之は今私の口より吐く可きではないが、日本内地に於ては幾百万町歩の未墾地がある。政府の方では数十万町歩しかないやうに言明して居るが、之は精確な数とは信ぜられ得ない。今私の言つた如くに幾百万町歩の未墾地を開墾したならば、未だ未だ沢山の米や雑穀を増収せしむることが出来る。
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△日本農民の堕落 今日一体米価が暴騰したといふことは、種々の原因もあるが、一つには国力増進といふ考へから工業を発展せしむるに如かずとなし、農業を捨てゝ工業に移るといふ風で、現に東京附近の農家の如きは、田畑を潰して家屋或は工場の敷地に代え、即ち借地料を取るとか、或は法外の高値に売付け、得たる金を以て贅沢三昧に安楽に日暮らしをして居るもの之亦尠くない。之は只に東京のみでなく此の悪風が次第次第に蔓延し、百姓をするよりは地主か金貸にでもなつた方が遥に優れりといふ風に考へ居るものがあるに至つては慨嘆に堪えない。
△学校教育の欠陥 それから思想界といふことに付き、私を以て言はしむれば、或は極端かは知らぬが、信念教育の一部分を与へるといふことにして、之は小学から進めて行かなければならぬと思ふ、日本の学校教育は一般に欧羅巴風を摸倣し、科学とか語学にのみ力を入れ、修身とか倫理などには、毫も力を入れて居らぬやうに思はれる。つまり精神上の教育といふものは全く取去られて居るやうである。それ故に自然一般の人心思想が険悪になるのは当然である。如何に智識が発達して居つても人格の修養が欠如して居つては、何等人間たるの価値は無い。之は余りに学科のみに重きを置くから、自然精神修養を等閑ならしむるに至るのである。諺に「潤悪而就湿気」といふことがあるが、之は「猶ほ木に縁りて魚を求むるがごとし」といふことよりは悪む可き行為である。つまり信念教育を疎んずることは必ず大に戒めねばならぬ。