デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
1節 商業会議所
1款 東京商業会議所
■綱文

第56巻 p.5-11(DK560002k) ページ画像

明治43年6月21日(1910年)

是日、当会議所ニ於テ、東京商業会議所懇話会ノ発会式挙行セラル。栄一、来賓トシテ出席シ、演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四三年(DK560002k-0001)
第56巻 p.5 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四三年     (渋沢子爵家所蔵)
六月二十一日 曇 冷
○上略 午後四時散会、東京商業会議所ニ抵リ、懇話会ニ出席シテ一場ノ演説ヲ為ス ○下略


東京商業会議所月報 第三巻第六号・第七〇頁 明治四三年六月 東京商業会議所懇話の会設立(DK560002k-0002)
第56巻 p.5-6 ページ画像

東京商業会議所月報  第三巻第六号・第七〇頁 明治四三年六月
    △東京商業会議所懇話の会設立
本会議所議員協議会に於て協議の結果、本会議所内に懇話会を設立し広く商工業者の懇親を図ると共に、商工業に関する利害得失を始め、諸般の問題を講究することに決し、左の通り東京商業会議所懇話会を組織することとなりたり
      東京商業会議所懇話会規約
一、東京商業会議所内に東京商業会議所懇話会を設く
 - 第56巻 p.6 -ページ画像 
二、本懇話会は東京商業会議所議員及東京商業会議所選挙有権者並実業関係の新聞記者相会し親和を計り、且つ商工業の利害を講究するものとす
三、本懇話会は、毎月第三火曜日午後四時より東京商業会議所内に開会す
四、本会例会には、時事問題の研究及経済財政其他通商貿易等に関し知名の士を聘し講話会を開く
五、本懇話会に於ける有益なる講話等は東京商業会議所月報へ掲載することを得
六、海外よりの来客にして商工業に関係あるものに対し相当待遇の道を講すること
七、本懇話会に幹事五名を置き、会員順番之れを勤め、月番幹事より翌月の幹事を指名するものとす
八、本懇話会は毎年春秋二季大懇親会を開く
九、本懇話会員は毎月会費として金壱円五拾銭を支出し、会食其他の費用に充つるものとす
十、本懇話会員は法律・経済其他研究問題ある場合は、随意提出することを得
    △本会議所懇話会発会式
別項記載の如く本会議所内に本会議所懇話会を設置することとなりたるにより、六月二十一日(第三火曜日にして同会例会日に該当す)午後四時、本会議所に於て同会の発会式を挙行したり
定刻に及ひ後藤逓信大臣・小松原農商務大臣・大久保商務局・長岡工務局長・木下鉄道院営業課長・鶴見商品陳列館長・勝部監理課長・原田東京市長代理・渋沢男爵・添田興業銀行総裁・星野東京実業組合聯合会々長・池田日本貿易協会副会頭・天野法学博士・金井法学博士・坂田東京高等工業学校長代理等の来賓を始とし、市内重なる新聞通信雑誌記者、重なる実業家等の来賓並本会議所議員・特別議員一同臨席本会議所会議室に於て発会式を開会し、中野会頭開会の辞を述べ、後藤逓信大臣・小松原農商務大臣・渋沢男爵・箕浦勝人君・添田法学博士の演説ありたる後ち午後六時三十分閉会、発会式を了り、階上の食堂に於て立食の饗あり、主客歓を尽して散会せり、時に午後八時


東京商業会議所月報 第三巻第七号・第七―一〇頁 明治四三年七月 懇話会発会式に臨みて 男爵 渋沢栄一君(DK560002k-0003)
第56巻 p.6-10 ページ画像

東京商業会議所月報  第三巻第七号・第七―一〇頁 明治四三年七月
    懇話会発会式に臨みて
                   男爵 渋沢栄一君
会頭、閣下、諸君、当商業会議所にて懇話会を御開きになるに就いて私も玆に御招きを蒙つて参席致したのであります、予ねて中野君から愚見を一言申述べるやうにと云ふ御委托を蒙つて居りましたから、別に新意見とてもございませぬけれども、一場の愚説を呈して御批評を請ひたいと考へたのであります、実は今日斯く農商務大臣・逓信大臣等の臨場があることも予期しませなんだ、況や今逓信大臣の鉄道に関して斯くの如き有益な御話のあると云ふことは、殆んど予期以外であつて、申上ぐるよりも伺う方に大いなる利益を得ましたから、其御入
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れ合せにも仮令詰らぬことでも愚見を申さなければならぬと云ふ責任が益々重くなつたやうに思ひます。
唯今鉄道に関しての御話、鉄道事業が斯く利益を挙げて来たと云ふことに付いては、斯く申しますると私は当逓信大臣に対して失礼千万に当るか知れませぬが、未だ逓信大臣に御為りにならぬ前に、此鉄道国有の議には最も反対を致した一人でございます、それで今も尚ほさう云ふ考を依然として有つて居りますから、先づ他山の石となさいますならば、余ほど其石の堅い程御磨き申すことが出来るか知らぬのであります、今日は夫れに付いて喋々申上げることは致しませぬで、只左様な意見を有つて居つたと云ふことを陳情するに過ぎぬのであります而して先刻之れへ出まする前に、逓信大臣より種々の統計表を待合室で御示しを戴きました、また始めて拝見致した書類等もございましたので、魯鈍の私共は深く考へぬと、其数字上のことなどは十分に分りませぬけれども、実に二年以来の御経営は容易ならぬ御厚配御尽力で種々なる事に悉く理由を付したる統計が出来て居りますやうに拝見致しました、只今此鉄道が国有になつた以後の世間の批評に対して逓信大臣は斯く々々と御申聞けがございました、深く此事に付いては御注意下さることゝ考へまする、十分に此鉄道をして一般の運輸事業に又交通事業に付て公益ならしめたい、而して此国有としたのは実に国家経済の方面に有益であると云ふ理想を実現されるやうになさしめるの進路に向つて居ると云ふことは、実に喜ぶべき事である、かくの如く考へて見たならば、私は其筆と墨とを持つた一人ではない、心を以て反対したのであるが、其意味は一であります、蓋し大いに期待して居るのであつて、其後来を予想することが出来ると思ふのであります。凡そ世の中の事は賞讚する者ばかりあると、悪くすると失敗するものである、反対の多い事業には却つて精神の這入るものである、孟子の言葉に敵国外患なきときは国常に亡ふと云はれた通り、蓋し他山の石が或る玉を磨くと云ふことになるだらうと思ひます、併し只今の鉄道の御話に対して、今玆に何も申上げる訳ではありませぬが、幸に斯る金玉の御説を伺ひましたに付いて、私は不幸にも反対の意見を有つて居ると云ふことを一言しまする丈けで、斯る機会に反対の説を喋々と申上げるは本意でないと存じます。
今日私の申述べたいと思ふことは、甚だ卑近な問題でありますが、実は此実業界がどうも力が少く考が低いと云ふことを世間から批評されることがあると思ふのであります、而して其少く低いと云ふことは、他に比較して果して事実であると思ふ、其他のものと云ふは、政治の方面に付いて比較して見ましても、実業界の位地、事業の発達が最も後れて居るだらうと思ひますけれとも、是等は一寸比較が出来難いのである、私は常に軍事に関し兵備のことに付いて実業家と比較して大いに疑を持ちつゝあるのであります、少し変つたことを申上げるやうでありますけれども、明治維新の制度か兵制も商売も全く形を変へたと云ふて宜いやうに思ひます、社交的事業とか、政治的事柄と云ふものは、維新以前と其以後とは変つた点もありまするけれども、総て変つたとは申せぬ、併し軍事組織と商売人の仕組は殆んど全く変つたと
 - 第56巻 p.8 -ページ画像 
言ふて宜いやうに思ひます、而して此商売人の組織の方は、寧ろ比較的学問のある善い種類の者が商売社会へ這入つて来た、反対に軍事に関係するものは知識の少ない種類から混同して来たのであると言ふて宜しいやうである、故に其実質を論ずると、一方は幾らか進んで来て他の一方は劣りはせぬかと思ふにも拘らず、爾来軍事上の発達と実業界の進歩とを見ると、彼が大いに優つて是が頗る劣りて、常に其後へに瞠若たる有様があると窃に考へて居るのであります。
漫に彼が優つた方から這入つて来た、之れが劣つた方から混同したと云ふことを申しましては御分りがないか知れませぬが、元来商工業者の有様と云ふものは、維新以前は先づ学問と云ふては殆んど無い、私が度々申すことでありますが、商売往来といふ書物位で済んで居つたもので、今日なら三十日も其稽古をする時間は要らない位だから、要するに無学の人であつたと言はれても一言もない、但し其中には智恵のある者か居つたから、学問に富んだ者もありましたらうけれども、押なべて申したら、今申上げたことは決して過言ではないと思ふ、殊に商業区域は日本の内に限られて居つた、範囲は至つて狭い、其狭い範囲内に学問のない人のみか経営して居つたのである、然るに維新後はどうかと云ふと、其範囲が一足飛に十倍も二十倍も広くなつた、所謂宇宙を股に掛けると云ふ有様になつて来た、さうして其教育即ち商業教育と云ふものは、明治の始めに於いては左まで完備しませぬでしたけれども、今日は追々進歩して来て相当に教育が整つて居る、又た這入つて来た人はどうかと云ふと、相当の教育ある種類で、上級の人が段々混同して来たのです、故に申さは其実質は良くなつて来た筈である、反対に軍人の方を考へて見ますると、昔の武士と云ふものは其命を棄てることを何とも思はれぬ所謂武士気質、武士道を有し、且つ食禄を食んで勤めを世々にしてやつて来たのである、それが今日は徴兵の制に依つて非常に変化して、百姓の子でも八百屋の丁稚でも皆軍人になれる様になつてたから、余ほど下級から人間が這入つて来たに違ひない、此下級から這入つて来た軍人と、上級から混同した商売人と比べたら事柄こそ変はれ、共に新しい仕事に依つて進んで行くとすれば、どうしても彼れ是れよりも劣ると言はれなけれはならぬと思ふのであります、然るに前述べたるごとく、却て反比例の有様であるのは何か他に原因があるのであらうと思ふ、私の考へる処では、蓋し実業家の側には共同の心が欠けて居る、それ故に一方が進まんとすると他方が之れを妨げる、力ある人が大いに伸びんとして壊はされる云ふ風があるやうに思ふ、斯く申すと少しも伸びぬやうに聞へますが、決してさう云ふ意味ではない、数十年前に比すれは大いに進歩したと言ひ得ましても、他に比較して申すと中々満足は出来ませぬ。
総して人は満足と云ふことの出来得ぬもので、世の中は兎角不足が多いのである、併し彼はそれが満足に進んで是は進まぬと云ふことがあるのは、要するに商売人に公共心の少い為めであると思ふ、若し果して然らんと致しましたならは、之れを矯正する方法はないか、軍人は軍紀と云ふものがあつて其規律に拠つて行く、之は何処迄もそれでやつて行く事が出来るが、我々商工業者は何分軍事的規律を以て事業を
 - 第56巻 p.9 -ページ画像 
経営して行れる者でもなし、若し之を制度上から検束するとしたならば、夫れこそ我々は昔の旧幕時代の商売人のやうに政府の命令でどうにでもなる、何も斯も皆政府の指図に従はなければならぬと云ふ有様になる、故にどうしても今の軍人気質に引付けると云ふことも事実に於いて行き様がない、それで私は総てを制度的にやることは望まぬが若し御互ひ商売人が心の持方によつては、大いに之を釐正することが出来るではなからうか、それは何であるかと申したら、私は公徳を修るのが必要であらうと思ふ。元来日本人は一家の人として動作は善良である、一家庭的事柄は中々進んで居る、併し比較的に公けに対する事に於いては甚だ欠点が多い、之れは私自からも左様思ふが、此所に御集まりの諸君と雖もさうでないとは言はれまいと思ふ、之れは東洋の風習と言はれても一言もないかと思ふ、此公徳心の少ないと云ふのが即ち商業者をして始終進まんとして妨げると云ふことになるのではないかと深く恐れるのであります、例へは商業上の競争の如きは勿論事業進歩の根元であります、競争心かなけれは勉強しない、勉強しなけれは発展せぬ、競争は大変宜しいが、それは所謂道理正しい競争でなけれはならぬ、若し其競争が一歩誤つて不正の競争となり、或は他を排して己れ之れに先んずる、或は他人の事業か大いに進んで来るとそれを見て他の者が我も我もと其方にのみ傾いて行けば、所謂生産夥多になつて、遂に相共に苦しむと云ふことになる、自然公徳に富んだ人であると、能く玆に注意もし遠慮をする、そうでなくして己れ人よりも一歩先きにやらうと云ふ考があつたならは、或る場合には遂に人を突倒するやうになる、恰も大勢集つて一の事をやる場合に、己れ一番先きに行きたいと云ふ所から他人を押へて進まんとする、其間には議論が起る、騒動が生ずる、蓋しこれは公徳心の足らぬ原因である、些細な事に於いても尚ほ且つ然かり、大きな事業に於ても必らずさう云ふことがないとは言はれぬ、斯く申しますると私はさうでない、世間の人が左様なのだと云ふ如き意味に御聞取り下さつては大いなる間違ひである、商売人が軍人と同様に人格も事業も進まぬのは、此原因の外にもありませうが、私は其多くは物の調和とか連絡とか云ふことが欠ける、其欠けるのか我々の事業の片輪になる根本だらうと思ふ、而してもう一つの原因は前にも縷述したる此公徳心の修養が少ない、公共心の修行と云ふものが乏しい、此乏しいのがどうしても彼に比較して我の進むことの少ない原因ではないか、若し果してさう云ふことであれば、此商業懇話会に御出なされた有力なる諸君は相共に考へて自から顧みる所があつたならは、少なくとも此東京に於ては公徳を大いに進めることが出来るではあるまいか、東京の実業界が大いに公徳が進むことならば、天下を挙げてそこに至らしめることは敢て難事ではなからうと思ひます、斯う考へて見ると、此公徳修養と云ふことは相共に大いに努めて見ねばならぬのであります、今日東京商業会議所に於て斯る御企てをなすつて、時々相寄つて時事を談じ、又己れ己れの平生抱持する説を陳述すると云ふは至極結構な事であると思ひます而して私も長い間此場所には会員として出勤致したことのある者であります、殆んど旧い親類の所へ出て御目に掛るやうな感じを持ちます
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るので、只管此御企てを喜び且つ賛成を致しますに付いて、玆に平生抱持する愚見を諸君の御参考に供しました次第であります。


竜門雑誌 第二六六号・第五七―五八頁 明治四三年七月 ○東商懇話会発会式 青淵先生と逓相の応酬(DK560002k-0004)
第56巻 p.10-11 ページ画像

竜門雑誌  第二六六号・第五七―五八頁 明治四三年七月
    ○東商懇話会発会式
      青淵先生と逓相の応酬
東京商業会議所発展の為めに、今回有志議員の主唱により組織せられたる東京商業会議所懇話会は、六月二十一日午後五時会議所内にて其発会式を挙げたり、中野会頭先づ懇話会設立の理由を述べて開会の辞に代へ、次に来賓後藤逓相登壇、懇話会の成立を祝し、一転して鉄道国有前後の輿論及其の成績に関し述べて曰く
 鉄道国有の議一度唱へらるゝや、我実業家を首めとし、社会は挙つて之に反対し、筆に紙に政府の無謀を攻撃したり、而も政府は其信ずる処に拠り、之を断行するの止むなきに至りしが、爾来政府は着着其所信に向つて施設経営の歩を進めて今日に至る、而も顧みれば国有後日尚浅く予定の成績を挙ぐる能はざるも、其計劃は所定に従つて進行しつゝありと断言するに憚らず、当時筆に至大の非難攻撃を受けたるは、今にして之を回想せば、我鉄道経営の上に確に他山の石たりしを否む可からず
と席上殊に新聞記者の一団を見下ろし笑を含んで語る処、逓相頗る得意の色ありき、次に小松原農相は簡単に懇話会の成立は独り我会議所発展の為めのみならず、我商工業発展の上より慶賀に堪へずとの祝辞を述べ、青淵先生は莞爾として満場の拍手に迎へられて登壇、先づ後藤逓相が社会の非難攻撃を以て他山の石として感謝せる雅量を賞讚し我亦一言を呈して他山の石たらしめんかと諧譃を弄し
 余は後藤逓相就任以前即ち鉄道国有の議政府者の間に唱へられたる当時に於て之に反対したる一人なり、而して今尚ほ鉄道国有の不可を論じ、之に反対しつゝあるものなり、然れども何故に之に反対するやとの点に関しては、其所説既に世に行はれあり、且つ此席に於て述ぶ可きものならずと信ずるが故に、唯其反対者即ち今尚逓相の所謂他山の石たりてふ一事を玆に声明するに止む
と述べ、一転して我陸海軍が社会のあらゆる人物、知識を網羅し尽したりとも覚えざるに、年と共に益々振ふに反し、世の知識人物を悉く網羅せりと称せらるゝ我実業界の振はざるは何故なりや、思ふに是れ我実業界に於ては軍隊の如くに節制行はれず、公徳の振はざるが故にあらざるか、我れ等身を実業界におくものに於て此の点は大に考慮を要せざるかと喝破し、次に立てるは箕浦勝人氏にて、最後に添田興銀総裁の演説あり
中野氏再び立ちて、大久保商務局長の満清韓視察談は止むなき事情によりて延期したる事を述べ、階上立食場に移る、宴酣にして中野会頭来賓の為めに万歳を三唱し、小松原農相は会議所懇話会の為めに万歳を三唱して七時半散会せり、来賓は前記逓相・農相・渋沢男・添田氏の外大久保・岡両局長、鶴見・勝部両課長、会議所特別議員、各新聞通信記者百五十余名なりき、因に会議所懇話会規約は左の如し。
 - 第56巻 p.11 -ページ画像 
   ○懇話会規約前掲ニツキ略ス。