デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
1節 商業会議所
1款 東京商業会議所
■綱文

第56巻 p.11-15(DK560003k) ページ画像

明治43年7月19日(1910年)

是日、当会議所ニ於テ、東京・大阪・京都・横浜神戸・名古屋ノ六商業会議所共催ニヨリ、渡清観光実業団ノ帰国歓迎式挙行セラル。栄一出席シテ、歓迎演説ヲナス。


■資料

東京商業会議所月報 第三巻第七号・第一―七頁 明治四三年七月 観光実業団歓迎式(DK560003k-0001)
第56巻 p.11-15 ページ画像

東京商業会議所月報  第三巻第七号・第一―七頁 明治四三年七月
    ○観光実業団歓迎式
七月十九日午前十一時東京商業会議所に於て、左の次第により挙行され、同時に解団式をも行はれたり
○六商業会議所総代中野武営君式辞及歓迎辞
本日玆に歓迎会を催しまして、先づ団長始め団員各位の打揃ふて御出席を下さいましたのは、主催者の満足とする処でございます、又農商務大臣閣下を始め各閣下諸君の御臨場を下されましたのは、最も光栄と致す所でございます、是より歓迎の式を挙げますに付きまして、私は六商業会議所を代表致しまして歓迎の辞を述べまする光栄を荷ひましてございます
      歓迎の辞
東京・大阪・京都・横浜・神戸・名古屋の六市商業会議所は観光実業団各位の帰朝を迎へて、本日玆に歓迎の式を挙ぐ
夫れ清韓両国は我邦の隣邦にして、又同種同文の国なり、国交の親善にして、通商交通の頻繁なる固より其処なり、然れども更に国民的交情の親密を助長し、経済的関係の発達を促進するは、誠に刻下の急務とす、各位の観光実業団を組織して清韓各地の実業家を歴訪せられたる所以亦是れに外ならざるなり、宜なり到る所官民挙つて各位を款待優遇すること実に空前、盛儀を尽して熱情溢れ、至誠満つるの観あり我等商業会議所は其の報に接する毎に衷心欣喜の情に堪へず、深く両国官民に対して感謝の意を表せり、而して各位の其間に処して熱誠勤勉能く修好交驩の実を挙ぐるに至りたるの功栄は、亦我等の深く感佩する処なり、思ふに之れがために国交は今後益々親善に、通商は今後益々隆盛に、而して国民の交情愈々其の親密を加えて彼我の利益益々増長するに至るへきは期して待つべきなり、今や各位は風土の異、季候の変に処して、能く其の健康を保ち、長途の旅行を遂げて、能く其の所期の目的を達せらる、是れ我等の実に欣喜措能はさる所なり
玆に光輝ある各位の帰朝を迎へ、我等六商業会議所は歓迎の誠意を表し、恭しく各位の健康を祝す
  明治四十三年七月十九日
        東京・大阪・京都・横浜・神戸名古屋六商業会議所
               歓迎委員総代 中野武営
○農商務大臣小松原英太郎君演説 ○略ス
○外務次官石井菊次郎君演説 ○略ス
 - 第56巻 p.12 -ページ画像 
○清国代理公使呉振麟君演説 ○略ス
○男爵渋沢栄一君演説
閣下、実業団諸君、臨場諸君、渡清実業団諸君の御無事御帰朝を歓迎しますに付て、玆に盛会を開かれまして私も其席に陪する光栄を荷ひました、諸君の御勤労を謝し、其効果を讚するに於ては、既に農商務大臣又石井外務次官の前来の御演説に於て用の無いやうに考へます、私が蛇足を添へます余地はございませぬ、但し私は実業家の位地に居りまするで、其方面よりして此席に一言を申述べるやうにと歓迎委員長からの御指図がございましたで、玆に不肖を顧みず蕪言を呈する次第でございます。国家の隆盛が其政の是れ遍く、其武の是れ揚ると云ふことに帰するは、勿論申す迄もございませぬけれども、併し其原因は其国家の実業の発達に起因すると云ふことは、最早今日では何れの方面にも否と申される気遣はなからうと思ふのでございます、故に国として商工業の繁盛を努めると云ふことが、自国の未来を思ふ念慮の最も強い所以であると云ふことを、政事家も学者も御互其局に当る者も自ら論じて居る、唯今外務次官の御述べの如く、其実業の発達に於て国と国との間の商売を成るべく事情を通徹し、種々なる阻害を取除かうと云ふには、努めて相往来すると云ふことが必要である、且其往来も個人々々の往来に止めずに、一種の団体を組んで意思の疎通を謀り、或は或事業の成効を期すると云ふことが、此二十世紀の近頃に起つた時代の要求のやうである、先きに渡米実業団の挙のあつたのも、此際の渡清実業団も、即ちそれ等の意味から生じた甚だ必要なものであると云ふことを御述べになりましたが、斯く申上ける私は其前の渡米実業団には団員に加つた一人でございまするで、申上げる言葉が少し我田引水自画自讚の嫌ひがございまするけれども、外務次官の御言葉は実に其当を得たものと深く御同意を表するのでございます、而して今回の渡清実業団の諸君の御勤労は、前に較べれば更に多とし、効果も更に大なりと思ふのでございます、何ぜ左様申すかと云ふと、亜米利加と支那とを比較しますると、第一に自国から申すと交りの深いのは清国が最も古いのでございます、清国に対する千年以上の修交ある日本は、殆ど今の東洋が西洋の文物を模倣すると同じ有様であつて例へば大宝令を見ても、百官の制度なり、又民間の事物なり、大抵唐制に模倣せざるなしと申して宜い位であります、時として変化なき能はずでございますが、前にも農商務大臣・外務次官の御説の通り、所謂同種同文の国、距離は近いし、人情は等しい所が多くあるし、我が産物が沢山清国に行くと云ふことも誠に明かなる事実である、従つて彼の国の品物も我国民は能く之を購買するのであります、唯従来の有様が両国共に実業に重きを置くと云ふ念が少し薄かつた、是は清国ばかりでございませぬ、我帝国も最も其風習に長く居つたのでございます、旁々以て商売人が相共に意思を交換し、自分等の働きに依つて努めて門戸を開き交通を盛にすると云ふことが出来得なかつたのでございますが、幸に帝国も今申上げます通り、総ての方面が是非さうなければならぬと云ふ国運に発達したと同様に、大清国に於ても今日の現況を窺ふと、我帝国も殆ど同様のやうに拝見される、清国との善隣を
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望む吾々に於て是位喜ばしいことはありませぬ、故に今回渡清実業団の企てがあり、此御揃いの如き有為の諸君が罷出て、彼の官憲に、若くは彼の実業団体に、或は個人に御接し申して、我帝国の商工業家意思は斯く斯くである、我帝国の商業家の輿論は斯様々々であると云ふことを、能く御通徹申した次第でございます、此に就て大清国の官憲若くは商業団体或は個人が十分に御引受け下すつて、到る所に衷情を以て歓迎して下すつたと云ふことは、団長其他の諸君から時々自国に御報道がございまして、新聞に雑誌に吾々は朝に晩に見て居りましたのであります、誠に喜ばしい次第と深く感謝を致します、此機会に於て、斯の如き待遇をして下すつて、我実業団の行動をして有益の旅行たらしめ、効果ある挙たることを得せしめたのは、要するに清国の官民諸君の賜とし、此実業団の任務を仕上げた諸君の御勤労を犒ふと共に、清国の官民皆様に対して同時に厚い御礼を申上げなければならぬことゝ私は思ふのであります、私は更に一言附加へて此実業団諸君に希望致しますのは、団体を組んだ訪問と云ふものは、表面から申すと今の通り大層な功能らしう申し得ることも出来ますが、事実から論ずると、其為めに貿易の数字が幾ら上つたと云ふことを明年見ることが出来ぬのでございます、俗に申す画に書いた餅見たやうなもので、まだ取つて食べて胃を肥す訳にいかぬ、目は喜ばせるが胃は肥えぬと云ふ嫌ひのあるものである、併し果して目ばかり喜ばせるものならば、其実何の功能もないのです、処が胃の肥ゆるやうになる工夫が必ずあるであらうと思ふ、即ちそれ等は未来の丹誠に依るだらうと私は思ふのでございます、例へば米国に対し、若くは清国に対し、既に御訪問申して其情意を通ずると共に、大に吾々の意思が先方に貫徹したに違ひない、又貫徹したと同時に、或は団体に或は個人に追々に日本の事情を知悉して居る者も尚足らざるを補ふことがありませう、況んや之を知らぬ人は之を知ることを努めるでありませう、之を知らしむる、之を努めしむると云ふのが即ち未来に於ける御同様の働きである、此充分なる働きが届いて始めて画に書いたものが実物となり、其実物が胃中に入つて真正に体力を食《(養)》ふ滋養物になるだらうと思ふのであります、故に私は前に申上げました如く、渡清実業団を賞讚すると同時に自ら己れの渡米のことを褒める如く聞えますが、其褒められると共に更に又向後大に負担して居ることを忘れてはならぬと思ひますから、自身が忘れぬと同様に、此歓迎の席で渡清実業団諸君に未来の御責任の大なることをどうぞ御遺却ならぬことを希望致します
○東京実業組合聯合会長星野錫君祝辞 ○略ス
○団長近藤廉平君演説
閣下、諸君、本日は我が一行の帰朝歓迎会を六商業会議所の御催しで玆に開かれまして、商業会議所を総代されました中野君、其他農商務大臣閣下・外務次官・清国代理公使諸君より一行に対して懇篤なる祝辞又は讚辞を得たのでございます、団は之れに対して敢て当りませぬ併し御厚意に対しまして団を代表して玆に感謝の意を致します、 ○中略 抑々団は本年四月十七日各地より推薦された団員を以て成立し、直に諸般の打合をなし、団規を協議決定して、五月五日を期して馬関に集
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りました、 ○中略 斯くして此夕に連絡船対馬丸に投じて釜山に渡り、大邱を経て京城に入り、仁川に至り、再ひ京城に帰り、平壌に至り、新義州を経て安東県に行き、安奉線にて奉天に赴き、撫順を視察し、大連・旅順を経て、大石橋より営口に出で、天津に至り、北京に入り、南下して漢口・漢陽・武昌等を経て、大冶鉄山を一見し、更に南に下つて南京博覧会を視察し、上海に行き、蘇抗州を巡歴して六月工十四日を以て上海に於て全く此団の行動を止めたのでございます、 ○中略 斯の如く清国の官民が誠心誠意を以て我が国を待受けられたのは、単に一時の漫遊観光団と見て為されたのかと云ふと、決してさうでないと私は思ふ、私は清国官民は吾々の団を日本国民の代表者として待たれたことゝ存じます、して見れば所謂四億以上の人口を有する国民の代表者清国官民より致されたる我が国に対する厚意は、又之を我五千万同胞に報告して此喜びを分たなければならぬ私は責任義務を有つて居ると思ひます、固より両国の国交は年を追つて親善に赴くにも拘はらず、実業家の往来と云ふものは是迄絶えて無かつたのは是は欠点として私は常に憂へて居つたことでございます、然るに当春満洲の観光団は来つて我々に礼し、我又之に行つて礼を返す、是れ即ち官憲外交の外に国民外交の端緒を吾々が開いたと申すことも敢て誣言でなからうと存じます、今や御承知の如く世界の大勢は所謂実業は万物の母なりと云ふことを申しまして、世界の列強は争ふて玆に力を致して居る、固より舟車の通ずる所は敢て遠きを辞せぬ、況んや今日世界各国の交通機関は発達して、世界の国土を縮少せしめ前日年を重ね若くは月を重ねなければ往来の出来ない所も、今日は数日若くは数十日を出ずして相見ることの出来るやうになつたのでございます、斯かる場合にあつて日清両国は僅に一衣帯水を隔てゝ居るに拘はらず、又此度渡清中に何れの地に於ても讃辞祝辞を受けました言葉の中に、悉く同文同種唇歯輔車又は歴史の関係を説かざるものが一回もない、文章の綾、言葉立てが異なると雖も、其趣意は万口一致であります、両国の臣民に於ては世界に比類ない斯かる関係を有つて居る国民でありながら、其一衣帯水を隔てゝ居る所に拘はらず、今日迄充分に往来して事情を疎通して双互の利益を図るに至らなかつたと云ふことは誠に残念に思ひます、今や既に其機運は熟し時節は到来したのでございます、又世界の大勢は決して鎖国的貿易国たることは許さないのでございます、宜しく日清両国は此機運に乗じて相提携し相頼り相助けて、以て両国の国利民福を図らなければならぬ時が致来《(到)》して居ると思ひます、国利民福を企図するは実に実業にあると思ひます、実業の発達は即ち両国の平和の基であらうと思ひます、両国の平和は東洋の平和であります、東洋の平和は世界列国の喜び幸福であらうと思ひます、斯かる関係を有して居る日清両国の人民は共に相提携し、益々実業の基礎を固くして、東洋の天地を共に維持して、世界列強の先進国と伍をなすことも決して望んで得べからざることでないと思ひます、玆に即ち国土の広き民衆の多き清国民も、奮つて宜しく此事に当るべき時であると思ひます、又それと同時に、我国民も共に進んで相提携し、両国の実業を益々発達隆盛ならしむると云ふことは最も今日に於て必要なることは
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申す迄もない、又是は両国民の双肩に荷ふて居る天職であると思ひます、幸に吾々は清国を訪問致しまして、清国官民より唯今申述べまする如く実に熱誠なる歓迎優待を受けました、即ち清国民は我日本国に向つての希望を述べられたことゝ私は思ひます、此希望に対して我国民も之を一時の雲煙過眼として抛擲してはいけませぬ、先刻渋沢男爵は吾々に一の責任を与へられましたが、固より吾々は此両国の連鎖の為めに一身を犠牲にすることは決して辞しませぬ、雲煙過眼として之を抛擲しては両国の不幸でございます、両国民は共に相提携して此所謂世界無比なる同文同種唇歯輔車の実を挙げることに是から共にやらなければならぬことゝ思ひます、 ○下略


竜門雑誌 第二六七号・第六一頁 明治四三年八月 ○渡清団歓迎会(DK560003k-0002)
第56巻 p.15 ページ画像

竜門雑誌  第二六七号・第六一頁 明治四三年八月
○渡清団歓迎会 渡清観光実業団歓迎会は、東京・京都・大阪・横浜名古屋・神戸の六商業会議所の発起にて、十九日 ○七月午前十時東京商業会議所に開かる、出席者は正賓近藤団長を初め、土居・大橋・大谷等の一行諸氏、小松原農相、石井・押川両次官、萩原通商局長・大久保商務局長・内田管船局長・青淵先生・森村市左衛門・荘田平五郎・大倉喜八郎諸氏、主人側商業会議所議員等無慮二百余名にして、中野武営氏開会の挨拶をなし、六商業会議所を代表して歓迎文を朗読し、石井外務次官・青淵先生(演説欄参照)の演説あり、次に星野錫氏は実業会を代表して祝詞を朗読し、之に対し団長近藤廉平氏は団員行程の順路及び彼地にて受たる歓迎の状況を述べ、清国官民が歓迎会の席上必ず日清両国は古来同種同文の国にして唇歯輔車の関係を有すればとて提携を申込まざる事なかりしは決して雲煙過眼視すべきに非ず、肝に銘じ今後は奮て両国事業の発展に尽瘁すべしと誓ひ、此に渡清団を解散する旨を述べ、土居通夫氏団員総代として団長に謝辞を呈し、式を畢り、食堂に入り、立食後、中野会頭、団員及来賓の為めに乾盃し万歳を唱へ、一時散会せり