デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
1節 商業会議所
1款 東京商業会議所
■綱文

第56巻 p.81-88(DK560023k) ページ画像

大正9年2月16日(1920年)

是ヨリ先、国際労働会議ニ出席セル鎌田栄吉・武
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藤山治・枡本卯平、ヴェルサイユ講和会議ニ出張セル近藤廉平・深井英五・福井菊三郎、欧米各国ノ経済・社会事情視察ニ赴キタル当会議所副会頭山科礼蔵及ビ議員添田寿一、ソレゾレ帰国ス。是日、帝国ホテルニ於テ、当会議所・東京府・東京市ノ共同主催ニヨリ、右八名ノ歓迎午餐会開カル。栄一出席シ、主催者ヲ代表シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。


■資料

渋沢栄一 日記 大正九年(DK560023k-0001)
第56巻 p.82 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正九年      (渋沢子爵家所蔵)
二月十六日 晴 寒 雪晴レテ天気朗晴且寒威少シク減スルヲ覚フ
○上略 十二時帝国ホテルニ抵リ、鎌田・近藤其他米国又ハ欧洲行ヨリ帰朝ノ諸氏歓迎会ニ出席シ、食卓上歓迎ノ演説ヲ為ス、来会者中鎌田・近藤・山科・添田ノ四氏各其関係ノ事ニ付テ答詞アリ ○下略


集会日時通知表 大正九年(DK560023k-0002)
第56巻 p.82 ページ画像

集会日時通知表  大正九年        (渋沢子爵家所蔵)
二月十六日 月 正午 鎌田栄吉氏外七名東京府市民有志歓迎会(ホテル) 略服


東京商業会議所報 第二三号・第四頁 大正九年三月 【大正九年二月十六日正午…】(DK560023k-0003)
第56巻 p.82 ページ画像

東京商業会議所報  第二三号・第四頁 大正九年三月
△大正九年二月十六日正午帝国ホテルに於て、東京府・市・並当会議所の主催にて、曩に華府労働会議へ出席せられたる鎌田栄吉・武藤山治・桝本卯平の諸君、ヴエルサイユ講和会議に出張したる男爵近藤廉平・深井英五・福井菊三郎の諸君及欧米各国に於ける経済事情視察を了へ帰朝せられたる副会頭山科礼蔵君、欧米各国の戦後経済並社会状態視察を了へ帰朝せられたる議員法学博士添田寿一君の為めに歓迎午餐会を開催したり、出席者は右正賓諸氏(武藤山治君欠席)の外、陪賓清浦枢密院副議長・大岡衆議院議長・南文部次官・秦逓信次官・川村内務省警保局長、実業家側より井上・木村の日本銀行正副総裁、野村南満鉄道会社社長・浅野総一郎氏・村井吉兵衛氏其他の主なる諸君数名、新聞通信社員、主催者側渋沢男爵・阿部東京府知事・田尻東京市長・杉原東京商業会議所副会頭・同議員等総員二百三十余名にて、正午食堂を開き、デザートコースに入り、渋沢男爵主催者を代表し歓迎辞を述べ、続て正賓鎌田栄吉君・男爵近藤廉平君・山科礼蔵君・法学博士添田寿一君より各会議の経過若くは視察上の所感に就て交々演説と兼ねて謝辞を述べられ、主客歓酔款話の後午後二時三十分散会したり(各演説の速記は次号に掲ぐ)


東京商業会議所報 第二四号・第八―一五頁 大正九年四月 歓迎会速記(DK560023k-0004)
第56巻 p.82-88 ページ画像

東京商業会議所報  第二四号・第八―一五頁 大正九年四月
    ○歓迎会速記
 去る二月十六日帝国ホテルに於て、東京府・市並当会議所の主催にて ○中略 歓迎午餐会を開催したることは前号に報告せる所なるが、其席上に於ける演説の速記は左の如し。
渋沢男爵挨拶
  今日は此程亜米利加から国際労働会議の任務を終られて御帰りに
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なつた所の鎌田君及御一行、又曾て講和会議に御出張になりました近藤男爵の御一行、続いては世界御漫遊の形ではありましたが、商業会議所副会頭としてお出でになつた山科君、若くは添田博士、段段海外の御旅行を終つて御帰朝になつて居りまするで、彼れ此れを混同致しまするは、或は珍客に対して礼を失ひますけれども、或場合には一緒の方が却て吾々が大に便宜を得る事があるであらうと云ふ積りでもあります。旁々以て玆に各種のお客様をお招きしたいと云ふことを発起しまして、満堂の諸君に図りました所が、斯の如き多数の御賛成を得て歓迎会を盛ならしめ得るのは、私共此上もない光栄の至りと深くお集りの皆様に対しても感謝を表するのでございます。而して此会の斯く盛なるのは、如何に鎌田君・近藤君其他諸君の任務が重かつたかと云ふことが、此皆様のお集りに依つて証明せらるゝのであらうと思ふのであります。唯惜む事は、陪賓として内閣諸公・貴衆両院議長等を御案内申上げましたが、時恰も政務多端の為め此方の臨場を得る事の出来ないは甚だ残念でございますが併し清浦子爵を初めとして、其他各省の次官諸君の御来臨を得ましたのは、諸君と共に此陪賓に対して謝意を表するのでございます。
  全体此歓迎の言葉は府知事公、若くは市長閣下より御話し下さるのが適当であるのです。私は全く老人で、殊に実業界も御免を被つた閑人でございますから、斯かる閑人を此処へ引出されるのは御無理のやうに思ひますけれども、是迄の行懸がございまして、申さば西園寺侯爵がお帰りの時分にも矢張りお仲間入を致して主人の一人に立ちました、斯う云ふやうな行懸りから此度のお招きにも私が主人に立ちまして、更に進んで歓迎の言葉を私が申上げる責任を負ふたのでございまする。甚だ僭越と思ひますけれども、此辺はどうぞ会堂の諸君に宜しく御諒承をお願ひ致すのでございます。
  五年に亘る大乱が終熄致しました後は、種々なる事の生ずべきは御同様の胸に事新しい事ではございませぬが、講和会議に於て種々なる事がございましたが、更に進んで其結果として国際労働会議が米国に開かれると云ふことは、殊に経済界実業に従事する人々に向つては如何に其結末が着くかと云ふことを、大に注意せなければならぬことと思ふのでございます。況んや其事柄は唯単に経済に止まらずに、社会的の事迄進んで考へなければならぬと思ふ。唯時間の短縮とか、或は賃銀の高低とか云ふばかりでなく、共に社会的に考慮すべき事柄と申して宜からうと思ふのでございます。而して御出発に際しても種々なる問題があつて、鎌田君を初めとして諸君が、俗に申すそちらを立てればこちらが立たぬ、双方を立てれば身が立たぬと云ふやうな有様であつたらうと御察しをするのであります。吾々は此任務は頗る御迷惑な事で、如何に結末をお附け下さるかと深く御同情に堪へなかつたのであります、会議の模様、又其結末の次第は既に業に皆様の御承知の事でございます。此処に喋々を要しませぬが、或点から言ふと特種の待遇を受けると云ふことが、都合の好いやうにも聞えますが、又面目ないやうにも思はれるので、双方どちらが宜いとは申しませぬが、私は今日の場合適当なる処理が
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出来たので、所謂双方を立てゝ、而して其任務をお果しになつたと申して宜からうと信ずるのであります。幸ひに相当な年限が置いてございますから、其年限の後には必ずや此代表者のお方々の希望を満足し得るであらう、又我進歩をして満足させねばならぬと思ひます、是等の事柄に就ては、此会に御同情下さつてお集りの皆様自ら其事に御従事なさる諸君であると思ひますれば、此事に就て御信じなさり、又御賛成下さるであらうと思ふのであります。労働会議に御出張の鎌田君を初めとして、其他の御一行に対しては、まだいろいろ申上げたい事もあるのでございますが、もう大抵知れ渡つた事であるから多弁を用ゐませぬ。講和会議に御出張になりました近藤君其他の御一行、曾てお帰りになられました正使西園寺公爵御一行に対して吾々は同じ仕組を以て歓迎会を開いて、而も此場所に於て私が一言の謝辞を申述べました、実は其時は私は寧ろ大変に日本の幸福と云ふやうな、昔を顧みて斯様な祝詞を申上げ得られる事は私は如何に嬉しい事であるかと云ふて、皆様の御不満足に引替へて、五十年以前を懐想して悦びを述べた事を記憶して居ります。それで経済上其他の事に就ては、近藤男爵其他の御方々が段々御心配下さつた事と思ひますので、若し出来るならば今日一場の御感想を此場合にお話を戴きましたならば、誠に有難い幸であると思ふのであります、山科君の長い間の御旅行、殆ど三年にも互る御旅行の事でございますれば、必ずや十分なる御視察が出来たらうと思ひます。定めて之に就ても御話を下さるであらうと思ひます。添田君は非常な御希望を抱いてお出でになつた御一人で、蓋し是は財務とか又は労働問題とか云ふことでなしに、此講和に就て欧羅巴・亜米利加の思想問題はどう云ふ風に傾いて居るか、仮令其端緒たりともお伺ひする事が出来ましたならば、諸君と共に甚だ悦ぶのであります、但し御馳走は甚だ粗末で、注文する事の頗る大なのは誠に失礼でございますけれども、諸君と共に玆に盃を挙げまして、御任務をお果しになつて御帰りになつた諸君の御健康を祝したいと思ひます。
鎌田栄吉氏演説
  今日は労働会議に出席を致しました一行、巴里の講和会議に御出張になりましてお帰りになる所の諸君と共に、玆に歓迎会を開かれまして、斯の如き盛宴に召されました事は、誠に光栄の至りで、殊に唯今渋沢男爵閣下よりは誠に御叮重なるお言葉を戴きまして、実に恐れ入つた次第で、是は深く御礼を申上げます。
  扨今回は総て講和会議より起りました所の結果でありまして、是は申す迄もなく永久平和と云ふことを期して、総ての事が成立つた訳であります。講和条約は各国間の闘争を防ぐと云ふことは申す迄もない。併ながら輓近の社会の状態を見ますと、労資間の安定を得ないと云ふことは最も切迫したる事実でありまして、之を何とかしなければならぬ、何となれば、若し玆に国と国との間の干戈を治むる事は出来た。是は即ち謂はゞ縦の平和を結ぶ事が出来たのである併ながら国別を問はず総て世界に共通して居る所の労資の関係が破裂したならば、縦へ縦の平和が成立しても横の平和が破れると云ふ
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ことは免れない。即ち縦横の平和を締結したいと云ふことが、多分此講和条約の精神であつたらうと私は愚考を致して居ります。即ち講和条約第十三編なるものは労資の関係を規定したもので、それから生ずる所の国際労働会議を去る十月の末に華盛頓に於て開催すると云ふことになりました、即ち日本よりは、微力なる私は《(がカ)》政府代表として其責任に当り、又資本家代表としては武藤君、労働代表としては桝本君、又岡委員、此四人が日本を代表致しまして出席を致しました事であります。而して出発前に方つて矢張り今日の御亭主側から誠に盛なる御送別を戴き、且つ御懇切なるお言葉を頂戴した時にも申上げましたが、少くとも私だけは今回の労働会議の懸案となつて居りまする所の五ケ条の項目に対しては、是は原則として悉く賛成である。一として之を不当と考へて居らない。併ながら悉く之を賛成し得るや否やと云ふことになつたならば、是は頗る疑問である。今日世界に国を建つる以上は、努めて世界大勢に順応すると云ふことは申す迄もない事でありますけれども、又国情と云ふことがある、其国情を顧みずして徒らに大勢に乗ずると云ふことも、或は失敗を招く事もあるかも知れない。そこで努めて原案に賛成を表したい、併ながら事情止むを得ざるものは除外を求めると云ふ外ございませぬと云ふことを申上げて置きましたが、此一点に至つては私は始終変らない積りでありました。即ち今回齎した所の此結果、決議と申すものは或点から見れば屡々渋沢男爵の仰せの如く、世界の大勢に順応し得ると云ふ精神は躍如として現れて居ると私は思ふ。併ながら又中には除外例、殊に時間問題の如きは重要なる点に於て日本は一種の特殊の待遇を請求致して居りまする、之に就ては皆様のお考は種々異つて居ると考へまするが、要するに世界の大勢、又我日本の国情、此二つの間に生れた所の一つの子供であると云ふことは争はれない。決して吾々が私意を狭んで何等計画したことはございませぬので、日本の中にも資本家の如きは、先づ吾々の考へましたよりも、より多くの条件を請求致しました。又労働側から申せば成るべく原則に基いて、原則を離れないやうに決議を見たいと云ふ努力がありましたやうであります。所謂各者相異なる所の希望を抱くと云ふのは、即ち国情の然らしむる所で、此国情と世界の大勢との間に生れた所の子供でありまするから、是が器量が好ければ此大勢と国情の二人の夫婦が宜かつたんだらうと思ふ、併ながらどうも中には少し不器量な点もあるやうでございますから、是はお母さんの不器量が遺伝したことであらうと思ふのであります。産婆が之を不器量にした訳では決してないと私は信じて居ります。併ながら随分世間では産婆が悪いから折角好い子供が生れる所を傷を受けたと云ふやうなお叱りを受けましたが、それは私は甘じて受ける積りであります。今後は如何なる産婆が出ましても、傷の附かない玉のやうな子供が常に生れるやうに、国情を進める事に諸君の御努力を願ひたいと考へるのであります。
近藤男爵演説
○中略 唯今御主人として渋沢男爵閣下より御懇篤なる御挨拶を戴きまし
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て、私共は敢て之に当りませぬので、誠に慚愧の至りに堪へないのでございます、又何かお話をするやうにと云ふ御申附がありましたけれども、私の旅行の話は極めて古めかしい事で、既に諸君の御承知になつて居りまする事のみであります ○中略 此条約の趣旨に就ては既に曩に帰朝せられた特使其他の御話に依つて、其真相は明でございます。今更私が別に事新しく蛇足を添へる必要を認めませぬ。唯此我国の位置が世界に於て如何にあるかと云ふことを申述べて置きたいと思ひます。抑々此度の講和会議は有史以来未曾有の世界的大会議であります。此会議は二十七ケ国の代表者に依つて成立つて居る。其中英・米・仏・伊・日、此五ケ国が五強国となつたのであります、さうしてウヰルソン、ロイドジヨージ、クレマンソーが主力となつて居つたのであります。其結果として我国は世界の五強国の一となつたことは、他の列強と共に世界の平和を永遠に保持しなければならぬ大責任を持つて居る事と考へます。して見れば我国民も将来は世界的発展を為すの好運時期に到着して居るかと思ふのであります。併ながら総て国家は世界的行動を執るの時機に際して居ります。先づ以て外交と云ふことは最も重きを置かなければならぬ、併し今日は唯独り政府の外交のみに依つて安心は出来ぬだらうと思ふ。国民も共に立つて政府の外交の後援となつて、而して国民外交を開き、以て国際間の意思を疏通して誤解なからしむる事に努めると云ふことが必要であらうと思ふ。英米との親交上に於て最も然りとするのであります。又隣国支那に対しては英米と我国とは歩調を一にする、支那の独立を共に保持すると云ふ義務責任を我国は持つて居るのではあるまいかと思ひます。外には斯くの如くし、而して内には国民の一致又国力の充実と云ふことも最も肝要であらうと思ふ。外交其宜しきを得ず、折角強国の金看板の光を失ふに至り、内には国民の一致を欠き、社会の安寧秩序を保持する事が出来ないと云ふやうな国情に沈倫したと仮定したならば、却て列強の指揮を受くるの不幸に陥りはしないかと考へるのであります。即ら《(ち)》我国民は最も慎重な態度を以て、此世界の趨勢に順応した覚悟を以て進まなければならぬ時であらうかと存じます。世界は此度の大戦争に依つて戦争に倦んで居ります。世界的平和を将来維持したいと云ふことは、皆希望する所でありませうと思ひます ○中略 併ながら唯玆に憂ふるのは戦争の置土産として労働問題、所謂思想界の変遷と云ふことで、世界の大勢は是等が滔々として流れて混沌たる有様で、其帰趨する所を殆ど知らぬ状態でありはしないかと考へるのであります。既に我国にも思想の変化と労働問題が襲来して最早如何に之を解決するか、如何に之を為すべきかと云ふことは刻下焦眉の急とし考へなければならぬ事となつたのではあるまいかと思ひます ○中略
 終りに臨んで一言申述べまする事は、物価の騰貴に就て生活難を訴へる者は、是は定つた収入に依つて衣食して居る者、俸給に依つて衣食して居る方の同胞であらうと思ふ。是は彼等の罪ではない ○中略 どうかして是等の人は相当の救済法をして、安定の生活の出来るやうにせしめたいと希望して止まぬのであります。是は私が申す迄も
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なく、皆さんの御配慮になつて居る事でありますが、自分が殊に心配に堪へませぬのは、是等の智識階級の生活問題は思想の変化と共に思はざる事になりはしないかと云ふことを、非常に憂慮に堪へませぬのであります。
  今日の御礼と併せて皆さんに希望を申上げましたのでございます
山科副会頭演説
○中略
  私の今回の旅行は毫も政府と何等の関係も持たないのであります単に商業会議所を代表致しまして純然たる平民旅行を致したものであります。而して世界各国に於ける政治並に戦後に於ける商工業を視察し、而して聊か我戦後の経営に資せんと欲する微意に外ならなかつたのであります。私が各国を旅行致しまするに就きまして、到る処に於きまして我商品の、世界の市場に極めて汎く行き渡つて居ることを見まして、此旅行の間に愉快を感じたのであります。是は各国が戦時中軍需品の製造に日も足らざる有様でありまして、外国に輸出するの能力を失ひました間に於きまして、我商品が其虚に乗じて販路を拡張致しましたもので、是は今更申上げる迄もないのであります。而して今や平和克復の今日に相成りまして独逸・仏蘭西白耳義・墺太利等は戦後の回復は到底容易なことではない。と云ふことは明でありまするが、之に反して英米の回復は、如何に早く復旧致しますかと私は考へるのであります。現に英国の如きは御承知の通り最近為替政策上輸出を奨励すると云ふことになつて居るのであります。米国は欧洲に対しての貸付を余り歓迎しないやうに相成つて居るのであります。斯く相成りました今日では、到底其生産品と云ふものは、必ずや今後東洋及南洋に向つて輸出さるゝものと思ふのであります。斯の如き有様でありまする故に我国の此好景気は到底何時迄も持続すべきものでないと云ふ事柄は、是は大に考ふべき事であらうと思ふのであります。此場合に於きまして、唯今鎌田大使のお話に相成りりました労働問題《(衍)》、是は我国は能率の低き労働者の賃銀を益々高くすると云ふことになりましたならば、国際経済的競争力の減退致しまするより外はないのであります。即ち世の中に所謂分配論の起る所以であります。分配論甚だ結構ではございまするけれども、此分配論の起ると同時に又大に其生産と云ふことに就きまして注意せなければ相成らぬと思ふのであります。即ち分配を尊重致しまして、而して生産を軽ずると云ふことに相成りましたならば、取りも直さず国民の所得は減少するのであります、国民の所得が減少すると云ふことに相成りましたならば、結局各自の分配額が之に応じて減少すると云ふことになるのであります。此故に国民の所得は必ず此国際経済的競争力に依つて決定せらるゝものであると云ふことを忘れては相成らぬと私は思ふのであります。而して今私が世界各国の現状を詳しく見る所に依りますると、戦後の欧米は非常に生産に勢力を注ぐに傾きつゝあるのであります ○中略 之に反して我国の今日は分配論の全盛時代であります。で世界が戦前分配論の盛でありました時には、我日本には分配論は起らなかつたので
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あります。而して却て生産論が大に勝を得まして勢力を占めて居つたのであります。是は何れが進み、何れが遅れるかと云ふことに就ては、宜しく諸君の御判断に訴へんとする所でありまするが、兎に角国際聯盟、国際経済的競争、労働問題、是等の点は深く注意せなければならぬと思ふのであります。又諸君に於かれましても此点に就きましては、大に深く御注意に相成らむ事を希望するのであります。そこで此お話を申上げると、結届玆に協調論が起るだらうと思ふ、是は起らざるべからざる問題であらうと思ふのであります。私は今回世界を漫遊致しまして、而して国際的経済観念より致しまして、此一事を諸君にお伝へせんと私は考へたんであります。
○中略
添田博士演説
  諸君私は最早長く申上げる事は甚だ当を得ませぬのでございますが、折角渋沢男爵からお言葉がございまするが故に、二・三分間申上げて責を閉ぎたいと思ひます。
  私が観察致しましたる結果、欧羅巴の思想は動揺は致しましたけれども改善は致して居りませぬ。私が出まする時には、或は大戦の結果欧羅巴の総ての人類が反省して、所謂無形方面に重きを置くやうになつて、玆に大なる改善を為すのではないかと云ふやうな点も幾らか加味されて居りましたが、迚も此大戦の為め彼等が改善すると云ふことの材料は見当らなかつたのであります。唯彼等が此大戦の為めに非常に懲りたと云ふことは十分認める事が出来まするので即ち国際聯盟なるものが平和を保持すると云ふ目的を以て、前に調印を見るに至つたんであります ○中略 そこで今度の大戦に依りまして軍国主義は倒れましたけれども、労働不安と云ふものに悩まされて居るのであります。又暫らくは是で悩まされるだらうと思ひます。其間が即ち我日本が大なる発展を為すべき機会であると思ひます。彼と同一な思想の動揺に陥り、階級戦に陥つたならば、到底彼等が回復した時に、到底我は彼と対抗する力はないのでありまする。皆様は特に此点を御記憶願ひたいと存ずるのであります。余り長い事は申しませぬ。此位に止めて置きまするが、思想問題は何かと云ふことに就て渋沢男からお話がございましたが、詰り生計問題と思ひますとお答する、国民の生計が豊でございますれば、決して思想の険悪と云ふものは来ない、国民の生計が困難になりますれば、如何に巧みにお引つ張りになりましても、思想は益々険悪になりますると云ふことだけを申上げて置きます。