デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
1節 商業会議所
1款 東京商業会議所
■綱文

第56巻 p.106-108(DK560031k) ページ画像

大正10年9月3日(1921年)


 - 第56巻 p.107 -ページ画像 

是日、皇太子殿下、欧洲巡遊ヲ了ヘ帰国セラレタルニツキ、当会議所ニ於テ、祝賀会開催セラル。栄一出席ス。


■資料

集会日時通知表 大正一〇年(DK560031k-0001)
第56巻 p.107 ページ画像

集会日時通知表  大正一〇年       (渋沢子爵家所蔵)
九月三日 土 正午 皇太子殿下御帰朝奉迎祝賀会(東京商業会議所内)


東京商業会議所報 第四巻第一〇号・第八頁 大正一〇年一〇月 ○奉迎祝賀会(DK560031k-0002)
第56巻 p.107 ページ画像

東京商業会議所報  第四巻第一〇号・第八頁 大正一〇年一〇月
    ○奉迎祝賀会
大正十年九月三日、皇太子殿下欧洲御巡遊を了へ御帰朝あらせられたるに就き、同日正午当所に於て奉迎祝賀会を開催したり、来賓は田中農商務次官・岡本同農務局長・鶴見同商務局長・村上同水産局長・松平外務省欧米局長・芳沢同亜細亜局長・岡警視総監・宇佐見東京府知事・大海原同内務部長及実業家側渋沢子爵、阪谷・武井・森村の各男爵、井上・木村の日本銀行正副総裁、梶原・鈴木の横浜正金銀行正副頭取、平山・内田・美濃部・石塚・浅野・有賀・福井・小田柿・室田串田・堀越其他の諸氏、新聞通信社員、主催側本会議所藤山会頭、杉原・山科両副会頭並議員・特別議員等総員百三十八名にして、正午一同食卓に着きデザート・コースに入り、藤山会頭は挨拶辞に併せて 殿下の御帰朝を拝するを得たるは国民の衷心欣幸とする所なり、仍ち奉祝の為め万歳を唱すべしと述べ、一同之に唱和して祝盃を挙け、歓酔款話午後二時散会したり



〔参考〕竜門雑誌 第四〇〇号・第七二―七三頁 大正一〇年九月 ○東宮殿下御帰朝に際して(DK560031k-0003)
第56巻 p.107-108 ページ画像

竜門雑誌  第四〇〇号・第七二―七三頁 大正一〇年九月
○東宮殿下御帰朝に際して 左は東宮殿下欧洲より御帰朝に際し青淵先生の謹話として、九月二日の都新聞及び九月三日の報知新聞に掲載せるものなり。
  東宮殿下には、海路御平安愈明日を以て御帰朝遊ばさるゝ事となつた、我々国民の歓喜何に譬へんやうもないのである、曩に殿下の御発途に方つては風土の変を気遣ひ、御渡欧中止等の運動があつたので、私も蔭ながら御心配申上げて居たのであるが、それが些しも御障りなく御身体は
 △弥が上にも 御壮健で而も非常な御元気で御帰朝遊ばさるゝといふ事は、是偏に殿下の御威徳の然らしむる所で、衷心から御喜びを申上げる次第である、而して亦殊に我々国民の尊敬し奉るべきは、御渡欧中に於ける殿下の御動静である、其古倫母に於けるとポートサイドに於けると将た倫敦に於けるとを問はず、幾多の御寄港地に於ける御動作は、所謂
 △一視御同仁 で、下々の人々に対してまでも快く御接触遊ばされ而も其間自から一種侵し難い御気高きものがあつた事である、而して半歳に亘る御旅行に於ては、親しく戦後に於ける欧洲文明に接して世態人情の変遷を察し給ひ、御平常には背広服を召され至極打解け給ひて
 - 第56巻 p.108 -ページ画像 
 △各国々民 と御接触遊ばされたのであつた、是は実に我々国民の只管感佩して措かない所である、殿下御帰朝の上は此御壮挙を一新紀元として総ての御事を御簡略に遊ばされ、形式を捨て実質に就き給ふやうになりはしまいかと思はるゝ、而して殿下の御心も亦此処に在す事は、御渡欧中の御動作に依つて見ても略恐察し得らるゝのである、是に就いて私が
 △国民に望む 事は御簡略に遊ばさるゝやうになつたからとて、其御簡略に狃れて不敬や不謹慎に渉るやうな態度を慎まなければならぬ事である、殿下の御心の在す所を深く拝察し奉りて、御簡略になればなる程、君臣の分を明かにし、飽く迄尊敬の念を忘れてはならないのである

  東宮殿下の御外遊は申す迄もなく振古未曾有の盛事で、今や前後六ケ月間に亘る長き御巡遊を全うさせられ御機嫌麗しく御帰還を迎へ奉ることは、吾々臣子として歓喜慶祝の辞を知らぬ次第である、唯予輩の私情としては此度の御旅行が
 △欧洲 から亜米利加、少くとも北米合衆国に及ばせ給はざりしことは固と止むを得ぬ御事情に由るとは申乍ら、聊か残念の様な感もするのであるが、开は畢竟するに多年日米の親善に心を寄せ来れる老臣が望蜀の述懐に過ぎない、偖這回殿下御遊歴中の御事蹟将た其到らせらるゝ先々に於ての御動作等に就ては、時々の新聞報道乃至は活動写真等にて一端は拝し奉り、其堂々たる御風丯、円満にして御愛矯に充たせらるゝ御相貌、軽快にして御懇切溢れさせ給ふ御進止を拝察し奉りて、畏多いことであるが真に嬉涙を禁じ能はぬと同時に、此間直接間接国家の為めに御寄与遊ばされたることの尠少にあらせられざるは申す迄もなく、又殿下御自身に幾多麗しき御見聞と御会得を収獲し給ひし御事は、国家国民の将来に取りて此上もなき幸慶事と窃に欣喜の情に堪へぬ処である、此と同時に、殿下の随員諸公が斯かる機会を得て、各国宮廷並に官民晴の公会に随侍出席して、各種の儀式典礼より接遇交際の微に至る迄親しく知見を弘められたることは、現実国交の親睦敦厚に貢献するは申すに及ばず
 △将来 我が皇室と臣民の間柄を一層濃厚に導く上に悟得せられたること尠からざるべく、爰に引例とするは聊か畏れあることなれど恰も明治維新前後予輩が旧一橋世子民部大輔公に随従して仏・白其他を巡遊し、到る処殆ど国君の礼を以て(公は時に将軍慶喜の令弟と云ふ故を以て)歓待を受け、君子啓発を受くること多大なりしを追懐し、転た今昔の感を深うする次第である、願くは殿下が此度の御見得を以て啻に御一身の御修養に資し給うのみならず、之を国民の上に垂れ慈しみ給ひ、随侍諸公は又其知見を傾けて日夕の奉仕に体現せしめ、以て国民全般をして
 △益々 弥や高き皇室の稜威を崇敬し親服せしむることに努められむことを、是実に国家国民の為め至大の幸福であり、又真に皇室の御繁栄を天壌と共に無窮ならしむる道であると拝信する次第である