デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
1節 商業会議所
1款 東京商業会議所
■綱文

第56巻 p.121-126(DK560038k) ページ画像

大正11年11月20日(1922年)

是日、東京会館ニ於テ、当会議所主催、東京市内会社・銀行・商店満二十年以上勤続者表彰式挙行セラル。栄一、来賓トシテ出席シ、祝辞ヲ述ブ。


■資料

集会日時通知表 大正一一年(DK560038k-0001)
第56巻 p.121 ページ画像

集会日時通知表  大正一一年       (渋沢子爵家所蔵)
十一月二十日 月 午後一時半 東京商業会議所催
                二十年以上勤続者表彰式(東京会館)


東京商業会議所報 第五巻第一二号・第二〇―二五頁 大正一一年一二月 ○二十年以上勤続従業員表彰式(DK560038k-0002)
第56巻 p.121-125 ページ画像

東京商業会議所報  第五巻第一二号・第二〇―二五頁 大正一一年一二月
    ○二十年以上勤続従業員表彰式
 本会議所議員選挙権者たる市内銀行・会社・商店に於て勤続満二十年以上に及び、成績優良、一般の模範たる社員・店員・工場員その他の商工従業員二千五百二十三名に対する表彰式は十一月二十日午后一
 - 第56巻 p.122 -ページ画像 
時半より、東京会館に於て挙行せられたり。この日来会するもの来賓及び受彰者を併せて無慮二千有三百余名、さしもに広大なる会館四階の大ホールも真に立錐の余地なきに至れり。
 定刻に至り杉原副会頭開会の辞を述べ、次で藤山会頭の式辞、来賓加藤総理大臣・荒井農商務大臣・水野内務大臣・鎌田文部大臣・宇佐美東京府知事・後藤東京市長・渋沢子爵等の祝詞及び演説あり、終つて藤山会頭より四十年以上勤続者総代沢木竹次郎君、三十年以上総代柴崎卯三郎君、二十年以上総代新井永寿君に対して、賞状及び記念賞牌を贈呈し、受賞者総代として林幸平氏の答辞あり、杉原副会頭閉会の辞に次で、藤山会頭の発声を以つて、両陛下・摂政宮殿下の万歳を三唱、終つて受彰者諸君の万歳を三唱して、午後三時散会せり。
 因みに当日閉式後受彰者各自に表彰状及記念メタルの分配をなす筈なりしも、来会者多数のため俄かに是を中止して、二十一日より当会議所に於て夫々分配することとし二十五日結了せり。当日藤山・杉原正副会頭の式辞挨拶及来賓の祝辞及演説左の如し。
    開会の辞             杉原栄三郎君
 閣下並に満場の各位、此度東京商業会議所主催となりまして、我が東京に於きまする即ち銀行・会社・商店及工場、之に従事遊ばされる所の二十年以上の勤続の方々に対しまして、其勤続表彰の式を本日是より挙行するのであります。
 大正八年七月に第一回を挙行致しましたが、今日は一層多大に為られまして、其数実に二千五百十七名の多数であります。如何に諸君が御勤勉にして、而かも奮闘せられたかといふことが玆に証明せられるのであります。即ち二千五百十七名の中で、二十年より三十年迄の御勤続者は二千二百八名であらせられます。三十年より四十年迄は二百六十九名であらるゝのであります。更に四十年より六十五年迄の御方が実に五十名あらせられるのであります。我が商工業の最も進歩致しまするのも、此所に御列席の堅忍不抜なる各位の為に、我が商工業の発展を期するものと深く信じて疑はぬものであります。(拍手)是は独り我国の目出度き慶事のみならず、全く世界に対しまして誇るべき美事なりと思ふのであります。
 是より総理大臣其他我が尊敬すべき所の各位よりの御祝辞があります。其後に藤山会頭より賞状を授与されますから、左様御承知あらんことを希望致します。玆に開会の御挨拶を申上げます。(拍手喝采)
    式辞               藤山雷太君
○中略
 只今副会頭より述べられました通りに、今回の表彰式は是で第二回であります。表彰に与る御方は二千五百余の多数でありますが、是は東京商業会議所の選挙権を有せられる一万二千有余の諸君の事業に従事せられる御方であります ○中略
 世の中が段々複雑になりまするに就きまして、昔のやうに僅かの歳月、短い歳月で成功するといふことは容易な事ではない。事業が段々困難になりますると、一つの事業に長い経験と知識を要せねばならぬやうに段々なつて来ると存じます。殊に此実際の社会に出て働きます
 - 第56巻 p.123 -ページ画像 
るのには、其準備が要ります。今日はどうしても高等の教育を受けて世の中に出まするのは二十四・五歳でなければ出られないのであります。少くとも二十歳では実際社会に出るのは困難と考へなければならぬ。其の暁に於て二十年、三十年乃至四十年の歳月を一つの事業に委ねるといふことは、即ち人間の一生を一つの事業の為に犠牲にする。是が即ち国家に本当の奉公をする所以の道でありまして、国家が即ち段々隆盛になるといふことは、其点に於て始めて生ずるものと私は考へて居ります。諸君は一つの業務に一生を捧げる所の、即ち社会奉仕の人であります。是が東京商業会議所が甚だ僭越ながら諸君を表彰して、以て諸君の労に報ひ、又其事柄を後進の人にも示して、諸君の如く今後も皆な一身を一つの事業に捧げて、さうして国家に貢献し、事業界に貢献しなければならぬといふ、模範的な御方として吾々は表彰する次第であります。
 御承知の通り、日本も昔の鎖国時代とは違ひまして、今日は非常にむづかしい世の中で、国際貿易に於て勝を制しなければ、到底国家の隆盛を期することが出来ない。世界の戦争は五年で済みましたが、戦争後の経済戦は無期限である。期限は無い、永久に国際貿易の競走をして行かなければならぬのであります。それにはどうしても一つの事業に一身を委ねて、而して其経験と知識を以て優良な品物を安く拵へて、さうして貿易の振興を図らなければならぬと考へるのであります ○中略 今日此所に御参集下さいました諸君は、即ち我が日本帝国の商工業の中堅の御方として模範的の御方である。私は、希くは諸君が此志を益々盛にして、此商工業の発展の為に御尽力下さることを希望します。併ながら優良の品物を安く拵へるといふのには、今日の時勢に於ては、余程の研究工夫をしなければならぬ。即ち商店の組織を改善することも必要でありませうし、働きを科学的にやつて、能率の増進を図ることも必要であります。併し其能率を増進するといふ道を講じまするのにも、啻に生理的に人の身体の上に不平を少くして、能率を増進する。或能率の増進を図るといふことは技術的許りではない。どうしても業をする資本家と、知識又は労力を提供する労働、即ち資本と労働との協調に俟たなければならぬと考へる。此資本と労働の協調が根底となつて、始めて完全なる能率の増進といふことも出来るだらうと思ひます。能率の増進が出来ますれば、優良なる製品を拵へて、国際貿易に勝を制することも出来まする、其根底といふものが即ち資本と労働の調和協力といふことに、要するに帰しはしないかと考へます ○中略
    内閣総理大臣男爵加藤友三郎君祝辞 ○略ス
    農商務大臣荒井賢太郎君祝辞 ○略ス
    内務大臣水野錬太郎君祝辞 ○略ス
    文部大臣鎌田栄吉君祝辞 ○略ス
    東京市長子爵後藤新平君祝辞 ○略ス
    東京実業組合聯合会々長星野錫君祝辞 ○略ス
    祝辞             子爵 渋沢栄一君
 満場の諸君、老人は声が立ちませぬから、申上げることが隅々に徹
 - 第56巻 p.124 -ページ画像 
底せぬだらうと甚だ恐懼に堪へませぬ、併し斯様なお目出度い御席に罷出て一言を述べることは、皆様が御聴き苦しくても、当人は是非述べたいのでございますから、どうか暫く御耳を拝借致します。
 総理大臣閣下を始めとして皆様からの宗全《(マヽ)》な祝辞がありましたから私は玆に祝辞でなく、自分の愚見を申上げます。若し此御企てが四・五年前であつたならば、諸君と共に矢張私も此表彰を受ける一人だらうと思ふのであります。明治六年に第一銀行に御奉公を始めて大正五年迄四十四年勤めた老人でございますから、諸君の二十年はまだ浅墓なものだと私は思ふのであります。永く勤めるのが手柄であれば、長生きした者に敵はぬと云ふことになりますけれども、併しさうではなからうと思ふ。仮令二十年が十年でも、効果ある勤め方をするに於て始めて意義がある訳である。故に成績優良な御方に対して此企てがあつたのは、商業会議所の御考に最も私は賛同するのである。其点から言ふたら、渋沢は四十年勤めても一向余り功がなかつたかも知れないから、商業会議所の御見出しを蒙らなかつたか知らぬと甚だ恐懼に堪へませぬ。
 此維新以後の経済界を本当に拡張し、改良し、進歩せしめたのは、或は東京にあつては諸君方の御力にあると申しても余り過言でなからうと思ふのであります。又創業からして此進歩迄を進めて下すつた諸君であるのである。此間には或は事業上に大いに注意すべきこともあり、又物質以外に精神的に大に考へなければならぬこともあります。事業と云ふものは唯得さへすれば宜い、繁昌さへすれば宜いのではないのです。改良も進めなければならない、又其事柄が直真に真理に適ふて、他の妨げもなく、自己の発展を図ると云ふことが最も事業の性質であるから、物質的と精神的と両者共に進めねば完全な事業とは申せぬと思ふ。蓋し此表彰を受ける諸君は両方面に於て完全に発達したものだと思ふのでございます。既往に対する表彰は商業会議所の此企てに於て満足に届きますが、併し諸君は之を以て事業を御廃めなさる御方でないから、未来に対することを一言申上げるも無用な弁でなからうと思ふのでございます。其未来に対して、現在の実業界は如何であるか、唯今も東京府知事さんはもう殆ど敦厚の風が地を払つたと仰しやつたが、是は少し激しい御言葉で、全く地を払ひは致しませぬ、払はんとして居るのです。そこで吾々は諸君と共に是非此払はんとする狂瀾を既倒に返すと云ふ訳で、質朴なる、穏健なる風を是非諸君と共に之を盛返さなければならぬではありますまいか。又一方には経済界は如何でありませう。甚だ不景気を極むると云ふのは総て能率が進まぬ、費消の盛なる割合に却て生産力が衰へたと云ふことは、蓋し吾吾実業界にある人々は矢張大に注意せなければならぬのであります。丁度両方面から進めて今日に来た所の諸君は、未来に於て精神的にも物質的にも大に之を挽回し、且改良すると云ふことを御努めに相成らねばならぬと思ふのであります。商業会議所は既往に対して表彰をしましたけれども、私は玆に更に一言加へて、未来に於ける諸君の此上の御努力を希望致して已まぬのでございます。(拍手喝采)
○中略
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    答辞               林幸平君
 今回東京商業会議所に於て都下実業界の使用人に対し、弐拾年以上勤続せる者二千五百余名を表彰せられ、不肖亦其席末を汚すを得たるは光栄とする所なり、思ふに過去弐拾年間に於ける社会状態の変遷は有史以来其比を見ざる所、人心の動揺亦甚しかりしなり、我等此間に処して拾年平静一日の如く、嘗て其志を曲ぐることなく、専心一意真面目に其業に励み、歩一歩健全なる道程を踏み来りて今日に至れるは顧みて聊か誇となす所なり、思ふに将来に於ける社会の状態は益々複雑を極め其変遷亦測り知る可からざるものあるべしと雖も、吾人は断じて其初志を翻す事なく、周囲の誘惑に打勝て、天賦の本能を向上発展せしめ、よく身心の独立を篤くし、益々忠実に微力を尽して、健全なる社会を構成するの一員たらんことを期す。
 玆に謹て今回の挙に対し、深甚なる謝意を表し、併せて将来の抱負の一端を述べて答辞となす。
  大正十一年十一月二十日
            株式会社三越呉服店
                 営業部長 林幸平
   東京商業会議所
    会頭 藤山雷太殿


中外商業新報 第一三一八五号 大正一一年一一月二一日 四・五年も前なら私もと渋沢子 嬉しさうな顔が集まつた勤続店員の表彰式(DK560038k-0003)
第56巻 p.125 ページ画像

中外商業新報  第一三一八五号 大正一一年一一月二一日
  四・五年も前なら
    私もと渋沢子
      嬉しさうな顔が集まつた
        勤続店員の表彰式
思ひ切り見得を造つて集まつた、それが皆嬉しさと真面目さの上からの見得で、店頭で算盤でよせた
 皺も 今日は晴れやかにのびて、紋服やらフロツクが、出来上つた許りの東京会館の四階の大ホールの、眼がさめる様な天井の下に集まつた集まつた一千七・八百、二千に近い人々、それが廿年以上勤め上げたゆかしい人々であることを見れば、その表彰式を挙げた東京商業会議所の仕事も徒爾ではなかつた、二十日の午後一時杉原副会頭が「実に二千五百十七人と言ふ勤勉家と相見ゆる」嬉しさを述べて、藤山会頭や各大臣・知事の
 祝辞 のあとで、やをら老躯を起したのは先刻から歓喜の眼を輝かして居た渋沢子爵「若し之が四・五年前であつたら、私も第一銀行で大正五年まで四十年も勤め上げたのですから、確に表彰されたに違ひない、二十年の方々などはまだまだ足許にもつかない」と笑はせる。「宇佐美知事は醇朴の風が地を払つたと言はれたが、まア地を払はうとして居る時に皆さんの様な人々が中心となつて、日本の実業界を
 支持 して居ることを思へば、現在から将来に向つて益々諸君の力にまつことが多い」といふと、一同は夢中で拍手して居る、やがて賞状及記念品を総代に授与して二時半散会した ○中略
近頃のゆかしい会合であつた
 - 第56巻 p.126 -ページ画像 


竜門雑誌 第四一六号・第五八―五九頁 大正一二年一月 ○二十年以上勤続者表彰式(DK560038k-0004)
第56巻 p.126 ページ画像

竜門雑誌  第四一六号・第五八―五九頁 大正一二年一月
○二十年以上勤続者表彰式 東京商業会議所に於ては十一月廿日午後一時より東京会館に於て商店・銀行・会社・工場等に於ける二十年以上勤続せる使用人に対する表彰式を挙行したるが、総数二千五百十七名、内勤続五十年以上七名、四十年以上四十三名、三十年以上二百五十九名、二十年以上二千二百八名にして、式は杉原東京商業会議所副会頭の開会の辞に次ぎ藤山会頭の式辞あり、続いて加藤首相・荒井農相・水野内相・鎌田文相・宇佐美東京府知事・後藤市長並に星野実業聯合会長・青淵先生の督励的演説あり、終つて表彰者一同に賞状及記念品を授与し、最後に被表彰者総代の答辞ありて同三時散会せる由。