デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
1節 商業会議所
1款 東京商業会議所
■綱文

第56巻 p.159-164(DK560046k) ページ画像

大正13年9月1日(1924年)

是日、東京商工奨励館ニ於テ、当会議所及ビ東京府・東京市・東京実業組合聯合会ノ共同主催ニヨル、震災一週年記念講演会催サル。栄一、微恙ヲ押シテ出席シ、講演草稿ヲ代読セシム。


■資料

東京商業会議所報 第七巻第一〇号 大正一三年一〇月 ○震災一週年記念講演会(DK560046k-0001)
第56巻 p.159 ページ画像

東京商業会議所報  第七巻第一〇号 大正一三年一〇月
    ○震災一週年記念講演会
大正十三年九月一日、東京府・東京市・東京商業会議所・東京実業組合聯合会聯合主催にて記念講演会を開催せり、府立東京商工奨励館に於ては午後一時より、宇佐美東京府知事・渋沢子爵・若槻内務大臣・星野実業組合聯合会長の講演あり、東京市自治会館に於ては午後一時より永田東京市長・阪谷男爵・穂積重遠博士・藤山当所会頭の講演ありたり


竜門雑誌 第四三三号・第三七頁 大正一三年一〇月 青淵先生動静大要(DK560046k-0002)
第56巻 p.159 ページ画像

竜門雑誌  第四三三号・第三七頁 大正一三年一〇月
    青淵先生動静大要
      九月中
一日 微恙の為在邸静養。午後病を努めて東京府・東京市・東京商業会議所・東京実業組合聯合会合同の大正大震災記念講演会(商工奨励館)に出席。
 - 第56巻 p.160 -ページ画像 


竜門雑誌 第四三三号・第三八―四一頁 大正一三年一〇月 ○青淵先生説話集 大震災記念講演会に於て(DK560046k-0003)
第56巻 p.160-162 ページ画像

竜門雑誌  第四三三号・第三八―四一頁 大正一三年一〇月
  ○青淵先生説話集
    大震災記念講演会に於て
 歳月は人を待たず、何時の間にか怖ろしい震災後一周年を迎ふることになりました。
 其の当時を顧みて今更ながら自然の破壊力の偉大さを愕くと共に、此の大変事に遭遇したにも拘はらず、我等同胞が自ら省み自ら警め緊張せる意気を以て飽迄復興の大事業を完成しようとせず、動もすれば詔書に仰せらるゝ如き浮華軽佻に流るゝの傾向を示すかに見られますのは如何にも遺憾に堪へませぬ。
 顧ふに、震災の当時流言蜚語のかまびすしい中に誰いふとなく此震災は天譴である、天罰である、と叫ぶ声が聞えました。素より無前の大変事に遭遇したのでありますから、人心は不安の極に達して、種々な倒錯の考への生ずることは当然でありますが、地震天譴説は必ずしも斉東野人の妄語ばかりでなく、所謂天に口無し、人をして謂はしむるの類のものではなかつたで有ませうか、素より学者の説明を待つ迄もなく、地震は地殻の上に生ずる自然現象の一つであつて、科学的に説明すれば、人事とは何等の交渉もなく必然的に生ずる地層変化の一事実に過ぎますまい。従つて此点から申せば天譴でもなく天罰でも御座いますまい。然し古来老人や相当の人々の間にも、人間を驚かす程の大変災は何等か天に意あつて下さる一大驚醒であつて、決して人々と没交渉に斯かる事象が突発するものでは無い。
 斯の如き場合にこそ深く己を省み、他を誡め、お互に天意に背いて放縦に流れて来た点は無かつたかと深思反省すべきものであると斯様に申して居ります。事実に照して今日の社会一般の風潮を省察致しまするとき、私は老人仲間の申しまする天意世を警むると言ふ此の考へ方について、必ずしも一笑に附し去るの勇気を有ちません。詔書にも仰せられた様に、現代の一面には軽佻詭激の説が所謂学者の間にすらも高唱せられて世を惑はすものも尠くありません、のみならず他の一面には浮華放縦、享楽を追ふて自ら省みるなきの徒が跋扈跳梁して居るので御座います。斯の如き場合、突如天地を震撼して帝都の大半を破壊し、十万の生霊を奪ひ去ると言ふあの怖ろしい震災が起つたので御座います。
 私には何を考へましても此の天変地異を単に偶然なる自然の現象とばかり冷眼視することが出来ないので御座います。
 由来東洋の道徳は五倫五常を重んじ、己の欲せざることは人に施さず、知識を進めるにも先づ実行を先きに致して参つたので御座いますが、即ち東洋流の考へ方は稍々消極的に流るゝ嫌ひはあるが、飽迄義務を重んじ実行を先きとしたので御座います。之に反して西洋流の考へ方は義務と申すよりも権利の主張が先きである、他を考ふる前に先づ己の利害を考へる、積極的だと申せば申されますけれども、其の勢ひは自然自ら守るべき義務を忘れて権利をのみ主張するの傾向となつて参ります。併しながら権利と申し義務と申すのも実は人間の社会的
 - 第56巻 p.161 -ページ画像 
行為に対する軌範の表裏を申すものでありまして、権利があれば自ら義務を生じ、義務を重んずれば自然に権利は発生する、義務其のものも実行せねばならぬものだとすれば、それを実行する権利ともなります、唯権利々々とばかりに自己に都合のよいことばかりを主張して来ると非常な弊害に陥つて来る、寧ろ消極的な義務を果すことを原則として、其の上に当然の権利を主張する、この東洋流の考へを基礎として進めば決して間違は起りませぬ。唯何も進歩だ、人間の権利だとばかり根本を忘れた主張に夢中になると、其処に詭激な説が湧いて来る此れは決して健全な進歩の過程をなすものでありません。精神上のことばかりでなく日常の国民生活、尚一般の社交上に於ても私共は深く自ら省みて常に自己の果すべき義務の履行について省察する処がなくてはなりません。然し人心が浮華軽佻に流るゝには又夫々事情がないでもありません。明治維新以後に於ても種々の場合がありました、日清・日露両戦役の如きは国家としては之れが為めに非常な進歩を遂げて、国際上にも躍進を為したのでありますが、其の一面には意外の精神上の弊害も伴ひ、経済上の危機を成したこともあつたので御座います。欧洲の大戦は其の範囲の広かつた如くに其の影響も全く世界的であつて、欧洲の生産力は全く中絶せられたが為に、我国の如きは国力不相応の発展を見ましたが、一時の苟安は必ずしも幸福にあらず、却つてとり返しのつかぬ禍を胚胎したのでありました、物質を重んじ偏重する、之れが都会に始まつて地方に伝播する。
 農村の疲弊にも原因は種々あるが、其根本は此物質と知識とを偏重して、己の義務を忘れた点にあるといつても必ずしも過言では御座りますまい。此の軽佻な浅薄な唯物論的な一般の風潮に対しては、苟も国を憂ふるの士は斉しく深憂痛嘆して居たので御座まいしたが、此の国民精神の危機に臨んであの昨年の大震災があつたのであります。天譴か試練か知らず、我国民に対して降された天意の必ずしも偶然でないことを信ずるに誤りが御座いませうか。震災当時は上下を通じて相当の緊張はあつたと信じます。
 禍を転じて福とせねばならぬ。旧衣を脱して覚醒の一路に猛進せねばならぬ、とは誰人も皆念じて居たと信ずる事実が多かつたのでありましたが、所謂健忘の国民性の然らしむる為か、災変当時斯くも緊張して居つた精神は、何時の間にか弛緩して災後僅に一年経過したる今日、当時の健気な精神と態度とは果してどの程度迄維持保存せられて居るでありませうか、疑ひに堪えません。
 顧ふに此大変災を一大転機として、将来の復興建設に努力すると共に弛緩せる精神を緊張し、大日本帝国臣民の本質に立還つて堅実なる精神的基礎の上に一大飛躍を策するは、吾が国力の発展上にも、国民将来の修練の上にも真に必要欠くべからざることであつて、一面から申せば、此の震災こそ吾が国民を警醒し躍進せしむる一大絶好の機会であつたと申さねばならぬのであります。
 震災を記念したからとて地震は無くなるものでもなく、又完全に防げるとも申されますまい。
 然し古来申す様に人生には喜びもあれば憂もある、憂を変じて喜び
 - 第56巻 p.162 -ページ画像 
とする場合もあれば、喜び余つて憂となる場合もある。
 憂ひある毎に一大勇猛心を奮つて之を喜びに変ゆると共に、更に其の喜に慢せずして、後の憂をつくらぬ用心をせねばならぬ。
 之れが人間の世に処する秘訣である。災後の第一周年を迎ふるに際して、お互国民は深く過去に顧みて将来を戒め、一致協力正しき道によつて美しき祖国の発展と貢献とに力めたいと熱望して已まないのであります。(九月一日開催の大正大震災記念講演会に於て代読せしめられたるものなり。)



〔参考〕竜門雑誌 第四三三号・第四一―四四頁 大正一三年一〇月 ○青淵先生説話集 天譴を忘るゝ勿れ(DK560046k-0004)
第56巻 p.162-164 ページ画像

竜門雑誌  第四三三号・第四一―四四頁 大正一三年一〇月
  ○青淵先生説話集
    天譴を忘るゝ勿れ
 歳月人を待たず、早やくも一年を経過した、昨年九月一日を顧みれば実に惨憺たるもので、聞くも語るも皆涙の種である、日本全体とは申されないかも知らないが、少くとも東京を中心とした近郷近在には一大障害を与へたもので何共遺憾の極みである。そこで思ひ起すのは「恢復何時見革新。劫余文物奈灰塵。又驚節序匆々去。歳月無情不待人。」
と謂ふ詩である。
 私は此の震災を迷信的に解釈して今時の国民は少し浮れ過ぎるから天が斯様な罰を与へたもので、謂はゞ天譴ではないかとも考へる、私は過般銀行倶楽部に於ける加藤首相・浜口蔵相の招待会席上でお話したことだが、白河楽翁は、或は浜口さん以上の倹約を断行したかも判らん、私共は倹約を一つの主義としてゐるから、奢侈品税を課せらるるとも左程の苦痛を感じないが、同じ倹約、奢移品防遏でも、白河楽翁が成功して水野越前守が美事失敗した、即ち楽翁の倹約成功に拠つて天明寛政のあの大改革を成し遂げたと謂ふ点は注意すべきである。
 按ふに、楽翁・越前守両者共其考へは同じでも、一方は忠実に、一方は策略であつた、越前守の倹約は即ち此点に於て破れたのである、浜口さんの御考へも楽翁同様何等の策略なくして忠実であつて貰ひ度い、今日の如く世の中が術数にのみ走つて来ては何等かを以て防禦しなければならない、そこで互ひに相欺いて世の中を送ることになるが其前途や真に寒心に堪へないものがある。復興局の方々も誠心以て事に当つて居らるゝとは思ふが、兎角運びが遅々としてゐる、果して真面目で遣つて居らるゝや否やを疑問とせざるを得ない、其中には前申す術数策略がありはせぬか、水野越前守たるものがありはせぬか。
 更に考へて見れば、現在の政治界・経済界又社交上にも情実が多い様に思ふ、今日の新しい事は悉くが悪いとは謂はぬが、物は比較対照せなければ判らぬもので、此の比較をやつて見ると、概して悪いことが多いやうにも考へられる、過去三百六十五日、完全に其の日其の日を改善して来たとはどうしても思はれぬ、あの大震災当時のことも、月日を経るに随つて雲の如くに消えてしまつて、自分の都合のみを主として、他を顧みないと謂ふ風がありはしないか、又之が一般の観念であり、知識の最上点と心得て居る様にも思はれる。
 - 第56巻 p.163 -ページ画像 
 要するに、自然の空気、一般の気合が緊張して欲しいものである、己れを中心として、人の揚足取りのみを得意とする様では、夫の恐ろしい天譴を余りに早く忘れ過ぎたと見ねばなるまい。(九月一日やまと新聞所載)
    禹の心を心とせよ
 月日の経つのはまことに早いもので、あの恐るべき震災から既に三百六十五日を経過したかと思ふと夢のやうである、我国は古来比較的幸福な国で、あまり甚だしい災禍を蒙つた事がない、弘安年中の元寇にしてもさうであり、明治維新の際でもさうである、勿論明治維新の時は徳川慶喜公が断然官軍に降られたと云ふ人為が加はつてゐるからこそであるが、若しあの時日本が東西二つに分れるやうな事があれば外国の干渉もあつて今日米国の移民排斥位を憤どほるやうな地位になり得たかどうか疑ひなきを得ない、それが幸ひにして維新となり、廃藩置県が行はれて今日のやうになつたのである、その外歴史をひもとひて見ても多くの場合に於てわが国は甚だしい災禍を蒙つたためしがない、ところが昨年九月一日の地震の結果は実にわが国が嘗つて経験しなかつた悲惨なものであつた、余は十五歳の時安政の大地震にあつたが、当時は埼玉の片田舎に居たので、江戸の惨状を親しく目撃したのはその年の冬であつたから、大地震を体験したのは昨年が始めてであつた、市中の惨憺たる有様を見ると、これを幾分でも緩和する方法を講じたいと思はないではゐられない、そこで九月五日に商業会議所を誘つて震災善後会の設立を企てた、これは七日に徳川公爵及び粕谷衆議院議長も加はられて政治家・実業家聯合のものとなり、多くの救護団体を援けることが出来た、余は昨年あの地震を天譴といふ言葉は見方によつては一種の迷信と見られなくもないが、余は決してさうは思はない、近来わが国民の傾向を見ると、古の君子の戒めた寸陰をも惜んで働くと云ふやうな美風は地を払ひ、生活状態は実力以上に高められて居り、思想においては自らの義務や責任を思ふ前に、先づ権利を主張するやうになつて来たやうに思はれる、実力以上に高められた生活は浮薄であり、権利のみを主張して義務の履行を怠り、名誉を思ふて責任を解せざるは利己である、人心がかういふ風になつた時に、あの振古未曾有の大天災があつた事は、自然が人をいましめたと見ても差支ない、若しそれが科学的でないといふにしても、人心が緊張して居たら、同じ天災でもあれ程の惨状を見ないですんだものを、人々の心が弛緩して居た結果、その影響を特に大ならしめたでは無いか、これを天譴と見る事は何等不都合はないと思ふ、しかもかくの如き天譴を蒙つた後人心は果してどうなつたか、政治の方面を見るに、過去一年間既に内閣は三度更迭した、その中には清浦内閣の如く初めから永く仕事をしない積りの馬鹿々々しいのもある。今度の内閣のやるところを見ると、幸ひに綱紀の粛正や、財政行政の整理等時宜に適した事をやつて行かうとするやうであるから、三派の結束を堅くして充分所信を実行させたいと思ふ、併し震災後政府で手を拡げた復興事業の成績を見ると一向はかどらないやうで、殊に最近は忌はしいうわささへ耳にする程である、これまた人心の弛緩を物語る証拠ではないか、
 - 第56巻 p.164 -ページ画像 
昔支那の禹と云ふ人は今日で云へば土木事業――即ち治水の局に当つて大いに努めた人であるが、この禹は常に寸陰を惜しんだのみならず僅少の物資をも決して粗末にしなかつたと太田錦城の梧窓漫筆にあるのを読んだことがある、さればこそ尭・舜・禹三代が支那の黄金時代と認めらるゝに至つたのである、今日復興事業の局に当る人々にはどうぞこの禹が寸陰をも惜しんで民のために尽した心掛けを以て大いに努力するやうにして貰ひたいと思ふ、震災後一日といへども当時を忘れてゐる人はない筈であり、また忘れてはならない訳であるが、時が経つに従つて自然幾分気の緩むことがないとも限らない、市の標語にもある通り、特に緩む心のねぢを巻きつゝある、本日の一周年に当り当時惨状の記臆を新にして、官民挙つて努力したいと思ふ。(九月一日中央商業新報所載)