公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
第56巻 p.189-191(DK560053k) ページ画像
大正2年12月26日(1913年)
是年、東北地方凶作ノタメ被害甚ダシク、是日栄一、当会委員益田孝・大橋新太郎等ト共ニ、日本
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橋三友倶楽部ニ於テ、凶作救済会設立準備委員十数名ト会シ、窮民ノ救済ニ関シ協議ス。
東北振興史 浅野源吾編 上巻・第三―四頁 昭和一三年八月刊(DK560053k-0001)
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東北振興史 浅野源吾編 上巻・第三―四頁 昭和一三年八月刊
○第一章 東北振興会の事業
東北振興会の設立と凶作救済事業
大正二年初夏の候、京浜の有力実業家数十名相諮り、東北六県管内の産業全般に亘り福祉増進を図る目的を以て東北振興会が組織せられ男爵渋沢栄一・益田孝・大倉喜八郎・大橋新太郎・根津嘉一郎の五氏が其委員に挙げられ、渋沢男が委員長の任に就かれたり。東北凶作救済準備会委員諸氏は之が事業遂行に就き東北振興会に援助を求むるの必要なるを感じ、委員長渋沢男爵に会見して凶作地に於ける窮民の実情を縷述し、之が救済に尽力あらんことを懇請する処あり、越えて十二月二十六日日本橋三友倶楽部に於て、渋沢男・益田孝・大橋新太郎氏等東北振興会委員十数氏と、凶作救済会設立準備委員十数氏とが出席会合して、凶作地方窮民の救済に関する意見の交換を行ひたり。
○下略
○凶作救済事業ニツイテハ本資料第三十一巻所収「東北九州災害救済会」参照。
〔参考〕原敬日記(5) 原奎一郎編 内相時代篇(三)・第三八〇頁 昭和二六年四月刊(DK560053k-0002)
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〔参考〕原敬日記(5) 原奎一郎編 内相時代篇(三)・第三八一―三八二頁 昭和二六年四月刊(DK560053k-0003)
第56巻 p.190-191 ページ画像
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