デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
2節 其他ノ経済団体及ビ民間諸会
6款 社団法人日本工業倶楽部
■綱文

第56巻 p.313-316(DK560087k) ページ画像

大正13年1月25日(1924年)

是日、当倶楽部ニ於テ、当倶楽部及ビ日本経済聯盟会合同主催ニヨリ、前大蔵大臣井上準之助渡欧送別晩餐会開カル。栄一、出席シテ送別ノ辞ヲ述ブ。


■資料

集会日時通知表 大正一三年(DK560087k-0001)
第56巻 p.313 ページ画像

集会日時通知表  大正一三年      (渋沢子爵家所蔵)
一月十三日 日 午后四時  井上準之助氏ニ御面会(銀行倶楽部)
   ○中略。
一月廿五日 金 午後五半時 井上準之助氏送別会(工業クラブ)


(日本工業倶楽部) 会報 第九号 大正一三年七月刊 【大正十三年一月廿五日…】(DK560087k-0002)
第56巻 p.313-316 ページ画像

(日本工業倶楽部) 会報  第九号 大正一三年七月刊
 ○大正十三年一月廿五日前大蔵大臣井上準之助君は欧米各国漫遊の途に上らるゝにつき、日本経済聯盟会と聯合にて送別晩饗会を開催し理事長団琢磨君の挨拶、渋沢子爵・末延道成君の送別の辞に次で、来賓井上準之助君の答辞あり。午後二時散会す。其出席員並に速記録左
 - 第56巻 p.314 -ページ画像 
の如し。
○中略
    ○渋沢子爵の演説
 井上君、満堂の閣下、諸君。私は倶楽部にも甚だ縁故が薄うございます。又経済聯盟のお仲間入もございませぬ。甚だ此処に立ちますのは寧ろ失礼と思ひますけれども、只今座長から一言述べよと云ふ御命令でございます。況や井上君とは仮令私が実業界を退いて居りましても、以前からの御懇親、別して親しく願つて居りまする其御方が、海外万里御旅行でございます。喜んで一言送別の辞を呈したいと思ふのでございます。
 人或は言ふ、此御席の皆様はさうでないでありませうけれども、井上君は何たる悠長なることであらう、もう英吉利・亜米利加へ行つて修業すると云ふ御年ではない、一通り白髪も見えるやうだ、内の此騒動はどんなものであらうか、修業でない以上はどうも御遊山らしう見えるが、若し御遊山とするならば、余りにお情けないではないか、老耄れた私共ですら、朝に晩に駈廻つて、実はお役にも立たぬけれども国家社会の為に微力を致したいと思うて居るのに引換へて、充分お役に立ち得る井上君が欧米御旅行、御視察などとは余り御悠長極まるではないか、と云ふ説を為す者があるかも知れぬのでございます。私が申すのではありませぬ。其処で私は更に考へて見たのです。井上君が此九月に経済界を退いて財政界に御出なすつた時に、矢張私は同じやうな感じを以て、経済界に実に熟練してござり、又身体も丈夫であるし、其望みも充分属して居られる。何故銀行をやめて他の位置に御就きになされたらうか。斯う考へて見ると、実に井上君を銀行界より失ふことを此上もなく惜む、私が惜む以上に、殊に御自分の身を此位置から御惜み下つて宜くはないかと云ふ感じを持ちました。更に再び考へて見ると、成る程経済界は甚だ重い、金融の中心たる日本銀行も重要であるけれども、併しそれより、より重いものゝあつた場合に、軽重相比較して、重い方に就くのが人の本性、又難きを厭はぬ井上君の御性質として、左もあるべきことである。斯る見地から遂に一方を棄てゝ、一方を重んじなすつたと見れば、金融界に井上さんを失つたことは実に惜いけれども、併し財政界に井上さんの如き力ある方を得たのは、又より以上の喜びと申して宜からうかと思ふのであります。思ふに諸君も必ず御同様御喜び下さることではないかと思ひまする。斯る見地から申上げますると、丁度此場合我が経済界若くは財政界に井上さんを失ふのは、更に大なる井上君を是から持来すの階梯を為すものと考へて宜からうと思ふのでございます(拍手)今日も或お人に対して、頻に今は私は閑散の体で、もう日向ぼつこより用のない身ではあるけれども、併し既往の経済界に付て、多少述懐を致したのでございます。日本の国は版図も小さいし天恵が乏しい、総ての事物が遅れて居る。漸く明治五・六年頃からぼつぼつと欧米に真似て、色々な物が出来かゝつたのである。其十四・五年頃の有様は、政治界の紛糾と云ふものは事に依つたらどう云ふ騒動を惹起すかも知れぬと云ふやうな有様でありました。所謂改進党・自由党、種々なる論争を惹起す場
 - 第56巻 p.315 -ページ画像 
合でありました。政治界がそれであつて、経済界は甚だ力が振はぬ。私共は明治の初めから身の不肖を省みて、政治界は全く断念致して、唯微力を経済界に尽して居りましたが、其頃実に困苦致して、此国家をして富を増さしめなければ、何時迄も此姿を免れぬと云ふ観念から尚更以て其方面に向つて努力致しましたが、政治の紛糾は多少ありましたけれども、幸にまだ――例へば此総ての科学・機械の運用と云ひ動力の用方と申し、欧羅巴から新しい物が順々と持つて来られて、加るに内に於て第一に工業に便利なのは、労銀が甚だ安かつた。故に金融もそれであり、工業界の進歩と云ふものは、此頃からして追々に進んで参つたと申しても過言でなからうと思ふのでございます。尤も二十七・八年の日清戦争、三十七・八年の日露戦争、さう云ふやうな段階が大に実業の発展を促しましたけれども、併し今申す明治十四・五年頃の経済界に微力を尽した人の効能は、蓋し此経済の進歩に裨補ありと云ふことは、私は言ひ得ると思ふのでございます。故に仮令政治界に多少の紛糾があつても、経済は先づ徐々に歩を進めたと申し得られるのであります。今日はどうであるか、制度と申し、風俗と申し、欧米そツち退けと云ふやうにお互に思うては居りますけれども、其有様を翻つて考へて見ますると云ふと、実に忸怩たるものがあるではございますまいか。而して其経済界はどうでありませう。成程欧羅巴大戦乱後大に発展したやうな形であつたが、実は或は天から牡丹餅が落ちたやうなことで、本当の智恵、本当の勉強で得たことではないやうに想像される。段々現在の有様を見ますると、追々に――悪く申したら、枯渇しはせぬかと見えるのでございます。而して労銀は如何、其労銀に従事する人の勢力は如何、之を十四・五年頃の有様と比べて見たならば、決して同日どころではない、大に懸隔ありと言はねばならぬ。さすれば之を回復して行く所謂復興問題は、誰が考へても中々難事ではないかと思ふ。斯かる経済の有様に加へて政治界の姿は又どうなつて居るか。是は私多く言ひたくございませぬけれども、決して諸君が誠に満足だ、今日は無事だ、太平が謳はれるとは思召さぬでありませう。斯かる今時代である。どうしても是は実に有為なお人が、本当に真相を調べて、之を根源から回復する如き働きがなかつたならば蓋し未来の経済界は甚だ危険極まると申上げねばならぬやうに思ひます。斯く考へますると、井上君の此場合に、身を脱いて欧米御旅行は最初思うた呑気のことゝ言うたのは、其呑気と言うた人が呑気であつて、其衷心にどれ程の苦心を持つてござるか。果して然らば此御研究は、必ず吾々思ふ以上の研究を為し下さるであらうと思ふのでございます。只今本会の座長が、井上君の従来の功績を賞讚し、且つ斯る能力ある御方が殊に此場合の御旅行は、必ず大いなる土産を持帰つて下さるだらうと云ふことは、諸君と共に期して待ち得ると思ふのでございます。但し今日の有様が、今申上げたことが、唯渋沢が年寄ゆゑに不祥の言を為したものとのみ思うて戴きたくない。井上君も蓋し私の申上げたことに付ては、仮令短い期間にせよ、政治界に相当なる御経験をなすつた以上は、思ひ半ばどころではない、充分御感得下さるであらうと思ひます。必ず此事を以てお送り申す私も、軈てにお帰り下
 - 第56巻 p.316 -ページ画像 
さるまで、どうぞ存在して居つて、諸君と共にお土産の余恵に預りたいと希望するのでございます。之を以て送別の辞と致します。(拍手)
   ○本資料第三十四巻所収「日米関係委員会」大正十三年一月三十一日ノ条参照。