デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

9章 財政経済問題
1節 財政整理意見書提出
■綱文

第56巻 p.631-643(DK560141k) ページ画像

明治44年11月20日(1911年)

是日栄一、井上馨ト共ニ経済界有志者ヲ代表シテ総理大臣西園寺公望ヲ訪ヒ、内務大臣原敬・大蔵大臣山本達雄ノ参会ヲ求メシ上、時局打開策トシテ、栄一等ノ起草セル、財政整理ニ関スル意見書ヲ提出ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四四年(DK560141k-0001)
第56巻 p.631-632 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四四年     (渋沢子爵家所蔵)
十月二十四日 晴 冷
○上略 午後二時大蔵省ニ山本大臣ヲ訪ヘ、財政上ノ事ヲ談ス ○下略
   ○中略。
十一月十日 曇 寒
○上略 午後二時麻布井上侯邸ニ抵リ、財政経済ニ関スル談話会ヲ開ク、会スル者十一名ナリ、先ツ高橋男爵ヨリ其筋ヘ建議セシ書面ヲ朗読シ且井上侯ニ於テ調査セラレタル参考書類及計算書類ヲ朗読調査ス、各員意見ノ交換アリシモ決論ニ至ラス、来ル十四日ヲ以テ更ニ一会スヘキ事ト定ム、午後五時半散会 ○下略
   ○中略。
十一月十四日 晴 寒
○上略 午後二時麻布井上邸ニ抵リテ、去ル十日ノ継続会ヲ開ク、各自種種ノ意見ヲ提出セシモ、結局会同ノ人々連署シテ財政ニ関スル緊要ノ意見書ヲ其筋ニ提出スヘキモノト定メ、其起稿ヲ余・益田・水町三氏ニ於テ引受ケ、明日九時日本銀行ニテ会同協議スヘキコトトス、五時散会 ○下略
十一月十五日 曇 寒
○上略 九時日本銀行ニ抵リ昨日井上侯邸ニ於テ会議ノ趣旨ニヨリ、水町益田二氏ト共ニ財政改釐ニ関スル意見書起草ノ事ヲ協議シ、片山氏ニ托シテ文案ノ起稿ヲ為サシムル事トシテ余ヨリ其要点ヲ口授ス ○下略
十一月十六日 曇 軽寒
○上略 午後三時西園寺首相ヲ官邸ニ訪ヘ、財政上ノ事ニ関シ頃日来井上邸小集ノ顛末ヲ述フ、来ル二十日其官邸ニ来会ノ請求アリタリ、五時松方侯爵ヲ訪ヘ、財政上ノ事及米人紹介ノ事ヲ談ス ○下略
十一月十七日 曇 軽寒
○上略 水町氏ト電話ニテ財政意見書起草ノ速成ヲ促ス ○中略
水町氏ヨリ財政意見書草案ヲ送リ来ル、夜之ヲ一覧ス
十一月十八日 晴 寒
○上略 水町氏ヨリ送来ノ財政意見書ヲ修正ス ○下略
 - 第56巻 p.632 -ページ画像 
十一月十九日 雨 寒
○上略 午後五時井上侯ヲ訪ヘ、益田・水町氏等ト財政意見ニ付種々ノ談話ヲ為ス、夜飧後更ニ協議ヲ継続シ、十時大体ヲ決定シ、明夕西園寺首相ニ持参スル事トシテ散会ス
十一月二十日 晴 寒
午前七時起床、半身浴ヲ為シテ朝飧ヲ食ス ○中略 西園寺首相ニ電話ニテ今夕井上侯ト往訪ノ事ヲ通ス ○中略 午後二時維新史料編纂会ニ抵リ、徳川民部公子仏国行ニ関スル事歴ヲ談話ス、井上侯・土方・金子其他多数会員来会ス、畢テ井上侯ト共ニ西園寺首相ヲ訪フ、財政問題ニ付テ意見ヲ述フル為メナリ、是ヨリ先水町氏ヨリ意見書ノ草案到着シタルニヨリ、井上侯ト共ニ詳細之ヲ陳述ス、首相及原内相・山本蔵相来会ス、七時夜飧ヲ共ニシ食後更ニ談話ヲ重ネ、夜十時頃散会ス
   ○中略。
十一月二十六日 晴 寒
○上略 午前九時井上侯邸ニ抵リ、財政経済ニ関スル会談ヲ為ス、高橋・水町・添田・豊川・早川・園田・井上・近藤諸氏来会ス、過日総理大臣邸会同談話ノ次第ヲ報告シ、其際提出セシ覚書ヲ一読ス、一同大体ニ於テ同意ヲ述フ、他日総理ヨリ招集ノ事アルヘキニ付可成出席アリタキ旨ヲ述ヘ、十二時散会ス ○下略


勝田主計文書(DK560141k-0002)
第56巻 p.632-636 ページ画像

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世外井上公伝 井上馨侯伝記編纂会編 第五巻・第二六三―二七五頁 昭和九年九月刊(DK560141k-0003)
第56巻 p.636-637 ページ画像

世外井上公伝 井上馨侯伝記編纂会編
                  第五巻・第二六三―二七五頁 昭和九年九月刊
 ○第十一編 第四章 明治天皇崩御の前後
    第一節 政界の移動
○上略
 桂の辞表捧呈に由つて、内閣組織の大命は西園寺に降つた。西園寺は大命を拝して内閣を組織し、親任式は八月三十日を以て挙行せられた。かくて第二次西園寺内閣は成立したが、前内閣に於けるが如く財政上の諸問題は重大難件とされてゐた。曩に桂内閣の中頃に一時中間景気の出現を見たが、その末期に至つて再び不況沈淪の情勢に陥り、政府の外債と民間の外資輸入の合計は約二十億円の巨額に達し、年々その利払のみでも一億円を超える状態であつた。その財源は輸出貿易に待たねばならなかつたにも拘らず、四十三年より入超に転じた貿易は、西園寺内閣成立当時更にその額を増加して、六千六百万円となるに至つた。かくては外債利払の為に、政府の所有正貨は年々に減少し延いては兌換制度の基礎を危殆に導き、財界の悲惨を再び繰返すことも憂慮せられる状態となつた。かゝる危機に成立した西園寺内閣は、税制整理・行政整理・国債整理等の従来の緊縮策と国民経済の発展策とを以て、この難局に当らうとしたことは当然のことであつた。
 かゝる経済界の不況を憂慮する人々、殊に銀行業者は内閣更迭後屡
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屡会合して、時局の打開策を論じつゝあつたが、終に渋沢栄一等はこの解決にはどうしても公を動かさねばならぬこととし、公を訪ねて時局を論じた。公も亦その意を同じくし、時局打開の運動を起すこととなつた。依て公は銀行業者を集めて協議すること二回、渋沢・益田・水町等は委員となつて、覚書を起草し、公は更に自ら二・三の意見を加へ、以て政府の時局対策の参考に資することとした。そして十一月二十日夜、公は渋沢を伴ひ首相官邸に西園寺を訪ね、原内相・山本蔵相の参会をも求めて左の覚書を提出し、銀行業者一同の憂慮するところを陳述した。この覚書に於て公等は財界の状況に就いて次の如く述べてゐる。
○中略
 公等の如上の覚書提出は、少からず西園寺内閣の政策に影響を与へた。殊に緊縮政策を以て事に当らうとしてゐた山本蔵相には、又と得難い背後の力となつた。而も右覚書の提出は、恰も四十五年度予算編成の時にあつたので、その政策は、之によつて益々遂行の念を固くしたことは見逃せぬ事実であつた。当時内閣の運命にも拘はる重大問題として、海軍軍備充実問題が起り、その財源に就いて斎藤海相と山本との間に意見の確執を生じた。海軍軍備充実に就いては、第二次桂内閣の当時、既に閣議に於て容認せられてゐたもので、経費総額は実に五億八千万円の巨額に上つたが、桂内閣は之に対して現下財政窮乏の時であるからとの理由を以て、その中八千二百万円を認め、之を四十四年度以後六箇年間に亘り、既定経続費中に割賦するといふ方針を樹て、他は之を第二次充実案として保留したのであつた。第二次西園寺内閣の成立に際し、斎藤は予め留任の条件として補給充実の実行を約したのであつたが、山本は財源涸渇の理由を以て、海相提案の全部を拒否した結果、こゝに同問題は俄かに悪化するに至つたのである。而してこの時公等の覚書が提出せられたので、山本は益々既定の方針を以て進む意志を鞏固にした。かくして四十五年度予算査定の閣議は、十一月二十四日を以て首相官邸に開かれたが、西園寺首相は増税・募債共に不可なる現下の窮乏せる財界の状況を述べ、諄々として山本・斎藤両相の間を斡旋するところがあつた。こゝに於て斎藤も同充実案は遂に之を撤回するの已むなきに至つた。
 公の強硬な財政緊縮政策に深く共鳴した西園寺内閣は、根本から行政並びに財政を整理しようとし、四十四年十二月九日に新たに臨時制度整理調査局を設け、属僚を挙げて委員となし、政務の全般に亘つて調査するところあらしめた。一方同内閣は制度整理の外税制釐革を行ひ財政に余裕を生ぜしめ、それを以て諸般の支出に応じ、新規事業は一切之を為さないといふ方針を以て四十五年度予算を編成し、以て十二月の第二十八議会を事無く通過するを得た。かくて議会閉会後、内閣はその政策実行に力めてゐたが、四十五年四月二日に至り陸軍大臣石本新六が薨去し、軍備拡張論者の上原勇作が之に代つたので、後述の如く閣内に波瀾が捲起ることになつたのである。
○下略

 - 第56巻 p.638 -ページ画像 


〔参考〕竜門雑誌 第二九四号・第七三頁 大正元年一一月 ○商業会議所聯合会と青淵先生(DK560141k-0004)
第56巻 p.638 ページ画像

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〔参考〕東京商業会議所月報 第五巻・第一二号 大正元年一二月 ○全国商業会議所聯合会に於て 男爵 渋沢栄一君演説(DK560141k-0005)
第56巻 p.638-643 ページ画像

東京商業会議所月報  第五巻・第一二号 大正元年一二月
    ○全国商業会議所聯合会に於て
                 男爵 渋沢栄一君演説
○上略
第二に一つ申上げて置きたいのは、即ち此時事問題、今日の財政経済に付て深く御考慮なすつてござる諸君であるから、くだくだしく申上げるまでもなかろうと存じますけれども、私は斯様に考へて居りますと云ふことを一言申述べて、いづれ追々に御攻究中であろうと思ひますから、其御攻究の御参考に供したいと思ふのでございます、大戦争の後の国家の経営が私共の自分の希望するところで申しますと、どうも国に取つて経済界に取つて一番休養を計ると云ふ方針に出てくれねばいかぬ、唯外面を張ると云ふ方に一途を進むと云ふことは宜しくない、三十九年中に自分等は深く思つたのでございます、併し例へ実力は得たものは少なくても戦争には勝つたに違ひない、此機会は皆さん一般に人気を進めて各方面の事業も進むし、景気も付くしと云ふので三十九年から四十年にはなかなかの勢で諸事業が勃興したが、翻つて実力を考へて見ますと云ふと、大戦争の為に大に国力は損耗されて居る、故に力は減じている、力は減じて居るけれども景気は進んだと云ふのは先づ事実であつたと私共思ふのです、故に四十年の末から四十一年頃になると、其調子付いた景気が思ひの外に所謂急転直下の勢で暴落して参つた、株式などは甚だしき下落を見ました訳であつた、海外に対する信用も丁度四十年の末よりして尚ほずつと大に低落して参つて、四十年の末には諸公債などが甚だ海外の見付がひどく下落して参りました、殊に丁度三十九年から鉄道を国有にした、其国有にする前に既に戦争に付て大なる国債を増加した、のみならずそれに加へて一時に五億も鉄道公債を発行すると云ふことになりました、其公債が従来あつたものも新しく出来るものも共に下落すると云ふ有様でありますから、公債の政策などに於ては日本の将来がどうなるかと思ふ位に世間も気遣ひました、私共も気遣うた、私共は為に頻りに此銀行者仲間申合ひまして懸念している最中に各銀行会社の人々が大に之を憂へて、十七会社が申合せて其中の二・三の総代人を以て銀行者と協議すると共に、政府に鉄道公債の十分整理をして貰ふ、価格の維持し得るやうな方法を講じて貰ふと云ふことの請求をせねばならぬと云ふことが生じましたが四十年の冬であつたと思ひます、銀行者も頗る其事に同意して、丁度今の内閣の西園寺さんの前の内閣の頃でございました、然るに公債に対する懸念を持ちましたのは銀行者四・五人打寄つて懇切に意見を陳上致したのであります、単に公債の値を高くして呉
 - 第56巻 p.639 -ページ画像 
れろと云ふばかりでない、其時の吾々の希望は此鉄道を国有にしたのも私共甚だ面白くないと思つた、是は併し其場会既に定つたことだから動かす訳にいかない、戦争に対して俄に増した課税が殆ど一億五・六千万ある、是等に付て随分其中に宜くない税がある、所謂悪税と称へるものがある、さう云ふものは急激に増したのである、是非共それは整理して呉れなければならぬと思ふのにさう云ふことも出来ない、公債は価格を保つやうにしなければならぬ、税制は整理しなければならぬ、鉄道は已むことを得ぬけれども、段々に政治上の傾が兎角官で事業を自らする、又中央に集中すると云ふやうな方針が強いやうにある、是等も務めて止めなければいかぬと云ふやうな趣意を以て、其時分頻りに意見を陳上したのでありました、其事は十分な功を奏し得ずに、遂に内閣が更迭して、四十一年に桂さんが内閣を組織されたと云ふことで、続いで西園寺内閣に申上げましたことは相替らず桂内閣に陳上して、頻りに御注意を請ひ、改良を求めたのであります、他の事柄は吾々の意見が十分採用されたから、少し満足と申上げることがあつたか知りませぬが、公債の処置に付ては大に尤と認められて、種々審議計画された末でありませう、其年の末、即ち四十一年の多分十月頃でもありましたか、公債政策を追々に審議の末に斯様に致す積りだと云つて、年々若干の高を償却する、さうして是非共二十七年半で残らず公債を償却し終へる預算が立つたと云つて、其事を銀行者の会合即ち手形交換所の集会に、桂さんは当日出席はし兼ねて、多分後藤さんを以て其覚書を御遣しになつた、吾々の銀行者会合に其書付を朗読して呉れて、斯く致すのであると云ふ、所謂閣議の極く鞏固なことを一同に移すと云つて示されたことがあります、それは爾来の桂内閣では公債の処置としては継続されたやうに見えまして、四十二年は大に此公債の価額を回復しまして、又価格を回復するだけの事実を行つたやうに見えました、従つて四十年から四十一年になつて、海外の公債の価格は甚だ不景況に低落したのが、四十二年には大に回復しまして今玆に数字を調べて居りませぬから倫敦の勢は何時は斯うであつたが何時は斯様であつたと云ふことを数字を以て御話が出来ませぬけれども、是は既往のことを調べて見ますと明に分るのでございますが、遂に大に日本の公債は価格を輓回したのです、為に四十三年には桂内閣は遂に期限になつて、五分利公債を四分利に借換へると云ふことまで実施に至つたのであつて、是等の処置は詰り財政上に付ての方ではございませぬ、公債の政策であるけれども、吾々は大に詰り公債を務めて償却すると云ふことを念頭に置かれて堅固に其事を行ふに依つて、内外共に信用を増したのであると思つて大に喜んだ次第でありましたけれども、併し其他の総てが政費を飾約すると云ふことに対して、其仕事と相伴つて進んだとは或は申上げられなかつたと思ひます、殊に四分利借換と云ふ仕事に付ては、多分第三回の仕事、即ち四十三年四月頃に経営されました、是等は甚しきは夫程に強く御遣りなさらなければ宜かつた、少し功を急ぎ過ぎると云ふ銀行者も意見を通じましたけれども、折角やりかけたのだから此年限の来たものだけは是非やつてしまいたいと云つて、一方には海外から公債を起して、一方には其
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借換への実行を致したと云ふことなどは、一時少し無理な処置をしたやうな嫌があつたやうです、銀行者仲間では、少し其事は行き過ぎたる行動であると云ふ説を為したものが多うございました、而して一体の世間も気付き、銀行者も気付いた、税制を整理して貰ひたいと云てはやはり手が十分付かずしまつて居つた、況んや行政も整理せんならぬと云ふ説もあつたけれども、それも一向着手するに至らず、其中に政治上の変化、如何なる御都合であつたか再び西園寺さんが代つて内閣を組織すると云ふことに相成つたのが、即ち昨年である、此間の経済界の模様を見ますると、前に申すやうに或は四十一年頃には大に公債の下落からして、金融も緊縮すると云ふ有様でありましたげれども四十一年の末からして桂内閣の時分には務めて公債の価格を回復すると云ふやうに務めました為に、寧ろ金利は始終緩漫であつて、金融は緩漫で、金利は低落であつて、敢て商売がそれに連れて大いに進んだと云ふ程ではなかつたけれども、併し先づ変つた変化を生ずると云ふ程のこともなく経過したやうに思つて居ります、四十四年の秋でございましたが、内閣が代つて、偖是から先はどう云ふ方針を取られるかと云ふことが、吾々銀行者仲間ではどうせ此公債の政策を少なくも四十一年に定められた方針を是非継続するやうにしたい、其頃にも桂内閣に望んで居つた税制は是非共整理せねばいかぬ、整理と云ふ言葉が唯単に整理と云ふのは誠に簡単な申分であるが、偖整理と云つて一方は増して一方は減ずると云ふ整理でなくて、詰り大に悪い税と重いものを減ずるところの整理、所謂軽減的整理と云ふことを是非して欲い又行政も随分長い間同じやうな有様に経過して居ると、総て所謂繁文褥礼の弊も段々増して来るし、諸規律も緩んで来るし、大に改革して場合に依つては或は局課に於ても随分節約するとか、改廃するとか云ふやうなことまで出来得るものであらうと云ふやうな希望は銀行者は特に申上げはしませぬけれども、行政は大いに整理して、行政に属する費用を節約なさらなければいかぬ、殊に其頃からして頻りに気遣ひましたのは、段々通貨が増して往く、通貨の増して往くと云ふ事柄が唯単に民間の商売が盛な為に、民聞に対して日本銀行の金融が、大いに力を副へねばならぬ、言葉を換へて云へば、商売上の必要があつて日本銀行が貸出しを余計するから、通貨が余計出ると云ふ方ならまだ宜いけれども、政費の膨脹から出る通貨が頗る多い、大蔵省が、悪く申せば遣り繰りから、兌換券を余計増発すると云ふやうに、若しなるとするならば、従つて是が追々に始終先に金を借りて、兌換準備をして置かんと云ふと、従つて機会に応ずれば従つて求めると云ふやうになつては、遂に基礎が甚だ危くなると云ふ、御説があると云ふやうなことからして、丁度昨年の冬と覚えて居ります、結局御話をしたのは十一月の末でありましたが、其相談を起したのは或は十月でありましたか、私共銀行者仲間、若くは銀行以外の人も打寄つて、是非前内閣に大いに財政の緊縮を切望するが宜からうと、云ふことに詰り一致しまして、遂に井上侯爵などに度々御話をして、結局井上侯爵と御一緒に総理大臣の官邸に出て、銀行者と申すか、或は其時分の私共の友達が十数名の人の意見を取集めたところを以て、財政経済に対する愚見
 - 第56巻 p.641 -ページ画像 
を陳上したことがあります、蓋し其事は其時分には秘密問題として居りましたから、爾来一年を経過しましたが、私共に向つて御話したこともございませぬけれども、其多数の意見は別としまして、其時自分で思つて居つたことだけはもう今日と相成つてはさう秘密に置くこともなからうと思ひますが、多数の申合せた書面には、或は皆と相談せぬで御話することが出来ぬか知りませぬが、自分で思つて居つただけを玆に申述べるのは一向差支なからうと思ふので、今現内閣に対して斯くなすつて頂きたいと云ふことを申したことの二・三を申上げるやうに致しませう。
それは第一に公債の処置は、公債償還基金と云ふものが五千万と云ふことに定められてある、此五千万と云ふものは事に依つて或は海軍等の拡張に廻すとか、或は何にするとか云ふやうな種々の懸念すべき説が多かつたのでございます、為に私共は是非共四十一年に定めたものが漸く公債の価をして稍堅固にせしめたので、其指定めたものを内閣が代ると直ぐ変じてしまふと云ふことは、殆ど信用と云ふものがなくなつてしまふやうになりはしまいか、独り内閣の信用を損ずるばかりでない、海外に向つて大なる信用を損ずることになるから、さなきだに或は公債は大に影響をしまいかと恐れるのに、若し之を動かすやうなことがあつたならば甚だ大事である故に、公債償還の基金と云ふものは動かさぬやうに是非なさらねばならぬと云ふことが重なる問題でございました、それから税制を是非共大いに軽減するの目的を以て整理なさるが宜からう、此事は前の内閣にも経済界の人々は随分希望しましたけれども、不幸にして其事がまだ着手になつたと言はれぬ、是非財政を鞏固にしようと思ふのには、又経済を大に進めて往かうと云ふには、戦争に対して俄に極めた租税は決して完全なる租税と云へぬから、之を大整理する方が宜からう、行政の整理と云ふことは既に現内閣が組織されると一の目的に持つてござると云ふことであるけれども、是は余程強い意見を以て御整理あるやうにしたい、唯単に或る事務を変更するとか、或人を更迭するとか云う小整理でなしに、各省に十分及ぼして大なる整理をしたならば必ず今日の場合行政に付て十分なる減却がなし得られるであらう、兌換の基礎がどうも今日のところでは、鞏固と云はれぬ、詰り今申すやうに行政を整理し、税制を整理し、国費を減ずることを務めれば、大いに兌換の基礎は鞏固になるであらうけれども、併し今の金貨の出入が独り貿易上のみに適切に見へるものではない、それ以外に相当なる調査をして置かなければならぬものだから、唯安全と云ふ方ばかり計つて余り不急な予備を考へると云ふことを求める訳にいかぬ、又それは宜くない、けれども若し是が俄に斯る有様になると云ふやうな急激な変のないやうに前以て十分なる注意して、兌換制度が若し動くと云ふことであつたならば、日本の財政に対し経済に対して大なる危険であらうかと思ふから余程注意をなさらなければならぬと思ふ、差向いて例へば博覧会と云ふものがあるとか、若くは議場を建築すると云ふことがあるとか、さう云ふやうな事柄は玆に速に行はうとすると大なる費途も亦加るであらうけれども、決して是等がどうでも宜いと云ふことはなからうが、併し財政を
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緊縮にしようと云ふ以上は、此場合どうしても御取止めなすつた方が宜からうと思ふ、詰り云へば、期限を定めず延期になすつて置いた方が宜からうと思ふ、どうも此の今日の姿ではどうしても貿易が甚だ不権衡で、輸出が始終輸入に負けて居る、負けるのみならず、甚しきは一億以上も輸入超過を来すと云ふやうなことは、詰り内地の諸式の諸物価の甚だ騰上するに基因するので、其の物価の騰上の原因は学理上から研究しても実際上から考へて見ても、種々の原因があらうけれども、通貨の多いと云ふことゝ、租税の甚だ苛重であると云ふことは、其の主因たることを免れぬと思ふ、故に其の根源を絶つと云ふことに前の廉々が必要であるが、唯一方に之を防ぐと云ふばかりでなく、輸出を盛にすることを務めなければいかぬ、輸出を盛にすると云ふ方のことに付ては、或る各種の事業に付いて輸出関係のものには務めて其輸出に便宜を与へることを求め、又輸入に対しては同じ割合ならば海外のものに依らぬやうに、官府のものは勿論官に関係せぬものでも、政治上力の届き得るものは務めてさう云ふことにせねばいくまい、爾来官業が頻りに進んで居る嫌いがある、場合に依るとまだまだ官業を殖すと云ふ有様にまで懸念される、今日の事柄が残らず官業を止めると云ふことは或は出来ぬか知らぬけれども、或は製鉄に、製絨に、製糸に重なる事業で官業に属して居るものが大分ある、是等の種類も良い方法を設けて往つたならば、之を民業に移し得ることが必ず出来ぬことでなからうと考へる、官たるものが必ず事業を一切して悪いと云ふことでないか知らんけれども、斯の如く是も官業、あれも官業と云へば、詰り国民の事業は追々疲弊に陥りはしないか、殊に或る仕事は或る場合に利益あると云ふが、其利益は利息を見ねば地代も見ず、租税も負担せぬと云ふから起る利益が甚だ多いものであらうと思ふ、さすれば事実は利益でないので、国から論ずると余計なことをする訳になるから、さうして民業を却て妨害し、経済を悪くすると圧迫することになる、此官業も務めて止めるやうに方針を取りたいものである、多分私が今申上げたのは七つになると思ひます、其七つの箇条を以て頻りに意見を備へまして、それに対して此箇条は斯うありたい、此箇条は斯う云ふ理由からと云ふので十一月の二十日の晩でございました井上侯爵と共に私は総理大臣の邸に出て、さうして今申すやうな意見を陳上したのでございます、最早一年も経過しましたから、其仕事が果して皆同じやうな有様にあるかないかと云ふことはちよつと申上げ兼ねますけれども、併し一・二のことは申上げたことが行れたやうに見へますが、総てのことが完全に行れたとは云へぬ、況んや近頃の様子で拝見しますと、軍備拡張などに付ては或は私共の希望が丸で反対の有様になりはしないかとまで懸念されるのでございます、甚しきは行政整理が陸軍・海軍には別に中央から及ぼさないで陸軍は陸軍で整理する、其整理して残つた金を以て師団を増すなどと云ふ説まで承りますけれども、若し果してさう云ふことであるならば、殆んど各省割拠と云ふやうになりはしないか、まさかさう云ふことは万々なからうと思ひますけれども、世間はさう云ふことを言ひ囃す、甚だ憂慮に堪へませぬ次第であります、故に丁度追々に予算の時期にも向ひますや
 - 第56巻 p.643 -ページ画像 
うであり、兎角さう云ふ評判が私共甚だ気遣はしくございますから、敢て己が之を求める権利があるでもなければ言はなければならぬ義務があるでもございませぬけれども、昨年苦心の余り右のやうなことを申上げました沿革から、井上・松方両侯爵などは敢て当局でござらぬけれども、従来御親しくして居りますから、昨年の御話以来時々出てさう云ふことを申上けてございます、所が頃日来松方侯爵は細かい数字を以て私共に御示しはなかつたやうですが、私に言ふには、君方の説以上に吾々は経験が多いからもう一層強い財政の緊縮を是非求めねばならぬ、必死に力を尽す積りである、自分は自分として尽し、井上さんにも勧めて是非井上さんにも尽して貰ふ、渋沢は渋沢として十分一つ尽すことを願ふと云ふことでございました、旁々私共さう云ふ御方々と共に御話する位置ではございませぬ、私は私として昨年大勢寄つて書面を以て御話してあるから、又同じことを繰返すに及ばぬと思ひます、自身一個人として、総理大臣に出て昨年斯の如き書面を出してある、一・二は行はれてあるから一切御採用がないとは云はれぬけれども、総ての廉々が爾来安心とは思へませぬ、時代は尚ほ其要求が強くなつて居ると思ひます、と云ふのは公債も其時分から見ては大分不景況に陥つて居る、一般の財政経済も決して或る種類のものが総て衰微するとか頽廃と云ふ程でございませぬが、或る事業に付ては紡績工場は大に儲かるとか、運送は陸運も海運も相応にあると云ふ、或る部分が景気が悪いとばかり申せませぬけれども、併し諸式の高いこと輸出入の不権衡、是等の廉々は昨年と今年と更に進むとも宜いとは申せませぬ、故に昨年の箇条の行へぬことだけは是非行はなければならぬと思ひますから、只管左様あることを希望仕ると云ふことを申上げ置きました、必ず屹度するとも、出来ぬとも能う御答は得ませぬが、唯気付を呈したに過ぎませぬけれども、是は私一個人の説で力が弱いから已むを得ぬことである。
自身の目前の経済界に対する希望は先づ前来陳上したところで、大低大概を尽したやうに思ひますので、幸に各地御集りの商業会議所の諸君が私共と説を同うして頂いて、仍て以て多数の力に依つて私共の希望が大に拡張されて、当局者の容るゝ所となりましたならば、財政も是より一部の回復をし得るであらうと思ふのであります、又さうなければなるまいと只管憂慮致しますのでございますで、どうぞ諸君にも十分の御力添のことを希望して已みませぬ、経済財政に対する悲観説と云ふより外ないのでございませうが、私の愚見は先づ前来陳上した通りでございますで、若し何等かの御参考に相成りましたら私は此上もない幸福に存じます。