デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

補遺・追補

1章 補遺
節 [--]
款 [--] 5. 豊国会
〔第二編 第二部 第八章其他ノ公共事業 第一節記念事業〕
■綱文

第56巻 p.653-656(DK560146k) ページ画像

明治29年7月(1896年)

是月、京都阿弥陀ケ峰ノ豊臣秀吉ノ墳墓ヲ修理シ、明治三十一年ヲ期シテ三百年祭ヲ挙行セントノ趣旨ノ下ニ、豊国会設立セラル。栄一ソノ評議員トナル。


■資料

東京経済雑誌 第三五巻第八六七号・第四二八―四二九頁 明治三〇年三月一三日 ○豊国会(DK560146k-0001)
第56巻 p.653-654 ページ画像

東京経済雑誌  第三五巻第八六七号・第四二八―四二九頁 明治三〇年三月一三日
    ○豊国会
豊公廟所規模拡張の目的を以て起りたる豊国会は、去る六日午後二時より帝国ホテルに府下有力の実業家数百人を招き、同会拡張の事を相談せり、当日来会の人々は渋沢栄一・中上川彦二郎・安田善次郎・岩
 - 第56巻 p.654 -ページ画像 
崎弥之助・米倉一平・大江卓等、何れも有力なる実業家数百名なりき


豊国会趣意書 第一〇―二六頁 明治三〇年七月刊(DK560146k-0002)
第56巻 p.654-656 ページ画像

豊国会趣意書  第一〇―二六頁 明治三〇年七月刊
    豊国会趣意書
其功勲威烈ハ国家ノ青史ニ伝ヘ、国民ノ記臆ニ銘シテ千載ニ不朽ナルニ係ラス、其永眠ノ墳墓ハ枯草断煙ノ間ニ在リテ憑弔ノ香華タニ稀ナルハ、抑々之ヲ何トカ言ハン、謹テ案スルニ贈正一位前関白太政大臣豊臣秀吉公ハ慶長三年八月十八日ヲ以テ山城国伏見城ニ薨セラレ、京都阿弥陀峰ニ葬ラレテ豊国大明神ト追崇セラレ給ヒキ、元和大阪ノ役ニ豊臣氏ノ亡フルヤ、其神号ヲ止メラレ、阿弥陀峰ノ塋域ノ如キハ存廃ヲ自然ニ任セ、爾来二百六十余年間ハ縉紳侯伯多クハ其墳墓ニ詣拝セル者無ク、僅ニ僧侶ノ手ニ依リテ其遺蹟ヲ存シタリキ、明治維新ノ初
朝廷首トシテ公ノ功勲ヲ追賞セラレ、東山ノ祠ヲ再興シテ以テ之ヲ別格官幣社ト為シ、公ノ英魂ヲシテ永ク後世ニ廟食セシメラレヌ、但シ阿弥陀峰ニ至リテハ依然旧ノ如ク荊棘巓ヲ蔽ヒ、草蕪墳ヲ鎖シテ今日猶未タ其観ヲ改ムルヲ得サルナリ、苟モ一タヒ此地ニ到リテ公ノ英魂ヲ弔スルモノ、誰カ此状況ヲ目撃シテ悲歎ノ涙ヲ灑カサランヤ、夫レ公ノ事蹟タル素ヨリ余輩カ頌揚スルヲ俟タス、元弘以降二百六十年間ノ紛乱ヲ戩定シテ全国ヲ統一シ、心ヲ
皇室式微ノ秋ニ致シ、力ヲ撥乱反正ノ業ニ竭シ、遂ニ
皇威ヲ東洋ニ発輝シ、国光ヲ海外ニ宣揚セラレタルコト余輩日本国民タルノ分ニ於テ須臾モ之ヲ記憶ノ外ニ措クコト能ハサルナリ、今ヤ外交複雑シテ国威益々拡張スベキノ期ニ当リ、公ノ英霊ニ藉リテ愈々国民尚武ノ気風ヲ奨励センハ、余輩カ切望ニ堪ヘサル所ナリ、然ハ則チ公ノ為ニ其塋域ヲ修築センコト、今日実ニ為スヘキノ時ニアラスヤ、幸ニ来ル明治三十一年ハ公カ三百年祭ニ相当スルヲ以テ今ヨリシテ修築ノ工ニ着手シ、此年ヲ期シテ其功ヲ竣メ、一大祭典ヲ執行シ、全国一般ノ欣慕ヲ表シテ以テ公ヲ地下ニ慰メント欲ス、然レトモ此事タル余輩一個ノ私力ニ依藉スヘキニアラス、須ク全国有志ノ諸君ト倶ニ同心戮力シテ大成ヲ期スヘキナリ
冀クハ同門名族及余輩ト同感ノ諸君ハ、速ニ此挙ヲ賛成シテ、豊公阿弥陀峰墳墓修築ノ功ヲ全カラシメヨ、謹テ此由ヲ普ク有志ノ諸君ニ告クト云爾
    豊国会規約
第一条 本会ハ明治三十一年ヲ期シ京都阿弥陀峰豊太閤ノ墳墓ヲ修理シ、之カ保存ノ道ヲ設ケ、並ニ同年ニ於テ三百年祭ヲ挙行スルヲ以テ目的トス
第二条 本会ヲ豊国会ト称シ、事務所ヲ東京及京都ニ置ク、但事務ノ便宜ニ依リ出張所ヲ他ノ地方ニ設クルコトアルヘシ
○中略
第五条 本会ニ左ノ役員ヲ置ク
  会長             壱人
  評議員            若干人
 - 第56巻 p.655 -ページ画像 
  事務員            壱人
  委員長            若干人
  委員             若干人
○中略
  明治二十九年七月
    設計要旨
阿弥陀峰ニ於ケル豊公廟所ノ工事設計ヲ為スニ就テハ大体左ノ主旨ニ基ク
 第一 建設物ハ力メテ繊弱細巧ノ趣致ヲ避ケ、雄大簡明ノ体裁ヲ具フルコト
 第二 建設物ハ総テ永遠ニ保存シ得ヘキ範囲内ニ於テ之ヲ計画シ、後世頽廃ノ憂ナカラシム
 第三 建設物ハ廟所トシテ必須闕クヘカラサルモノノミニ止メ、他ノ附属品的装飾物ハ之ヲ省略ス
以上ノ主旨ニ依リ設計セシモノ左ノ如シ
○中略
      建設物
        墓表
墓所ハ本案主要ナモノニシテ、最モ鄭重ノ装置ナカル可ラス、依テ考フルニ、中世ヨリ豊公時代ニ至ルノ墳墓ハ専ラ五輪ノ石塔婆ヲ用ユ、豊公自ラ総見院殿ノ為メニ作リシモ亦此形状ナリ、徳川時代ニ至リテモ其形状ハ猶五輪若クハ宝篋印塔式等ヲ用ヒ、徳川宗家ニ於テ多ク多宝塔式ヲ採リシカ如キハ、特種ノ区別ヲ立テンカ為メナルヘキノミ、故ニ豊公廟ハ古例ニ依リ五輪形ヲ存シ、徳川式ニ則ラス、極メテ之ヲ雄大ニシ、以テ後世繊巧ノ趣致ト分タントス、現今ノ設計ニ依レハ、其高サ地盤ヨリ三丈ニシテ、古来五輪塔中ノ最モ壮大ナル者トス、阿弥陀峰上老樹鬱葱ノ間ニ屹立シテ雄偉ノ観ヲ呈スヘキ也
玉垣ハ方十間ニ回ラシ、其石階ノ如キ務メテ壮重ノ観ヲ増サン為メニ正道ハ之ヲ墓前正面ニ設ケ、現今ノ迂道ハ独リ祭祀灑掃等ノ便ノ為メニ之ヲ存セントス
        拝殿
○中略
        手水屋
○中略
        御供所並廟務所
○中略
        唐門
○中略
        鳥居
○中略
      経費概算
一金拾万円也        建築費
一金弐万円也        土工費
一金壱万円也        大祭費
 - 第56巻 p.656 -ページ画像 
一金七千円也        事務費
一金七千円也        募金費
一金弐千円也        製牌費
一金弐千円也        待遇費
一金弐千円也        印刷費
  合計金拾五万円
 外金弐万円        保存費

豊国会会長 侯爵 黒田長成
評議員   公爵 近衛篤麿 侯爵 蜂須賀茂韶
      侯爵 山県有朋 侯爵 伊藤博文
      侯爵 西郷従道 侯爵 大山巌
○中略
         渋沢栄一
○下略