デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

補遺・追補

2章 追補
(既ニ款・項目ヲ定メテ収録セルモノヘノ追加)
節 [--]
款 [--] 2. 株式会社六十九銀行
〔第五巻・第五十巻所収〕
■綱文

第56巻 p.689-692(DK560157k) ページ画像

明治38年7月11日(1905年)

是年六月、第一銀行ハ新潟支店及ビ長岡出張所ヲ廃止シ、業務ヲ当行ニ譲渡ス。是日栄一、新潟行形亭ニ於ケルソノ披露宴ニ出席シ、挨拶ヲ述ブ。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三八年(DK560157k-0001)
第56巻 p.689 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三八年     (渋沢子爵家所蔵)
二月五日 晴 風ナキモ寒威強シ
○上略 松井吉太郎氏来ル、新潟支店ノ事ヲ談シ、岸宇吉氏会談ノ事ヲ伝言セシム
○下略
二月六日 晴 寒強シ
○上略 正午第一銀行ニ於テ午飧シ、六十九銀行岸宇吉氏来ル、新潟支店ノ事ヲ内話ス ○下略


渋沢栄一書翰 松井吉太郎宛 (明治三八年)三月一四日(DK560157k-0002)
第56巻 p.689-690 ページ画像

渋沢栄一書翰  松井吉太郎宛 (明治三八年)三月一四日   (松井三郎氏所蔵)
拝啓 益御清適奉賀候、然者先頃御出京之際御内話申上候第一銀行新
 - 第56巻 p.690 -ページ画像 
潟支店を長岡六十九銀行ヘ譲渡之一案ニ付而ハ、其後、岸氏より再度佐々木氏まて来状も有之、且此程小畔亀太郎出京ニて、老生も今日面会之上篤と先方之意見承合申候処、到底貴台と佐田と共々同行ニ引譲呉候様との企望ニて、もし右人員ニ於て成就せされハ支店のミ引受候とも致方無之と申位相考居候趣ニ御坐候、尤も来月ハ岸氏出京之上ニて諸事確定之運ニ致度由小畔申居候、右ハ既ニ貴台ヘも御内話之事と存候得共一応御含ニ申上候
○中略
  三月十四日
                      渋沢栄一
    松井吉太郎様
           梧下


渋沢栄一書翰 松井吉太郎宛 (明治三八年)四月一日(DK560157k-0003)
第56巻 p.690 ページ画像

渋沢栄一書翰  松井吉太郎宛 (明治三八年)四月一日   (松井三郎氏所蔵)
過日一書差上候処早速御回答被成下拝承仕候、然者先頃岸氏ニ内話いたし候第一銀行支店を六十九銀行ニ引譲候一案ハ、貴台之御一身も共共決定致度と岸氏及小畔とも懇切之企望ニ付、兼而貴台御出京之際大体ニ於てハ老生と佐々木とニ御任せ被成候趣承知罷在候次第ニ付、即小畔氏ニハ佐々木氏より夫々申談し、略相談相進候義ニ御坐候、就而ハ貴台ニも御決意被成、向後六十九銀行之為充分之御精励有之度候、尚委細ハ其中御出京ニも相成候ハヽ、拝光縷陳可仕候、右再応申上度一書得御意候 敬具
  四月一日
                      渋沢栄一
    松井吉太郎様
           梧下


渋沢栄一書翰 松井吉太郎宛 (明治三八年)六月二四日(DK560157k-0004)
第56巻 p.690-691 ページ画像

渋沢栄一書翰  松井吉太郎宛 (明治三八年)六月二四日   (松井三郎氏所蔵)
爾来益御清適抃賀之至ニ候、然者過日尊書ニても御申越相成候此度第一銀行支店引揚ニ付而ハ、新潟長岡ニ於てハ地方重立候人々に案内し従来世話ニ相成候挨拶として宴会相開き、其席ニハ拙生罷出、一応之謝詞申述候方可然との御考之由、御手紙ニても縷々御申出有之、且此程渡辺嘉一氏出京面会ニて御伝言詳細承及申候、其際ハ佐々木氏病気転地療養中ニ付確乎としたる御返答不申上候得共、両三日前同氏も快方帰京せられ、右来示ニ付相談候処至極尤之事と申義ニて、拙生出張と相談仕候、就而ハ来月上旬中ニて貴方之御都合如何ニ候哉、当方ハ七月七日ハ商業学校之卒業式ニ付是非其式ニハ出席を要し候間、其翌日位より罷出申度候、然る時ハ長野ニ一泊候とも九日ニハ新潟ニ罷出候様可相成と存候、貴方宴会之時日及御案内申上候人々之都合、又ハ拙生罷出候て何様之趣意申述候て可然歟、夫是御考被下早々御申越可被下候、渡辺氏ヘハいまた何日頃出張と申事ハ回答不致候、御回答次第打合候積ニ御坐候
宴会ハ新潟丈ニて長岡之方ハ当方より案内ニハ不及候哉、併六十九銀行抔より案内も有之候哉と存候、右等も御打合可被下候
 - 第56巻 p.691 -ページ画像 
品ニ寄拙生ハ家内も同行いたし、例之善光寺参詣を兼候旅行ニ致候積ニ御坐候、是又御含ニ申上候 匆々不一
  六月廿四日
                      渋沢栄一
    松井吉太郎様
           梧下
 尚々北越鉄道会社之監査役ハ、鍵富老人ニ依頼候事ニ相成候由、重畳之義ニ御坐候、右ニ付過日御申越之件々ハ拝承仕候也


渋沢栄一書翰 松井吉太郎宛 (明治三八)六月三〇日(DK560157k-0005)
第56巻 p.691 ページ画像

渋沢栄一書翰  松井吉太郎宛 (明治三八)六月三〇日   (松井三郎氏所蔵)
再度之貴翰拝読仕候、然は老生貴地ヘ罷出候時日ハ七月八日東京出立ニ致候ハヽ、貴方ハ十一日頃ニ新潟ニて宴会を御開被成度云々拝承仕候、大概右ニて差支無之と存候得共、御聞及之如く小村外務大臣来月四日頃出立せられ米国ニ御越と申事ニ付、模様ニより其為メ時日之変更相願候義可相生歟とも被存候、併右ハ両三日中ニ確乎取極リ得可申と存候間、遅くとも七月三・四日まてニ尚確定之時日申上候様可仕候御含可被下候
第一銀行より貴兄ニ対する御待遇之事ハ不充分なから永年之御勤労ニ酬ゆる義ニ付、いつ迄も親密之関係相存し候様企望之至ニ候、尚近日発途時日確定之際更ニ一書申上候積ニ候得共、不取敢御答如此御坐候
                            不一
  六月三十日
                      渋沢栄一
    松井吉太郎様
           拝答


第一銀行史下巻 同行編 附録・第一七九頁 昭和三三年七月刊(DK560157k-0006)
第56巻 p.691 ページ画像

第一銀行史下巻 同行編  附録・第一七九頁 昭和三三年七月刊
明治三十八年(一九〇五年)
○上略
六・二〇 新潟支店及ビ長岡出張所を長岡六十九銀行に譲渡
○下略
   ○右ハ刊行ニ際シテ追補ス。


(八十島親徳) 日録 明治三八年(DK560157k-0007)
第56巻 p.691 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治三八年   (八十島親義氏所蔵)
七月八日 晴
○上略
男爵ハ令夫人ヲ伴ヒ、愈明朝六時半王子発ニテ新潟ニ向ハルヽ筈、第一銀行新潟支店閉鎖六十九銀行ヘ引継ニツキ、地方官民ヘ句切的挨拶ノ為メノ旅行ニテ、往復五・六日ノ筈ナリ ○下略


渋沢栄一 日記 明治三八年(DK560157k-0008)
第56巻 p.691-692 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三八年     (渋沢子爵家所蔵)
七月十一日 晴 南風
○上略 午後五時行形亭ニ抵リ、当方ト六十九銀行ト共ニ開催セシ宴会ニ出席ス、蓋シ引揚ニ関スル謝意ト、開店ノ披露ト相共同シテ開宴セシ
 - 第56巻 p.692 -ページ画像 
ナリ、此日市中 ○新潟ノ商工業者会スル者七十有余名ナリ、席定マリテ松井・長部ヨリ一応ノ挨拶アリ、最後ニ於テ此閉店ト開店トノ顛末ヨリ将来銀行者ノ取ルヘキ方針マテ詳細ニ演説シ、夫ヨリ盃酒雑沓シテ夜十時宴散シテ帰宿ス
   ○中略。
七月十四日 晴 清暑
午前七時起床、朝飧後二・三人ノ来人ニ接シ、八時六十九銀行ニ抵リ重役一同ヲ会シテ将来ノ経営ニ関シテ訓戒的意見ヲ述フ ○下略


渋沢栄一書翰 松井吉太郎宛 (明治三八年)七月二一日(DK560157k-0009)
第56巻 p.692 ページ画像

渋沢栄一書翰  松井吉太郎宛 (明治三八年)七月二一日   (松井三郎氏所蔵)
貴翰拝読、益御清適御坐可被成奉賀候、過日貴地罷出候際ニハ容易ならさる御世話ニ相成、殊ニ種々御奔走被成下難有奉存候、長岡ニ於て少々時気ニ感し候為、別而御心配相掛恐縮之至ニ候、出立之日より全く平日之通と相成、帰京後も異状無之勤務罷在候、御省念可被下候
新潟長岡等ニて度々地方之人々ヘ教訓的之談話いたし、其上長岡ニてハ岸・小畔両氏ヘハ其欠点まて指摘して彼是申述候為、其感情如何と懸念候処、老生之衷情充分了解せられ候由、大ニ安心仕候、尚此上とも貴台より冝敷御伝声可被下候、帰京後本店ニ於て佐々木氏始一同へも申通し、皆満足之旨申居候
県知事其外鍵富老人抔ヘも御挨拶被成下候由拝承仕候、其中御逢も有之候ハヽ御致声頼上候
右不取敢拝答如此御坐候 匆々不一
  七月廿一日
                      渋沢栄一
    松井吉太郎様
            拝答
   ○本資料第四巻所収「株式会社第一銀行」明治三十八年五月二十日ノ条参照。明治三十八年七月栄一ノ新潟出張ニ関スル書翰・日記ハソノ経緯ヲ示スタメ第四巻既収ノモノモ収録セリ。



〔参考〕渋沢栄一 日記 明治四二年(DK560157k-0010)
第56巻 p.692 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四二年      (渋沢子爵家所蔵)
五月二十九日 晴 暑
○上略
午前七時松井吉太郎・長村松三郎二氏来《(長部松三郎)》リ、六十九銀行ヨリノ謝詞ヲ述ヘ金員物品ヲ送与セラル
○下略
   ○中略。
六月一日 半晴 暑
○上略 七時半浜町常盤屋ニ抵リ、六十九銀行ヨリノ招宴ニ出席ス、第一銀行ノ諸氏多ク来会ス、余興アリ午後九時散会 ○下略