デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

3部 身辺

1章 家庭生活
1節 同族・親族
1款 同族
■綱文

第57巻 p.5-10(DK570001k) ページ画像

明治43年12月16日(1910年)

是日、栄一三女愛子、明石照男ニ嫁ス。


■資料

青淵先生子孫一覧(DK570001k-0001)
第57巻 p.5 ページ画像

青淵先生子孫一覧       (渋沢子爵家所蔵)

 三女
 愛
  母ハ後配伊藤氏、明治二十三年七月二十四日生、実ハ五女ナリ、明石照男ニ嫁ス
   長女
    静子
     明治四十四年十一月二十四日生、大正五年十二月三十一日逝
   長男
    景明
     大正二年三月十一日生
   二男
    春雄
     大正四年一月一日生
   三男
    正三
     大正六年二月十六日生
   四男
    義雄
     大正八年二月五日生
   二女
    百子
     大正十年九月二日生
   五男
    君夫
     大正十二年十二月二十八日生
   六男
    謙六郎
     大正十五年四月二十六日生、同年五月一日逝
   七男
    武和
     昭和二年七月十九日生
   三女
    喜久子
     昭和六年二月二十二日生

   ○本資料第二十九巻第五七頁「青淵先生子孫一覧」案文参照。


(八十島親徳) 日録 明治四三年(DK570001k-0002)
第57巻 p.5-7 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治四三年   (八十島親義氏所蔵)
十一月廿三日 半晴 新嘗祭
朝、明石照男氏欧洲ヨリ新橋ニ帰着ヲ出迎フ、渋沢同族ヲ始メ出迎人多シ、愛子嬢ハ勿論也 ○下略
   ○中略。
十二月一日 晴
 - 第57巻 p.6 -ページ画像 
今日ハ晴トナル、昼前出勤、愛子嬢・明石照男氏トノ結婚ハ愈々来十六日ト決定ニ付、午後篤二氏ト打寄リ諸事下調ニ着手ス ○下略
   ○中略。
十二月六日 晴
○上略 兜町出勤、若主人氏 ○渋沢篤二ト来十六日以後結婚祝宴人名等打合、招待状発送ノ手順等多忙也 ○下略
   ○中略。
十二月十日 晴
○上略
今夜飛鳥山男爵夫人ヨリ直接電話ニテ、来十六日結婚式ノ節縁女殿介添タラン事ヲ徳子ニ依頼アリ、相談ノ上御受ノ返事ヲ為ス
十二月十一日 日曜 快晴
連日寒威盛也、今日ノ日曜ハ王子訪問ノ事ニシテ十時出テ、例ノ山ノ手線利用行程一時間十分位ニテ同邸ニ至ル、結婚式ノ準備ニテ種々多忙ノ様子、祝物到来、祝賀客来訪等引キモキラズ、十七日以後三日間ノ祝宴ハ夕ナリシヲ、時節柄ノ寒ムサ且遠路故再案ノ上昼間ニ改定ニ付、再応通知状等ノ手配ヲ為ス
帰路明石氏新宅立《(ニ脱)》ヨル、悉皆出来上リ中々日当リヨキ邸也、只何トシテモ東京トノ往復ニ不便ラシキノミヲ欠点トス、目下植木屋大勢ハイリ居ル ○下略
   ○中略。
十二月十五日 晴
愛子令嬢ノ結婚式モ愈明日トナリシニツキ、諸準備打合ノ為メ午前十一時ヲ期シ王子邸ニ集合ス、若主人ヲ始メ尾高・増田・上田・石川等皆集会シ、日比谷太神宮ヨリ中西氏来会、式場ノ飾付、式場坐席ノ位置其他ノ打合ヲ為ス、表坐敷中庭一盃ニ差掛ヲ作リ、諸家ヨリノ祝品ノ陳列、明日配付スキ祝儀金、車夫ノ手当類ノ調製、携帯品預リ所ノ準備等夫々相整タル上夜十時帰宅ス
十二月十六日 晴夜一時通リ雨
今朝ハ六時起、徳子ハ兼テ依頼ヲ受ケシ如ク介添人トシテノ支度 ○中略 ヲナス、綱町渋沢若主人氏ノ好意ニテ王子ノ自働車ニ陪乗スルコトヽナリ、七時自働車来着、予夫婦之ニ打乗リ綱町邸ニ至リ、暫時待チ、御夫婦ト同乗王子ヘ八時五十分着(行程三十分)
式場タル御表坐敷床ノ間ニハ青淵男爵ノ揮毫ニ係ル天照皇太神ノ掛幅ヲカケ、左右ニ榊、中央ニ神饌案ヲ備ヘアリ、他ハ清掃シテ何物ヲモ飾ラズ、九時ヨリ明石照男氏及親族、媒妁人タル岩崎久弥男・松崎蔵之助氏両夫婦・渋沢家親族ノ人々等来着、十時ヨリ厳粛ニ式ヲ行フ、縁女ハ白ノムクニ綿帽子、白ノ打掛ニテ盃事、次ニ親類盃ノトキハ更ニ着換ヘラレタリ、十一時半式終リ、〇時半ニハ来会ノ親族ヲ表坐敷ト居間ニ分ケ祝宴開カル、常盤屋支出《(仕)》ノ本膳、引物ハ菓子及鰹節青籃入、余興ハ長唄・狂言及仕舞、又式中ニ梅若ノ謡曲ヲ行ハシム
四時半御開キトナリ、更ニ五時ヨリ残リノ親族五十余名之レ亦二席ニ分チ、余興ハ円喬ト三曲及芸妓ノ踊、新夫婦ハ八時過馬車ニテ明石家ヘ向退出セラレ、来客ハ九時過一切相開カレ、玆ニ目出度結婚式当日
 - 第57巻 p.7 -ページ画像 
ノ万事結了セリ ○中略
男女共手伝人数十人中々賑ハシキコトナリシ、予ハ尾高氏ト共ニ総務委員トシテ万事ニ心配シ、殊ニ式場ノ監視、祝宴坐席配置、来賓ノ送迎等ニ尽力ス、増田・石川両氏必死ニ働キ、殊ニ一切ノ会計事務其他実務ニ努力セリ、他外来者ハ玄関ノ辺ニテ送迎等即席其日限リノ用務ヲ担当ス
十二月十七日 晴
早朝雪ヲ催フシ引続キ雨、夜九時ヨリ晴ル、十一時王子邸ニ至ル、本日昼祝宴トシテ男爵知人五十名計招カル、媒妁人岩崎男始メ大倉・高木・浅野・添田等筆頭也、余興ハ三曲・能及芸妓ノ踊、四時半解散、昨夜百事好都合ニ挙行、今日モ亦無滞相済ミ、男爵始欣喜ノ色ヲ示サル ○下略
十二月十八日 晴 日曜
九時半ヨリ出カケ王子邸ニ至ル、今日昼ハ懇意向第二流ノ人々タトヘハ清水方一同、諸井一家、其他竜門社評議員ナドノ人々凡五十名ノ招宴アリ、余興ハ長唄・狂言及小三ノ落語等、五時解散、之ニテ三日間ノ祝宴ハ無滞終了、但尚明日ハ里開、之ト同時ニ三日間ニ溢レタル人人ノ招宴アリ○下略
十二月十九日 曇後晴
○上略 午後王子邸ニ至ル、今日ハ招客ノ最終日ニシテ里開ノ宴トシテ両媒妁人及双方重ナル親戚招待、外ニ懇意門下ノ人々前日招キ残リノ分十余名招待、余興ハ小三ノ落語、新橋お夏ノ素踊ト、女優生徒ノ演劇(結婚反対倶楽部)及ダンス三種、中々目先ノ変リタル余興ニシテ一入ノ興味アリ、今日ハ余等モ被招待者ノ一員トシテ席末ニ列ス ○中略
結婚式以来四日間ノ宴会モ無事相済ミタリ、予モ尾高氏ト共ニ総務委員トシテ前々来ノ準備ヨリ、殊ニ四日間ノ継続シタル実務ニ従事シ、朝夕ノ往復ニ風モ引カズ、無事勤メ上ゲ一大安心ヲ為セリ、実地ノ仕事ニ就テハ増田・石川両人大車輪ニテ非常ニ勉強セリ


竜門雑誌 第二七一号・第五二―五三頁 明治四三年一二月 ○青淵先生第三令嬢の結婚(DK570001k-0003)
第57巻 p.7-8 ページ画像

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(八十島親徳) 日録 明治四四年(DK570001k-0004)
第57巻 p.8 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治四四年   (八十島親義氏所蔵)
三月廿五日 曇
○上略 兜町ヘ出勤、午後来月九日明石氏結婚披露園遊会ノ件ニツキ、次長モ来臨一般計画ニツキ評議ヲ凝ラシタリ ○下略


渋沢栄一 日記 明治四四年(DK570001k-0005)
第57巻 p.8 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四四年     (渋沢子爵家所蔵)
四月四日 晴 軽寒
○上略 午飧後増田明六来リテ、来ル九日披露会ニ関スル手続ヲ協議ス
○下略


(八十島親徳) 日録 明治四四年(DK570001k-0006)
第57巻 p.8 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治四四年   (八十島親義氏所蔵)
四月四日 曇
○上略 次長尾高・増田等ト共ニ九日園遊会ノ準備向等多忙 ○下略


渋沢栄一 日記 明治四四年(DK570001k-0007)
第57巻 p.8 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四四年     (渋沢子爵家所蔵)
四月九日 晴 軽暖
○上略 今日ハ明石照男ト愛子トノ結婚披露ノ為メ園遊会ヲ開催スル筈ニテ、朝来庭園室内共ニ準備ニ忙シ、正午食事ヲ為シ衣服ヲ更メ、二時前ヨリ洋室ニ於テ来客ヲ迎フ、会スル者六百名余、女優演劇・太神楽等ノ余興アリ、午後五時一同立食場ニ入リ、食事畢テ、媒妁岩崎男ヨリ披露ノ詞アリ、次テ余モ一場ノ謝詞ヲ述ヘ、高橋男爵ヨリ一同ヲ代表シテ丁寧ナル答詞アリ、六時過宴散シテ一同散会セリ


(八十島親徳) 日録 明治四四年(DK570001k-0008)
第57巻 p.8-9 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治四四年   (八十島親義氏所蔵)
四月九日 晴 暴風 但朝夕小雨
此日ハ明石照男氏ト渋沢愛子嬢トノ結婚披露園遊会ヲ王子邸ニテ催サルヽ当日ニ付、天気ヲ気遣ヒシニ、幸雨ハ降ラザリシモ稀有ノ暴風砂塵ヲ捲キ ○中略 カヽル天気ナリシモ幸ニ雨フラズ園遊会ニハ来会者モ予定ヨリ減セス、諸事好順序ニ相済ミ、予等幹事ノ任ニアルモノハ大ニ仕合シタリ、此日予ハ九時半先方着、終日奔走、此日ノ趣向ハ新郎新婦及其両親四氏ト共ニ洋室内ニテ来客ヲ受ケ、客人ハ直ニ庭園ニ導ク庭ニハ日本酒店(常盤屋ノ煮込)二ケ所、ビール店二ケ所、シトロン店一ケ所、紅茶及瓦斯焼菓子店一ケ所ヲ設ケ、尚茶室及中段茶屋・盆栽吾妻屋ニ抹茶及煎茶ヲ設ケ、各店ハ掛リ員監督ノ下ニ大小芸妓四十余名ヲ分割添付セリ、余興ハ庭ニ楽隊及ヒ丸一大神楽アリ、室内舞台ニハ帝国劇場附属女優ノ演劇熊野及三太郎、其幕合ニ北村季晴ノ合奏等ノ設アリ、来客ハ男五百人・女百人(案内セシ男女千百人)、婦人客ハ多ク室内ニ上リ演劇ヲ見ル、午後五時過劇終ルト共ニ、丸庭ニ仮設シタル食堂内ニ設ケタル立食場ニ導ク、此食堂ハ屋根ハテントナレトモ床ヲ張リテ呉蓙ヲ布キ立派ニ出来、来客ニ一ノ御馳走タルヲ失ハズ、立食ハ東洋軒ニ命ス、宴酣ナルノ頃、媒妁岩崎男ヨリ披露、渋沢男ヨリ挨拶アリ、続テ石黒男ノ発議ニヨリ高橋是清男ノ祝詞祝盃アリ
 - 第57巻 p.9 -ページ画像 
之ヲ以テカヽル式ヲ終ヘ、随意飲食、散会ハ六時半ナリシ、係員ハ倉庫社員其他渋沢家旧書生等ノ人々四・五十人 ○下略


中外商業新報 第八九五七号 明治四四年四月一〇日 渋沢男邸園遊会(DK570001k-0009)
第57巻 p.9 ページ画像

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〔参考〕渋沢栄一 日記 昭和二年(DK570001k-0010)
第57巻 p.9 ページ画像

渋沢栄一 日記  昭和二年     (渋沢子爵家所蔵)
一月十一日 曇 寒威昨ト同シ
○上略 増田ニハ竹内栖鳳ヘ委托セシ屏風ノ絵画ニ付中井三郎兵衛氏ヘ交渉ノ事ヲ托ス ○下略



〔参考〕渋沢栄一 日記 昭和三年(DK570001k-0011)
第57巻 p.9-10 ページ画像

渋沢栄一 日記  昭和三年     (渋沢子爵家所蔵)
 - 第57巻 p.10 -ページ画像 
一月三日 晴 寒気強カラス
   ○本文略ス。
(欄外記事)
 京都中井三郎兵衛氏ヨリ来状アリ、竹内栖鳳画伯ノ書状ヲ封入シテ兼テ依頼シアル屏風ニ絵画ノ事ヲ報シ来ル ○下略



〔参考〕(増田明六) 日誌 昭和三年(DK570001k-0012)
第57巻 p.10 ページ画像

(増田明六) 日誌  昭和三年    (増田正純氏所蔵)
九月八日 土 晴                  出勤
○上略
午後二時飛鳥山邸ニ於て栖鳳筆屏風展観会催さる、渋沢子爵令嬢愛子様を明石照男氏に嫁せらるゝ際、媒妁たりし岩崎久弥男爵に御礼として寄贈する為め、明治四十三年十二月栖鳳に依頼したるものが十九年後の今日漸く出来上つたのである、其間に種々尽力して呉れた人々に拝謝の意を表する為め特ニ展観会を催されたのである ○下略