デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

3部 身辺

1章 家庭生活
1節 同族・親族
1款 同族
■綱文

第57巻 p.10-12(DK570002k) ページ画像

明治44年7月9日(1911年)

是日栄一、渋沢事務所ニ於テ、スイス国ベルンニ開カルルカーネギー平和財団主催万国経済学者会議ニ出席スル阪谷芳郎ノ送別会ヲ催シ、十一日出発ニ際シ新橋駅ニ見送ル。是年十月二十一日帰京、栄一新橋駅ニ出迎フ。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四四年(DK570002k-0001)
第57巻 p.10 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四四年     (渋沢子爵家所蔵)
七月八日 晴 暑
○上略 十二時半日本銀行集会所ニ抵リ、阪谷芳郎欧洲行ニ付催ス処ノ送別会ニ出席ス、松方・井上両侯爵其他経済界ノ諸名士来会ス、食後ニ種々ノ談話アリ ○下略
七月九日 晴 暑
○上略 三時事務所ニ抵リ、阪谷氏送別会ヲ開ク、近親来会スル男女老幼六・七十人許リ、種々ノ談話アリ、四時過キ食卓ヲ開キ盃ヲ挙テ一場ノ送別演説ヲ為ス、阪谷氏答詞アリ、六時散会ス○下略


(八十島親徳) 日録 明治四四年(DK570002k-0002)
第57巻 p.10 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治四四年   (八十島親義氏所蔵)
七月九日 日曜 晴 暑ク八十八度
○上略 夫ヨリ兜町ニ至ル、本日ハ男爵ノ催ニテ阪谷男洋行ノ送別ノ為、同男ヲ主賓トシ親戚ノ男女及星野・佐々木等別墾者《(懇)》ヲ合セ五・六十名ヲ招カルヽナリ、一同集会ノ後四時半ヨリ立食場ヲ開キ、男爵ノ祝詞的演説及挙盃ニ対シ、阪谷男ノ答辞アリ、中々成功ノ催ナリキ ○下略


中外商業新報 第九〇四七号 明治四四年七月九日 阪谷男の送別会 元老大臣実業家列席(DK570002k-0003)
第57巻 p.10-11 ページ画像

中外商業新報  第九〇四七号 明治四四年七月九日
    阪谷男の送別会
      元老大臣実業家列席
前大蔵大臣阪谷男爵は、来る八月瑞西ベルン府に於て開催せらるゝ平
 - 第57巻 p.11 -ページ画像 
和協会の万国経済学者会議に我国の経済学者として参列する為め、来る十一日東京出発の筈なるを以て、其行を壮にする為め高橋日銀総裁等の主催にて八日正午永代橋畔の日本銀行舎宅に於て送別会を催せり出席者は正賓阪谷男の外井上・松方の両侯、大浦農相・後藤逓相・三井男・渋沢男・松尾男・山本勧銀総裁・添田興銀総裁・三島正金頭取安田善次郎・近藤廉平・豊川良平・池田謙三・浅野総一郎・中野武営等の各実業家及日本銀行の高橋総裁・水町副総裁、木村・山口・吉井各理事諸氏にして、席定まり午餐終るや、高橋男起つて送別の辞を簡単に述べ、阪谷男の健康を祝し、次で阪谷男より厚意を謝する旨の答辞あり、終つて更に井上侯・松方侯及大浦・後藤両相等より快談相続いて出で、各自歓を尽し午後三時散会せり


渋沢栄一 日記 明治四四年(DK570002k-0004)
第57巻 p.11 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四四年      (渋沢子爵家所蔵)
七月十日 晴 暑
○上略
午前九時阪谷男爵来話、現今ノ経済施設ニ付種々ノ意見ヲ論議ス、蓋シ同氏明日ヲ以テ発途瑞西ノ会議ニ参列スルニヨレリ
七月十一日 晴 暑
○上略 午後兼子ト共ニ阪谷芳郎欧洲行ヲ新橋停車場ニ送ル、送別ノ人頗ル多シ、午後七時過兼子及児輩ト共ニ王子ニ帰宿ス ○下略


中外商業新報 第九〇五〇号 明治四四年七月一二日 阪谷男の出発(DK570002k-0005)
第57巻 p.11 ページ画像

中外商業新報  第九〇五〇号 明治四四年七月一二日
    阪谷男の出発
来る八月瑞西ベルン府に於て開催の平和協会万国経済学者会議に参列の為め西比利亜線にて渡欧の阪谷男爵は、予定の如く十一日午後六時三十分新橋発の列車にて出発したり、同停車場には渋沢男爵・穂積博士等の親族を始めとし、徳川侯爵・若槻次官並に各局長、高橋日銀総裁・水町同副総裁・添田興銀総裁・山本勧銀総裁・馬越恭平・加藤正義・高田慎蔵・浅野総一郎・村井吉兵衛・佐々木勇之助・妻木頼黄其他官吏・貴衆両院議員・銀行家・実業家等数百名見送りたり


竜門雑誌 第二七八号・第四〇頁 明治四四年七月 ○阪谷男爵の渡欧(DK570002k-0006)
第57巻 p.11-12 ページ画像

竜門雑誌  第二七八号・第四〇頁 明治四四年七月
○阪谷男爵の渡欧 阪谷男爵は八月中瑞西ベルン府に於て開かるべき平和協会万国経済学者会議に参列の為め、予定の如く十一日午後六時三十分新橋発列車にて渡欧の途に上れり、同停車場には青淵先生及び親戚の方々を始めとし、徳川侯爵・若槻大蔵次官並に各局長・高橋日銀総裁・水町同副総裁・添田興銀総裁・山本勧銀総裁・馬越恭平・加藤正義・高田慎蔵・浅野総一郎・村井吉兵衛・佐々木勇之助・妻木頼黄諸氏、其他官吏・貴衆両院議員・銀行家・実業家等プラツトホームに溢れん許りの見送人にて、予定の時刻に出発せられたり、因に平和協会万国経済学者会議は普通の経済学会議と異り、万国平和協会主催の下に開会せらるゝ者にして「戦争の財政経済に及ぼす影響」を議題となすものなり、抑も万国平和協会は先年米国の富豪カーネギー氏が一千万弗を拠出し、世界の賛同を得て創設せられたる者にして、其目
 - 第57巻 p.12 -ページ画像 
的は世界の葛藤問題を平和の方法を以て解決し、少くとも文明国間より戦争の惨禍を去り、又平和時代に於ても各国共軍備拡張に忙殺され経済上常に戦時状態に在ると同様の苦艱を嘗めつゝあるを救済せんとするに在り、而して同会は此等の目的を達せんが為めに、新に研究機関として経済・法律・教育の三大部門を設置し、而して教育部は世界的教育の方法より戦争心を除かんことを研究し、法律部は世界的法律を以て葛藤問題を解かんことを研究し、経済部は世界的共通の経済問題を研究し、以て軍事費の膨脹を抑制せんとし、彼此相俟て戦争の惨禍を阻止せんとす。今回の経済学者会議は先頭第一の活躍にして、先づ戦争の財政経済に及ぼす影響を吟味し、拠て以て平和を希ふの筌蹄に資せんとする者にして、同会委員長ルート氏(米国国務卿)司会の下に万国第一流の経済学者、即ち英国よりはマーシヤル氏、米国よりはライシユ氏、独逸よりはシユモラー氏、仏国よりはポリユー氏、我邦よりは阪谷男が出席せらるゝ事となれるなりと云ふ。
   ○ベルンノ会議ハカーネギー平和財団ノ経済及ビ歴史部会招集ノ会議ニシテ八月三日ニ始マリ同十四日ニ閉会セリ。


渋沢栄一 日記 明治四四年(DK570002k-0007)
第57巻 p.12 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四四年     (渋沢子爵家所蔵)
十月二十一日 雨 冷
○上略 十一時半新橋停車場ニテ阪谷帰京ヲ迎ヘ ○下略
   ○中略。
十月二十四日 晴 冷
○上略 十時阪谷芳郎ノ家ヲ訪ヘ、留守中ノ事及旅行中ノ要務ヲ聞ク ○下略


竜門雑誌 第二八二号・第六〇頁 明治四四年一一月 阪谷男帰朝(DK570002k-0008)
第57巻 p.12 ページ画像

竜門雑誌  第二八二号・第六〇頁 明治四四年一一月
○阪谷男帰朝 万国平和会議に列席の為め本年七月十一日渡欧の途に上られたる阪谷男は予期の如く十月二十一日朝横浜入港のサイベリヤ号にて無恙帰朝、同午前十一時二十五分新橋に着せり、青淵先生を首め穂積博士其他の親戚は勿論徳川公・斎藤海相・山本蔵相 ○中略 其他各省官吏・各会社銀行重役等多数同処に出迎ひ各々其安着を祝せり。