デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

3部 身辺

1章 家庭生活
1節 同族・親族
1款 同族
■綱文

第57巻 p.12-13(DK570003k) ページ画像

明治45年4月14日(1912年)

是日栄一、埼玉県入間郡黒山ニ養子平九郎戦歿ノ遺跡ヲ訪フ。翌十五日帰京ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四五年(DK570003k-0001)
第57巻 p.12-13 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四五年     (渋沢子爵家所蔵)
四月十四日 晴 暖
午前六時前起床直ニ朝飧ヲ食ス、此日ハ越生町ニ開催セル各銀行ノ集会ニ出席スル為メ、七時王子発ノ汽車ニテ九時川越ニ抵リ、夫ヨリ人車ニテ十二時越生町ニ抵ル、地方人士多ク来リ迎フ、着後先ツ越生銀行ノ二階ニ小憩シ、午飧後同地ノ小学校ニ於テ一場ノ演説ヲ為ス、来会者堂ニ満ツ、畢テ黒山ニ抵ル、地方人多ク同行ス、黒山ニ抵リ寺院ニ休息シ平九郎ノ遺跡ヲ探リ、五時越生ニ帰ル、一旅亭ニ開催スル歓迎会ニ出席ス、来会者凡弐百名斗リ頗ル盛会ナリ、席上一場ノ挨拶ヲ
 - 第57巻 p.13 -ページ画像 
為ス、畢テ樋口某ノ家ニ一宿ス ○下略
四月十五日 晴 暖
午前六時半起床入浴シテ直ニ朝飧ヲ食ス ○中略 十一時川越ニ抵リ ○中略 午後一時発ノ電車ニテ大宮ニ抵リ、更ニ汽車ニテ三時王子ニ着ス ○下略


竜門雑誌 第二八七号・第五八―五九頁 明治四五年四月 青淵先生の埼玉県越生旅行(DK570003k-0002)
第57巻 p.13 ページ画像

竜門雑誌  第二八七号・第五八―五九頁 明治四五年四月
○青淵先生の埼玉県越生旅行 青淵先生には埼玉県入間郡銀行会の請を容れられ、去十四日秘書役増田明六君を随へ、同行尾高次郎・古田惇次郎両氏及前日案内として上京したる斎藤小十郎氏と共に午前七時十七分王子駅を発し ○中略 正午越生町に着、同地人士の出迎を受けられ越生銀行楼上にて午餐の饗を受けたる後、同地高等小学校に設けられたる講演会に臨み ○中略 一場の講演を為し、後同校庭に紀念の植樹を為し、夫れより二里を隔つる故渋沢平九郎氏の墓(渋沢平九郎氏は青淵先生が慶応三年仏国洋行の際、当時の制度に依り見立養子と定められたる人なり)を黒山に訪ひ、尚ほ同墓地を数丁隔たりたる同氏屠腹の旧蹟を弔ふて越生町に引還し ○中略 兼て旅宿に充てられたる樋口吉平氏宅に投じられたるは午後の八時なり、翌十五日は午前七時旅宿を発し ○中略 午後三時王子駅に着し、直に飛鳥山邸に帰館せられたり。