デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

3部 身辺

1章 家庭生活
1節 同族・親族
1款 同族
■綱文

第57巻 p.17-18(DK570006k) ページ画像

大正4年7月11日(1915年)

是日、上野精養軒ニ於テ、穂積陳重ノ還暦祝賀会ヲ兼ネ、法理研究会創立二十年記念式挙行セラル。栄一、出席シテ祝辞ヲ述ブ。


■資料

渋沢栄一 日記 大正四年(DK570006k-0001)
第57巻 p.17 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正四年      (渋沢子爵家所蔵)
七月十一日 曇
○上略 上野精養軒ニ於テ穂積陳重氏還暦祝賀会開催ニ付出席シ、食卓上一場ノ演説ヲ為シ、十時過散会 ○下略


中外商業新報 第一〇四九九号 大正四年七月一二日 穂積博士祝賀会 還暦を祝ふ友情(DK570006k-0002)
第57巻 p.17-18 ページ画像

中外商業新報  第一〇四九九号 大正四年七月一二日
    ○穂積博士祝賀会
      還暦を祝ふ友情
本邦法学界の恩人法学博士穂積陳重氏の還暦祝賀会兼法理研究会の創立廿年記念式は、東京帝国大学出身の有力者二百七十余名に依り、十一日午後四時より上野精養軒に開かれたり、一同記念撮影の後、五時三十分座長浜尾男爵は開会を宣し、次で岡野博士の事業経過報告、奥田博士の発起人総代挨拶並に油絵肖像の贈呈の辞、仁保博士の法理研究会委員挨拶及穂積博士還暦記念論文集捧呈の辞ありたる後、一木文相は穂積博士の外国語教授法排斥の見識と総ゆる誘惑を排して学問の為専心尽力されたる功績を称へ、次で山川大学総長は人生六十未だ老ひずとて博士を激励し、更に菊池学士院長の祝辞に次いで、穂積博士は起て
 山川博士は人生六十未だ老ひずと言はれ、菊池男爵は還暦を迎ふるの人は既に老ひたりと言はれたるも、畢竟山川博士は予の将来に奨励を与へられたるもの、又菊池男爵は予の今後に警戒を与へられたるものにして共に銘肝すべし
と答辞を述べ、式を畢りて宴に移り、軈てデザート・コースに入るや浜尾男の発声にて穂積博士万歳を唱へ、次で富井博士・横田大審院長の懐旧談に次ぎ、渋沢男爵は
 - 第57巻 p.18 -ページ画像 
 老ひたりと云ふも、又若しと云ふも、日月の長短は気の持ち様に依りて或は長く或は短く思はるべし、要は精力を集中して事業の成功を期するにあり、さればこそ法理研究会は僅々二十年の間に今日の如き発達を見るに至れるなり
と述べ、最後に穂積博士の答辞ありて宴を撤し、更に別室に於て懇談を交へ十時散会したるが、来会者の総べては博士の親友を始め後輩なれば和気靄々友情と師弟の情と溢るゝ計りにして、当代稀に見る盛会なりき、仍ほ当日倫敦在留帝大出身者二十八名も当日祝賀会を催して遥に同博士の万歳を祝福せる旨電報ありたり、当夜来会の重なる者左の如し
 一木文相・末松子爵・浜尾・菊池・渋沢・阪谷各男爵、奥田義人・横田国臣・山川健次郎・元田肇・加藤正義・伊集院彦吉・井上準之助・早川千吉郎・佐々木勇之助・高橋作衛・花井卓蔵・岡松参太郎江木翼・石渡敏一・鵜沢総明・戸水寛人・正木貞彦・水野錬太郎・田之内一次・久保田政周・河村譲太郎・木内重四郎・桑田熊蔵・上山満之進・犬塚勝太郎・佐藤三吉・法科大学各教授の諸氏
   ○「竜門雑誌」第三二六号(大正四年七月)ニ右ヲ転載セリ。ココニハ略ス。