デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

3部 身辺

1章 家庭生活
1節 同族・親族
2款 親族
■綱文

第57巻 p.67-68(DK570026k) ページ画像

明治43年11月4日(1910年)

是ヨリ先、栄一外孫穂積貞三、札幌市ニ於テ逝ク。是日栄一、上野精養軒ニ於ケル一週年祭ニ列シテ、追悼ノ辞ヲ述ブ。


■資料

竜門雑誌 第二五八号・第五八頁 明治四二年一一月 穂積貞三君の逝去(DK570026k-0001)
第57巻 p.67 ページ画像

竜門雑誌  第二五八号・第五八頁 明治四二年一一月
    穂積貞三君の逝去
○上略
  穂積貞三墓誌
  貞三ハ東北帝国大学農科大学学生ナリ、法学博士穂積陳重ノ三男母ハ渋沢氏歌子、明治四十二年十一月四日北海道札幌ニ於テ病歿ス、享年二十四


渋沢栄一 日記 明治四三年(DK570026k-0002)
第57巻 p.67 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四三年     (渋沢子爵家所蔵)
十一月四日 晴 寒
○上略 六時上野精養軒ニ抵リ、穂積陳重ノ催ニ係ル故貞三ノ一年祭ニ出席ス、食卓上一場ノ哀悼詞ヲ述ヘ、夜十時過帰宿ス、家人悉ク同伴ス


(八十島親徳) 日録 明治四三年(DK570026k-0003)
第57巻 p.67 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治四三年   (八十島親義氏所蔵)
十一月四日 快晴
○上略 今日ハ故穂積貞三氏一週年祭ニ付今夕上野精養軒ニ招カル ○中略 夫ヨリ谷中墓地ニ至リ詣ヅ、折柄神官墓前祭ニ係《(掛)》ラントスル所ニシテ同家一族居列バル、予モ席末ニ列シ拝礼ス、精養軒ニテハ親族及特別縁故者タル植村・仲田・大滝其他諸氏ヲ加ヘ三・四十名、饗応ノ後博士ノ挨拶及渋沢男爵ノ追悼ノ詞、終テ随意休憩所ニテ談話十時散会、夫人ハ袖のしぐれと題して、追悼の和歌ヲ一冊トナシ来客ニ送ラル、真情ヨリ湧出シタル感極マレルノ歌多シ、意味ニ於テモ調ニ於テモ夫人ハ歌人也



〔参考〕(八十島親徳) 日録 明治三八年(DK570026k-0004)
第57巻 p.67-68 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治三八年   (八十島親義氏所蔵)
九月一日 曇
○上略 穂積貞三氏今回札幌農学校入学ノ事トナリ近日出発ニ付、若主人
 - 第57巻 p.68 -ページ画像 
及阪谷氏ノ催ニテ今夜偕楽園ニ於送別会アリ、予モ亦尾高氏・松平氏等ト共ニ陪招セラレ参列ス、各家中子供衆等合計二十余人中々ノ盛会ナリキ、同族各家殊ニ穂積・阪谷両家ノ子息令嬢一人モ屑ナクヨク揃ヒ、何レモ学校成蹟宜シク立派ナモノナリ、今夜ノ会合ナドニテモ阪谷氏ヲ始メ若主人・武之助氏等ノ送別ノ辞、貞三氏・陳重氏等ノ謝辞ナドスベテ秩序立チ趣味整ヘリ、之レ即青淵男爵ヲ中心トスル一族ノ美風ニシテ何事ニモ秩序アリ均衡ヲ得、平準ニシテ突飛ナラズ、コムモンセンスノ最円満ニ発達セルヤリ方ナリ、模範トスベキ所ナリ ○下略