デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

3部 身辺

1章 家庭生活
1節 同族・親族
2款 親族
■綱文

第57巻 p.87-88(DK570042k) ページ画像

大正10年6月22日(1921年)

是日、栄一外孫堀切敏子逝ク。是月十九日、栄一
 - 第57巻 p.88 -ページ画像 
ソノ病床ヲ見舞ヒ、二十八日上野精養軒ニ於ケル、法要後ノ晩餐会ニ出席シテ、追悼ノ辞ヲ述ブ。


■資料

(阪谷芳郎) 家庭日記 大正一〇年(DK570042k-0001)
第57巻 p.88 ページ画像

(阪谷芳郎) 家庭日記  大正一〇年   (阪谷子爵家所蔵)
六月十九日(日曜)
○上略
堀切敏子ノ病ヲ訪フ、容態険悪ナリ。渋沢子爵・同夫人御見舞アリ。 ○下略
   ○中略。
六月二十二日
午前六時長女堀切敏子病テ市ケ谷仲ノ町一番地邸ニ歿ス。享年三十二才、二男四女ヲ挙グ、何レモ幼ナリ。 ○下略
   ○中略。
六月二十八日
○上略
敏子初七日ニ当ル、西教寺ニテ法要、一同墓参ス。午後五時上野公園内精養軒ニテ親類其他ヲ招キ晩餐ヲ饗ス。卓上善次郎氏挨拶、渋沢子爵答辞ヲ述ベラル。此日終日雨天ナリ。


竜門雑誌 第三九八号・第六六頁 大正一〇年七月 堀切善次郎君夫人逝去(DK570042k-0002)
第57巻 p.88 ページ画像

竜門雑誌  第三九八号・第六六頁 大正一〇年七月
○堀切善次郎君夫人逝去 本社特別会員堀切善次郎君夫人敏子氏(阪谷男爵長女)は予て病気の所薬石効なく、六月二十二日逝去せられたるより、同二十五日午前九時谷中斎場に於て仏式を以て盛大なる葬儀を執行せられたるが、同二十八日初七日の当日午後五時より上野精養軒に親戚並親近者一同を招待の上鄭重なる法要を営む所あり、青淵先生にも列席の上追悼辞を述べられたる由。