デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

3部 身辺

1章 家庭生活
2節 健康
■綱文

第57巻 p.127(DK570060k) ページ画像

大正9年10月25日(1920年)

栄一、是日ヨリ感冒ノ気味ニテ静養シ、十一月下旬ニ至リ回復、十二月二日ヨリ大磯ニ転地シ、翌年二月下旬ニ及ブ。


■資料

竜門雑誌 第三九○号・第六二頁 大正九年一一月 ○青淵先生の微恙(DK570060k-0001)
第57巻 p.127 ページ画像

竜門雑誌  第三九○号・第六二頁 大正九年一一月
○青淵先生の微恙 青淵先生には十月十日仏教少年聯合団の秋季大会に臨席せられ、帰邸後、風邪の気味あり、不快を催されしより、爾後引籠静養せられしも、間も無く快癒せられ、十六日よりは例の如く万般の用務を処理せられしが、二十五日より風邪再発の気味あり、気分優れられざるを以て爾来引籠御療養中なるが、非常に軽快に赴き近く御全快せらるべき由なり。


竜門雑誌 第三九一号・第六六―六七頁 大正九年一二月 ○青淵先先の快癒/○青淵先生の転地(DK570060k-0002)
第57巻 p.127 ページ画像

竜門雑誌  第三九一号・第六六―六七頁 大正九年一二月
○青淵先先の快癒 青淵先生が十月廿五日風邪の気味にて爾来引籠り療養せられつゝありしは既報の如くなるが、其後非常に軽快に赴かれ十一月廿日より再び兜町事務所に於て従前の通り内外百般の用務を処理せられつゝあるは、会員諸君と共に慶賀の至に堪えざる次第なり。
○青淵先生の転地 別項記載の如く先生には病気全快せられたるも医師の注意により病後静養の為、本月二日午後一時三十五分発汽車にて大磯に転地せられたるが十一日午後一時用務の為め帰京せられたり。
   ○「竜門雑誌」翌月号(大正十年一月)ニハ左ノ如ク記セリ。
     ○青淵先生の避寒 青淵先生には避寒の為め令夫人同伴一月七日午後一時三十五分東京駅発、大磯なる明石家別荘に赴かれ、十二日用務の為め午前十一時四十五分東京駅着帰京せられたるが、翌十三日午後二時五十五分東京駅発再び大磯に赴かれたり。