デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

3部 身辺

1章 家庭生活
2節 健康
■綱文

第57巻 p.138-146(DK570064k) ページ画像

昭和3年4月―7月(1928年)

栄一、一月以降感冒気味回復セズ、四月ニ至リ喘息ヲ併発シ、五月更ニ胆嚢炎ヲ併発シ、七月下旬マデ飛鳥山邸ニ於テ、専ラ療養ニ努ム。


■資料

渋沢栄一 日記 昭和三年(DK570064k-0001)
第57巻 p.138-139 ページ画像

渋沢栄一 日記  昭和三年      (渋沢子爵家所蔵)
一月六日 晴 寒
○上略 午後入沢博士・大滝医師来診ス、厳寒ノ候特ニ風邪感染ノ虞アルヲ以テ、夜分ノ宴会ニハ堅ク欠席スヘキ旨ヲ注意セラル ○下略
   ○中略。
一月二十八日 雨 寒気強カラス
○上略 午後真鍋・林両医師来診ス
   ○中略。
二月六日 雪 寒気強シ
風邪気快方セス、八時起床、洗面シテ朝食ス、午前大滝・林両医師来診ス ○下略
   ○中略。
二月八日 晴 寒気強カラス
例ノ如ク午前八時起床、洗面シテ朝飧ヲ食スルモ、宿痾全快セスシテ
 - 第57巻 p.139 -ページ画像 
出勤スル能ハス○中略 午後入沢博士及大滝潤象《(大滝潤家)》・林正道氏等来リテ宿痾ヲ診察ス、幾分ノ快方ヲ見ルモ、全愈ニ至ラサルヲ以テ、向後尚数日ノ注意ヲ要スル旨ヲ告ケラル ○下略
   ○中略。
二月十四日 雪 寒気強シ
○上略 頃日来ノ風邪気全愈セス、熱気ハナキモ、時々咽喉ノ故障アリテ褥中ニ在テ書見又ハ執筆ニ従事ス ○下略
二月十五日 晴 寒気強カラズ
○上略 林医師来診、宿痾漸ク快方ナレハ、明日頃ヨリ外出ヲ試ミテモ懸念ナキ旨ヲ告ケラル ○下略
二月十六日 曇 寒気強カラス
○上略
昨日林医師ノ来診ニヨリ、今日ハ正午頃事務所ニ出勤シテ爾来稽延シ来リタル要務ヲ処理ス ○下略


(増田明六) 日誌 昭和三年(DK570064k-0002)
第57巻 p.139-140 ページ画像

(増田明六) 日誌  昭和三年     (増田正純氏所蔵)
二月二日 木 晴                 出勤
子爵少敷御不快、林医師を招き診察を受けられた、格別御心配の御容子は無く、一両日御引籠の上は御全快可相成との診断であつた
○下略
   ○中略。
二月七日 火 晴                 出勤
○上略
渋沢子爵去二日以来軽微の風邪で飛鳥山邸ニ引籠り加療せられて居る最早御心配無き容態ニ復されたのであるが、気分勝れられす、今日も寝床に坐して机ニ向はれて居らるゝのである、林主治医の診察では何等御心配の御症状は無し、全く御過労の結果で、風邪は回復せられても尚気分が其割ニ回復せられないのであるとの事である
○下略
   ○中略。
二月十六日 木 晴                出勤
去二日以降風邪の為め飛鳥山邸ニ引籠加養せられたる子爵には御全快ニて本日出勤、二時間執務の上帰還せらた《(れ脱)》、誠ニ可悦事である。
○下略
   ○中略。
四月廿三日 月 晴                出勤
午前九時飛鳥山邸ニ子爵を訪問した、子爵ニは去廿一日より風邪の気味で引き籠り静養せられ、昨日ハ入沢・大滝・林三国手の診察があつたが、単純の風邪で別ニ心配すべき容態では無いとの診断で、大ニ安心して今朝は御見舞旁御用伺の為め拝訪したのであつた、処が昨夜来喘息の兆候があつて、今朝は喘息を発作せられ如何にも御苦痛の御様子傷々しく御見受された、十一時ニ林氏の来診があつた、鼻カタルと咽喉カタルは極めて軽症であるが、喘息が発せられて居る、体温は卅六度四分、格別御心配の事は無いと思はるゝが、喘息が昂進すれは気
 - 第57巻 p.140 -ページ画像 
管支カタルを作し発熱が伴ふだらうとの診察であつた、午後二時頃看護婦が来着したので、林氏より手当方ニ付十分ニ注意を与へられた
○下略


竜門雑誌 第四七六号・第一〇九頁 昭和三年五月 青淵先生動静大要(DK570064k-0003)
第57巻 p.140 ページ画像

竜門雑誌  第四七六号・第一〇九頁 昭和三年五月
    青淵先生動静大要
      四月中
廿一日 風邪の為め自邸に於て静養、爾後三十日に至る。


(増田明六) 日誌 昭和三年(DK570064k-0004)
第57巻 p.140-142 ページ画像

(増田明六) 日誌  昭和三年     (増田正純氏所蔵)
五月二日 水 晴                 出勤
朝子爵を飛鳥山邸に拝訪した、御病気(風邪ニ喘息を併発せられたのである)漸次御快方で不日御全快の御様子である、真ニ可喜事である
○下略
   ○中略。
五月六日 日 晴                 出勤
○上略
午後子爵を飛鳥山邸に御見舞した、此日午前中は御病気特ニ御快方で気分も頗る爽快に居られた処、午後一時半突如腹痛の甚しきを感し、不取敢林医の診察を受けられた処、胃ケーレンと診断された、夕刻入沢・大滝両博士ニも来診を請ふた処、胆嚢炎と断定、夫々手当を施されたが、体温の増加と共に疼痛少しも減せす、大ニ苦痛を訴へらる
一日来逐日軽快ニ赴かれ近日御全快と期待したのが裏切られて今日此御苦痛を見る、御老齢の御事とて如何の結果となる哉真ニ憂慮に堪へぬ次第である、併し入沢博士は、大患の如き事決して無しと断言せらるゝので、夫れを頼ミニする外無い
○中略
帰宅後電話て子爵の御容態を伺つた処が、体温も下降し疼痛も減せられたで、聊か安堵して寝に就いた
五月七日 月 晴                 出勤
午後四時飛鳥山邸拝訪、入沢・大滝両博士・林氏会診す、胆嚢の腫張依然変化なく、手の之ニ触れさる前既ニ烈痛を感せらるゝ位なるが、他ニ格別御心配之点無き由、御体温卅八度前後を昇降せらる、子爵の御気頗る悪《(分脱カ)》しく大ニ不安を感せらるゝ御様子に御見受けした ○下略
五月八日 火 晴                 出勤
朝子爵の招きニ依り渋沢敬三氏と飛鳥山邸に会し、共ニ面前ニ出てた子爵は今度の御病気は医師の云ふ如く簡単なるものニあらすして、或ハ癌腫ならんかと疑はれし様で、八時半に両人を招かれたのも、渋沢家の将来に関し篤と申聞けられんとせられたのであつたが、敬三様より決して如此難腫にあらさる事を御話申上、又小生よりも入沢博士より承はりし点を言上して御安心を請ふたのであつたが、子爵は医師は心安めの事を云ふから当にならぬ、どうしても今度は大患で再起覚束無いと思ふとて、低声で種々御話なさらうとせられたのを、敬三様遮つて決して左様の御心配はありませぬから、最少し御快方になつてか
 - 第57巻 p.141 -ページ画像 
ら伺うては如何ですかと申上けた、折柄子爵令夫人には急遽室ニ進入せられたので、子爵は御話を中止された
林医午前九時診察された、子爵の御烈痛少しも御変り無く、頗る御渋難の御様子であつて、診察中も顔をしかめ頭を振り如何にも御苦痛に察せられた、林氏の診察は別ニ悪進しては居ないとの事である
○下略
五月九日 水 晴                 出勤
今日は渡辺得男氏子爵拝訪するので、同氏ニ入沢博士の診察に会し御容態を伺う事を依頼した
○中略
午後三時入沢博士の子爵診察があるので急遽飛鳥山邸に赴いた、引続き御良好と云ふので安堵帰宅した
五月十日 木 晴                 出勤
○上略
此日午後一時半、子爵三十九度八分の高熱を発し、同時ニ非常の疼痛を覚へられ、殆と絶へ入らん計りの状態を数時間経過せられし由を聞き、此処に列席せられし御同族各位の御配慮の程も被察真ニ心痛ニ堪へさりしが、宴後直ニ電話ニて伺ひたるニ、夕刻ニは体温も減し、疼痛も薄らき、漸次気分も回復せらるゝ由ニて、大ニ安堵したのである同時ニ列席の篤二様より主治医林氏ニ聞合ハされし報告に、右は胆石排出の為ニ生したる高熱疼痛にて、之が通過と共ニ何れも減却する次第なり、他ニ御別条無しと電話あり、篤二様より御同族各位ニ転話せられ、今ハ御一同此席より直ニ飛鳥山邸へ赴かる必要も無くなりしと御安心なされたり
○下略
五月十一日 金 晴              飛鳥山邸
早朝飛鳥山邸に子爵御見舞に伺つたが拝眉はしなかつた、去八日令夫人の注意もあり、子爵の御神経に触りてはならぬとの心配からである午後入沢博士には佐藤三吉博士を同伴、外ニ林・大滝同行ニて子爵の診察に見へた、胆嚢炎は外科ニ属する病気なので特ニ佐藤博士を煩ハしたのであつた
佐藤博士の御診察も之迄の入沢博士診察と異なつた処は無い、胆嚢炎で胆石を発せられたのであらふとの事であつた
今日は終日飛鳥山邸に在つて見舞客等に応接した
   ○中略。
五月十七日 木 晴                出勤
朝四日振りて子爵を御見舞した、御回復の御模様が素人にも見へるので大ニ安心した、余り長居して御話が出てはならぬと御挨拶して退出せんとしたのを呼ひ戻して、子爵は故尾高藍香・同長七郎・同平九郎三氏の古事を追懐談話された、全快の上は速記者を呼んで能く話して置く積であると仰せられた ○下略
   ○中略。
五月廿四日 木 晴                出勤
後三時半入沢博士の子爵診察ニ参会した、過日来逐日減退の状況ニあ
 - 第57巻 p.142 -ページ画像 
りし胆嚢の腫張が鶏卵大ニ止まり夫より減少せす、停滞の状ニあるは聊か気掛なるが、併し其状で固まり少しも差支無き場合あり、暫く経過して見なけれは分らぬが、夫れが更ニ病気を発する理由とはならさ
るべしとの診察なり
○下略


竜門雑誌 第四七七号・第五七頁 昭和三年六月 青淵先生動静大要(DK570064k-0005)
第57巻 p.142 ページ画像

竜門雑誌  第四七七号・第五七頁 昭和三年六月
    青淵先生動静大要
      五月中
四月廿一日以来、自邸に於て専ら療養に努めらる。


中外商業新報 第一五一八五号 昭和三年五月二五日 渋沢子のお見舞ひに市会の正副議長が(DK570064k-0006)
第57巻 p.142 ページ画像

中外商業新報  第一五一八五号 昭和三年五月二五日
    渋沢子のお見舞ひに
      市会の正副議長が
市参与渋沢子爵が病気引籠り中なので、市会では廿三日も各派幹事会の決議に基き、廿四日午後一時小島・入山の正副議長が市会を代表し飛鳥山邸に親しく病気の見舞をした


(増田明六) 日誌 昭和三年(DK570064k-0007)
第57巻 p.142-144 ページ画像

(増田明六) 日誌  昭和三年     (増田正純氏所蔵)
六月一日 金 晴                 出勤
午後四時入沢博士・大滝博士及林正道氏の子爵診察があるので飛鳥山邸に参会した
子爵の御病気の経過は大略左の通である
一四月廿一日、風邪後喘息を併発せらる
一五月六日、胆嚢炎症を発せられ、体温著るしく加ハる、併し八日九日と漸次御快方
一同十日、突如三十九度八分の高熱を発せられ、且胆嚢部に烈敷疼痛を感せらる、併し数時間にして疼痛を減し、体温も亦漸次減少せらる、胆石排出の為めなりしならんとの診断なり
一同十一日、佐藤三吉博士の診察を受けらる、入沢博士は胆嚢炎と診断されしも、御大切の体なれはとて特ニ念を入れられた次第である佐藤博士の診断も入沢博士と同一であつた
一爾来少許つゝではあつたが胆嚢部の腫張減し、体温も順調ニ下降して熟れも愁眉を開いたのであつたが、去二十日頃以降は茶呑茶椀大の腫張が依然として存し聊かも減退の模様が無いので入沢博士も心配になつて、五月廿九日佐藤博士の来診を請ふたのであつた
一入沢博士・佐藤博士の意見を綜合して見ると
 一現存する腫張は癌腫の如き悪性のものであるか、将又先きの残りが肝臓に癒着して此儘の形で存するのであるか、今後相当の時日を経過して見なければ別らぬと云ふのである
  併し今度の病気の経過及去二十日頃から平熱で食欲も進ミ気分も著しく悪くない処から推すと、悪性の腫物と云ふ原因は少しもない、故に心配すべきで無いとも云はれる、能く斯る病後に少許の腫張が固まりた儘で何共無き人々沢山ある、或ハ其様であるかも
 - 第57巻 p.143 -ページ画像 
知れぬ
  と云ふのである
一今日の入沢博士診察も同様であるが、併し腹部の加減に依りて腫張部ニ影響がある、即腸に瓦斯が溜つたり、便通が無い折は自然に肝臓を圧追するから、斯る場合は腫張が堅く触る、去廿九日には便通の無い為め可なり堅かつたが、今日は柔かく手触りがするとの事であつた
○下略
   ○中略。
六月七日 木 晴                 出勤
○上略
午後四時入沢・大滝・林三氏が子爵を診察せらるゝので飛鳥山邸に参向した、今日の診察では前回診察の時と格別変つた点は無い、懸念して居る胆嚢の腫張は依然として減退し無いが、併し増大もし無い、尚暫く経過した模様に依らなくては安心とは云ひ難いとの事である
○下略
   ○中略。
六月十二日 火 晴                出勤
朝飛鳥山邸に子爵を御見舞した、大ニ御軽快之御様子に御見受したが伺へは何時全快するか別らない程快復しないと仰せられた
安川敬一郎男爵と松本健一郎氏とが連立ちて子爵の御見舞に来られたので、面会して御礼を述へた、男爵友人麻生太吉氏(七十二才)は昨年、又令息清三郎氏夫人は両三年前胆嚢炎で胆石を発せられたが、其後の健康は著るしく良好で、病前より尚達者となられたから、子爵にも此度御全快の上は更に一段と御強壮にならるゝだらうと云つた
小生の参着した前より尾高豊作・同鮮之助両氏子爵ニ面会して居た、小生の其席に加つたのは十時半頃であつたが、子爵は両氏に向つて藍香・長七郎両先生と関係《(の脱)》を談話し、淳々として午後零時十五分迄少しも尽くる処無し、漸く其途切れるを待つて両氏を辞去《(もカ)》する有様 ○中略 能くも斯く永話をさるゝものかと毎度ながら驚く次第である ○下略
   ○中略。
六月十四日 木 降雨               出勤
○上略
午前四時《(午後)》より飛鳥山邸ニ子爵拝訪した、御病気未た十分に快からす、誠ニ不快で困ると仰せられた ○下略
   ○中略。
六月廿三日 土 曇                出勤
○上略
午後三時入沢博士外二氏の子爵の診断があるので飛鳥山邸へ参上した診察の結果は漸次腫張部分も減退されるので最早心配無いと思はるゝも、尚為念佐藤博士の来診を求め意見を聞く事となつた、其時日は博士の都合を聞いてからと云ふ事になつた
   ○中略。
六月廿八日 木 雨                出勤
 - 第57巻 p.144 -ページ画像 
午後二時佐藤・入沢両博士外二氏の子爵診察があるのに参会した、診察の結果は一ケ月程佐藤博士が気ニ掛けて居た腫張が意外ニ減退したので、今日の処にては其悪性の模様も見へす、先づ心配無かるべしと意見が一致したので大ニ安心した
○下略


竜門雑誌 第四七八号・第八一頁 昭和三年七月 青淵先生動静大要(DK570064k-0008)
第57巻 p.144 ページ画像

竜門雑誌  第四七八号・第八一頁 昭和三年七月
    青淵先生動静大要
      六月中
引続き本月も自邸に於て専ら療養に努めらる。


(増田明六) 日誌 昭和三年(DK570064k-0009)
第57巻 p.144 ページ画像

(増田明六) 日誌  昭和三年     (増田正純氏所蔵)
   ○中略。
七月五日 木 晴                 出勤
○上略
三時飛鳥山邸に子爵を拝訪した、折柄林氏の診断があつた、子爵局部(胆嚢部)腫張未た癒へす(一週間前診断の時より毫も減退の模様無し)、或は後日再度胆石の出現も難計ニ付、常ニ其れニ対する注意を要すとの戒告があつた
○下略
   ○中略。
七月十一日 水 晴                出動
朝子爵の招致に依り飛鳥山邸へ参上して御容態近来目ツ切軽快ニ被赴衷心御安心申上居りしに、今日は胃部ニ疼痛を感し、且右眼ゴロ々する由ニて御気分勝れられす、午後林医師を招き診察を受けらるゝ御都合之趣承はり、折角御自愛せらるゝ様祈願した ○下略
   ○中略。
七月廿五日 水 晴                出勤
渋沢子爵ニハ午前十一時事務処に出勤せらる
子爵は去四月廿日事務処ニ出勤せられ同廿一日より病気引籠りとなられ、爾来約百日病床ニ送られたのである、今日御元気に出勤せられたのは誠ニ可賀次第である
○下略


竜門雑誌 第四七九号・第七一頁 昭和三年八月 青淵先生動静大要(DK570064k-0010)
第57巻 p.144 ページ画像

竜門雑誌  第四七九号・第七一頁 昭和三年八月
    青淵先生動静大要
      七月中
廿五日 四月廿一日以来、御病気の為め御静養中なりしが、殆ど全快せられ、試に本日より事務所に出勤せらる。



〔参考〕竜門雑誌 第四八一号・第二七八―二八二頁 昭和三年一〇月 青淵先生の健康 林正道(DK570064k-0011)
第57巻 p.144-146 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。