デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

3部 身辺

1章 家庭生活
4節 趣味
1款 和歌
■綱文

第57巻 p.172-173(DK570074k) ページ画像

明治42年5月(1909年)

是月栄一、千葉県安房郡船形町ニ於ケル、東京市養育院安房分院ノ開院式ニ出席ノタメ同地方ニ旅行シ、各所ニ於テ和歌ヲ詠ズ。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四二年(DK570074k-0001)
第57巻 p.172 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四二年      (渋沢子爵家所蔵)
五月十四日 雨又晴 暖
午前六時起床直ニ朝飧ヲ食シ、旅装ヲ整ヘテ馬車ニテ両国ニ抵ル、兼子・愛子同伴ス、停車場ニ篤二・八十島・星野錫氏等来リ送ル、八時二十五分発車ス、九時半千葉ニテ汽車ヲ替ヘ、十二時大原駅ニ抵ル、竹屋ト云フ旅亭ニテ午飧ス、大原ヨリ馬車ヲ僦フテ四里勝浦ニ抵リ小憩ス、勝浦ヨリ馬車ニテ小湊ニ抵ル、此間道路険悪時々危惧ノ事アリ夜七時半小湊町清海楼ニ投宿ス、勝浦ヨリ小湊ニ抵ルノ路次ハ上総東端太平洋ニ面スル土地ナレハ眺望極テ開豁ナリ、只此日ハ雨降リテ且道路悪シカリシニヨリ、途上壮快ノ想ヲ減スル事アリシヲ憾トス


渋沢栄一 日記 明治四二年 巻末(DK570074k-0002)
第57巻 p.172 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四二年 巻末   (渋沢子爵家所蔵)
    鏡か浦にて富峯を望ミて
 ふく風に雲のうすきぬぬきすてゝかゝミか浦にうつす富士の根
 おほそらにのこれる雲と見るまてにうなはらとふくかすむ富士の根


渋沢栄一 日記 明治四二年(DK570074k-0003)
第57巻 p.172 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四二年      (渋沢子爵家所蔵)
五月十六日 雨 冷
午前七時起床日記ヲ編成ス、此日風雨強クシテ地方有志者ヨリ案内アリシ島嶼一覧ノ事ヲ果スヲ得ス、八時朝飧ヲ食シ地方人士ノ訪問ニ接ス、来客十数名ニ及フ、郡長・村長・町長等ノ人々多シ、正午旅宿ニテ午飧シ、午後一時人車ニテ雨中船形ニ抵リ、養育院分院ノ開院式ニ出席シ、一場ノ演説ヲ為ス、来会者弐百人許リナリ、分院ハ船形観音堂ノ下ニ在リテ眺望佳絶、気候人ニ可ナリ、入院者百名余リ収容スルヲ得ヘク、構造頗ル堅牢ニシテ且便利ナリ、式畢テ来賓ニ饗宴ヲ勧メ兼約ニヨリテ北条ニ抵リ、中学校内ニ開カルヽ講演会ニ臨席シテ一場ノ演説ヲ為ス ○下略


養育院六十年史 東京市養育院編 第五一二頁 昭和八年三月刊(DK570074k-0004)
第57巻 p.172-173 ページ画像

養育院六十年史 東京市養育院編  第五一二頁 昭和八年三月刊
 ○第六章 学校及分院
    第二節 安房分院
○上略
 依て同月 ○明治四二年五月十六日を以て同分院開院式を挙行した。渋沢院長
 - 第57巻 p.173 -ページ画像 
は慈善会長たる同夫人同伴にて陸路を迂回して船形に着、来賓百二十余名に上り開式 ○中略 式を終り、来賓一同へ晩餐を供し午後五時散会その際院長並同夫人には当日の式を寿ぎて次の歌 ○後掲を読まれた。
○下略


渋沢栄一 日記 明治四二年 巻末(DK570074k-0005)
第57巻 p.173 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四二年 巻末    (渋沢子爵家所蔵)
    船形分院の開院式に臨みて
 うつしうゑし人のなさけを身にしめてあたになさきそ河原なてし子


渋沢栄一 日記 明治四二年(DK570074k-0006)
第57巻 p.173 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四二年      (渋沢子爵家所蔵)
五月十七日 晴 風強シ 暖
午前六時起床船形観音堂ニ詣ス ○中略 馬車ニテ富浦ニ抵リ ○中略 海岸ニ沿フテ湊町ニ抵リ午飧シ、夫ヨリ分岐シテ鹿能山《(野)》ニ登ル。山路険悪僅ニ馬車ヲ通ス、五時鹿能山ニ抵ル、本堂ヲ拝シ更ニ九十九谷ヲ眺望シ六時過下山ノ途ニ就ク ○中略 夜八時半木更津ニ抵リ旅亭鳥飼某ニ投宿ス。


渋沢栄一 日記 明治四二年 巻末(DK570074k-0007)
第57巻 p.173 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四二年 巻末   (渋沢子爵家所蔵)
    鹿野山の九十九谷を見て
 こきうすき谷間々々のふかミとり九十九にかはるゆふ日影かな
   ○養育院安房分院落成ニツイテハ本資料第二十四巻所収「東京市養育院」明治四十二年五月十六日ノ条参照。