デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

3部 身辺

1章 家庭生活
4節 趣味
1款 和歌
■綱文

第57巻 p.179-181(DK570081k) ページ画像

昭和4年11月(1929年)

是月栄一、田島武平持参ノ、明治初年宮中養蚕所設立当時ニ於ケル出殻繭ヲ見テ「出がら繭の記」ヲ綴リ、ソノ終ニ一首ノ和歌ヲ付ス。


■資料

出がら繭の記 渋沢栄一著 昭和四年一一月刊(DK570081k-0001)
第57巻 p.179-181 ページ画像

出がら繭の記 渋沢栄一著  昭和四年一一月刊
上州島村なる田島武平ぬし、一日わが許を訪はれ、携来れる繭の白きと青白なるとの二種を示されて、こは明治の御代のはじめつかた吹上の御苑内に御養蚕所を設けられける折、わが祖父なる武平はかしこき御あたりの仰せごとうけたまはり、蚕飼のわざにたけたる四人の女子たちを随へて其処に参りつかうまつりけることのさぶらひけるが、後の思出ぐさにとて申し受けて、家の宝として秘めおきつる出殻繭なり其折時の
皇后の宮には蚕子掃立のはじめよりしばしば御蚕室に成らせられ、精しく飼育のわざを見そなはせられ、宮人たちに仰せて其業を習はしめ給ひけりとぞ、しかのミならず明治の帝には八度までも其処に御幸ましまし、蚕子飼育の始め終りを叡覧ましましけるよし、祖父の日記によりて承り知るも、いといとかしこきことの極みにこそあれ、其時に祖父を薦めたまひしは即ち大人にして、いと深きゆかりあれバ、後の世の記念にいかで其ことよしを書きしるしてよといはる、これによりて思ひかへせば今より五十九年のむかし、明治四年の頃なりけむ
 - 第57巻 p.180 -ページ画像 
皇太后の官 皇后の宮深く蚕糸の道に御心をそゝがせられ、親しく蚕飼のわざミそなはし給はむとて、当時大蔵省に出仕なしたりけるおのれ仰せごとうけたまはり、吹上の御苑の内に御養蚕所建設の場所を選り定め奉りたることのありき、養蚕はおのれが生家の業にしあれば他の司人たちにはまさりて聊か知れることありければ、その御設備につきて僅に奉仕せりとハいへ、自ら宮人たちに教へて蚕飼のわざ仕うまつらむほどハ覚束なく、且大蔵省出仕に暇もなかりければ、縁者にして其業にいたり深き田島武平ぬしをおのれが代りにすゝめ申せしが、武平ぬしハ寝食をも忘れてつとめられけるにより、かしこき御あたりにおかせられても御満足に思召さるゝよし承りて深く喜びたりき、その御養蚕所ハ明治六年宮城炎上のことありける時にやめられて後赤坂なる仮皇居の御苑内にさらに御養蚕所を設けしめられ、年々蚕飼のわざ見そなはし給ひけりとぞ承る、明治六年の夏の初め、時の
皇太后の宮 皇后の宮御同列にて上州富岡なる製糸場に行啓ましましける時
皇后の宮より
  糸車とくもめくりて大御代の
        富をたすくる道ひらけつゝ
と申す御歌を賜はらせけるが
大正の后の宮にも
太后の宮の厚き御心をかしこみつがせ給ひけむ、いまだ
東宮の妃にてましましける頃
  かきりなき御国の富やこもるらむ
        しつかかふこの繭のうちにも
とよませ給ひけり、国母と仰がれさせ給ひて後、大正三年宮城の御苑内なる紅葉山にいと広く御養蚕所をしつらへさせられ、春蚕は更にもいはず夏蚕秋蚕をもなさしめたまひ折々は御親ら桑つミこがひのわざせさせ給ひて、年々あまたの糸とり、絹織らしめたまひきとぞうけたまはる
先つ年蚕糸の業にあづかれる人々に仰せて歌どもめさせられける折おのれも
  かしこしや玉の御けしの御袖にも
        こかひの桑の露をかけます
とよミて奉りけり、後にうけたまはれば其折
皇后の宮には
  うつくしミそたてし桑子繭となり
        糸となるこそうれしかりけれ
  たなすゑのみつきのためし引く糸の
        長き世かけてはけめとそ思ふ
の御歌二首を詠ぜさせ給ひ、各宮の妃の宮を始め奉りあまたの司人たちより歌奉らしめ給ひて、民間の人々よりたてまつれる色紙短冊どもとを貼交ぜとして一双の御屏風を作らしめられ、常に御傍近くおかせ給ふと承るこそいともかしこけれ
代々の 后の宮かくつぎつぎに御躬を先にして蚕糸のわざをすゝめさ
 - 第57巻 p.181 -ページ画像 
せ給ひければ、御国人誰か奮ひ励まざらむ、この業ハ年と共に栄え行きて、外国におくり出す量いとおびたゞしく、今ハ貿易品の随一とぞなれりける、げにも御歌に宣へるごと今の世の富も栄も其もとは、明治初年になれりけるこの幾粒の繭の中より出で来つるものとこそ申し得べけれ、あはれ前には
明治の帝を始め奉り
英照皇太后の宮
昭憲皇太后の宮後には今の
皇太后の宮が民のなりはひと御国の富とを思召し給ひて蚕糸の業をはげまし給ひける御ことの畏さは申し奉らむも今更ながら、御養蚕所設立の初に仕うまつりける故武平ぬしの心つくしも深く偲ばれて、そのかミの思出に堪へず、請はるゝまゝに筆をとりてたえて久しき昔の糸すぢをくりかへすになむ
  年を経てこの桑繭を見るからに
        むかしの人のいさをゝそ思ふ
  昭和四年十一月
                九十翁 渋沢栄一識
                        □□
   ○本書ノ概要左ノ如シ。
     刊年月    昭和四年十一月石版印刷
     装釘・大サ  和装・美濃紙判
     紙員(扉共) 十二丁
       本文   十一丁・一丁十二行・一行十二・三字詰(栄一書)
       扉    一丁(出がら繭の記 栄一書)
     題僉  (出がら繭の記 栄一書)
     奥書  昭和四年十一月
            九十翁 渋沢栄一識