デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

3部 身辺

2章 栄誉
1節 恩賜・褒賞
1款 恩賜
■綱文

第57巻 p.194-195(DK570087k) ページ画像

大正15年6月30日(1926年)

是日、皇后陛下、皇后宮大夫大森鐘一ヲ、飛鳥山邸ニ差遣ハサレ、栄一ニ、宮中紅葉山養蚕所生産ノ真綿一包及ビ白絹一巻ヲ賜フ。


■資料

中外商業新報 第一四四九七号 大正一五年七月五日 皇后宮お手づからの畏き真綿と絹布 屏風のお写真も渋沢子に賜る お礼言上に参内し破格の賜謁 産業開発に就ての深き思召と拝承;範を示し給ふ 紅葉山の御養蚕 並ならぬ大御こゝろ 宮内某大官謹話(DK570087k-0001)
第57巻 p.194-195 ページ画像

中外商業新報  第一四四九七号 大正一五年七月五日
    皇后宮お手づからの畏き真綿と絹布
      屏風のお写真も渋沢子に賜る
      お礼言上に参内し破格の賜謁
        産業開発に就ての深き思召と拝承
 有難き御諚 去る卅日のこと、大森皇后宮大夫は皇后陛下の思召を体して飛鳥山の邸に渋沢栄一子を訪づれ、陛下の有がたき御諚とゝもに宮中紅葉山の御養蚕所で出来た真綿一と括りと絹布一反とを伝達した。翌一日渋沢子が直に御礼言上のため宮中に参内したところ、皇后陛下には子を近く召されて拝謁を賜はり、親しく種々の御言葉を下されその間十余分に及んだ
 産業界の為 我が実業界の元老に対して深く御心をかけられ、特に多年の労苦を犒らひ給ふ思召しの現れである、陛下がまだ東宮妃殿下であらせられたころ、明治四十一年に赤坂離宮内で御養蚕を始められてから満十五年目の大正十一年に、陛下は「養蚕」といふ題を賜はつて御付の女官や御歌所の寄人たち、蚕糸同業組合中央会の役員たちに詠進を仰だされた、集まつた歌が四十数首、先般これを以て張り交ぜの屏風を造つて御養蚕所休憩室の御調度品とせられ、その屏風の写真を当時の詠進者全部に御頒ちになつた、渋沢子もそれを賜はつた一人である
 破格の賜謁 漏れ承るところによれば、陛下には今回も老体の渋沢
 - 第57巻 p.195 -ページ画像 
子をわざわざ呼ぶのは気の毒であるから、次手があつたら持つて行つてやれといふので、御手づから絹布真綿を添へて御出しになり、そこで前記の如き大森大夫の渋沢子訪問となつたのだ、単なる御礼言上の参内者に謁を賜はることもまた破格のことである、明治維新の刻苦励精時代から明治・大正にかけて実業界の中心として活動した多年の渋沢子の功労、かねては近年に至るも養育院その他の慈善事業に奔走するその熱心振りが、いたく陛下の御感に止まつてゐることは時折りの御言葉の端々にも側近宮内官が察し参らせてゐるところといはれるが今回の破格の思召しに就ては渋沢子も深くその恩寵に感激してゐる
    範を示し給ふ
      紅葉山の御養蚕
        並ならぬ大御こゝろ
          宮内某大官謹話
皇后陛下がおん親ら養蚕にいそしまるゝとは小学読本にも記載されて天下知らぬものなく肝銘してゐるところであるが、陛下がつねづね御附きの人々に、漏らさるゝといふ御言葉のふしぶしから拝察するも、「養蚕が好きで養蚕を御遣になる」といつたゝぐひのものでない
 生糸は 我が国の輸出品の筆頭である、自分がこの生糸製産の仕事に尽力して範を示したなら、民草もまた吾産業の忽がせにすべからざることを忘れないであらうとの思召しによるのだ、養蚕に専心遊ばさるゝ陛下の御心は、養蚕だけに在るのでなくて、養蚕を含む農業、農業を含む産業、生糸を中心とする輸出業、それが全般的に発展興隆して経済日本の大をなし、ひいては民安かれとの
 大目的 につながつてゐるのだ、側近に奉仕する某宮内官は語る、「陛下が未だ産業界年々の状況に心をとめさせらるゝことは驚くべきほどで、農林省・商工省から献納される各種の産業統計書・年次報告の類は年々数十冊に達するのであるが、陛下の御手許に届いたもので陛下が親しくページを繰られぬものはたゞの一冊もない、われわれは御役目柄で見るものさへ数字の並んだものは退屈するのであるが、陛下が御婦人の身であれだけ
 御努め になるのは誠に並大抵のことではない、植民地長官に拝謁の場合、地方に行啓の場合など、当該官吏も驚くほど行き届いた観察眼を以て、産業方面の御下問になつて、われわれもはたからひやひやする位である」