デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

3部 身辺

2章 栄誉
2節 叙位・叙勲・記念章
3款 外国叙勲
■綱文

第57巻 p.212-215(DK570106k) ページ画像

大正15年11月12日(1926年)

是日栄一、フランス共和国政府ヨリ贈与セラレタルグラン・クロア・ド・ロルドル・ナショナル・ド・ラ・レジョン・ドノール勲章ノ受領及ビ佩用
 - 第57巻 p.213 -ページ画像 
スルコトヲ、賞勲局ヨリ允許セラル。


■資料

日仏協会第十九回報告 昭和二年四月刊(DK570106k-0001)
第57巻 p.213 ページ画像

日仏協会第十九回報告  昭和二年四月刊
    七、叙勲
大正十五年十月左記会員諸氏ハ、日仏会館ニ関スル勲功ニヨリ仏国政府ヨリ各頭書ノ通叙勲セラレタリ

図表を画像で表示叙勲

 グラン・クロワ・ド・ロルドル・ナショナル・ド・ラ・レジョン・ドンヌール    子爵 渋沢栄一氏 グラン・オフイシエ・ド・ロルドル・ナショナル・ド・ラ・レジョン・ドンヌール  男爵 古市公威氏 オフイシエ・ド・ロルドル・ナショナルド・ラ・レジョン・ドンヌール          姉崎正治氏 同                                         木島孝蔵氏 同 シユバリエ・ド・ロルドル・ナショナル・ド・ラ・レジョン・ドンヌール         小野英二郎氏 




宮内省関係書類(一)(DK570106k-0002)
第57巻 p.213 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
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官報 第四二七一号 大正一五年一一月一七日 叙任及辞令(DK570106k-0003)
第57巻 p.213 ページ画像

官報  第四二七一号 大正一五年一一月一七日
    叙任及辞令
              正三位勲一等子爵 渋沢栄一
仏蘭西国政府ヨリ贈与シタル「グラン・クロア・・ド・ロルドル・ナショナル・ド・ラ・レジョン・ドノール」勲章ヲ受領シ及ヒ佩用スルヲ允許セラル(十一月十二日賞勲局)


宮内省関係書類(一)(DK570106k-0004)
第57巻 p.213 ページ画像

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竜門雑誌 第四八一号・第一一五―一一六頁 昭和三年一〇月 青淵先生と仏蘭西 木島孝蔵(DK570106k-0005)
第57巻 p.213-214 ページ画像

竜門雑誌  第四八一号・第一一五―一一六頁 昭和三年一〇月
 - 第57巻 p.214 -ページ画像 
    青淵先生と仏蘭西
                      木島孝蔵
○上略
 日仏の関係如此なる時に於て、大正八年(一八一九年)夏仏国里昂大学ジユーバン総長、モーリス・クーラン教授を伴ひ来朝したり、子爵 ○栄一一日両氏を午餐に招き、犬養・古市・富井・穂積・阪谷の諸氏を陪賓とす、席上総長より日仏両国文化交換機関を設くるの議あり、一同之を妙案とし共に之を考究することとせり、日仏会館は此席上に於て播種せられたり。
 翌年筆者任地里昂より帰朝し、本件に関し子爵並に有力者に謀る所あり、大正十三年三月、日仏協会は広く有志を会し、子爵司会の下に本件を附議し、結局日仏文化交換の機関を設くるに決し、子爵は六名の実行委員を挙げたり。爾来仏国と文書の往復を重ぬるも要領を得ざりしが、同年末クローデル大使来任により仏国政府の成案を知る事を得、同十二年加藤友三郎男内閣の賛助を得るに至りて創立の計画を定めたり。不幸にして同年九月未曾有の震災あり、我が経済界を倒壊し幾十年にして其復旧を見るべきや殆んど予想すること能はざらしめたり、同年十一月、筆者子爵に見え、本件に関し教ふる所あらん事を乞ふ、曰く『何ぞ震災により挫折すべけんや、唯時利あらず、暫く規模を縮少し計画を緊にして進行すべきのみ』と激励一言方針を決す。即ち有力者の間を奔走し漸く七万金を得たるにより、大正十三年二月日仏会館創立の許可を乞ひ、政府の補助金を得、其十二月多数朝野の名士を招請し盛大なる開館式を挙げたり。
 由来日仏会館の事業は文化交換により両国の進運に資するを目的とするものにして、其効果あるべきは必然なりとするも、一朝にして之を収むるを保し難し、而して之に対し帝国政府より年々補助費の交付を受け、広く有力者の賛助を得、関係の識者を会員に網羅し、或は富豪の大厦を借用し、又仏国政府より代る代る学界一流の碩学を特派せらるゝ如き、皆是れ子爵の盛徳に因るに非れば能はざる所なり。宜なるかな、大正十五年五月仏国大統領は子爵にグラン・クロア・ド・ロルドル・ナシヨナル・ド・ラ・レジョン・ドンノール(大綬章)勲章を贈与せられたり。此勲章は仏国最高のものにして、之を以て大臣・大使の偉勲を旌表す、而して其最高無上なるを以て大国の皇帝にも亦之を贈呈す、故に民間の人士に此勲章を贈るは非常なる破格の待遇にして、仏国は子爵に対し無上の光栄を寄せたるものなり。之を青淵先生渋沢子爵の仏国関係とす。


竜門雑誌 第四八一号・第五九―六〇頁 昭和三年一〇月 仏蘭西留学者中の耆宿 稲畑勝太郎(DK570106k-0006)
第57巻 p.214-215 ページ画像

竜門雑誌  第四八一号・第五九―六〇頁 昭和三年一〇月
    仏蘭西留学者中の耆宿
                      稲畑勝太郎
○上略
 尚、子爵 ○栄一と仏蘭西との関係を物語る一挿話がある。それは丁度欧洲大戦の始つた当時のこと、仏蘭西大使ルニヨール氏が、仏蘭西の軍資金借入に関して、誰に相談すればよいかと云ふことについて、私
 - 第57巻 p.215 -ページ画像 
の意見を徴せられた。そこで私は、それには政府の元勲として松方公実業界経済界の長老として渋沢子爵に相談するがよいと云ふことを進言すると共に、私は子爵に対して仏蘭西側の希望を述べて、子爵の尽力を乞ふたのであるが、その時子爵は、「長生はしたいものである。この永年の間に、私は仏蘭西に居つたことはあるが、五十年目の今日仏蘭西から日本へ金を借りに来ようとは思はなかつた。借金の御相談を受けたゞけでも愉快である」と云つて、此の仏蘭西のために非常に尽力せられ、お蔭で話が順調に運んだのであつた。
 此の時子爵の親切に対して、仏人は今に至るまで深く感謝して居る次第であつて、子爵が先年仏蘭西政府からレジヨン・ド・ノール大綬章を受けられたのも、亦故あるかなと首肯せられるのである。此の勲章は皇帝とか大統領とか、一国の元首以外には贈られない例であるに拘はらず、特に子爵が受けられたと云ふことは、如何に仏蘭西政府が子爵に感謝して居るかを推知することが出来るのである。
○下略