公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
第57巻 p.215-216(DK570107k) ページ画像
昭和2年3月2日(1927年)
是日栄一、ドイツ国大使館ニ於テ、特命全権大使ヴィルヘルム・ゾルフヨリ、ドイツ赤十字第一等記章ヲ伝達セラル。
青淵先生公私履歴台帳(DK570107k-0001)
第57巻 p.215 ページ画像
青淵先生公私履歴台帳 (渋沢子爵家所蔵)
任免叙授
同年 ○大正一五年六月十五日 独逸赤十字社第一等名誉章ヲ授与ス 同社総裁
外国人往復(一)(DK570107k-0002)
第57巻 p.215-216 ページ画像
外国人往復(一) (渋沢子爵家所蔵)
拝啓 寒威料峭ノ候御起居如何被為在候哉、奉伺候、陳者貴下是レ迄独逸国ノ為メ諸事御尽力被成下候御厚志並ニ偉功ヲ其筋於テ嘉セラレ今般独逸赤十字記章第一等贈与相成、本国ヨリ到着致候ニ付御交附致度候、就テハ右記章拙官ヨリ親シク御授与致度候ニ付、貴下御都合ノ時日御指示ニ預リ度、此段御通知旁御依頼得貴意候 敬具
昭和二年二月二十二日
独逸国大使
独逸国大使印
ドクトル・ゾルフ
子爵 渋沢栄一
貴下
図北豊島郡滝野川西ケ原一〇三六
外国人来翰ニ綴込事《(朱書・別筆)》 尊来ハ恐縮ニ付《(栄一鉛筆)》
子爵 渋沢栄一 当方ヨリ参上可致
貴下 右にて引合中《(別筆)》
記章贈呈之件《(朱書・別筆)》 二、廿四付出状
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図東京市麹町区永田町壱丁目拾四番地
緘《(朱印)》 独逸国大使館
電話銀座四一五九番
竜門雑誌 第四六二号・第七〇頁 昭和二年三月 ○青淵先生記事 独逸赤十字第一等記章を受けらる(DK570107k-0003)
第57巻 p.216 ページ画像
竜門雑誌 第四六二号・第七〇頁 昭和二年三月
○青淵先生記事
独逸赤十字第一等記章を受けらる
三月二日午前十一時。予ての打合はせにより青淵先生は独逸大使館にゾルフ大使を訪問せられ、大要左の談話を交換した趣である
先生「此程拙宅へ尊来下さる旨の御懇書を頂載致しましたが、態々尊来を頂くのは恐縮千万で御座いますし、大分老衰は致しましたけれども外出には差支へる程でもありませず、殊に何か下さる物があると云ふことでもあり、是非私の方から推参致したいと存じ、其旨を申上げました処、今日午前十一時に参上する様にとの御指示を得まして斯く拝趨致した次第で御座います」
大使「御多忙の子爵を煩はして、態々遠方まで尊来頂いたことは甚だ恐縮で御座います。私は一度本国へ帰りましたが、再び大使として任ずることになり、此程重ねて赴任致しました。就ては従来以上に御懇親に願ひたいと存じます。さて先年大使として駐在致して居りました時分に、子爵が各方面に御尽力なされ、種々なる公共的事業に御力入れのこと承知し敬服致して居りました。殊に先年独逸の貧窮な人達に対し過分の御恵与を頂きましたことは、忘るゝことの出来ないことであります。そこで私は帰国致しまして大統領ヒンデンブルグ氏に此事を懇談しましたところ、大統領も衷心より感謝しまして、何かの方法で此意志を表明したいと云ふことになり、総ての社会的御尽力の多い子爵に対して御贈するとすると何がよからうと云ふことから、結局赤十字最高記章を御贈することになりまして、私は之を自身持つて参りました。そこで本日子爵を労した次第であります。謹で記章を御取次致します。」
先生「忝く拝受致します。些細な骨折を御心に止められ、特に御厚配下されましたことに対し衷心より厚く御礼を申上げます。過賞敢て当らず、恐縮千万では御座いますが、難有頂戴致します。」