デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

3部 身辺

2章 栄誉
3節 陞爵
■綱文

第57巻 p.233-237(DK570115k) ページ画像

大正10年5月1日(1921年)

是日栄一、飛鳥山邸ニ於テ、陞爵祝賀答礼園遊会ヲ開ク。


■資料

中外商業新報 第一二六一七号 大正一〇年五月二日 十数年猶尽さん 渋沢子の答礼園遊会に自ら莞爾と誓ふて曰く(DK570115k-0001)
第57巻 p.234 ページ画像

中外商業新報  第一二六一七号 大正一〇年五月二日
    十数年猶尽さん
      渋沢子の答礼園遊会に
      自ら莞爾と誓ふて曰く
 拭つた様な五月晴れの一日、午後二時より王子飛鳥山の渋沢子爵邸に於て、陞爵祝賀に対する答礼と、八十歳の賀に対する答礼とを兼ねた大園遊会が催された、大木法相・内田外相・野田逓相・元田鉄相を始め、小川国勢院総裁・徳川家達公・伊達侯・井上侯・金子子三島子・三井男・同令夫人・大倉喜八郎男・同令夫人・中村男・大森男・米国代理大使エトワードベル氏・同夫人・伊国大使シーアリオツテイ氏・同夫人・仏国大使エドモンド、バプスト氏・支那公使胡惟徳氏・同夫人・三井養之助・三井守之助・団琢磨・浅野総一郎早川千吉郎・安田善三郎・安田善次郎・若尾璋八・山下亀三郎・馬越恭平・服部金太郎・山科礼蔵・池田謙三・成瀬正恭・永田秀次郎内田嘉吉の諸氏等朝野の知己朋友無慮七百名の参会者あり、近年稀れに見る盛会であつた
此日渋沢子はフロツクの礼装に、和装のかね子令夫人と共に庭園入口に佇みつゝ、続々入来の来客に笑みかゝつて挨拶する、斯くて
 来客 は六角堂に憩ひ或は抺茶室に入り或は愛蓮堂に登つて、遠く花の雲を延べた荒川の堤を眺むる間に定刻となり、甘酒・ビール・シトロン・紅茶・日本酒と各摸擬店は暫しシルクハツトの紳士と花の様な淑女とで賑はふ、二時半から大広間で新曲江戸紫、二人道成寺、七福神の余興に春の喜びの限りを尽し、五時半からは愛蓮堂の南庭に建てられた大天幕張り日本式食堂にて
 立食 の宴に移る、桃色と白の幔幕、緑葉の柱には大きな牡丹の花が電光に照出され、緩やかな楽の音が長閑に心を浮かせる、軈て渋沢子は起て陞爵の天恩を拝謝し、今日の盛会を喜悦して後「私は数年前より実業界を引退いたして居るも、尚幾年かの余生を以て斃れて後止むの覚悟で国家社会に奉仕したい」云々と
 莞爾 やかに挨拶あるや、徳川公来賓を代表し、至極打解けた態度で「子爵は御高齢にも不拘、平素国家の為め御尽力さる事は深く感謝する、然るに今子爵は幾年の余生と申されたが、将来数十年と修正したく思ふ」とてどつと拍手を買ひ「更に将来数十年益々過去と同様に国家に尽力せらるゝ事を切に祈る、英国の政治家グラッド・ストンはグレート・オールドメンの
 名称 を附せられたが、我渋沢子にも此名称を献じても敢て不当でないと確信する」と結んで打解けた答辞があつた、渋沢一家の繁栄の為め万歳三唱の発声を執つた、と子爵は再び立つて「公爵は将来数十年に修正せよとあつたが、私は十数年としたい」とて和気靄々たる裡に午後六時頃散会した、幸福そのものゝ如き奏楽の音が何時までも邸内に流れて……


竜門雑誌 第三九六号・第六六―六八頁 大正一〇年五月 ○陞爵祝賀答礼園遊会(DK570115k-0002)
第57巻 p.234-237 ページ画像

竜門雑誌  第三九六号・第六六―六八頁 大正一〇年五月
 - 第57巻 p.235 -ページ画像 
    ○陞爵祝賀答礼園遊会
 青淵先生には昨年九月の陞爵に付祝意を寄せられたる朝野各方面の人々に対し、当時答礼の意を表せらるゝ御考なりしが、折柄病気に冒され療養中寒冷の候となりたるに付、遂々差控えられたりしが、御健康全く恢復し、且新緑の好季節と成りたるを機とし、本月一日午後二時より曖依村荘に於て右答礼の園遊会を催されたり。
 当日は連日の霖雨全く跡をたち、拭ひし如き快晴にて、定刻前より参会の諸氏陸続として引きも切らず、門外は自動車腕車を以て埋められ、其車台数の多き実に未曾有なりと称せられたりき。
 来客は庭園入口に於て青淵先生並に令夫人の挨拶を受けて庭に入り或は晩香廬に憩ひ、或は牡丹・藤・躑躅の園内を逍遥し、茶室に、愛蓮堂に逝く春を賞したり。かくて定刻となるや、青葉若葉の薫り清々しき木蔭に設けられたる摸擬店は一時に開かれ、午後二時半よりは大広間に於て余興始まり清元新曲「江戸紫」及び長唄「二人道成寺」並に同「七福神」等の踊並に丸子の独唱相次で演ぜられ、午後四時三十分余興を終り、続て食堂は開始せられたり。
 食堂は園庭に大天幕を以て特に設けられ、内部天井並に四壁は桃色と白色の幔幕を以て張詰められ、柱及欄間等は緑葉を以て飾り、牡丹の造花を鏤めて清新の気溢れ、窓外には新緑燃ゆるが如く、南風薫ほる裡に一同順次着席すれば、緩かに奏する楽の音長閑に流れて興つきず、軈て宴半にして、青淵先生は起つて左の如き挨拶あり
 閣下、淑女紳士諸君、本日は皆様御多用の方々を此小宴に御招ぎ申上げましたが、百事不行届で、甚だ恐縮に存じます、幸に好天気を得まして、皆様方に御難儀を掛けませぬのが、未だしもの幸ひと自身は深く悦ぶので御座います。
  今日此小宴を設けました理由は、昨年私が存じも寄らぬ陞爵の恩命に接しまして、天恩の優渥なる感激の至りで御座いますけれども我身の不肖を顧みますと、寧ろ恐懼に堪へぬので御座います。左りながら御集りの皆様方からも其事を御悦び下さいまして、或は書面を以て、或は御言葉に依つて、種々なる御祝詞を下し置かれました事は、是れ又深く感佩致すので御座います。早速感謝の意を表する為めに小宴を設けて御礼を申上げたいと思ひましたが、折柄病気に罹りまして、又続いて厳寒の候と相成りました為めに旁々差控へて居りましたが、丁度此新緑の時季、或は宜しきを得るかと考へまして、遠方をも憚らず斯かる処へ御臨場を願上げました所が、内外の貴紳の方々が御打揃ひで斯く多数の臨場を得ました事は、私をお愛し下さる御厚情と深く感佩致すので御座います。
  御承知の通り私は数年前より実業界を去りまして、全く老齢を養ひ居る身柄で御座いますから、社会に対して何等貢献する所は御座いませぬけれども、未だ残躯数年を支へ得ると考へまして、或は国家に若くは社会に微力を奉仕致して居るので御座います。図らずも斯かる朝恩を蒙りました事は、実に心魂に徹して有がたい仕合せと思ひます。此報謝としましても、尚ほ勤勉事に膺らなければならぬと深く感銘致して居る次第で御座います。故に私は残躯幾許も御座
 - 第57巻 p.236 -ページ画像 
いませぬけれども、古人の言はれました通り、所謂斃れて後已むの覚悟を以て、国家・社会に奉仕致す方針で御座います。
  従来御懇命を受けて居ります諸閣下、淑女紳士諸君、何卒前申上げましたる微衷を諒とせられ、引続き御懇命御指導下さる様懇願致します。玆に御臨場の皆様方の御健康を祝する為めに盃を挙げて御祝ひ致したう御座います(主客一同起立乾盃)
これに対し、徳川公爵は来賓一同を代表して、左の如き答辞を述べらるゝ所あり
  渋沢子爵閣下並に令夫人、本日は各大臣閣下其他私より席次のお高い御方々が多数お出に相成りますにも拘らず、私に一言答辞を申上げるやうにと云ふことで御座いますが、私としては甚だ僭越極まる事で御座りまして、恐縮に堪へませぬが、渋沢家と徳川家とは以前よりの関係も御座りますから、殊に私に一言申せと云ふことであらう考へます。悪からず御諒承を願ひます。
  昨年渋沢子爵には多年国家の為めに御尽力に相成りました廉を以て 陛下より陞爵の恩命を蒙りました事は洵に当然の事であると考へます。子爵に於かれましては殊に御高齢にも拘らず、平素国家の為めに非常に御尽力に相成つて居ります事は我々の深く感佩致す次第で御座ります、尚ほ将来も只今子爵には数年と云ふことを仰せられましたが、私は数十年と云ふことに修正致したく考へます(拍子起る)子爵に於かれましては、将来数十年即ち二十年も三十年も過去と同様に国家の為めに御尽力に相成ることを切に祈る次第で御座ります。私が先年英吉利に居りました時分に、彼の政治家なるグラツドストン、諸君も御承知で御座りませうが、彼の人は非常の高齢にも拘らず、下院議員として国家の為めに非常に働きました故に、グランド・オールド・メン即ち偉大なる老紳士と言はれて居られました、私は渋沢子爵は日本のグランド・オールド・メンであらうと考へます(拍手起る)斯くの如き名称を子爵に捧げまして決して不当ではないと確信して居ります。玆に私は本日お招きに与かりました一同に代りまして、盃を挙げて陞爵の御祝を申上げ、併せて子爵家の御繁栄を祈る為めに万歳を三唱致したく存じます(一同起立徳川公爵主唱、万歳三唱)
 右に対し青淵先生は再び起つて左の如き挨拶あり。
  只今徳川公爵閣下より痛み入りました御挨拶を頂戴致して、更に身に余る光栄を荷ひました次第で御座います。殊に数年と言はず数十年と修正致すと云ふ御命令は、公爵の御沙汰の通り、私もドウゾ数十年に致したいと思うて居ります(拍手起る)が併し是れ許りは公爵は扨置いて、更に貴き君命でも、少しお受け致し兼ねはせぬかと案じて居ります。実は今日此小宴を設けますに就て朝来ひどく天気を心配致しました。折角お出を戴いても、若しビシヨビシヨ降つて居るやうな事では諸君の御迷惑は嘸かしと内々天を祈つた、其祈りが利いた訳ではなく、お出で下さる皆様方の御運の好かつた為めに今日充分の天気を得ましたのは、是れは私の望外の仕合せと謂ふよりは、尊来下された皆様方の望外のお仕合せの賜ものと感謝致す次
 - 第57巻 p.237 -ページ画像 
第で御座います。斯く幸運なる私で御座いますから、丁度公爵の御沙汰の通り数年の寿命が更に延びて或は数十年になるかも知れぬと私は窃に心に悦ぶ次第で御座います。夫も此も満堂諸君の御厚情、御誘導、御補助に頼ります事で、今後とも宜しく懇願致す次第で御座います。玆に更に一言御礼を申上げます。(拍手起る)
斯くして一同和気靄々裡に散会せるは午後六時頃なりしと云ふ。
 尚ほ此日園遊会の砌、野田逓相は
  千年の松や緑の飛鳥山
 と詠じ、又大倉男爵は
  飛鳥山変る浮世にかはらぬは
        年寄り若葉青淵の大人
 と詠じて青淵先生の寿齢を寿きたりと云ふ。
 尚当日来会せられたるは仏蘭西大使・伊太利大使・支那公使・米国代理大使・白耳義代理大使・内田外務大臣・野田逓信大臣・元田鉄道大臣・大木司法大臣・大岡外交調査委員・小川国勢院総裁・大森皇后大夫・岡警視総監・公爵徳川家達・侯爵井上勝之助・侯爵伊達宗陳・子爵岡部長職・子爵金子堅太郎・男爵穂積陳重・男爵阪谷芳郎・男爵中村雄次郎・男爵伊集院彦吉・男爵目賀田種太郎・男爵古市公威・男爵三井八郎右衛門・男爵大倉喜八郎・安田善次郎・浅野総一郎・早川千吉郎・和田豊治・藤山雷太・佐々木勇之助・野村竜太郎・馬越恭平大橋新太郎・団琢磨諸氏、其他約八百名なりしと云ふ。