デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

3部 身辺

3章 賀寿
2節 喜寿
■綱文

第57巻 p.295-298(DK570143k) ページ画像

大正5年+月(1916年)

是月、合資会社清水組社員清水満之助、栄一ノ喜寿記念トシテ、飛鳥山邸内ニバンガロー式小亭ヲ建築スルコトトシ、其目録及ビ賀詞ヲ献呈ス。


■資料

竜門雑誌 第三五七号・第八三-八四頁 大正七年二月 ○清水満之助君青淵先生喜寿の記念(DK570143k-0001)
第57巻 p.295-297 ページ画像

竜門雑誌  第三五七号・第八三―八四頁 大正七年二月
○清水満之助君青淵先生喜寿の記念 本社会員合資会社清水組社員清水満之助君は、一昨年青淵先生が喜寿に躋らせられたるを機とし、同君の祖父喜助氏が明治初年以来青淵先生の寵遇を蒙りてより、爾来数十年間の久しきに亘りて其高庇に浴せるを紀念せんが為め、賀詞及小亭並に小亭用備品・同附属品等を献呈して玆に青淵先生の貴寿を賀せられ併せて其隆恩に報ゐらるゝ所ありたる由。飛鳥山曖依村荘の花園に建設せられたる瀟洒たる小亭は即ちそれなりとぞ。
 因に、同君より青淵先生に献呈せる賀詞及び目録左の如し。
      賀詞
 青淵渋沢先生夙唱済民之術克拡経世之業故先生見世人如育子世人亦仰先生如慈親謹謂天与有徳無吉不利也今歳先生会喜寿佳辰世人無不景仰者況辱呢荷恩之徒豈不欣而慶哉皆祈君子万年眉寿無彊顧明治初年祖父喜助始辱先生寵遇爾来幾十年久依高庇偏浴優恩惟感銘殊深不知徳可報也玆際此嘉辰営此小亭併具器用欲献以賀貴寿且報隆恩古人云物薄情厚希勿㡿鄙姓同族献芹微意
  大正五年歳在丙辰十月吉辰       清水満之助再拝
    目録
一小亭 バンガロー式 壱棟 清水満之助本店建造 技師長田辺淳吉設計監督
    建坪柱中真ニテ弐拾壱坪八合九勺
    木造瓦葺平家建
    家具電灯窓掛敷物其他附属品添
一小亭用備品  壱揃
 麻七子地唐草紋様卓子敷     壱枚  津田青楓作
 麻七子地菓鳥紋様円卓子敷    弐枚  同人
 蝋纈クシヨン          壱対  藤井達吉作
 刺繍卓子敷           壱枚  同人
 剞木巻煙草入          弐箇  川上邦世作
 剞木葉巻煙草入         壱箇  同人
 銅槌起湯沸           壱箇  近森岩太作
 銅槌起七宝入灰落        参箇  同人
 - 第57巻 p.296 -ページ画像 
 船形紋様刻大銅盆        弐枚  石田英一作
 草花紋様茶托          拾八客 同人
 モール式指洗椀         拾八客 同人
 金唐皮塗草花紋様円盆      弐枚  磯矢完山作
 金唐皮塗無地盆         参枚  同人
 唐銅透唐草紋様花盛       壱箇  高村豊周作
 唐銅三把手蕃紋花瓶       壱箇  同人
 手捏陶製花瓶          壱箇  福田直一作
 赤絵草苺絵紅茶器        拾八客 河合卯之助作
 豌豆絵珈琲器          拾八客 同人
 橢円手捏大皿          弐枚  同人
 磁器果物盛           弐枚  清水六兵衛作
 著彩木瓜絵中皿         拾八客 同人
 絵高麗手番茶器         拾八客 同人
 木器式青釉菓子鉢        壱箇  富本憲吉作
 金属器式菓子鉢         壱箇  同人
 寿字雪竹紋様菓子鉢       壱箇  同人
      以上
   小亭附属品表
一家具
 楢材大卓子           壱箇
 楢材八角小卓子         弐箇
 楢材円小卓子          壱箇
 楢材長椅子           壱脚
 阿計備編安楽椅子        参脚
 阿計備編肘掛椅子        拾脚
 阿計備編中椅子         四脚
 英国製小椅子          弐脚
 楢材帽子掛           壱箇
 楢材傘立            壱箇
 楢材食器戸棚          壱箇
 楢材暖炉薪箱          壱箇
 銅板製暖炉焚蓋         壱箇
 鉄製暖炉三道具         壱箇
 暖炉犬金物           壱箇
 梻材台流            壱箇
 瓦斯火炉            壱箇
 鏡面並ニ壁附化粧台       壱組
一電灯
 銅製天蓋形淡貝硝子入      弐箇
 銅製壁附ブラツケツト      弐箇
 鉄製鎖釣灯籠          壱箇
 鉄製鉛組硝子入釣灯籠      壱箇
 木製金具附掛行灯形       壱箇
 - 第57巻 p.297 -ページ画像 
一窓掛
 麻琥珀地草花紋様無双仕立    壱ケ所
 麻琥珀地草花紋様窓用      参ケ所
一敷物其他
 寿織大敷物           弐枚
 毛段通暖炉前敷         弐枚
 橢円形入口敷藺座大       壱枚
 同上小             弐枚
 白リネン大卓子掛        壱枚
 白リネン小卓子掛        参枚
 菓子用ナイフフオーク      壱箱
 茶用スプーン          壱箱
      以上


清水建設百五十年 同編纂委員会編 第一一六―一一八頁 昭和二八年一一月刊(DK570143k-0002)
第57巻 p.297-298 ページ画像

清水建設百五十年 同編纂委員会編  第一一六―一一八頁 昭和二八年一一月刊
 ○第四篇 昭和時代 終戦迄(一九二六―一九四五)
    渋沢栄一翁の逝去と晩香廬
○上略
 先に清水組は其の恩顧に報いるため、大正六年(一九一七)翁の喜寿に際して飛鳥山の別邸曖依村荘内に瀟洒な小亭を造つて贈呈した。翁は自分の作である漢詩「蘭花晩節香」から「晩香廬」と名ずけて此の小亭を愛したのである。
 晩香廬は大正六年(一九一七)の四月着工し、同十一月に大体落成したが、調度品その他準備の都合で、翌年(一九一八)七月から使用された。
 室内ストーブの上に桑で作つた大額をかけ、額面には穂積歌子女史(渋沢栄一翁長女穂積陳重夫人)の撰文を篆刻して翁の風尚を記し、翁と清水家との関係を録した。
 その天命を楽しみて復奚ぞ疑はむ、といひけむ昔の人の言の葉をさながら、その高節を全くする人、いまの世にもおはしけりな。
 青淵渋沢の大人齢は徳と共に高く、去ぬる大正五年七十七歳に躋りていよいよすくやかにおはするを、なべての人ことほぎまつりけるが中に、清水満之助ぬし其の一族の人々とはかり、曖依村荘の園内に一つの小亭を構へ、調度をさへ残るかたなくととのへて、ことほぎのおくりものとせられぬ。
 清水家は祖父喜助ぬしの世より三代をかけて大人との交り深く、大人常に其の家業の後見をせられければ、こたびのことほぎに謝恩の心を表わさむとて、かかる設して贈られたるなりけり。その真心の厚きを大人はいたく欣びたまひ、曾て自らのから歌に菊花晩節香など詠じて、常に好める語と誦し給へるをとり出てて、やがて晩香廬となむ名づけ給へる。事繁き御身は此所にしも明け暮れ風月を楽み給ふこそおわしまさね。折々は子弟をつどへて身を修め世に処する道を教へ、或時は名士を請じて世を利し民を済ふてだてを議るにいと便よき所なりと愛で給へり。さて籬のほとりに菊あまた植えられたれば、おのづか
 - 第57巻 p.298 -ページ画像 
ら五柳先生の宿の趣にや通ふらむ、陶淵明は帰去の後東皋に嘯き清流に賦し世と相遺る事をもて志の高きものと為たりき。この宿の主の君は然らず、冠を掛け給ひてより四十とせあまり、常に御国の実業を盛んにせむ御心づかいに片時もやすらひ給はず、喜寿を過ぎて実業界より退きたまひし後は専ら精神界に力を尽して教育慈善の事を初め諸々の社会事業をもて老後のつとめとし、我が身をしもわたくしのものとし給はず、国の為め世の為めにいそしみ給ひて、むしろの暖がなる暇だにあらぬを、それはた自らの天職として楽みて事とし給へば、常に綽々として余裕あり、東籬の菊おのづから御心の底にかほれば、悠然南山を見るといふにもまさりて、いと長閑やかにぞ見え給ふ。古人の退きて己を清くしつると、大人の進みて世の為につくしませると、天命を楽む心こそ一つなれ。たのしむ道のまさりおとり、そもいづれとかいはむ。
 あはれ、この新室の窓にさし入る月日の光は、主の君のいさをのかがやきと見るべく、籬に匂ふ菊の薫は大人が晩節の香にやはあらぬ。かくて、とはにまさきくいまして、ますます天職を尽し天命を楽しませ給はむには、これ清水家一族の人々の、喜びのみにはあらざらんかし。
  大正七年菊月            穂積歌子しるす
                     阪正臣書く
                      松陽禄刻
 清水組が渋沢翁からうけた恩恵は、顧問とか或は相談役といつた個人的な面もあるが、清水組を興隆期の財界に結びつけたところに其の偉大な意義がある。翁は明治・大正を通じて日本の経済界の先達であり、翁につながることが即ち日本経済につながることであり、政治・経済・学界にもつながつているのと同じことであつた。
  翁を失つた清水組は、今その大綱を断たれ自らの力に頼らなければならなくなつた。