デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

3部 身辺

3章 賀寿
4節 米寿
■綱文

第57巻 p.355-363(DK570168k) ページ画像

昭和3年(1928年)

栄一、米寿ニ際シ、徳川達孝外数十人ヨリ賀寿ノ漢詩・和歌・俳句其他ヲ贈ラル。


■資料

竜門雑誌 第四八一号・第四〇八―四一三頁 昭和三年一〇月 青淵先生米寿祝賀文藻(DK570168k-0001)
第57巻 p.355-360 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
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斯文 第一〇編第一二号・第八二―八四頁 昭和三年一二月 恭賀青淵渋沢子爵之米寿(DK570168k-0002)
第57巻 p.360-362 ページ画像

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二松 第七号特輯渋沢青淵先生追悼号・第一四―一五頁 昭和六年一二月 青淵渋沢先生八十八寿序 達山 佐倉孫三(DK570168k-0003)
第57巻 p.362-363 ページ画像

二松  第七号特輯渋沢青淵先生追悼号・第一四―一五頁 昭和六年一二月
    青淵渋沢先生八十八寿序
                   達山 佐倉孫三
我二松学舎長子爵渋沢先生躋八十八寿域。同人相謀献寿觴。不肖亦謹呈鄙言。古人以立言立功立徳之三為不朽之感事。適有其一。足以頌。而先生今能兼之可謂偉矣。先生天資英遇。夙励文武。壮歳痛憤時事。将与同志挙事。謀漏。去潜京師。偶獲一橋公知遇。随水府公子逝欧洲学成而還。是為先生展驥足之首途矣。後為公立伝。拮据数十年。網罹
 - 第57巻 p.363 -ページ画像 
無遺。其費亦不貲云。頃有論語講義之著。闡前人所未発。是非立言者而何耶。及徴為大蔵大丞。与当路諸公相討議。建財政之基礎。既而挂冠。創設銀行。大培養国本。其間屡航米洲。又遊清国。疏通彼我意思以資国交。是非立功者而何耶。常欽楽翁公之風。紹其遣緒。経紀養育院。広憫無告。且深慨斯文之衰頽。為我学舎極力尽瘁。欲奏廻瀾之功是非立徳者而何耶。凡此等事蹟。皆以古学為経。以新智為緯。渾然融洽。以成其美。是以以中洲先師作論語算盤説贈之。嗚呼亦盛矣哉。昔者禹之治水也。過家門而不入者十三年。伝以為神矣。先生六十余年間以民生財理之事担双肩。処則訪客如雲。出則軽車斬風。其勤其労何譲大禹。然而今之所患者。不在洪水之氾濫。而在於財源之涸渇。不在財源之涸渇。而在於人心之頽廃。荀欲救治之。則不得不待先生之霊腕。然則先生之寿即自然之公寿。而非一己之私寿。賀之者亦宜以天下之公言。不可以一家之私言也。不肖蒙先生之眷顧。非一朝一夕。其表慶頌寿之事。豈落人後而可乎哉。