デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

3部 身辺

5章 交遊
節 [--]
款 [--] 3. 井上馨
■綱文

第57巻 p.435-438(DK570190k) ページ画像

昭和5年10月(1930年)

是月栄一、「世外井上公伝」ノ序文ヲ撰ス。


■資料

〔参考〕青淵百話 渋沢栄一著 坤・第六五二―六五七頁 明治四五年七月四版刊(DK570190k-0001)
第57巻 p.435-436 ページ画像

青淵百話 渋沢栄一著  坤・第六五二―六五七頁 明治四五年七月四版刊
    八四 忘れ難き両先輩の親切
○上略
 余は四十年来心に感銘して忘る能はざる親切の先輩が二人ある。而して其の一人は井上馨侯、他の一人は故伊藤博文公であつた。井上侯は余が大蔵省に奉仕して居た頃よりの先輩で、明治六年五月には大蔵大輔の職に居られたのであつたが、政府の人と意見を異にし、決然大蔵省を去られた。其の時余も亦袂を連ねて大蔵少輔の職を退いて以来今日まで引続いて交際を継続して居る。侯には時によると随分筋違ひのお小言を頂戴することもあるが、其の正心誠意の親切には、知らず識らず心服させられ、身に染みて感謝することが多い。、
○中略
 処が一日井上侯が、突然兜町の余が家(其の頃余は兜町の三井家所有の家屋に住居して居た)に訪ねて来られ、一緒に飯喰ひに行かぬかと誘はれた。其の頃井上侯とは毎々共に料理屋なぞへ出入したもので重要の相談や協議をも左様いふ所で行つたのであつたから、其の日も誘はるゝまゝ、何の気無しに山谷の八百善へ行つた。四方山の話をしながら夕飯を仕舞つたのであつたが、侯は膝を進めて『時に小野組が大分危い様子だが、一体銀行から貸出してある金に対しては如何いふ処置を取る決心か。独り君の前途に関係するばかりでなく、経済界の為にも心配の次第で、創立したばかりの銀行がうまくゆくかゆかぬかはまた新たに事業を起さうとする者にも非常な影響を来す訳である。実は此事に就いて君の意見を聞き度いばかりに来たのであるが、他人の居る所では話もしにくいから、態々此処まで来て貰つたのである』と曰はれた。余は実に思ひもよらぬことで、其の前にも小野組のことに就ては多少話もしないではなかつたが、侯がこれ程までに心配をして居て下さらうとは思はなかつた。それも一時の気休めやお世辞で曰はるゝのではなく、真からこれ程までに自分の為に思つて呉れるかと思ふと、其の親切の心に対して余もまた動かされざるを得ない。これまで小野組に対して兎角躊躇して居たことも、玆に始めて堅く決心することが出来た。それで余は侯に対し『実は斯々に処分しようと計画を立てゝ居たのである』と、一々精細に前後の始末を物語つて『此の事は小野組へは相談が整つて居るが、未だ三井家との交渉が出来て居らぬ』といふと、侯は『宜しい、三井家の方は私から話してやらう』と曰はれ、お蔭で此の事件も予定通りに結了し、百数十万円も貸出してあつたものに対して、僅に一・二万円許りの損失で此の難関を切抜けることが出来た。若し此の時に井上侯の親切な言葉が無かつたなら
 - 第57巻 p.436 -ページ画像 
ば、第一銀行は今日どうなつて居たか判らない。当時の事を想起すると、無事に過すことの出来たのは、実に侯の力に藉ることが多いと思ひ、沁々其の親切心を感謝して居る。今も時々此の時のことを侯にお話すると、『其の様なことが有つたかね』と笑つて居られる。
○下略



〔参考〕青淵回顧録 渋沢栄一述 小貴修一郎編 上巻・第七七七―七八八頁 昭和三年三月五版刊(DK570190k-0002)
第57巻 p.436-438 ページ画像

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