デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

3部 身辺

5章 交遊
節 [--]
款 [--] 4. 大隈重信
■綱文

第57巻 p.439-440(DK570194k) ページ画像

大正11年1月10日(1922年)

是日栄一、アメリカ合衆国ノ旅行ヲ終リ、サン・フランシスコヨリ帰国ノ途ニツク。同日大隈重信逝ク。


■資料

竜門雑誌 第五〇四号・第六〇頁 大正一一年一月 ○大隈侯爵薨去(DK570194k-0001)
第57巻 p.439 ページ画像

竜門雑誌  第五〇四号・第六〇頁 大正一一年一月
○大隈侯爵薨去 大勲位侯爵大隈重信氏は昨秋以来健康勝れず、専ら病を早稲田自邸に養はれつゝありしが、去一月九日夕刻より全く昏睡の状態に入られ、翌十日午前四時四十分、畢に眠るが如く薨去せられたるは国家の為め洵に痛嘆に堪えざる所なり。亨年八十五。侯危篤の趣天聴に達するや、特旨を以て、従一位に進められ菊花章頸飾を授けらる。
 因に同侯爵家にては同日午後六時薨去の旨発喪すると同時に、十七日正午十二時より午後三時まで日比谷公園に於て神式に依り告別式を営み、右終つて音羽護国寺に埋葬せらるゝ由。
 故侯爵と青淵先生との親交は今更らしく説明する迄もなき所なるが故侯が明治二年新政府に任官の事を青淵先生に力説せられ、先生又故侯の説の快闊雄大なるに服し素志を翻して官務に就きたる以来、朝に在ると野に在ると問はず、前後実に五十有余年交情遂に渝ることなかりき、大正九年秋本社主催の青淵先生八十寿並陞爵祝賀会に於て故侯爵が「多分五十年の旧友は未だ御出になるかも知れぬが、真に始めて御目にかゝつて以来、一見旧知の如く、五十年親しみ続けたといふ交りは少いのである」と告白せられしは又以て其情を推するを得べし、然るに青淵先生今海外万里の旅に在りて此老親友の訃報に接せらる、其感慨、其痛心実に想像に余りあり、嗟。


竜門雑誌 第四〇六号・第四四―四六頁 大正一一年三月 ○原・大隈・山県の三政治家(DK570194k-0002)
第57巻 p.439-440 ページ画像

竜門雑誌  第四〇六号・第四四―四六頁 大正一一年三月
    ○原・大隈・山県の三政治家
 本篇は「実業之世界」三月号に掲載せられたる青淵先生の談話なりとす。(編者識)
○中略
△大隈侯の薨去 私の旅行中に大隈さんもなくなられてしまつた。
○中略
 私が昨年十月初め、渡米することに定つてから、一度侯を早稲田に訪うた。侯はその前から病気であつたが、その時は大した事はないやうであつた。そして病中にも係らず、アメリカの事に就いて談話をなし、どうしても戦争をするやうなことをしてはならんぞといつて、私にも出来るだけその意味で、尽力されたい旨を述べられた。
○中略 昨年十月十二日即ち横浜解纜の前日再び隈侯を訪問したが、その時信常君がをつて、せつかくではあるが、病状が面白くなく亢奮するといけないからと言つて、面会する事は出来ず、いづれ機を見て私の
 - 第57巻 p.440 -ページ画像 
来たのを話して下さいといつて辞去したが、此の間、使命の幾分を果して帰国して、久し振りでお目にかゝつて、いろいろ話さうと思つたのに、既に再び相見る事の出来ぬ永久の眠りに就かれたのは遺憾千万である。 ○下略