デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

3部 身辺

5章 交遊
節 [--]
款 [--] 18. 牛島謹爾
■綱文

第57巻 p.497-502(DK570247k) ページ画像

大正15年9月2日(1926年)

是日栄一、牛島謹爾ノ遺族ヲ飛鳥山邸ニ招キテ懇談シ、爾後種々助力ス。


■資料

集会日時通知表 大正一五年(DK570247k-0001)
第57巻 p.497 ページ画像

集会日時通知表  大正一五年       (渋沢子爵家所蔵)

図表を画像で表示集会日時通知表  大正一五年

 七月廿四日 土  午前九時半  牛島氏令息小畑氏同道来邸(飛鳥山邸)   ○中略。 九月一日  水  午前十一半時  牛島未亡人ト御会見(事務所) 九月二日  木  午后三時    牛島氏未亡人其他御招待(アスカ山邸)          午后五時 




(増田明六) 日誌 大正一五年(DK570247k-0002)
第57巻 p.497-498 ページ画像

(増田明六) 日誌  大正一五年     (増田正純所蔵)
九月一日 水 曇雨ナシ              出勤
○上略
午前故牛島謹爾氏夫人の来訪を受け、事務処ニて面会後同氏ハ子爵ニ面会、明日更ニ午後三時より飛鳥山邸ニ於て更ニ会談を約す
○下略
九月二日 木 晴                 出勤
○上略
 - 第57巻 p.498 -ページ画像 
午後三時飛鳥山邸青淵文庫ニ於て牛島氏未亡人、息東豪・麟児・娘妙子の三氏同伴、渋沢子爵と会談、小生及小畑参列、要談ハ故牛島氏事業ニ関してなるが、同氏ハ生前其事業ニ関して夫人等ニ語りし事無く突然逝去したるを以て其状況知るニ由なく、夫人等ハ一時亡然自失《(茫)》の有様なりしが、日を経るニ従て漸く分明となりしハ、故人の事業ハ著るしく拡大され、其代ハりニ債務増大し、今ヤ債権者ニ依りて全財産ハ差押へられ、遺族ハ只単ニ其成行を傍観するの有様なるが、此際東豪としてハ故人の遺業を継承すべきものなる哉、将又他ニ取るべき途ある哉との質問なりしが、子爵ハ右債務及債権の状況を知悉するニあらされば判断する事能ハさるも、要ハ東豪氏の決心如何ニあり、故人とて始めより財産を為せるニあらす、今日迄の苦心ハ蓋し惨恒《(憺)》たりしものあらん、同氏ニして一大決心を以て父君の事業を継承する決心ならハ挽回敢て難事と云ふへからす、故ニ氏ハ先つ帰米の上ハ貸借の関係を知悉して将来の方針を確立すべし、就てハ右貸借の処理ニ関し相談相手を設くる事必要なるべキニ付き、幸ニ父君の生前懇親を厚うしたる正金銀行桑港支店長小島久太氏ニ之を依嘱する事最可なるを以て予より同行頭取児玉謙次氏ニ之を諮り、尚別ニ桑港総領事武富時彦氏にも之が尽力方依頼すべしと種々懇切なる談話あり、夫人並三子とも子爵の至誠ニ感し深く感謝の意を表したり
午後五時浮田和民氏夫妻・宮崎小八郎氏来会、雑話の後六時より晩餐ニ移り、鄭重なる料理(錦水)の饗応あり、一同歓を尽し九時半散会
九月三日 金 曇                 出勤
○上略
午後二時子爵児玉正金銀行頭取と会見、牛島東豪を其席ニ招き、前日の談話ニ基き種々懇談せらる、児玉氏子爵の希望を快諾し、幸ニ紐育支店長柏木氏帰任船を同ふするニ付き、同人より小島支店長ニ克く伝へしむべきニ付き、尚船中ニ於て東豪氏より同人ニ詳話ある様との懇談あり
東豪氏ハ過般帰朝当時ニ在りてハ、将来の方向定むるニ由なく五里夢中ニ彷惶するの状態なりしが、昨日子爵ニ面会種々談話を承ハり、爾来自分ながら別人となりし感あり、勇気倍加したりとて、大ニ悦ひ居れり
○下略
九月四日 土 強風雨               出勤
○上略
先是子爵の急命ニ依り飛鳥山邸ニ参上、本日帰米の途ニ就く牛島東豪氏ニ交付すべき武富総領事宛紹介状を受領し、急き事務処に出勤し、桑港正金銀行支配人小島久太氏宛子爵名義の紹介状を認め、午前十一時半小畑久五郎氏ニ交付す、氏ハ子爵の命ニ依り横浜ニ東豪氏を見送りニ赴くなり、時ニ強風豪雨至り同氏之を犯して至る、船中(コレヤ丸)にて東豪氏ニ面会し、柏木氏ニ引き合ハセ、両紹介状を交付して帰京す
○下略

 - 第57巻 p.499 -ページ画像 

渋沢栄一書翰 控 武富総領事宛 大正一五年九月四日(DK570247k-0003)
第57巻 p.499 ページ画像

渋沢栄一書翰 控  武富総領事宛 大正一五年九月四日   (渋沢子爵家所蔵)
          (九月四日帰米《(別筆)》する牛島東豪氏ニ添書)
             大正十五年九月四日付牛島東豪氏紹介状《(朱書)》
未得拝眉之機候へ共賢台益御清適之御事と遥賀仕候、然者突然一書を呈して拝願仕候も頗る欠礼且卒爾之致方に候得共、玆に御紹介と同時に品によりては御高配御批護相願度と存候は、拙書持参御引見を希望いたし候牛島東豪氏身上に御座候、同氏は曾て御面識も被下候筈なる牛島謹爾之嗣子にて、今尚在学校之由にて、過般其母及弟妹と共に帰朝せられ候に付、老生は故人とは特に懇親之間柄にも有之候旁再三会見致し、未亡人及前陳之東豪氏等に対し牛島氏従来経営致来候事業之現状承合候も正確詳細に知り得さる趣に有之、殊に彼之欧洲大戦後之一般人気に煽動せられ、故謹爾氏にも少しく得意に乗して過度之経営に出候辺も有之哉に察しられ候に付、故人の事業をして面目失墜せさる様維持被致候義は随分之難事と相見へ候
右等に付敢て賢台に御保護相願候には無之候へ共、従来故人に於て米人との取引若しくは其関係上品によりては御配慮御指導相願度事共有之候時は、東豪氏又は其援助者より拝顔之場合も可有之と存候間、所謂遠隔之老婆心なから特に懇願仕候、尚横浜正金銀行桑港支店長にも本店の児玉頭取を通して委曲依頼致置候義に付、自然御打合の機会も有之事と存候、右之牛島東豪御紹介旁故謹爾氏之遺業維持被致度懸念之余り終に奉願貴案候次第、呉々御諒恕被下度候 匆々敬具
  大正十五年九月四日
                      渋沢栄一
    武富総領事殿
            侍史


渋沢栄一書翰 控 小島久太宛 大正一五年九月四日(DK570247k-0004)
第57巻 p.499-500 ページ画像

渋沢栄一書翰 控  小島久太宛 大正一五年九月四日   (渋沢子爵家所蔵)
             (九月四日帰米《(別筆)》の途ニ就ク牛島東豪氏紹介状)
             大正十五年九月四日付牛島東豪氏紹介状《(朱書)》
 横浜正金銀行桑港支店
  小島久太様
拝啓 時下益御清適賀上候、然は乍突然牛島東豪氏に本書相添候は、故謹爾氏之後事に関し種々憂慮すべき事共承及候に付き、特に貴兄に御心添方願度と存候為に候
先般目下帰朝中之同未亡人遺児三人同伴小生来訪にて、故人在世中の事業に付き種々の問題紛糾致居、其結果は如何可相成哉と頗る不安の状況に日を送り居候趣談話有之候
其談話に依れは、故人は欧洲大戦後の一般人気に煽動せられ、少しく得意に乗し過度の拡張に出候哉にも被察、其事業をして面目を失墜せさる様維持為致候義は難事之様子に相見へ候へ共、過去四十余年間奮闘努力の功績を回顧致候はゝ、何とかして其面目を立てさしめ度存候処、東豪氏は未た学生の境遇に在りて識・経共に乏しく、甚た心元無
 - 第57巻 p.500 -ページ画像 
く被思候に付き、幸に貴兄に於て同人の相談相手とも相成候はゝ、無此上仕合はせと相感、昨日御行児玉頭取に内話致候処、同氏も同感と申事にて、恰も本日紐育に帰任する柏木氏に詳話し、同氏より貴兄へ右小生の希望御伝被下候事と相成候、御多忙之処御迷惑と存候へ共、何卒委曲柏木氏並東豪氏より御聞取被下、東豪氏の将来之為め御尽力被成下度懇願致候、小生義老来執筆懶く、乍欠敬代筆申上候、不悪御承引被下度候、尚本件に関しては武富総領事にも出状懇願致置候、御含迄に申添候
先は取急き拝願申上度匆々如此御座候 敬具
                      渋沢栄一
    大正十五年九月四日


(増田明六) 書翰 控 滝本為三宛 大正一五年九月六日(DK570247k-0005)
第57巻 p.500-501 ページ画像

(増田明六) 書翰 控  滝本為三宛 大正一五年九月六日
                     (渋沢子爵家所蔵)
 在米日本人会
  滝本為三様
拝啓 八月十二日付尊翰拝見致候処、其後御健康御変り無く御精励の由奉賀候、牛島会長歿後の貴会に就ては適当の後任者を難得、為之当分欠員として理事合議制を新に設くるに至るべき御様子の由拝承致候貴会を維持経営する唯一の財源としたる証明手数料を廃止せられし為め、目下之に代はるべき他の財源を得ることに種々御苦配の趣も了承致候、如何に貴重の目的も亦緊要の事業も財源無くては之を実現すること能はざるは当然の義にて、政府の右手数料の支給廃止は貴会事業の進行に重大なる障碍の生するは明了なることなるに、之に代はるべき財源を与へられさるは止むを得さるも、会として他に之を得るの途を発見し得さるに先たち断然之を廃止したるは、取りも直さす貴会の事業を中止せしむるに均しき仕打に候、由来現政府の当局者は国民的外交を軽視するのみならす、或る場合は邪魔もの扱になす傾き有之、誠に遺憾千万に候、併し現状を以て推移すれば、有名無実の形体と相成、多年築き上けたる名誉も功績も消滅する外無き状況に陥るは当然の事に候間、目下其財源を得るの一策として法務部を設置し、又在米日本人発展史御発刊に御尽力中の趣、種々の御苦心真に御同情申上候右発展史に就ては、当地日米関係委員会にて弐千部代金弐千弗丈引受け候様御申越の趣了知致候も、目下之か諾否決定に至らす候間、決定次第御通知可致候
牛島氏詩集船積証書の発送遅延の為め、同書御受取に御困難なりし由にて、御申越の趣承知誠に恐縮致居候、同書物代金の義に付き御申越の趣承知致候、其内同氏令夫人に談話し受領可致候、同令夫人・令嬢令息孰れも爾来別条無く元気に消光せられ居候間御安心被下度候、小生も爾来両回面会致候が、渋沢子爵は三・四回面談せられ候
令息東豪氏本日コレア丸にて帰米の途に相就き候に付、一昨日子爵に於て前記四氏の外浮田和民氏夫妻及宮崎小八郎氏を招き、小生及小畑君も加はり送別の晩餐会を催され、席上遺族の諸氏に対し誠に父としてあれ迄ならんと思はるゝ程の懇切なる種々奨励的訓話をなされ、一
 - 第57巻 p.501 -ページ画像 
同感激致候、東豪氏も多分深き印象を得たることゝ思はれ候
牛島氏急逝の為め債権者謂集し、同氏の計画事業頓挫し、再興至難の状況令夫人より子爵に談話有之候得共、其債権債務に関しては夫人は詳しく承知致し居らさる為め、子爵に於ても後事の処理に関する意見難陳候得共、事は故人の面目に関するのみならず、牛島家の興廃に関する重大の問題に候間、特《(殊)》の外心配せられ、差当り東豪氏の相談相手として正金の小島支配人を煩はすを最も適当と思はれ、昨日同銀行児玉頭取に面会協議せられ候処、同氏も同感にて、幸に東豪氏と同船にて紐育に帰任する柏木同地支配人を通して小島氏に依頼することに相成候、小島氏も多分快諾尽力せらるゝことゝ被察候、尚子爵より武富総領事にも尽力方依頼の添書を東豪氏に交付せられ候、東豪氏は子爵の問に対して、父君謹爾氏の後を継承して其素志を遂くる決心なりと申され候、今度小島氏・武富氏の如き有力なる援助者を得たるに付ては、此際両氏の後援に依りて将来の方針を確立せしむる様致度と存候右等の事情は東豪氏より貴兄へ御話ある筈に候間委曲御聴取被下、何卒同氏の為め御尽力被成下度候
右御通知旁得貴意度 匆々敬具
  大正十五年九月六日
                      増田明六
 尚々承はる所に依れば、東豪氏は今度親戚方の希望より不本意ながら郷里に於て故人の家督を相続し、其旨戸籍に登録致候由、右は多年の問題たる二重国籍と相成不感服の次第に候、若しも此二重国籍たることが東豪氏の故父君の遺業継承又は整理に関し何等かの故障相生し候様の事ありては容易ならざる義に付、此点東豪氏より御聞き取り、右等の心配の生せざる様御心配被成下候様併せて希上候


(牛島しめ子) 書翰 渋沢栄一宛 昭和二年六月九日(DK570247k-0006)
第57巻 p.501-502 ページ画像

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