デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

3部 身辺

5章 交遊
節 [--]
款 [--] 20. 和田豊治
■綱文

第57巻 p.514-516(DK570251k) ページ画像

大正11年11月23日(1922年)

是日栄一、和田豊治ニソノ手写シタル孝経ヲ贈ル。


■資料

〔参考〕竜門雑誌 第四一六号・第六一―六二頁 大正一二年一月 ○青淵先生と孝経(DK570251k-0001)
第57巻 p.514-515 ページ画像

竜門雑誌  第四一六号・第六一―六二頁 大正一二年一月
○青淵先生と孝経 左は実業の日本新年号中、茶前茶後欄に掲載せるものなり。
△渋沢子爵は八十四歳の高齢だが元気頗る旺盛で、壮者を凌ぐ勢ひだ昨年八月伊香保温泉木暮旅館へ避暑中、孝経一巻を巻物に楷書で立派に書かれた。長さ三間半もある。而もそれが正味二日間に書き上げられたさうだ。
△あの多忙な方が何の為に書かれたかと云ふに、和田豊治氏に贈る為めで、同氏は親孝行であるから、特に孝経を撰ばれたのださうな。子爵はそれを表装して箱に入れ、和田氏に贈られた。之を貰つた同氏は非常に喜び家宝として永久珍蔵すると言つてゐる。
△旧臘四日渋沢子が主人役となつて、観山会を日本橋浜町常盤屋で開催された時に、和田氏は会員に示さんとて右の巻物を携帯された。見ると実に謹厳な楷書で、一字一句精神を籠めて書かれたやうである。巻末に附録として子爵自作の詩三首行書で認めてある。是れも亦上出来で墨痕淋漓としてゐる。予も子爵の書は沢山見たがこんな美事なのは始めてゞある。
△否予ばかりでなく、当日高田早苗・井上辰九郎・木村徳衛三博士・下村観山・諸井恒平諸氏皆口を極めて激賞三嘆した。決してお世辞ではない。巻末の詩の中に偶ま墨堤漁史成島柳北氏の詩に次韻されたのがある。和田氏の向島の邸宅は柳北氏の宅であつて、それを中村道太氏が譲受け、同氏から和田氏の手に入つたのである。縁故浅からずと云つて殊の外喜ばれた。
△中村道太と云へば昔は横浜正金銀行頭取、東京米穀取引所理事長で一時鳴らしたものだが、失脚して以来実業界を引退し、今は名古屋でお茶の宗匠をしてゐる。其向島の邸宅を相続した和田氏は、今や声望隆々であるから、中村氏は定めし今昔の感に堪へぬであらう。
△渋沢子は観山会席上で親孝行に就て面白い話をされた。往昔江州の孝行者が自分は世間から親孝行だと賞めらるゝが、未だ充分でない。
 - 第57巻 p.515 -ページ画像 
信州に大の孝行者があると云ふから往つて修業しやうと思ひわざわざ出懸けた。其家を尋ねて見ると不在で母親独り留守居してゐた。
△往訪の趣意を話すと、悴は親孝行かどうかは知らぬが、今山へ往つて居る。暫くすれば帰つて来るから、待ちなさいと勧められ、暫時待つて居ると、柴を脊負つて帰つて来た。家へ入るや否や老母は出て柴を降してやる。悴は平気で老母に柴の始末の手伝をさせてゐる。
△其態度を見て江州の孝行者は変だと思つてゐたが、続いて老母は悴の草鞋の紐を解いてやる、お負けに足まで洗つてやる。此容子を見て親孝行などとは飛んでもないことだ。世間の評判は当てにならぬと憤慨してゐたが、今度は疲れたと云つてゴロリと横になつた。すると老母は足を揉んでやつた。
△此状態を見た江州の孝行者は最早我慢が出来ず、自分は孝行の修業に来たのである。然るに今迄の容子を見て居ると、孝行どころか、寧ろ親不孝である。実に飛んでもない奴だと真赤になつて怒鳴つた。
△すると其信州の孝行者は言うのに、自分は孝行と云ふことはどんなものか知らないが、己れの母は草鞋の紐を解いたり、足を揉んで呉れるのを喜んでゐるのだ。若しそれを断ると大層機嫌が悪い。依て母の言う通りになつてゐるのだと言つた。此説明を聴いて江州の孝行者はハタと膝を打つて、ナール程分つた。自分の是迄行つた孝行は形式であつたと痛く感心したさうだ。
△此話には一同共鳴して、孝行は実に親を喜ばせ且満足させるにあると語るや、和田氏は深く感激して、自分の従来母親に仕へてゐる精神が信州の孝行者と一致してゐると云つて話さるゝのを聴くと、同氏の老母は本年八十七歳の高齢であるが、耳こそ聾でも身体は壮健で、六十三歳の和田氏を尚子供のやうに思つて、ヤレ風邪に罹るな、ヤレ炬燵へ入れと注意されるさうだ。
△それから朝飯の時には、老母は毎朝茹玉子を細かにして和田氏の御飯の上へかけてやらるゝさうだ。氏はそれを喜んで食べる。又時々自宅で夕食する場合に老母は晩酌せよと言つて盃に酒を注がれる。氏は成るべく酒を飲まぬ方が衛生上宜しいから、控目にすることを女中までが心得て居つたので、徳利に少しく酒を入れて置くと、老母は機嫌が悪い。そこで和田氏は小さい徳利を買つて来てそれに充分酒を入れさせることにしたさうだ。氏が如何に母を喜ばせることに苦心してゐるかゞ分る。
△親は子を愛するのだから、其愛情を満足させることが何より肝要だ孝行の呼吸は実に此処にある。和田氏はそれを実行して居るのである旧臘七日同氏は自邸に卯左木会員夫婦を招いて、馬関から取寄せた海豚の御馳走をされた。其席上で海豚の雑炊が出来て一同舌鼓を鳴らしたが、老母は和田氏の傍へ来て味はどうだいと尋ねらるゝと、大層結構だから、お婆さんもお上りなさいと言ひながら、自分の食べかけたのを茶碗箸諸共に老母へ渡された。すると老母は嬉しさうに受取つて食べ、又和田氏へ返される。氏は其残りをサツサと食べられた。
△予は此光景を目撃して感激の涙が出た。なんと温かい麗はしいことであらう。親の無い予としては羨ましくて実に堪まらなかつた。
 - 第57巻 p.516 -ページ画像 



〔参考〕渋沢栄一 日記 大正一二年(DK570251k-0002)
第57巻 p.516 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正一二年     (渋沢子爵家所蔵)
一月二十七日 曇又晴 寒
○上略 三時工業倶楽部ニテ喜多氏《(喜田氏)》ヲ訪ヒ和田豊治氏ノ出身ニ関シ記述ヲ依頼ス ○下略