デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

3部 身辺

5章 交遊
節 [--]
款 [--] 21. 其他ノ交遊関係 [2]其他ノ諸資料
■綱文

第57巻 p.525-544(DK570257k) ページ画像

 --


■資料

渋沢栄一 日記 明治四二年(DK570257k-0001)
第57巻 p.525 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四二年     (渋沢子爵家所蔵)
八月十七日 晴 暑
○上略 六時上野精養軒ニ抵リ、矢島・小田川二氏婚儀ニ列シ、一場ノ訓示演説ヲ為ス、式畢テ食卓上又披露ノ為メ演説ヲ為ス、午後十時宴散シテ王子ニ帰宿ス


渋沢栄一 日記 明治四三年(DK570257k-0002)
第57巻 p.525-526 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四三年     (渋沢子爵家所蔵)
三月三日 晴 寒
○上略 夜七時半華族会館ニ抵リ、徳川公爵ノ晩飧会ニ出席ス、来会者内外人ニテ三十人許リナリ、夜十時宴散シテ帰宿、夜新聞紙ヲ読マシム
   ○中略。
四月三日 晴 軽暖
○上略 王子ニ帰宿シ、四時ヨリ徳川公爵及夫人・若夫婦、其他林伯爵、
 - 第57巻 p.526 -ページ画像 
公爵家ノ人々来ル、庭園散歩ノ後饗宴中女優ノ余興アリ夜十時散会ス


竜門雑誌 第二六三号・第八〇頁 明治四三年四月 徳川公爵送別会(DK570257k-0003)
第57巻 p.526 ページ画像

竜門雑誌  第二六三号・第八〇頁 明治四三年四月
○徳川公爵送別会 青淵先生には此度欧米へ漫遊せらるゝ徳川公爵を本月三日飛鳥山曖依村荘に招待して祖道の宴を催されたり、当日の賓客は同公爵を始め公爵令夫人及び徳川家一門の諸君、林伯其他家令等にして、渋沢一門の人々接待に任じ、種々余興の催しありたり


渋沢栄一 日記 明治四三年(DK570257k-0004)
第57巻 p.526 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四三年     (渋沢子爵家所蔵)
四月二十九日 晴 暖
○上略 午後二時華族会館ニ抵リ、芳川伯爵養嗣子披露会ニ出席ス、多数ノ旧友ニ会見ス ○下略
   ○中略。
五月十五日 曇 暖
午前八時起床直ニ入浴シ畢テ朝飧ヲ食ス、朝来種々ノ来人アリ、細野次郎及桐生町書上・大沢三氏来リ、桐生町出張ノ事ヲ請ハル、廿七日ヲ約ス ○下略
   ○中略。
六月十五日 曇 冷
○上略 午後三時小石川後楽園ニ抵リ、寺内陸軍大臣ノ主催ニ係ル園遊会ニ出席ス、角力ノ余興アリ ○下略
   ○中略。
七月五日 曇 冷
午前五時半起床入浴シテ後朝飧ス、又髪ヲ理ス、八時兼子ト共ニ新橋停車場ニ抵リ、大川平三郎・白石元治郎二氏ノ米国行ヲ送別ス ○下略
   ○中略。
十一月一日 晴 冷
○上略 午後十二時半寺内子爵ノ案内ニヨリ、小石川後楽園ニ抵リ其午飧会ニ出席ス ○下略


渋沢栄一 日記 明治四四年(DK570257k-0005)
第57巻 p.526-527 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四四年     (渋沢子爵家所蔵)
一月二十四日 晴 寒
○上略 午後五時築地瓢屋ニ抵リ、豊川氏等ノ招宴ニ出席ス、井上侯爵・杉子爵等来会ス、余興清元及踊等アリテ夜十時過散会、王子ニ帰宿ス夜新聞紙ヲ読マシム
   ○中略。
三月二十六日 曇 軽寒
○上略 午後二時兼子ト共ニ上野精養軒ニ抵リ、山中隣之助氏ノ婚儀披露会ニ出席ス、四時過帰宿ス、夜新聞紙ヲ一覧ス
   ○中略。
四月十一日 大雨 軽暖
○上略 午後五時兼子ト共ニ日本橋倶楽部ニ抵リテ、斎藤精一氏ノ女ノ新婚披露会ニ出席ス、食卓上一場ノ祝詞ヲ述ヘ、夜十時宴散シテ帰宿ス夜新聞紙ヲ読ム
 - 第57巻 p.527 -ページ画像 
   ○中略。
四月十五日 雨 軽寒
○上略 午後二時神田ナル松浦伯邸ノ園遊会ニ抵リ ○下略
   ○中略。
四月二十五日 雨 軽暖
○上略 日下義雄氏来訪セラル、氏ハ欧米旅行ヲ為シテ頃日帰朝セラレシナリ、種々ノ時事問題ニ付談話ス ○下略
   ○中略。
十月七日 晴 冷
○上略 午飧ヲ食シ後兼子ト共ニ帝国ホテルニ抵リ、村井吉兵衛氏結婚披露会ニ出席ス ○下略
十月八日 晴 冷
○上略 午飧後浜尾男爵夫人来訪セラル、又神田鐳蔵氏来リ、其婚儀ノ事ニ付媒妁ヲ依頼セラレ、来ル十八日ヲ以テ式ヲ挙ルニヨリ其手続ヲ談話ス ○下略
   ○中略。
十月十七日 晴 冷
○上略 神田鐳蔵氏来リ、明日ノ婚儀ニ付手続ヲ協議ス ○下略
十月十八日 晴 冷
○上略 午後二時半日比谷大神宮ニ抵リ、神田鐳蔵氏ノ婚儀ヲ媒酌ス、式畢テ牛込神田氏宅ニ抵リ宴会ニ列席シ、神田・清水両家ノ親戚来会ス宴散シテ夜十時帰宿ス
   ○中略。
十月二十日 晴 冷
○上略 神田鐳蔵氏及新夫人来訪ス、共ニ午飧ヲ為シ ○下略
   ○中略。
十一月十七日 曇 軽寒
○上略 午後五時日本橋倶楽部ニ抵リ、原林之助氏次女ノ婚儀披露会ニ出席ス、余興数番アリ、洋食ノ卓上ニ於テ一場ノ祝詞演説ヲ為ス、食後モ尚余興アリ ○下略
十一月十八日 晴 寒
○上略 四時半築地精養軒ニ抵リ、佐々木慎思郎氏次女婚儀披露会ニ出席ス、余興アリテ後食卓ヲ開ク、卓上一場ノ祝詞演説ヲ為ス ○下略
   ○中略。
十一月二十三日 半晴 軽寒
○上略 午飧後兼子共ニ神田鐳蔵氏結婚披露園遊会ニ出席ス、余興壇上ニ於テ一場ノ披露演説ヲ為ス、畢テ立食ノ饗応アリ ○下略


中外商業新報 第九一八五号 明治四四年一一月二四日 ○神田氏披露園遊会(DK570257k-0006)
第57巻 p.527-528 ページ画像

中外商業新報  第九一八五号 明治四四年一一月二四日
○神田氏披露園遊会 神田鐳蔵氏は結婚披露園遊会を廿三日午後一時牛込区佐土原町の自邸に催す、来賓渋沢男・田男・松岡康毅・大倉喜八郎・中野武営・安田善三郎・村井吉兵衛・若槻礼次郎・池田謙三等諸氏約五百名参集、一時模擬店を開き、梅幸・宗十郎及曾我の家一座の演劇其他諸種の余興あり、五時食堂を開き、渋沢男紹介にて主人の
 - 第57巻 p.528 -ページ画像 
挨拶、来賓総代大倉氏の謝辞あり、六時散会せり


渋沢栄一 日記 明治四五年(DK570257k-0007)
第57巻 p.528 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四五年     (渋沢子爵家所蔵)
二月二十八日 曇 軽寒
○上略 二時事務所ニテ来人ニ接ス、日下義雄氏来話ス、三時麻布ニ大木伯爵ヲ訪ヘ、日下義雄氏ト令妹トノ婚約ヲ為ス ○下略
   ○中略。
三月九日 晴 寒
○上略 十時事務所ニテ古賀廉造氏来訪、日下・大木両家婚儀ノ事ヲ談ス ○中略 正午第一銀行ニ抵リテ午飧シ、後佐々木氏ト行務ヲ談シ、又日下氏ト婚儀ノ事ヲ談ス ○下略
   ○中略。
三月二十一日 晴 軽寒
○上略 午前十一時大木伯爵ヲ麻布ニ訪ヘ、日下家トノ婚儀ニ付協議スル処アリ、午飧ヲ食シテ辞シ去ル ○下略
   ○中略。
五月一日 晴 暖
○上略 二時事務所ニ帰リ、衣服ヲ更メ三時向島日下氏宅ニ抵リ、其婚儀ニ参列シ、媒妁人トシテ儀式ヲ挙行ス、畢リテ色直シノ宴会アリ、余興トシテ仕舞アリテ、夜十一時過宴散シテ帰宿ス、但兼子モ同伴ス、大木伯夫妻・古賀廉造氏其他日下・大木両家ノ親戚十数名来会セラル
   ○中略。
七月一日 晴 暑
午前七時起床入浴シテ朝飧ヲ食ス、中村千代松氏来話ス、奥山半僧房林宗賢氏来話ス ○下略


中外商業新報 第九五九〇号 大正二年一月九日 ○野田男の葬儀 谷中斎場に執行(DK570257k-0008)
第57巻 p.528 ページ画像

中外商業新報  第九五九〇号 大正二年一月九日
    ○野田男の葬儀
      谷中斎場に執行
貴族院議員・陸軍主計総監・従二位勲一等男爵野田豁通氏の葬儀は、八日午後谷中斎場に於て仏式にて執行せられたり、予定の如く霊柩は午後一時本郷金助町の自邸出棺、途中行列を廃し午後二時谷中斎場に到着、霊柩を祭壇に安置し、供物生花を供へ、喪主親戚会葬者等順次着床するや、築地本願寺住職多田賢順師導師として読経し、儀仗兵の参拝後、伏見宮貞愛親王殿下の御名代たる永山騎兵大佐は石橋中佐の御先導にて霊前に参拝、次に喪主野田亀喜氏の焼香あり、午後三時式を終りたり、因に会葬者は軍人・政治家・実業家等無慮二千余名にて近来になき盛大の葬儀なりき、会葬者の主なるものを掲ぐれば
 ○中略 渋沢男 ○下略


渋沢栄一 日記 大正二年(DK570257k-0009)
第57巻 p.528-529 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正二年      (渋沢子爵家所蔵)
二月十六日 晴 寒
午前八時起床入浴シテ朝飧ヲ食ス、堀江・橋本・榎本ノ三氏来リ、堀江家政上ノ整理ニ関シテ依頼アリ ○下略
 - 第57巻 p.529 -ページ画像 
   ○中略。
三月十日 晴 軽寒
午前七時半起床半身浴ヲ為シテ朝飧ヲ食ス、後堀江伝三郎及橋本・榎本三氏ノ来訪ニ接シ、堀江ノ家事ニ関シテ注意ヲ与フ ○下略


中外商業新報 第九六五六号 大正二年三月一六日 ○故岩永省一氏葬儀(DK570257k-0010)
第57巻 p.529 ページ画像

中外商業新報  第九六五六号 大正二年三月一六日
○故岩永省一氏葬儀 故岩永省一氏葬儀は予記の通り十五日午後三時本郷駒込吉祥寺に於て仏式を以て執行、導師の引導読経、遺族の焼香あり、四時式を終れり、当日の会葬者は松方侯・佐々木侯・芳川伯・高橋蔵相・山本農相・斎藤海相・川村大将・松本中将・水町日銀・志村勧銀・渋沢男爵の各代理 ○中略 等無慮二千余名に達したり


中外商業新報 第九七二三号 大正二年五月二二日 ○井上大使発程 新橋駅稀有の雑閙 横浜叙別の賀茂丸(DK570257k-0011)
第57巻 p.529 ページ画像

中外商業新報  第九七二三号 大正二年五月二二日
    ○井上大使発程
      新橋駅稀有の雑閙
      横浜叙別の賀茂丸
駐英大使井上勝之助氏・同末子夫人は予定の通り廿一日午前十時二十分新橋発の列車にて倫敦赴任の途に就けり
△貴紳雲集す 之より前其の出発を見送らんとて新橋駅に集まれる朝野貴紳の車馬絡繹として相次ぎ ○中略 当日の重なる見送人左の如し
○中略 渋沢 ○下略


中外商業新報 第九七七六号 大正二年七月一四日 ○林伯の葬儀 会葬者数千名に及ぶ(DK570257k-0012)
第57巻 p.529 ページ画像

中外商業新報  第九七七六号 大正二年七月一四日
    ○林伯の葬儀
      会葬者数千名に及ぶ
前外務大臣従二位勲一等伯爵林董氏の葬儀は、十三日午後三時途中の葬列を廃し、青山斎場に於て仏式に依り厳かに挙行されたり ○中略 喪主雅之助氏以下親戚一同の焼香に次ぎ、当日会葬せし内外人数百名の拝礼あり、同四時過結了したるが、会葬者は三千余名に及び其重なる者を挙ぐれば左の如し
○中略 渋沢 ○下略


竜門雑誌 第三〇七号・第八三頁 大正二年一二月 堀越・松方両家の結婚披露(DK570257k-0013)
第57巻 p.529-530 ページ画像

竜門雑誌  第三〇七号・第八三頁 大正二年一二月
    ○堀越・松方両家の結婚披露
日本橋の豪商堀越角次郎氏は、去る六月桂公夫妻の媒酌にて松方侯の五女梅子と結婚せしが、当時諒闇中なりしを以て遠慮したる披露の宴会を本月十七日築地精養軒に催ほす筈なりしに、図らずも桂公の不幸に会し、又も延期して二十三日に開きたり、当日の来賓は学者側にては菊池大麓・三宅秀・大沢謙二・佐藤進・福沢一太郎等諸氏、実業側にては青淵先生・園田孝吉・池田謙三・大橋新太郎等の諸氏を始め都下知名の紳士紳商二百余名、数番の余興を演したる後、美麗に粧飾したる食堂に於て鄭重なる饗応あり、青淵先生・同令夫人は媒酌代理とし、又主人側を代表して両家結婚の次第を演説し、堀越家先々代の事より松方侯爵家の家庭に及びて両家の良縁を祝福し、園田孝吉氏来賓
 - 第57巻 p.530 -ページ画像 
を代表して謝辞を述べ、一同と共に両家の万歳を唱へたり、尚親戚には堀越一家の人々及び松方老侯夫妻を始め同家の人々も席に列し、近来稀れに見る目出度き祝宴なりしと。


集会日時通知表 大正三年(DK570257k-0014)
第57巻 p.530 ページ画像

集会日時通知表  大正三年        (渋沢子爵家所蔵)
十月廿二日 木 午後二時 故高島嘉右衛門氏葬式ヘ御出向


中外商業新報 第一〇二三九号 大正三年一〇月二三日 ○呑象翁葬儀(DK570257k-0015)
第57巻 p.530 ページ画像

中外商業新報  第一〇二三九号 大正三年一〇月二三日
    ○呑象翁葬儀
生前の功労により思召を以て曩に正五位に叙せられたる呑象高島嘉右衛門翁の葬儀は、既報の如く二十二日午後一時横浜高島山の自邸出棺途中喪主及伊藤公等親戚附添ひ、同二時葬場たる神奈川本覚寺に於て住職守長楚宗師導師として荘厳なる仏葬の式を執行せられたるが、遺骸は同夜火葬の上菩提所たる芝高輪泉岳寺に葬る由、法名「乾坤院殿神易呑象大居士」と号せり、尚ほ当日の重なる会葬者は井上・鍋島両侯、大隈伯(以上代理)、南部伯・末松子・渋沢男を始め、内外知名の士多く其数二千余名を算したり


集会日時通知表 大正三年(DK570257k-0016)
第57巻 p.530 ページ画像

集会日時通知表  大正三年        (渋沢子爵家所蔵)
十二月五日 土 午後二時 鶴原定吉氏葬儀(青山斎場)


中外商業新報 第一〇二八三号 大正三年一二月六日 ○鶴原氏の葬儀 会葬名士雲の如し(DK570257k-0017)
第57巻 p.530 ページ画像

中外商業新報  第一〇二八三号 大正三年一二月六日
    ○鶴原氏の葬儀
      会葬名士雲の如し
政界の名士鶴原定吉氏の葬儀は、予定の如く五日午後二時青山斎場に於て執行されたり ○中略重なる会葬者左の如し
○中略 渋沢男 ○下略


渋沢栄一 日記 大正四年(DK570257k-0018)
第57巻 p.530-531 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正四年        (渋沢子爵家所蔵)
一月卅一日 雨
午前七時起床半身浴ヲナシテ朝飧後、加賀谷真一夫妻ノ来訪アリ、新婚披露ノ為ナリ ○下略
   ○中略。
二月十四日 晴
○上略
午後五時築地精養軒ニ抵リ、高根・喜安両家ノ婚儀披露会ニ出席ス、卓上一場ノ訓示演説ヲ為ス、夜九時半帰宿後新聞紙類ヲ一覧ス
   ○中略。
二月二十日 半晴
○上略 渋沢長康氏来リ、其婚儀ノ事ヲ告ケラル、北原峯子女来話ス
○下略
   ○中略。
二月廿八日 晴
午前七時起床入浴シテ朝飧ス、後諸井恒平父子来リテ、父ハ長康ノ縁
 - 第57巻 p.531 -ページ画像 
談ニ付テ意見ヲ陳ヘ ○下略
三月一日 晴
午前九時半起床入浴シテ、渋沢長康ノ母ニ面会シテ長康ノ縁談ニ関シテ種々ノ注意ヲ与フ ○下略
   ○中略。
四月廿四日 曇
○上略 六時頃ヨリ帝国ホテルニ抵リテ、土居・阪田氏等ノ婚儀披露会ニ出席ス、食卓上一場ノ祝詞ヲ述フ、畢テ十時頃帰宅ス、後新聞紙ヲ一読ス
   ○中略。
五月八日 半晴
○上略 帝国ホテルニ抵リ、柳谷謙太郎氏金婚式ノ賀宴ニ出席ス ○下略
   ○中略。
五月十五日 晴
○上略 三時千駄ケ谷徳川 ○家達公爵邸ノ園遊会ニ出席ス ○下略
   ○中略。
五月廿一日 曇
午前七時起床入浴朝食ヲ畢リ、大塚素行・松下博氏等ノ来訪ニ接ス、青柳有美氏来リ論語ニ関スル意見及学説ニ付テ種々ノ談話ヲ為ス ○下略
五月廿二日 曇
○上略 午後五時小石川植物園ニ抵リ、菊地男爵功績紀念会《(菊池)》ニ出席ス、司会者其他ノ演説畢リテ食卓ニ就ク ○下略
   ○中略。
六月九日 雨
○上略 午後五時伊達侯爵邸ニ抵リ招宴ニ応ス、新居落成ノ披露トシテ知友十数名ヲ案内セルナリ、余興アリ、夜十時散宴、帰宿後新聞紙ヲ読ム
   ○中略。
六月十六日 晴
○上略 十二時目黒ナル馬越恭平氏ノ茶会ニ出席ス、石黒男爵・下条正雄氏等同席 ○下略
   ○中略。
七月三日 曇
○上略 午後五時野崎広太氏招宴ニ応シテ常盤屋ニ抵リ、宴会ニ出席ス、一場ノ謝詞演説ヲ為ス、夜十時散会 ○下略
   ○中略。
七月六日 晴
○上略 午後五時一木文部大臣ノ招宴ニ出席ス、食卓上一場ノ謝詞ヲ述フ夜九時散宴帰宿ス
   ○中略。
七月三十日 晴 朝来風アリテ涼シ
○上略 午後一時ヨリ芝公園内ニ板垣伯ヲ訪ヘ、時事ニ関スル種々ノ談話ヲ交換ス、伯ノ著書ナル神ト人道及武士道等ニ付伯平素ノ意見ヲ詳話セラル、午後四時王子ニ帰宿シテ新聞紙雑誌類ヲ一覧ス ○下略
 - 第57巻 p.532 -ページ画像 


中外商業新報 第一〇五二一号 大正四年八月三日 ○野崎氏母堂葬儀(DK570257k-0019)
第57巻 p.532 ページ画像

中外商業新報  第一〇五二一号 大正四年八月三日
    ○野崎氏母堂葬儀
三越呉服店社長野崎広太氏母堂ゆき子刀自の葬儀は、二日午前八時青山斎場に於ていと荘厳に営まれたり ○中略 当日の会葬者は左の諸氏を始め七百余名なりき
○中略 渋沢男 ○下略


渋沢栄一 日記 大正四年(DK570257k-0020)
第57巻 p.532 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正四年      (渋沢子爵家所蔵)
九月十二日 曇
○上略 午後六時精養軒ニ抵リ、阪野新次郎氏結婚披露ノ宴ニ列シテ、食卓上祝詞ヲ述ヘ、夜十時過散会帰宿ス、後新聞紙ヲ読ム


中外商業新報 第一〇六八〇号 大正五年一月一〇日 ○村井夫人葬儀(DK570257k-0021)
第57巻 p.532 ページ画像

中外商業新報  第一〇六八〇号 大正五年一月一〇日
    ○村井夫人葬儀
村井吉兵衛氏夫人宇野子刀自の葬儀は、九日午前十時より浅草本願寺別院に於て執行さる ○中略当日の会葬者は村井本店・同銀行・明治貿易太平生命・共同・千代田等同氏関係の諸会社員一千余名を始め、朝野知名の貴紳等約三千五百名なりき、其重なるもの左の如し
○中略 渋沢男 ○下略


中外商業新報 第一〇七一四号 大正五年二月一三日 ○故加藤男告別式(DK570257k-0022)
第57巻 p.532 ページ画像

中外商業新報  第一〇七一四号 大正五年二月一三日
    ○故加藤男告別式
故枢密顧問官正二位勲一等男爵加藤弘之氏の告別式は、十二日午後二時より青山斎場に於て挙行したり ○中略 渋沢・近藤・山川諸男 ○中略 其他参列し、浜尾男霊柩に向ひ会葬者に代り告別の辞を述べ、一同拝礼して其式を終りたり


中外商業新報 第一〇七六三号 大正五年四月二日 ○都筑男母堂葬儀(DK570257k-0023)
第57巻 p.532 ページ画像

中外商業新報  第一〇七六三号 大正五年四月二日
    ○都筑男母堂葬儀
枢密顧問官男爵都筑馨六氏母堂孝子刀自の葬儀は、一日午前九時青山斎場に於て挙行せり、会葬者は
 山県公代岡副官 ○中略 渋沢・近藤・阪谷・中島・大倉・郷・岩崎・森村・新田・毛利・藤田各男爵 ○中略
其他数百名にて、雨中に拘らず近来の盛儀にして、遺骸は式後千駄ケ谷仙寿院先塋の側に埋葬せり


中外商業新報 第一〇七七四号 大正五年四月一三日 ○松尾男爵葬儀(DK570257k-0024)
第57巻 p.532 ページ画像

中外商業新報  第一〇七七四号 大正五年四月一三日
    ○松尾男爵葬儀
前日本銀行総裁・貴族院議員・従二位勲一等男爵松尾臣善氏の葬儀は途中列を廃して十二日午後一時青山斎場に於て厳かに営まれたり ○中略 会葬者は旧藩主松平子代・三島・清浦・曾禰各子爵、武井・高橋・渋沢・岩崎・川田・阪谷・石本・大倉各男 ○中略 等諸氏官民数百名の盛儀なりき
 - 第57巻 p.533 -ページ画像 


集会日時通知表 大正五年(DK570257k-0025)
第57巻 p.533 ページ画像

集会日時通知表  大正五年        (渋沢子爵家所蔵)
四月廿一日 金 午後三時半 小倉・団両家結婚式(日比谷大神宮)


中外商業新報 第一〇七八三号 大正五年四月二二日 ○小倉家の結婚式(DK570257k-0026)
第57巻 p.533 ページ画像

中外商業新報  第一〇七八三号 大正五年四月二二日
    ○小倉家の結婚式
既報の如く小倉常吉氏嗣子房蔵氏と団琢磨氏令嬢すみ子の結婚は、廿一日午後四時、渋沢男夫妻媒酌の下に日比谷大神宮にて式を挙げ、滞りなく終るや、新郎新婦を始め両家の親戚車を向島百花園に駆り、咲き誇る花下に打解けて寛談笑語し、目出度散会せり、更に廿七日は午後四時卅分朝野の知己を帝国ホテルに招待し盛大なる披露の宴を開くべしと


集会日時通知表 大正五年(DK570257k-0027)
第57巻 p.533 ページ画像

集会日時通知表  大正五年        (渋沢子爵家所蔵)
四月廿七日 木 午後四時半 小倉・団両家結婚披露会(帝国ホテル)服装ハフロックコート


中外商業新報 第一〇七八九号 大正五年四月二八日 ○小倉家結婚披露(DK570257k-0028)
第57巻 p.533 ページ画像

中外商業新報  第一〇七八九号 大正五年四月二八日
    ○小倉家結婚披露
団琢磨氏令嬢すみ子と小倉常吉氏長男房蔵氏が廿一日華燭の典を挙げし事は既報の如くなるが、廿七日午後四時半より朝野の縉紳を帝国ホテルに招き盛大なる披露の宴を張れり、定刻来賓相次いで至る頃、梅若万三郎の囃子養老、野島信の半能望月及手踊等の余興あり、六時半に至るや、媒酌者たる渋沢男は新郎新婦及両家の主人を紹介して華美なる食堂を開き、和気溢るゝ折柄、吉田氏両家の万歳を唱へ、渋沢男主人を代表して一場の挨拶をなし、高田文相は来賓を代表して祝詞を述べ、歓を尽して散会せり、来賓は金子子・栗野子・三井両男・後藤男・大倉男・古河男・江木内閣翰長・添田鉄道院総裁等を始めとして朝野知名の士八百余人なりき


集会日時通知表 大正五年(DK570257k-0029)
第57巻 p.533 ページ画像

集会日時通知表  大正五年        (渋沢子爵家所蔵)
五月十九日 金 午後二半時 西村直氏結婚式(大神宮)
        午後五時  同披露会(ホテル)


中外商業新報 第一〇八〇九号 大正五年五月一八日 西村家の慶事(DK570257k-0030)
第57巻 p.533 ページ画像

中外商業新報  第一〇八〇九号 大正五年五月一八日
    西村家の慶事
故西村勝三氏令息直氏(二九)は、渋沢男爵夫妻の媒酌にて第一銀行横浜支店長西園寺亀次郎令嬢公子(二〇)と婚約成り、十九日日比谷大神宮にて華燭の典を挙ぐべしと、新郎は東京高等工業学校卒業後独逸に留学して応用化学を専攻すること三年、帰朝後品川白煉瓦株式会社の取締役となり、又独力にて大阪に工業用陶器製造試験場を創立し自から経営の任に当り居れり、新婦は山脇高等女学校出身にて夙に才色兼備の称あり

 - 第57巻 p.534 -ページ画像 

中外商業新報 第一〇八一一号 大正五年五月二〇日 ○西村氏結婚披露(DK570257k-0031)
第57巻 p.534 ページ画像

中外商業新報  第一〇八一一号 大正五年五月二〇日
○西村氏結婚披露 故西村勝三氏令息直氏と西園寺亀次郎氏令嬢公子との婚儀は、既報の如く、渋沢男夫妻の媒酌にて十九日日比谷大神宮に於て目出度く華燭の典を挙げ、同日午後五時より帝国ホテルに朝野の縉紳を招待し披露の宴を開けり、席上杵屋連中、細川風谷の余興ありて食堂を開き、祥気靉靆たる裡に渋沢男、新郎新婦を紹介し、手島精一氏の指名にて大倉男会衆を代表して祝辞を述べ、両家の万歳を三唱し、更に長唄の余興あり、九時過宴を閉ぢたり


集会日時通知表 大正五年(DK570257k-0032)
第57巻 p.534 ページ画像

集会日時通知表  大正五年        (渋沢子爵家所蔵)
九月三十日 土 午後二半時 故渡辺専次郎氏葬送


中外商業新報 第一〇九四七号 大正五年一〇月一日 ○渡辺氏の葬儀 露宿す真白き花環に讚美歌流る(DK570257k-0033)
第57巻 p.534 ページ画像

中外商業新報  第一〇九四七号 大正五年一〇月一日
    ○渡辺氏の葬儀
      露宿す真白き花
      環に讚美歌流る
去る廿六日由比ケ浜の別邸にて長逝したる三井物産会社取締役渡辺専次郎氏の葬儀は、卅日午後二時半より築地三一会堂に於て営まれたるが ○中略
斯くして式は三時を以て終る、会葬者朝野の貴紳をすぐつて七百余名其主なる者左の如し
 松方侯・井上公夫妻・大隈侯代信常、岡部・相馬両子、加藤前外相両三井・藤田・渋沢・後藤・斎藤・島村各男 ○下略


中外商業新報 第一〇九七〇号 大正五年一〇月二四日 ○安田善八郎氏葬儀(DK570257k-0034)
第57巻 p.534 ページ画像

中外商業新報  第一〇九七〇号 大正五年一〇月二四日
○安田善八郎氏葬儀 第三銀行専務取締役安田善八郎氏の葬儀は、既報の如く廿三日午後四時浅草北清島町聞成寺に於て執行されたるが、高橋是清男代理・木村日銀理事・早川千吉郎・池田謙三・渋沢男代・池田成彬・三村君平・串田万蔵・野崎広太その他重なる銀行・実業家諸氏千余名の会葬あり、非常の盛儀なりし


中外商業新報 第一〇九八六号 大正五年一一月九日 ○野崎夫人葬儀 会葬者二千余名(DK570257k-0035)
第57巻 p.534 ページ画像

中外商業新報  第一〇九八六号 大正五年一一月九日
    ○野崎夫人葬儀
      会葬者二千余名
三越呉服店社長野崎広太氏夫人勢以子の葬儀は、八日午前九時より青山斎場に於て執行されたり○中略 尚当日の会葬者は二千余名に上り非常の盛儀なりしが、其重なる人々左の如し
 山県公(代)・伊藤公・井上侯・三島子・渋沢男(代) ○下略


集会日時通知表 大正五年(DK570257k-0036)
第57巻 p.534 ページ画像

集会日時通知表  大正五年        (渋沢子爵家所蔵)
十一月廿四日 金 午後三時 小倉・安田両家結婚式(日比谷大神宮)


中外商業新報 第一〇九九六号 大正五年一一月一九日 ○小倉家の慶事(DK570257k-0037)
第57巻 p.534-535 ページ画像

中外商業新報  第一〇九九六号 大正五年一一月一九日
    ○小倉家の慶事
 - 第57巻 p.535 -ページ画像 
小倉石油店主常吉氏次男彦四郎(三三)氏は、男爵渋沢栄一翁夫妻の媒酌により、安田善助氏長女美登子(二〇)と婚約整ひ、来る廿四日日比谷大神宮に於て結婚式を挙ぐる由なるが、新郎は東京高等商業学校出身後、明治四十年七月紐育大学商科に入り、同四十三年帰朝し、自家経営の石油業に従事して敏腕の聞えあり、又新婦は東京府立第一高等女学校出身にて才色兼備の淑女なりと


集会日時通知表 大正五年(DK570257k-0038)
第57巻 p.535 ページ画像

集会日時通知表  大正五年        (渋沢子爵家所蔵)
十二月四日 月 午後二時 井上侯ヨリ御案内(内田山邸)


中外商業新報 第一一〇一二号 大正五年一二月五日 ○井上侯披露宴 内田山本邸の歓語(DK570257k-0039)
第57巻 p.535 ページ画像

中外商業新報  第一一〇一二号 大正五年一二月五日
    ○井上侯披露宴
      内田山本邸の歓語
暁方に零れし雨の露と結んで樹々を綴る鈴玉の絵の如き四日、内田山なる井上侯庭園に於いては、勝之助侯令嗣三郎氏夫妻の
△成婚披露の 大園遊会催されたり、時刻は午後の二時より、庭園の広場には天幕張の食堂、隅々には酒・麦酒・寿司・汁粉等の模擬店の設けあり、林園に臨む周文の間には応挙の若松に鶴の双幅を掲げ、左右には蓬莱や高砂や天保九如の島台を連ねつ、朝野の貴顕紳士をすぐつて約一千名招かるゝがまゝに
△車馬を連ね て至り、軈て食堂の開かるゝや、井上侯は立つて披露の挨拶を為し、寺内首相来賓総代として謝辞を述べて、興の移るに任せて杯を重ねフオークを取りつゝ、其間傍には三越の少年音楽隊が洋洋の楽を奏するあり、又一方には新橋・日本橋の芸妓連五十名がまめまめしく斡旋す、別に
△園中にある 花月庵・八相庵の両茶席には八田・山澄両老控へて薄茶を薦めたり、宴終つて侯爵始め武子刀自・三郎氏夫妻及親戚なる伊藤・桂公・松平子・今村繁三氏等出口に立ち並んで一同を送る事慇懃なり、主なる来会者左の如し
○中略 渋沢・野村・牧野・穂積・尾崎・坪井・三井・小原・大倉・大森阪谷・古河・近藤各男○下略


渋沢栄一 日記 大正六年(DK570257k-0040)
第57巻 p.535 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正六年      (渋沢子爵家所蔵)
一月十七日 晴又陰 寒
○上略 五時紅葉館ニ抵リ、奥田市長ノ招宴ニ列ス、一場ノ謝詞ヲ述ヘ九時帰宅 ○下略
   ○中略。
一月二十日 快晴 寒
○上略 八時半常盤屋ニ抵リ、服部金太郎氏ノ招宴ニ出席ス ○下略


中外商業新報 第一一〇六〇号 大正六年一月二二日 ○山崎繁次郎氏の葬儀(DK570257k-0041)
第57巻 p.535-536 ページ画像

中外商業新報  第一一〇六〇号 大正六年一月二二日
    ○山崎繁次郎氏の葬儀
東京商業会議所議員にして廻米問屋なる山崎繁次郎氏の葬儀は、既報の如く廿一日午後二時上野東叡山寛永寺に於て仏式を以て最も壮厳に
 - 第57巻 p.536 -ページ画像 
営まれしが、会葬者は渋沢男・中野東京商業会議所会頭・根津嘉一郎大橋新太郎・関直彦諸氏を始め ○中略 約三千名を数へ、近時稀に見る盛儀なりき


渋沢栄一 日記 大正六年(DK570257k-0042)
第57巻 p.536 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正六年      (渋沢子爵家所蔵)
一月二十八日 晴 寒
○上略 五時浜町常盤屋ニ抵リ、山下亀三郎氏宴会ニ出席シ、松木氏入社披露ニ付挨拶ヲ為ス、夜十時散会帰宿ス ○下略


中外商業新報 第一一〇七七号 大正六年二月八日 ○内田寛氏葬儀(DK570257k-0043)
第57巻 p.536 ページ画像

中外商業新報  第一一〇七七号 大正六年二月八日
○内田寛氏葬儀 内田寛氏の葬儀は七日午後二時青山斎場に於て執行せり、大導師は青松寺住職佐藤鉄額、副導師吉村雄鳳・佐藤宗研以下衆僧の読経あり、終りて親戚総代子爵川村景明氏の挨拶あり、当日左記諸氏を始め会葬者二千余名に上り盛儀なりき
 大隈侯、後藤・田・渋沢・森村・古河・藤田各男 ○下略


中外商業新報 第一一一〇六号 大正六年三月九日 ○村井夫人葬儀(DK570257k-0044)
第57巻 p.536 ページ画像

中外商業新報  第一一一〇六号 大正六年三月九日
    ○村井夫人葬儀
村井久子夫人の葬儀は、八日午前十時浅草本願寺に於て導師大谷光演副導師大谷光瑩の両師外僧侶数十名にて厳に執行せり、閑院宮・伏見宮の御名代を始め ○中略 渋沢・有地・三井・大倉・森村・阪谷各男、安田善三郎・木村清四郎・和田豊治氏其の他無慮三千余名の会葬者ありたり


渋沢栄一 日記 大正六年(DK570257k-0045)
第57巻 p.536 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正六年        (渋沢子爵家所蔵)
三月十二日 晴 軽寒
○上略 五時帝国ホテルニ抵リ、井上公二氏ノ令息婚儀披露ノ宴ニ出席ス兼子同伴ナリ、食卓上祝詞ヲ述フ、夜九時過帰宅 ○下略


中外商業新報 第一一一三〇号 大正六年四月二日 ○森下岩楠氏葬儀(DK570257k-0046)
第57巻 p.536 ページ画像

中外商業新報  第一一一三〇号 大正六年四月二日
    ○森下岩楠氏葬儀
東京興信所長故森下岩楠氏の葬儀は、一日午後三時青山葬場に於て営まれぬ、岩崎男・三井男・渋沢男其他実業界の名士を網羅し、其数無慮二千名の会葬あり ○下略


集会日時通知表 大正六年(DK570257k-0047)
第57巻 p.536 ページ画像

集会日時通知表  大正六年        (渋沢子爵家所蔵)
五月廿七日 日 午後四半時 星野・穂積両家御結婚披露会(上野精養軒)


中外商業新報 第一一一八六号 大正六年五月二八日 ○星野家結婚披露(DK570257k-0048)
第57巻 p.536-537 ページ画像

中外商業新報  第一一一八六号 大正六年五月二八日
    ○星野家結婚披露
星野錫氏令嗣辰雄氏と故穂積八束博士令嬢万亀子とは二十七日午後二時日比谷大神宮にて華燭の典を挙げ、午後五時より上野精養軒にて披露の宴を開き、宴終りて媒酌人古市博士、新郎新婦を紹介し、次で仲
 - 第57巻 p.537 -ページ画像 
小路農相来賓一同を代表して新郎新婦の為め盃を挙げ、散会せるは九時過なりき、猶ほ当夜の来賓は仲小路農相・加藤海相・奥田市長・清浦子、渋沢・阪谷・目賀田・穂積・古河各男を始め平山成信氏・中野浅野・加藤・佐々木・藤山・池田・日比・小池等の各実業家其他七百余名なりき


集会日時通知表 大正六年(DK570257k-0049)
第57巻 p.537 ページ画像

集会日時通知表  大正六年        (渋沢子爵家所蔵)
十一月九日 金 午後一時 故近藤陸三郎氏の葬儀(青山斎場)


中外商業新報 第一一三五二号 大正六年一一月一〇日 ○近藤博士葬儀(DK570257k-0050)
第57巻 p.537 ページ画像

中外商業新報  第一一三五二号 大正六年一一月一〇日
    ○近藤博士葬儀
故古河合名会社理事長工学博士近藤陸三郎氏の葬儀は、途中葬列を廃し九日午後一時より青山斎場に於て、大僧正岩本愍随師導師となり、古河男を始め徳川侯・西郷侯・陸奥伯・久原・原敬諸氏及ビ会社関係よりの生花数十対を供へ、荘厳なる式に次で、喪主真一氏・親戚友人の焼香あり、会葬者は渋沢男・益田孝・和田豊治・五十嵐博士・丹波博士・平沼早大理事・中村満鉄総裁・青木博士・池田謙三・井上敬次郎・鎌田栄吉・児玉書記官長・大谷嘉兵衛等諸氏数百名に上れり


中外商業新報 第一一四〇〇号 大正六年一二月二八日 ○風寒き日 青山博士の葬儀執行(DK570257k-0051)
第57巻 p.537 ページ画像

中外商業新報  第一一四〇〇号 大正六年一二月二八日
    ○風寒き日
      青山博士
        の葬儀執行
正三位勲一等医学博士男爵青山胤通氏の葬儀は、予報の如く廿七日執行されたり ○中略
当日の会葬者は岡田文相・大隈侯・山川総長・河野広中・犬養毅・若槻礼次郎・渋沢男・辻男・高田博士其他二千五百余名に上り、頗る盛儀なりき


渋沢栄一 日記 大正七年(DK570257k-0052)
第57巻 p.537-538 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正七年      (渋沢子爵家所蔵)
一月六日 晴 寒
午前七時起床、入浴シテ朝飧ヲ食ス ○中略 久住清次郎夫妻来ル、新婚披露ノ為メナリ ○中略 午後三時青山祭場ニ抵リ、千家尊福氏告別式ニ出席ス、畢テ四時半頃帰宅ス ○下略
   ○中略。
一月九日 晴 寒強シ
○上略 午後五時半帰宅ス、後堀越善重郎氏・矢島慎吉氏夫妻来ル、蓋シ堀越氏近日米国行ニ付送別ノ為メ招宴シタルナリ、家人相会シ夜飧ヲ共ニシ、余興アリテ夜十時頃散会セリ、米国ニ於ル各地ノ知人ニ種々ノ伝言ヲ托ス ○下略
   ○中略。
一月十一日 晴 寒
○上略 午後五時銀行集会所ニ抵リ、鈴木穆氏招宴ニ出席ス、夜食ノ前後ニ於テ朝鮮財政経済ニ付テ詳細ノ談話アリ、銀行事務、幣政《(制)》ノ改正又
 - 第57巻 p.538 -ページ画像 
ハ鉄道ノ発展、租税ノ整理等ニ至ルマテ、曩ニ第一銀行又ハ余等ノ苦辛セシ跡ヲ承継シテ着々整理発展シタル状況ヲ詳悉シテ、頗ル愉快ヲ覚フ、種々ノ談話ニテ更ノ深キヲ忘レ、夜十一時過散会、帰宅後新聞紙ヲ一覧ス
   ○中略。
一月十六日 快晴 寒
   ○本文略ス。
(欄外記事)
[午前九時矢板武氏来リ、孫女縁談ノ事ニ付依頼アリ ○下略
   ○中略。
二月一日 晴 寒
○上略 午後五時築地精養軒ニ抵リ、兼子ト共ニ河野通氏ノ婚儀ヲ媒妁ス食卓ニ於テ披露且新郎新婦ニ訓示ヲ為シ、夜十時散会帰宿ス ○下略
   ○中略。
二月三日 曇 寒
○上略 午前十時青山葬祭場ニ抵リ、朝吹氏ノ葬儀ニ列ス ○下略


中外商業新報 第一一四三八号 大正七年二月四日 ○朝吹英二氏の葬儀 会葬五千余名(DK570257k-0053)
第57巻 p.538 ページ画像

中外商業新報  第一一四三八号 大正七年二月四日
    ○朝吹英二氏の葬儀
      会葬五千余名
故人徳望の輝く処能く後人の悼情を萃めて其葬儀の盛観を極めしは、三日午前十時青山斎場に於て執行されたる、柴庵朝吹英二翁の夫れなりき
△雪催ひの空 朧に湿る処会葬する者無慮五千余名、斎場の内外一面に之人の海、徳川家達公、鍋島・松方・井上各侯、芳川・広沢・吉井各伯、杉・三島・松平・石黒・岡部・青山各子、三井八郎右衛門・同八郎次郎・近藤・沖・岩崎・渋沢・阪谷各男を始め
△朝野有数の 実業家は云ふ迄もなく、学者あり、文人あり、美術家あり、故人生前の交遊如何に多般なりしかを想はしめたり ○下略


渋沢栄一 日記 大正七年(DK570257k-0054)
第57巻 p.538-539 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正七年      (渋沢子爵家所蔵)
二月五日 曇 軽寒
○上略 六時浜町常盤屋ニ抵リ、林民雄氏ノ招宴ニ出席ス、一場ノ挨拶ヲ為ス、夜十時帰宅ス ○下略
(欄外記事)
[落語清元等ノ余興アリ
   ○中略。
二月九日 晴
○上略 午後五時平岡・山本氏等ノ案内ニテ常盤屋ニ抵リ宴会ニ出席ス、種々ノ余興アリテ饗宴極テ鄭重ナリ、夜十一時帰宿 ○下略
二月十日 曇 夕方ヨリ雨降ル寒威強シ
○上略
白石喜太郎新婚ノ婦人及其母ト共ニ来訪ス
   ○中略。
 - 第57巻 p.539 -ページ画像 
二月十六日 曇 風強クシテ寒威昨日ヨリ加フルヲ覚フ
○上略 五時半根津嘉一郎氏邸ニ抵リ、渡米実業団諸氏ト共ニ根津氏ノ招宴ニ応ス、余興数番アリ、歓ヲ尽シテ散会 ○下略
   ○根津嘉一郎ハ渡米実業団ノ一員ナリ。本資料第三十二巻所収「渡米実業団」参照。
   ○中略。
三月六日 雨 朝来降雨寒威厳ナラス
○上略 午後五時半浜町常盤屋ニ抵リ、山下亀三郎氏ノ招宴ニ出席ス、饗宴最新式ニシテ来賓一同頗ル感興ヲ催セリ、浪花節ノ余興アリ、賓主歓ヲ尽シ夜十一時散会 ○下略
   ○中略。
三月二十三日 晴 風強ク途上砂塵多クシテ道路分明ナラサル事アリ
○上略 六時常盤屋ニ抵リ、中島久万吉男ノ招宴ニ出席ス、、種々ノ余興アリ、夜十時過帰宅 ○下略


中外商業新報 第一一四八九号 大正七年三月二七日 ○成瀬氏夫人葬儀(DK570257k-0055)
第57巻 p.539 ページ画像

中外商業新報  第一一四八九号 大正七年三月二七日
    ○成瀬氏夫人葬儀
十五銀行副頭取・丁酉銀行頭取成瀬正恭氏夫人峰子刀自の葬儀は、途中葬列を廃し、二十六日午後二時築地本願寺の本堂に於て執行、会葬者は広沢伯・稲葉子、渋沢・近藤各男、松方巌・中野武営・浅野総一郎・大川平三郎諸氏其他実業家等約八百余名、頗る盛儀なりし


渋沢栄一 日記 大正七年(DK570257k-0056)
第57巻 p.539 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正七年      (渋沢子爵家所蔵)
四月十一日 雨
○上略 後藤男邸ニ抵リ、夫人ノ薨去ヲ弔ヒ ○下略


渋沢栄一 日記 大正八年(DK570257k-0057)
第57巻 p.539-540 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正八年      (渋沢子爵家所蔵)
一月二十二日 晴 寒
○上略 正午日本クラブニ抵リ、林男爵・田中都吉氏ノ歓迎午飧会ニ出席ス、食卓上一場ノ演説ヲ為ス ○中略
午後五時築地瓢屋ニ抵リ、高根義人氏ノ招宴ニ出席ス、穂積・阪谷・佐々木・八十島・石井ノ諸氏来会ス、食事中一場ノ謝詞ヲ述フ ○下略
   ○中略。
一月二十五日 雨 寒
○上略 午後五時築地精養軒ニ抵リ、高橋・酒井両家ノ婚儀披露会ニ出席ス、食卓上祝詞ヲ述フ、夜十時過帰宅ス
○下略
   ○中略。
二月二十三日 曇 寒
午前七時起床入浴シテ朝飧ス、畢テ吉岡新五郎氏来リ、其長男ノ婚儀ニ付談話ス、浅野総一郎氏来リ、其三男ノ婚儀ニ付媒妁ノ事ヲ依頼セラル ○下略
   ○中略。
三月四日 成瀬仁蔵氏死去ノ事ヲ麻生氏来リテ詳細ニ告知セラレ、其
 - 第57巻 p.540 -ページ画像 
告別式ヲ来ル九日ニ挙行スル筈ナルニヨリ、当日ハ熱度モ低ク気分モ悪シカラサリシカバ、其式ニ出席ノ事ヲ約セシモ、其後熱度頓ニ加ハリテ前述ノ如ク大患トハナリシナリ
   ○本資料第四十四巻所収「日本女子大学校」大正八年一月二十九日及ビ同年三月九日ノ条参照。
   ○中略。
五月十三日 曇 軽寒
午前六時半起床入浴朝食ヲ畢リ ○中略 永田甚之助氏来リ、来ル十六日其弟四郎ノ婚儀ニ出席ノ事ヲ請ハル ○下略
   ○中略。
五月十六日 晴 軽寒
○上略 午前十一時日本女子大学ニ抵リ、成瀬校長ノ墓参ヲ為ス ○下略
(欄外記事)
○上略 午後五時頃ヨリ兼子ト共ニ永田四郎ノ婚儀ニ出席ス、食卓上祝詞ヲ述フ ○下略
   ○中略。
七月一日 曇 暑
○上略 午前十時高木兼寛男ノ病ヲ訪フ ○下略
   ○高木兼寛ハ大正九年四月十二日歿ス。「竜門雑誌」(第三八四号・大正九年五月)ニ「東京慈恵会医院医学博士男爵高木兼寛氏は、昨年六月頃より健康を害し、爾来本邸ニ在りて療養中一時快方に向はれしに四月十二日午前突如脳溢血の為め逝去せられたり。」云々トアリ。本資料第三十一巻所収「社団法人東京慈恵会」大正九年四月十六日ノ条参照。


中外商業新報 第一一九七二号 大正八年七月二三日 代々木の雅宴(中) 山本唯三郎氏の催 七月十八日夜記 幻庵(DK570257k-0058)
第57巻 p.540-541 ページ画像

中外商業新報  第一一九七二号 大正八年七月二三日
    代々木の雅宴(中)
      山本唯三郎氏の催
          七月十八日夜記 幻庵
代々木の別荘は元紀州徳川家の下屋敷にして、其規模頗る宏大、樹木鬱蒼として一塵到らず、別に一天地を成せるの境也、工事は今や準備の最中にして、其一隅に曾て紀州侯が建てられたる一棟の座敷あり、即ち余は導かれて先づ其処に到る、既に席中阪谷男あり、馬越恭平翁あり、また山成喬六氏あり、間もなく渋沢男臨席せられて客数五人となる、五人の客組は恰も茶客に相当せるも、さて席の飾付如何と見渡すに其用意敢て之に適へりとも受取れず ○中略
かくて一同顔揃ひとなるや、亭主一応庭園の一覧を請はんとて、一同庭に降り立ち、亭主の案内に依て歩を移す、庭砌も亦目今築造の最中にして、只大体の景致を賞しつゝ歩を進むる程に、其行途に当りて樹陰深き処に柴折門の一構あり、渋沢男先づ歩を停めて頗る躊躇の気味あり、阪谷男亦甚た逡巡す、こゝに於てか老功の馬越翁先頭第一其門に入り、余等魚貫して之に踵ぐや、庭の樹石も特に寂び渡りて塵無く径の石露に湿ひて苔微に点ず、愈々進みて席に入れば、床には松花堂自賛寿老の一軸を掲げ、其下には古銅(漢時代の名器か)の花入に夏椿一枝を挟み、而も十分に露を含める風情夏尚寒きを覚う、各々一覧後徐に着坐に及ぶや、亭主機転をきかして簾を取払はせ、且障子を排
 - 第57巻 p.541 -ページ画像 
して涼風の通ふに任せつ、また恣に庭の風光を展望せしむ、会心至極也、席中道具畳には、古銅の風炉に蘆屋丸形の小釜(福寿の文字あり)を掛け、しづかに起る松の声浪の音を耳くも心地よし、座前には桑木地の煙草盆(一対)を出し、其中には驚くべし、いつぞやの入札に、二万五千円の高価を以て落札せし呉州冠手の火入を備ふを認む、次で代点粛然として茶道口に辞儀するを見るに、誰あらう、京都に老茶道具商として、其名も高く業も老巧と聞へし服部七兵衛子にてぞありける、先づ青磁鉢に生菓子を盛り、堆朱の盆に干菓子を盛りたるを侑めつ、かくて順々に茶器類を運びて、相も変らず軽快に薄茶を点じて饗応に及ぶ、正客の馬越翁先づ会心の笑を湛へて之を嚥み、一同順次嚥み了つて其器物を拝見するに如次
 水指 古備前 茶碗 みしま
 換茶碗 仁清
       葵の紋章
 茶期 葵蒔絵中次
 茶杓 古田織部
     筒 元伯宗旦
 建水 南蛮ハンネラ
 蓋置 古銅さゝ蟹
茶器は素より薄茶の趣向なれば、之ぞと取立てゝ称すべき程のものは使用せざれど、みしまの茶碗(近衛家伝来)仁清の茶碗(徳川家の伝来)共に結構にして、また古備前の水指、織部の茶杓も一段と見事、総てこの席の趣向正に痒処に触着す、果して亭主の工夫に依れるか、それ将た麻姑の爪は七兵衛子に帰すべきや
   ○幻庵ハ野崎広太。


渋沢栄一 日記 大正九年(DK570257k-0059)
第57巻 p.541 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正九年      (渋沢子爵家所蔵)
一月十五日 晴 寒
○上略 午後一時芳川伯爵ノ家ニ於テ、故伯爵ノ告別式ニ出席ス ○下略
   ○中略。
一月二十二日 曇 寒気ハ甚シカラス
○上略 十時四十分青年会ニ抵リ、矢島俊吉氏ノ葬儀ニ列シ、一場ノ弔詞ヲ述フ ○下略
   ○中略。
一月三十一日 晴 寒
○上略 夕五時半頃帝国ホテルニ抵リ、塚原周造氏令男ノ婚儀ニ出席ス、食卓上祝詞ヲ述ブ、夜九時過帰宅 ○下略
   ○中略。
三月八日 晴 寒
○上略
福沢竜太郎氏来、身上ニ付依頼アリ、原胤韶氏ヘ再応依頼ノ事ヲ示ス
○下略
三月九日 晴 寒
午前七時半起床入浴シテ朝食ス、畢テ福沢竜太郎氏ノ来訪ニ接ス ○下略
 - 第57巻 p.542 -ページ画像 


集会日時通知表 大正一〇年(DK570257k-0060)
第57巻 p.542 ページ画像

集会日時通知表  大正一〇年      (渋沢子爵家所蔵)
二月十六日 水 午後二時 故近藤男爵追悼会(青松寺)


渋沢栄一 日記 大正一〇年(DK570257k-0061)
第57巻 p.542 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正一〇年      (渋沢子爵家所蔵)
二月十六日 曇 寒 此日朝来曇天午後ヨリ雨降リ寒気殊ニ強シ
○上略 午後二時芝青松寺ニ於テ近藤氏ノ葬儀ニ出席ス ○下略


中外商業新報 第一二五四三号 大正一〇年二月一七日 近藤男追悼式 参列者約六百(DK570257k-0062)
第57巻 p.542 ページ画像

中外商業新報  第一二五四三号 大正一〇年二月一七日
    近藤男追悼式
      参列者約六百
郵船会社船舶職員一同の主催に係る故近藤社長の追悼大法会は、十六日午後二時より芝愛宕下青松寺に於て執行、参会者は遺族を始め加藤山本・野田・元田各大臣代理、渋沢子爵・坪井男爵・井上準之助・浅野総一郎・神戸挙一・和田豊治・小田柿捨次郎・渡辺勝三郎氏其他朝野の名士、郵船社員・商船学校生徒等約六百名 ○下略


集会日時通知表 大正一二年(DK570257k-0063)
第57巻 p.542 ページ画像

集会日時通知表  大正一二年       (渋沢子爵家所蔵)
十二月三日 月 午後二―三時 池田謙三氏告別式(青山斎場)


中外商業新報 第一三五五四号 大正一二年一二月四日 池田氏告別式(DK570257k-0064)
第57巻 p.542 ページ画像

中外商業新報  第一三五五四号 大正一二年一二月四日
    池田氏告別式
第百銀行・東京貯蔵銀行各頭取、日本貿易協会々長池田謙三氏の告別式は、三日午後二時より三時まで青山斎場において仏式に依り執行、会葬者は友人井上蔵相・渋沢子・山本前農相を始め財界巨頭・文武官華族・両院議員その他各方面の名士一千数百名で、なかなかの盛儀であつた


集会日時通知表 大正一三年(DK570257k-0065)
第57巻 p.542 ページ画像

集会日時通知表  大正一三年       (渋沢子爵家所蔵)
一月四日 金 午後一半時 一ツ橋商科大学焼跡ニテ
             日印協会副会長神田男葬儀《(頭)》
   ○中略。
七月三日 木 午前十時  松方公爵邸ヘ御出向
   ○中略。
七月十二日 土 午前七・四〇時 参着ノ事 松方公国葬(三田松方邸)大礼服正装


竜門雑誌 第四三四号・第八五頁 大正一三年一一月 青淵先生動静大要(DK570257k-0066)
第57巻 p.542 ページ画像

竜門雑誌  第四三四号・第八五頁 大正一三年一一月
    青淵先生動静大要
      十月中
十九日 阪谷男爵母堂告別式(谷中斎場) ○中略 に出席


渋沢栄一 日記 大正一四年(DK570257k-0067)
第57巻 p.542-543 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正一四年     (渋沢子爵家所蔵)
一月十八日 晴 寒
 - 第57巻 p.543 -ページ画像 
○上略
午飧後故松方公ニ関スル追想録ノ字句修正ニ努力ス ○下略
一月十九日 晴 寒
午前八時起床、入浴朝飧例ノ如クシテ後、松方公追想録ノ修正ニ努ム午飧後ニ至テ脱稿シテ、中野ニ命シテ浄書セシム ○下略


集会日時通知表 大正一四年(DK570257k-0068)
第57巻 p.543 ページ画像

集会日時通知表  大正一四年       (渋沢子爵家所蔵)
九月廿六日 土 午前十一時 故浜尾子爵家御弔問(金富町同子邸)


中外商業新報 第一四二一七号 大正一四年九月二七日 弔問の客繁き うち湿る浜尾邸 今さらの未亡人の涙(DK570257k-0069)
第57巻 p.543 ページ画像

中外商業新報  第一四二一七号 大正一四年九月二七日
    弔問の客繁き
      うち湿る浜尾邸
        今さらの未亡人の涙
一夜は明けても空の曇はカラリと晴れかねて悲しみもまた新たなる小石川金富町の浜尾邸に、二十六日は午前八時まへから
 弔問の 客が絶え間なく訪れて、悲しみのうちにも応接のの忙しさ東宮職からは皇太子殿下の内意を受けて本多侍従が、帝大からは法学部教授の穂積重遠博士が何れも早くから来邸して、家人や葬儀委員の間に立ちまぢつて何かと面倒を見てゐたのが殊のほか注意をひく、渋沢子も自ら弔問に来て、奥に通つて未亡人その他と物語り、続いて鳩山春子女史も見えて、これまた親交のさく子
 未亡人 との間に追憶話が進めば、新なる悲しみに柩の前の物語りもまたおのづから湿り行くのである ○下略


渋沢栄一 日記 大正一五年(DK570257k-0070)
第57巻 p.543 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正一五年      (渋沢子爵家所蔵)
二月二日 快晴 寒
○上略 午後一時半ヨリ青山斎場ニ抵リ、加藤総理大臣ノ葬儀ニ出席シ、告別焼香ヲ為ス ○中略
夜加藤高明氏ノ略伝ヲ朗読セシム、十一時就寝


(増田明六) 日誌 大正一五年(DK570257k-0071)
第57巻 p.543 ページ画像

(増田明六) 日誌  大正一五年    (増田正純氏所蔵)
九月十二日 日 晴
○上略
午後一時小石川原町自邸ニ於ける目賀田男爵告別式ニ、渋沢子爵代理を兼ね参列す


渋沢栄一 日記 昭和二年(DK570257k-0072)
第57巻 p.543 ページ画像

渋沢栄一 日記  昭和二年       (渋沢子爵家所蔵)
一月二十八日 晴 寒気昨ト同シ
午前八時起床入浴シテ後朝飧ヲ食ス、畢テ小池厚之助氏、花田準一同行来訪、故国三氏伝記編纂ニ付逸事等ノ諮問アリ、依テ事業上又ハ米国旅行等ニ関ルス交際ノ事ヲ談話ス ○下略
   ○小池国三ハ渡米実業団員トシテアメリカニ旅竹ス。本資料第三十二巻所収「渡米実業団」参照。

 - 第57巻 p.544 -ページ画像 

渋沢栄一 日記 昭和三年(DK570257k-0073)
第57巻 p.544 ページ画像

渋沢栄一 日記  昭和三年      (渋沢子爵家所蔵)
二月十八日 晴 寒気強シ
午前八時起床入浴シテ朝食ス、畢テ女子大学前校長成瀬仁蔵氏伝記編纂ノ事ニ付テ渡辺英一・仁科節子二氏来リテ、故人ニ関スル記憶ノ概況ト本大学創立及其後ノ経過ニ付テ種々ノ談話ヲ為ス○下略
   ○本資料第四十四巻所収「日本女子大学校」昭和三年四月二十日ノ条参照。


(増田明六) 日誌 昭和三年(DK570257k-0074)
第57巻 p.544 ページ画像

(増田明六) 日誌  昭和三年     (増田正純氏所蔵)
三月十一日 日 曇
○上略
午後二時麟祥院ニ於ける大滝潤家氏の故令夫人告別式に、子爵並同令夫人の代理を兼ね参列し ○下略
   ○中略。
三月廿四日 土 晴                出勤
○上略
午後一時故岩下清周氏の祈祷式(青山斎場)ニ、渋沢子爵代理として参列、引続き一時半からの告別式にも又代理で参列者の通路に佇立して挨拶を為した
○下略