デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

3部 身辺

6章 旅行
1節 国内旅行
■綱文

第57巻 p.546-552(DK570260k) ページ画像

明治43年4月9日(1910年)

是日栄一、東京ヲ発シ名古屋ニ赴キ、渡米実業団第一回記念会ニ出席、中津・四日市ヲ経テ宇治山田ニ到リ両宮ニ参拝、吉野山・高野山ヲ訪ヒ、更ニ大阪・神戸・京都ニ赴キ、関係事業ヲ視察シ、二十七日帰京ス。


■資料

竜門雑誌 第二六三号・第七三―七五頁 明治四三年四月 ○青淵先生関西旅行日程(DK570260k-0001)
第57巻 p.546-547 ページ画像

竜門雑誌  第二六三号・第七三―七五頁 明治四三年四月
    ○青淵先生関西旅行日程
青淵先生には名古屋に於て開会せらるゝ渡米実業団第一回紀念会に出席の序を以て関西旅行を思立たれ、令夫人・令嬢を伴ひ、随行員増田明六君外三名並に同行者梅浦精一君・同令夫人・大倉喜三郎君と共に本月九日午前八時半新橋発の汽車にて出発せられたり、左に右旅行の梗概を記す
△四月九日(土曜日)
午後四時に名古屋到着旅館に投宿、午後七時鶴舞公園内演舞場に於て舞踊観覧
右終りて河文楼に於ける宴会へ出席
△四月十日(日曜日)
午前十時名古屋商業会議所に於ける県知事・市長・商業会議所会頭其他のレセプシヨン出席
右終て共進会観覧、同場内貴賓館に於て午餐
午後二時特別電車にて築港巡覧
午後六時商品陳列館に於て正式晩餐、但し服装は燕尾服
△四月十一日(月曜日)
午前九時徳川邸美術品拝観及新古美術展覧会参観
午後一時神野邸の園遊会出席
午後四時伊藤呉服店くれは倶楽部に於て名古屋婦人会の歓迎を受く
同所に於て講演
△四月十二日(火曜日)
午前名古屋城拝観
午後一時四十七分笹島停車場を発して美濃中津町に到り、中央製紙会社主催の晩餐会に出席
△四月十三日(水曜日)
午前勝野製糸工場及中央製紙会社工場視察
午後中津小学校に於て講演
右終りて中津町民の歓迎会に出席
△四月十四日(木曜日)
午前八時五十五分中津を発車、午後二時四十四分四日市に到着
第一銀行支店巡視の後午後四時発車
七時伊勢山田に到り投宿
△四月十五日(金曜日)
 - 第57巻 p.547 -ページ画像 
参宮及二見浦見物
△四月十六日(土曜日)
朝山田を発し午後吉野に着し吉野山に到りて投宿
△四月十七日(日曜日)
吉野山桜花見物
△四月十八日(月曜日)
吉野山を発し高野山に到り参詣の後投宿
△四月十九日(火曜日)
高野山を発し午後大阪に到り投宿
△四月二十日(水曜日)
△四月二十一日(木曜日)
此の両日中に第一銀行支店・大阪紡績会社・汽車製造会社を巡回視察し、且つ大日本商業学会の依頼に応し講演
△四月二十二日(金曜日)
早朝出発神戸第一銀行支店及東京人造肥料支店其他を巡回し夕刻大阪帰着
△四月二十三日(土曜日)
午前大阪を発し京都に到る
△四月二十四日(日曜日)
△四月二十五日(月曜日)
此両日中に第一銀行支店・京都織物会社等巡回
△四月二十六日(火曜日)
午前九時二十五分京都を発し後八時三十分新橋帰着


渋沢栄一 日記 明治四三年(DK570260k-0002)
第57巻 p.547-552 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四三年      (渋沢子爵家所蔵)
四月九日 雨 軽暖
午前六時半起床入浴シ後朝飧ヲ食シ、直ニ旅装ヲ理シ家人ニ留守中ノ要務ヲ訓示シ、七時過キ兼子・愛子・正雄等ト共ニ家ヲ発シ新橋ニ抵ル、送行ノ人多ク来リ集ル、八時半ノ急行車ニ搭シテ出発ス、車中春雨蕭々タリ、静岡駅ニテ市長及地方人数名来リ迎ヘ、午飧ヲ饗セラル午後四時過名古屋ニ抵ル、此日汽車中渡米実業団員ニテ名古屋紀念会ニ参列スル者数名アリ、又梅浦氏夫妻モ同行スルヲ以テ車中談話多シ名古屋人士多数来リ迎フ、停車場ヨリ馬車ニテ丸文楼ニ抵リ投宿ス、夜食後共進会ニ抵リ夜景ヲ見ル、エルミネーション昼ノ如シ、場内ノ演舞場ニ抵リテ共進会ノ為ニ設ケラレタル舞伎ヲ見ル、畢テ河文楼ニテ地方人ノ主催ニ係ル饗宴ニ列ス、一場ノ謝詞ヲ述ヘ、夜十二時散宴帰宿ス
四月十日 曇 軽暖
午前七時起床、風邪気ニテ入浴ヲ廃ス、八時朝飧シ新聞紙ヲ一覧シ、又来客ニ接ス、九時名古屋商業会議所ニ抵リ、県知事・市長其他地方人士多数来会シテ接見会アリ、深野知事ヨリ開会ノ挨拶アリ、余亦之ニ答詞ヲ述テ式ヲ了ル、後実業団残務整理ニ付中野武営氏ヨリ報告アリ、余亦之ニ敷愆シテ其順序ヲ詳細ニ知悉セシム、後共進会場ニ抵リ貴賓館ニテ午飧ス、市役所ヨリノ饗応ナリト云フ、貴賓館ノ構造ハ和
 - 第57巻 p.548 -ページ画像 
様ニテ頗ル高尚ナリキ、午飧後共進会場ヲ匆卒ニ通過シテ、直ニ電車ニテ熱田ニ抵リ、築港ノ新経営ヲ一覧ス、桟橋及埋立地等ハ落成セシモ、海面ノ浚渫未タ完成セス、船舶充分ニ来泊スルヲ得サリキ、又埋立地モ倉庫其他ノ設備聊モ其緒ニ就クニ至ラス、蓋シ之ヲ成就スルハ尚ホ数年ノ後ニアラン歟、一覧後旅亭ニ帰リ、午後六時商品陳列館内ニ開催セラレシ正式晩飧会ニ出席ス、来会者八十余名ナリ、知事・市長・地方出身ノ代議士其他重立タル人士ト実業団員ノ来会者トヲ合セシナリ、席上一場ノ演説ヲ為ス、夜十一時散会帰宿ス
   ○貴賓館トハ昭和二十年ニ戦災ニヨリ焼失セル聞天閣ノコトナリ。
四月十一日 曇 軽暖
午前七時起床、入浴シ畢テ新聞紙ヲ一読ス、朝来中津人数名来リテ明日同地ニ赴ク事ヲ談ス、八時朝飧ヲ食シ、九時ヨリ大曾根町徳川侯爵邸ニ抵リ、其家宝ノ陳列ヲ一覧ス、藩祖又ハ東照公ノ甲冑及ヒ種々ノ武器アリ、又古書籍茶器等ニ頗ル名品アリ、絵画類ニモ名筆多カリキ一覧畢リテ第一銀行支店ニ抵リ、店員ニ訓示シ、又三重紡績会社営業所ニ抵リ、同シク店員ニ一場ノ訓諭ヲ為ス、十二時旅亭ニテ午飧シ、午後一時ヨリ神野金之助氏邸ノ園遊会ニ抵ル、庭園家屋悉ク新構造ニシテ美麗ナリ、種々ノ饗応アリ、余興トシテ能狂言アリ、畢テ伊藤氏ノ呉服店ニ抵ル、米国式ノデパルトメント・ストアニテ設備又盛大ナリ、三階上ノ一室ニテ名古屋婦人会ノ集会アリテ、一場ノ講演ヲ乞ハレシニヨリ、婦人ニ対スル感想ノ一班ヲ演説ス、畢テ旅亭ニ帰リ、晩飧後実業団誌ヲ一読シテ字句ノ修正ニ勉ム
四月十二日 晴 軽寒
午前七時起床、入浴シ畢テ新聞紙ヲ一覧ス、種々ノ来客ニ接ス、八時過朝飧ヲ食ス、渡米実業団誌ヲ一覧シテ、増田明六ニ要旨ヲ口授シテ編纂ニ注意セシム、又東京ヨリノ電報ニ対シテ、佐々木氏ニ一書ヲ裁シテ伝達セシメ、且口頭ニ於テモ之ヲ通告ス、午前十時旅亭ヲ出テ、名古屋天守閣ニ抵ル、閣ハ旧城内ニ在リ、所謂金鯱魚ノ燦然タルモノナリ、五層楼アリテ其高サ三十間アリ、最下層ノ坪数千坪余ナリト云フ、楼上ノ瞻望尤モ佳絶ナリ、一覧畢テ更ニ宮殿ヲ一覧ス、各室ノ絵画総テ狩野・土佐ノ名筆ナリキ、畢テ旅宿ニ帰リ午飧後旅亭ヲ発シ、一時四十分発ノ汽車ニテ美濃中津町ニ赴ク、多数ノ人士来リテ行ヲ送ル、名古屋駅ヨリ中津マテハ初度ノ経過ナルニヨリ、汽車中ノ眺望興味アリ、午後六時中津ニ抵ル、多数ノ地方人来リ迎フ、近又楼ニ投宿ス、夜中央製紙会社ノ主催ニ係ル宴会アリ、地方有力ノ人士三十人余来会ス、席上一場ノ演説ヲ為ス、夜十二時寝ニ就ク
四月十三日 晴 軽寒
午前七時起床、先ツ日記ヲ編成ス、楼上山野ノ四望頗ル秀清ナリ、八時朝飧ヲ食シ、後来人ニ接見ス、九時当市ニ在ル勝野氏ノ製糸工場ヲ一覧ス、三工場アリテ、女工千人余ヲ使用シ、一年製糸ノ数二千四百個《(梱)》ナリト云フ、畢テ人車ニテ中央製紙工場ニ抵ル、中津川ニ添フテ山間行クコト一里程アリ、水力ヲ以テ木材ヲ粉磨シ、又ハ硫酸ニテ之ヲ煮テ以テ紙ヲ製スルナリ、工場ノ設備頗ル完全ニシテ壮大ナリ、紙漉器械三台アリテ、一ハ新聞紙、一ハ普通和紙、一ハ寸燐包装紙《(燐寸)》ヲ製ス
 - 第57巻 p.549 -ページ画像 
ト云フ、一覧畢リテ山上ニ抵リ用水路ヲ一見ス、是ヨリ先工場事務所ニテ、会社ヨリ余ニ対スル感謝状贈呈式アリ、依テ一場ノ演説ヲ為シテ答詞トシ、夫ヨリ山上ノ園遊会ニ赴ク、午飧後鉄道ニテ町ニ下リ妙見山ヲ一覧ス、風景絶奇ト云フヘシ、山ハ木曾川ト中津川トノ合流スル所ニアリ、畢テ町ノ小学校ニ抵リテ一場ノ演説ヲ為ス、夫ヨリ歓迎会式場ニ臨ム、蓋シ町ノ人々相集リテ余ノ来津ヲ歓ヒ迎フルナリ、畢テ旅亭ニ帰リ、更ニ有志者ノ催ス処ノ宴会ニ出席ス、又多数ノ揮毫ヲ為ス、夜十二時就寝
四月十四日 晴 軽寒
午前六時半起床、天気朗晴風ナシ、四望晴爽ナリ、鶯声各所ニ相呼応シテ春色掬スヘシ、楼上日記ヲ編成ス、八時朝飧ヲ食ス、後二・三ノ来人ニ接ス、八時四十分中津発ノ汽車ニ搭シテ帰途ニ就ク、停車場ニ来リテ行ヲ送ル者頗ル多シ、十二時名古屋ニ抵リ、小憩午飧ス、銀行会社ノ人来リテ迎フ、食後一時三十分ノ汽車ニテ四日市ニ抵ル、兼子愛子ハ次ノ汽車ニテ発スル事トシ、篤二ハ名古屋ニ一泊シテ明日帰京ノ筈ナリ、四日市ニ於テ銀行支店ノ新築ヲ一覧シ、又港湾ノ修築ヲ見ル、市長及伊藤伝七氏等案内ス、五時過四日市発ノ汽車ニテ山田ニ抵ル、夜八時山田ニ着シ、戸田屋ト云フ旅亭ニ投宿ス、家屋瀟洒ニシテ雅致アリ、梅浦精一氏夫妻先ツ来宿セリトテ食後会話ス
四月十五日 晴 軽暖
午前六時半起床、入浴シテ後理髪ス、又日記ヲ編成ス、朝来天気朗晴殊ニ春暄ヲ覚フ、梅浦氏ハ七時過ノ汽車ニテ芳野ニ赴クトテ先発ス、
八時朝飧ヲ食シ、九時頃ヨリ旅亭ヲ出テ、先ツ外宮ヲ参拝ス、神苑広クシテ且佳麗ナリ、畢テ人車ニテ市街ヲ通過シ、途中新築セシ御成道ヲ通過シテ内宮ニ抵ル、外宮ニ比スレハ神苑ハ狭小ナルモ、廟宇ノ在ル所頗ル壮厳ナリ、今年例ニヨリテ新ニ造営シタルヲ以テ宮殿新清ナリ、参拝畢テ電車ニテ二見ケ浦ニ抵リ、朝日館ニテ午飧ス、食後有名ナル夫婦巌ヲ一覧シ、更ニ電車ニテ合《(間)》ノ山ニ抵リ徴古館ニ抵リ、神宮ノ為ニ蒐集陳列セル歴史的ノ古器物ヲ一覧ス、後田中芳男氏ノ案内ニテ附属農業館ヲ一覧シ、夕六時山田ノ旅亭ニ帰リ、晩飧後再ヒ古市ニ抵リ、備前屋ニテ伊勢踊ヲ一覧ス、踊ハ旧様ヲ存スト云トモ頗ル陋拙ト去フヘシ、夜十時帰宿
四月十六日 曇 軽暖
午前六時起床、直ニ朝飧ヲ食シ、旅装ヲ理シテ旅亭ヲ出テ七時四十分山田発ノ汽車ニ搭ス、旅亭ノ主人松阪マテ送リテ帰ル、亀山ニ抵リテ汽車ヲ乗替ヘ、旧関西線ニテ王寺ニ抵リ、王寺ノ停車場ニテ再ヒ汽車ヲ乗替ヘ、吉野行線ニテ凡一時間余ニシテ吉野口ニ抵ル、大阪ヨリ大川英太郎・松井万緑二氏来リ迎フ、吉野ノ旅亭芳雲館ヨリ迎ノ人アリテ一行十一人人車ニテ山間ヲ経過ス、吉野口ヨリ路傍桜樹多シ、吉野川ニ沿フテ行クコト三里ニシテ六田ニ抵リ川ヲ渡ル、是ヨリ山路ニ入リテ道少ク険ナリ、稍上リテ吉野宮ヲ拝ス、宮ハ維新後ノ造営ニシテ後醍醐天皇ヲ祀ルモノナリ、更ニ行クコト五・六丁ニシテ一目千本ノ称アル所ヲ過キ吉野町ニ抵ル、蔵王社アリ、殿堂ノ結構壮大ナリ、六時過吉野町芳雲館ニ投宿ス、吉野山ノ花候ハ此月十日ヨリ二十日迄ノ
 - 第57巻 p.550 -ページ画像 
間ト聞キシモ、桜花ハ半開ニシテ、少ク早キニ過クルノ憾アリ、然レトモ日々天気快晴ニシテ、山光水色到処快意多キハ実ニ旅情ヲ慰ムルニ足ル
四月十七日 晴 軽暖
午前六時起床、天気朗晴ニシテ、楼上ノ眺望尤モ佳絶ナリ、鶯啼鶏歌フテ春色掬スヘシ、楼上日記ヲ編成ス、八時朝飧ヲ食ス、後山轎ヲ僦フテ諸旧蹟ヲ巡覧ス、先ツ竹林院ニテ庭園ヲ見、雲井ノ桜・水分神社等ヲ経テ西行庵ニ抵リ、奥ノ一目千本ヲ見ル、花未タ開カス、帰途雲井桜ニテ午飧ス、後如意輪堂ニ抵リ宝物ヲ一覧ス、又吉水院ニ抵リ南朝ノ遺跡ヲ見ル、又蔵王権現ニ参拝ス、後口ノ千本一覧ノ処ニ抵リ一茶亭ニ休憩ス、午後六時半芳雲閣ニ帰宿ス
四月十八日 晴 軽暖
午前五時起床、直ニ朝飧ヲ食シ、六時旅亭ヲ発シ、人力ニテ山ヲ下ル途中一目千本ヲ過ク、桜花昨日ヨリ更ニ爛熳タリ、山ヲ下ルコト一里ニシテ六田ニ抵リ、芳野川ヲ渡リ、川ニ沿フテ下市ニ抵リ、再ヒ川ヲ超ヘテ酢屋ニ少憩ス、家ハ下市町ノ中央ニ在リ、仮山アリ、眺望ニ佳ナリ、数十代酢屋ヲ業トシ、平三位維盛ノ遺跡ヲ存スト云フ、九時芳野口ニ抵リテ汽車ニ搭ス、四日市支店西条氏ハ此地ニテ分レテ帰店ス十一時半高野口ニ抵リテ下車シ、茶亭ニ休憩シテ午飧ス、後人車ニテ権出ニ抵リ、更ニ山轎ヲ僦フテ高野山ニ登ル、全山杉檜鬱叢トシテ良材多シ、途中数回休憩シテ高野山顛ニ達ス、常喜院ニ投宿ス、院主及山僧数名来リ迎フ、小憩後金堂其他ノ諸建築及宝物タル諸仏身等ヲ参拝ス、六時帰院夜飧ス、此夜参詣者多ク来宿シテ院内喧噪タリキ
四月十九日 曇 軽寒
午前七時半起床、山気人ヲ襲テ気候寒冷ヲ覚フ、八時朝飧ヲ食シ、常喜院ヲ出テ金剛峰寺ニ抵リ、寺院ト宝物トヲ一見ス、金剛峰寺ハ一山ノ本寺ナルヲ以テ、寺内広壮ニシテ古物多シ、一覧畢テ、山轎ニテ奥ノ院ニ抵ル、行程十七・八丁許リナリ、途中旧大名ノ墳墓多シ、奥院ニ於テ弘法大師入定ノ所ニ抵リ小憩ス、後寺ニ帰リテ午飧シ、又本堂ニ抵リテ焼香ス、畢テ常喜院ヲ発シ、山轎ニテ山ヲ下ル、六時高野口ニテ休憩シ、六時五十分発ノ汽車ニテ和歌山市ニ抵ル、四十三銀行頭取其他来リ迎フ、十一時和歌ノ浦ニ抵リ蘆辺屋ニ投宿ス、十一時頃夜飧ス
四月二十日 曇 軽暖
午前六時半起床、七時過朝飧ヲ食ス、畢テ旅宿ヲ発シ、奠具山片男波東照権現等ヲ参拝シ、又電車ニテ紀三井寺ニ抵リ、寺院ニ入リテ少憩ス、地方銀行者等来リテ饗応ニ勉ム、十二時電車ニテ和歌山ニ抵リ、南海鉄道ニ搭シテ大阪ニ赴ク、車中午飧シテ午後三時難波停車場ニ着ス、大阪人多ク来リ迎フ、伝法屋ニ抵リテ少憩ス、入浴後灘万ニ抵リ大阪支店ニ於テ開催シタル銀行者招待会ニ出席ス、小山・町田・永田其他十数人来リ会ス、席上一場ノ挨拶ヲ為シ、宴散シテ夜十時帰宿ス後東京ヨリ来着ノ信書ヲ一覧シテ佐々木氏ヘ回答書ヲ裁ス
   ○四月九日ヨリ四月二十日マデノ栄一講演・訓辞等ノ筆記ヲ欠ク。
四月二十一日 雨 軽寒
 - 第57巻 p.551 -ページ画像 
午前七時起床、直ニ入浴シ、後昨日東京ヨリノ来状ヲ検シテ回答書ヲ作ル、八時朝飧シ種々ノ来人ニ接ス、午前十時大阪紡績会社四貫島工場ニ抵リテ一覧ス、畢テ堺卯楼ニ抵リ饗宴ニ出席ス、種々鄭重ノ饗応アリ、畢テ社員一同ヲ会シテ、本邦紡績業ノ沿革及当会社今日迄ノ歴史ヲ演説シ、更ニ事業経営ニ関スル注意ノ事ヲ訓示ス、畢テ銀行支店ニ抵リ、行員ニ対シ一場ノ訓諭ヲ為ス、午後六時灘万ニ抵リ、地方重立タル人士招宴ニ出席ス、長谷川造幣局長・松本重太郎・中橋・片岡其他十数人来会ス、席上一場ノ挨拶ヲ為シ、夜十時散会帰宿ス、後日記ヲ編成ス
四月二十二日 曇 軽暖
午前七時起床、入浴シ、畢テ多数ノ来訪者ニ接見ス、八時過朝飧ヲ食シ、且来客ト種々ノ談話ヲ為ス、十時株式取引所ニ抵リ中買人《(仲)》ノ立会ヲ一覧ス、定期取引ト直取引ト両所ニ区別セラレ、定期場ハ多キ時ハ二千人来会スト云フ、畢テ少ク休憩シ、十一時半灘万楼ニ抵リ、浜崎田中其他ノ理事及中買中《(仲)》ノ委員等来会シテ、一場ノ談話ヲ請ハル、依テ公債ノ必要ト、我邦ニ公債証書ヲ発行セシ沿革ト及之ニ従事スル人ノ心得方、且其人格等ニ関シ縷々訓諭的演説ヲ為ス、後午飧ノ饗応アリ、畢テ公会堂ニ抵リ、曾テ依頼セラレタル商業学会ノ大会ニ出席シ商業道徳ト云フ問題ニテ一場ノ演説ヲ為ス、会衆千名許、午後五時演説畢リテ、銀行集会所ニ抵リ、銀行者ヨリ案内セラレタル宴会ニ出席ス、食卓ニテ小山健三氏ヨリ挨拶アリ、依テ其謝辞ヲ兼ネタル奨励的一場ノ演説ヲ為ス、夜九時半散宴、帰宿後西園寺氏ト行務ニ関シ種々ノ談話ヲ為ス
四月二十三日 曇 軽暖
午前六時起床、入浴シ畢テ朝飧ヲ食シ、又日記ヲ編成ス、八時半梅田駅発ノ汽車ニ搭シテ大阪汽車製造会社ニ抵リ、各部局ヲ一覧ス、出羽藤島二氏工場ヲ案内シテ営業ノ概況ヲ説明ス、十時半再ヒ梅田ニ帰リ夫ヨリ神戸行ノ汽車ニ搭ス、十一時半神戸第一銀行支店ニ抵リ、店員ト会話シ且午飧ス、畢テ高等商業学校ニ抵リ、学生ニ対シテ一場ノ演説ヲ為ス、四時又神戸支店ニ抵リ、店員ニ一場ノ訓示演説ヲ為ス、六時常盤花壇ニ抵リ、此日神戸支店ニ於テ開催スル地方人士ノ招宴ニ出席ス、来会スル者二十名許、宴畢テ九時過ノ汽車ニテ大阪ニ帰リ、夜十二時就寝
四月二十四日 晴 軽暖
午前六時起床、洗面後朝飧ヲ食ス、此日大阪ヲ発シテ西京ニ抵ルニヨリ西園寺・熊谷其他大阪人士多ク来リテ行ヲ送ル、八時半梅田発ノ汽車ニ搭シテ十時西京ニ抵ル、中川氏始銀行者、織物会社ノ人々多ク来リ迎フ、更ニ馬場ニ抵リ汽車ヲ下リ、石山寺ニ詣ス、巡覧畢テ大津ニ抵リ竹清楼ニ於テ午飧ス、食後唐崎ニ抵リ、巨松ヲ一覧シ、更ニ路ヲ転シテ三井寺ニ抵リ登高参拝ス、山上ノ風光尤モ佳絶ナリ、所謂湖上ノ八景一望ノ中ニ在リ、寺院ノ楼上ニ休憩シテ後山ヲ下リ番場停車場《(馬)》ヨリ汽車ニ搭シ、五時過西京ニ着シ、玉川楼ニ投宿ス、銀行会社ノ人多ク来リ迎フ、夜食後都踊ヲ一覧ス
四月二十五日 雨 軽寒
 - 第57巻 p.552 -ページ画像 
午前七時起床、入浴シテ後朝飧ヲ食ス、揮毫ノ依頼ニヨリ数十枚ヲ書ス、又来人ニ接ス、此日ハ東山ヲ跋渉スヘキ事ヲ中井三郎兵衛氏ト約シテ、轎輿ノ用意セシ由ナレトモ、雨ノ為メニ之ヲ果スヲ得ス、十二時円山ニ村井吉兵衛氏ノ別荘ヲ訪ヒ、午飧ノ饗応アリ、英国人数名来会ス、午後二時中川氏・松井氏等ト京阪電車ニ搭シテ伏水ニ抵リ、第一銀行出張所ヲ一覧ス、小林秀明来リ迎ヘテ種々ノ説明ヲ為ス、午後四時再ヒ電車ニテ五条ノ起点ニ帰リ、夫ヨリ銀行集会所ニ抵リ、地方銀行者ヨリノ歓迎ヲ受ク、講習所ニ於テ徒弟ニ対シ一場ノ演説ヲ為ス宴会畢テ岡崎村中井氏別業ニ抵ル、東山ニ沿フテ構造清雅、水アリ秀清ナリ、京都織物会社ヨリノ饗宴ニテ接待頗ル鄭重ナリ、夜飧後数番ノ余興アリ、片山老婦ノ舞技尤モ其妙ヲ極ム、夜十一時散宴帰宿ス
四月二十六日 晴 暖
午前六時半起床、入浴シ畢テ日記ヲ編成ス、八時朝飧ヲ食シ、直ニ旅亭ヲ出テ動物園ヲ一覧ス、獅子ノ数児ヲ養フハ尤モ観客ノ注目スル処ナリキ、畢テ二条停車場ニ抵リ、汽車ニテ嵯峨ニ抵リ、嵐山ノ新緑ヲ見ル、風暖ニ気霽レテ光景佳絶ナリ、船ヲ僦フテ大堰川ヲ上リ、温泉場ニ抵リテ船ヲ下流ニ向ケ渡月橋ヲ超ヘ、瓢亭ニ於テ午飧ス、午後二時嵯峨停車場ニ抵リ、汽車ニテ二条ニ下車シ、第一銀行支店ニ立寄テ店員ニ一場ノ訓示ヲ為ス、四時半旅亭ニ帰リ、更ニ東山ニ抵リ、知恩院清水観音等ヲ参拝シテ中村楼ニ抵リ、此日西京支店ニテ地方人士ヲ饗宴スル宴会ニ出席ス、酒間余興数番アリ、畢リテ帰途井作楼ニ立寄リ夜十二時過帰宿ス
四月二十七日 晴 暖
午前六時半起床、入浴シ畢テ朝飧ヲ食ス、後種々ノ来客ニ接ス、今日出発帰京スル筈ナルニヨリ、朝ヨリ旅装ヲ理ム、午前九時旅宿ヲ発シ七条停車場ニ抵ル、数多ノ送別人アリテ室内ニ塡ス、九時三十分京都発ノ急行列車ニ搭シ、大垣駅ニテ午飧ス、名古屋駅ニ抵レハ、伊藤与七・斎藤恒三其他数名来リテ行ヲ送ル、駿河ニ入リテ空晴レ富峰全形ヲ見ル、箱根ニ抵ル頃ヨリ日既ニ没シテ山暗ク水稍白シ、夜八時半新橋ニ着ス、留守宅及近親又ハ友人等多ク来リ迎フ、一々之ニ応シテ自働車ニテ王子ニ帰宅ス、夜家人《(ヨリ)》ニ留守中ニアリシ要務ノ報告アリ
   ○右関西旅行ニ就イテハ本資料中左ノ各条参照。
 第三十二巻所収「渡米実業団」明治四十三年四月九日。
 第五十二巻所収「中央製紙株式会社」明治四十三年四月十三日。
 第五十三巻所収「大阪株式取引所」明治四十三年四月二十二日。
 第四十七巻所収「大日本商業学会」明治四十三年四月二十二日。
 第四十四巻所収「神戸高等商業学校」明治四十三年四月二十三日。