デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

3部 身辺

6章 旅行
1節 国内旅行
■綱文

第57巻 p.553-556(DK570262k) ページ画像

明治43年6月2日(1910年)

是日栄一、東京ヲ発シ桐生・足利・館林ニ赴キ、各所ニ於テ講演ヲナシ、四日帰京ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四三年(DK570262k-0001)
第57巻 p.553-554 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四三年     (渋沢子爵家所蔵)
六月二日 曇 暖
午前六時半起床、入浴シ畢テ朝飧ヲ食ス、後旅装ヲ理シ、細野次郎氏来リテ此旅行ノ東道主タルヲ告ク、桐生人数名来リ迎フ、九時王子発ノ汽車ニテ十二時頃小山ニ抵リ、汽車ヲ乗替ヘテ両毛線ニテ桐生ニ赴ク、車中午飧シテ、午後二時桐生町ニ達ス、四十銀行所有ノ一小屋ニ投宿ス、来訪者頗ル多シ、午後四時頃桐生織物業者組合集会所ニ抵リ撮影ス、又陳列所ニ於テ製品ヲ一覧ス、後地方人士ノ望ニ応シテ一場ノ講話ヲ為ス、畢テ歓迎会場ニ抵リ、会場ハ桐生館ニ開催セラレ種々ノ余興アリ、酒間一場ノ謝詞ヲ述ヘ、夜十時散会帰宿ス
六月三日 曇 暖
午前七時起床、入浴シ畢テ朝飧ヲ食ス、後訪問ノ客ニ接ス、九時半桐生町織物取引所ヲ一覧シ、又新宿ニ抵リテ織物工場ヲ一覧ス、製織会社・撚糸会社ヲ一覧シテ、桐生館ニ抵リテ午飧ス、畢テ揮毫ヲ試ミ、又桐生町天満宮社ヲ参拝ス、結構頗ル美麗ナリ、午後四時桐生ヲ去リ
 - 第57巻 p.554 -ページ画像 
足利町ニ抵ル、足利人多数来リ迎フ、直ニ足利館ニ投宿シ、更ニ学校ニ抵リテ撮影ス、後小学校内ニ設ケラレタル会場ニ於テ、一場ノ講話ヲ為ス、畢テ足利織物業者集会所ニ抵リ陳列品ヲ一覧シ、地方人ノ歓迎会場ニ列ス、酒間一場ノ謝詞ヲ述ヘ、夜九時過帰宿シテ夜飧ス、十時過寝ニ就ク
桐生町ニ設ケラレタル学校ヲ一覧ス
六月四日 曇又雨 暖
午前七時起床、入浴シ畢テ朝飧ヲ食ス、後数多ノ来訪人ニ接ス、九時足利町東部ニアル木村浅七氏ノ宅ニ抵リ、其織物工場ヲ見ル、印度向ノ製品多シ、畢テ茶菓ノ饗応ヲ受ケ、足利学校ニ抵リテ、其来由ヲ聴キ、古書類ヲ一覧ス、事蹟考ノ一書ハ川上広樹氏ノ著書ニシテ、足利学校沿革ヲ詳記セシモノナリ、朝来一読シテ其要領ヲ知ルヲ得タリ、一覧畢テ後、鑁阿寺ニ抵リ宝物ヲ一覧ス、寺ハ足利義兼ノ開基ニシテ足利代々ノ像又ハ遺物古書画類多ク所蔵シアリ、畢テ公園ヲ一覧シ、十二時過ノ汽車ニテ足利ヲ発シ、一時半館林ニ抵リテ午飧シ、食後小学校ニ於テ講演シ、畢テモスリン会社ヲ一覧ス、工場ハ旧城本丸跡ニアリ、工場ノ建築及器械ノ設備頗ル完全ナルヲ覚フ、一覧畢テ、四時過同地発ノ汽車ニテ帰京ノ途ニ就ク、久喜ニ抵リテ汽車ヲ乗替ヘ、午後七時過王子着、家ニ還ル
六月五日 曇 暖
○上略 桐生・足利・館林地方ノ人々昨日余ノ帰京ヲ送リシ諸氏来訪ス、庭園ヲ散歩シテ後午飧ヲ饗ス ○下略


竜門雑誌 第二六五号・第六七―七〇頁 明治四三年六月 ○青淵先生の両野行(DK570262k-0002)
第57巻 p.554-556 ページ画像

竜門雑誌  第二六五号・第六七―七〇頁 明治四三年六月
○青淵先生の両野行 青淵先生には六月二日夫人、令嬢と共に桐生足利地方へ赴かれしが同地新報の報ずる所は左の如し。
    ○桐生に於ける青淵先生
男爵は桐生町及び桐生織物組合の招待に応じ、二日 ○六月午後一時五十分著列車にて夫人・令嬢同伴、代議士細野氏と共に随員二名を随へ桐生停車場に著したり、福田郡長・前原町長・福田組長以下発起人一同森・書上・小野里・福田・今泉各夫人の出迎を受け、東京まで出迎へたる書上文左衛門、金子竹太郎氏等と腕車を連ねて四丁目待賓館に入りて休憩の後、組合事務所に至り、先づ常設陳列場より縦覧して階上貴賓室にて少憩の後、午後三時より講演を試みられたり。
常設陳列場は男の来桐を期して全部陳列替を行ひ、精撰したる桐生織物を華かに陳列したれば、男一行は深く之れを賞讚し、案内の福田組長に対して一・二の所見を述べられたるが、殊に男の講演は米国漫遊談より経済界の現況に及びて詳細に論述されたるに、遉が日本実業界の重鎮たる男の講演には満場鳴りを静めて熱心に傾聴したり、講演約二時間に亘り、五時過ぎ終了するや、男一行を桐生館に招待して盛宴を張り、来会者堂に溢る
此夜男一行は待賓館に宿泊し、明日は織物学校・両毛整織会社・撚糸会社其他工場を巡覧し、午後一時十八分発列車にて足利に向け出発、
 - 第57巻 p.555 -ページ画像 
同地の招待に応じ、同夜一泊、翌四日出発、館林を経て帰京の筈なるが、神山知事は渡部警務長を従へ、本日午後五時五十八分著列車にて太田町より来桐され、歓迎会に臨席されたり。(上毛新聞)
    ○足利に於ける青淵先生
足利町有志は一昨三日来足したる渋沢男爵の為めに招待晩餐会を開きたり、会場は織物同業組合新築事務所階下の大広間を以て之れにあて室内に万国旗を吊し、丸柱は総て紅白の布を巻き、三個所の旋風器は絶えず風を送り、新たに装ひたる十燭の電灯は明煌々として壮観言はん方なし、男の席は西側正面に据え、夫より両側に来賓有志等着席し男爵及細野代議士は床しきピアノの音曲裡に拍手を以て迎へられて着席するや、川島足利町長は席の中央に起ち、来会者を代表して
 足利町の生産業が年一年其歩を進めつゝ有るの時、実業界の覇王渋沢男爵の御来臨を得たるは我足利町の歓喜する所なり云々
と歓迎の意を述ぶるや、渋沢男爵は破るゝばかりの喝采と共にやをら老躯を起し、満面に笑を湛へつゝ
 不肖の為めに斯かる盛大なる招待会を催さるゝのは、私の身にとりて非常の光栄である、私は十五年以前此足利に来た事がある、当時は左程とも思はなんだが、只今来て見ると斯かる立派な建物、立派な組合組織等が出来て居る、私は十五年前の足利町が斯んなに進歩し様とは思はなんだ、諸君も予期せぬ事であらうと思ふ、是れ足利町が十五年間に於ける進歩を示すものにて、非常に喜ばしい事である、而し世の中は如何に進歩せばとて決して満足するものでない、諸君も又満足せんのだらうと思ふ、且つ当地方の事業たる織物は如何に多数の製織をなしても足りぬ事で、需要の道は幾何かを知らぬ故に諸君は今後勉強・活動・忠実等合せ加へたならば、尚一層速かに健全なる発達を期待せらるゝ事であらうと思ふ、故に私も屡々出向いて来る、私は今後足利に来られぬ程老衰はせぬ、数年の後再び来る、而して又更に進歩した足利の工業に接したいと思ふ、今夕斯かる御親切、又鄭重なる歓迎を受けたのは聊かながら私が数十年間実業に貢献した事を諸君が御承知になられて、而して斯かる招待を受けたと思ふと私は非常に喜ばしい事である云々。
と述べ、再び急霰の如き拍手と共に席に就きたり。
此間絶へずピアノを奏し談笑の声堂に満ち満場陶然たる頃、籾山唯四郎氏の発声にて青淵先生の万歳を三唱し、先生もまた来会者諸君万歳を三唱し八時散会したり、因に当日の来会者の重なるものは左の如し
   ○氏名略ス。
    ○青淵先生の巡覧
一昨夜、足利館本店に宿泊したる渋沢栄一氏及同夫人・令嬢・細野代議士等の一行は、予定の如く川島足利町長・大山岩次郎・近藤工業学校長・同夫人・堀越半十郎氏夫人・武居一郎氏令嬢、其他有志数名の案内にて町内各工場及旧跡を縦覧すべく、四日午前八時旅館足利本店を出で、五月雨そぼ降る本通りを直ちに助戸木村浅七方に向ひたるに同邸門前には浅七氏及夫人・令息八彦氏等出迎へ、直ちに工場に案内し、各種織物作業の現況を詳細に視察し、同氏奥座敷に小憩あり、其
 - 第57巻 p.556 -ページ画像 
間木村氏の家族と懇談せられ、引返して足利学校に至り、同校監視人阿由葉氏案内にて孔子像及諸宝典を一覧したる後ち、図書館に於て足利学校唯一の珍籍を詳細に鑑別し、其間夫人及令嬢其他婦人の一行の鑁阿寺に至りて待つ事とし、休憩中男爵は同所揮毫帖に
  天之未喪
  斯文也
  明治四十三年六月四日
                     渋沢栄一書
と記し、直ちに鑁阿寺に向ひ、山越同寺住職及辻・藤沼其他諸氏の案内にて本堂より同寺の宝物を一覧し、同所にて夫人及令嬢の一行は落ち合ひ、其間夫人連は足利特産の織物数種を取寄せ、好みの織物数種を求め、同寺楼上に於て、二丁目川島宗助氏令嬢ふく子の表千家流の点茶を受けたる後ち、時間の余裕あればとて公園を逍遥することゝなり、同所に待ち合せ居る数名の有志等と共に車を連ねて公園に赴むき緑滴る山上紀念碑前にて足利町の全景金山の遠望等の勝を賞されたる後、直ちに東武停車場に向ひ、渡良瀬川堤より観月橋を渡り、十二時二十分停車場に着し、一・二等待合室に其間有志等に別れを告げ、同三十分ホームに並びたる百数十名の有志等に対し再会を約されて出発したり、因に男爵は館林町にて昼餐の予定にて、足利町より荻野万太郎・須永平太郎・辻豊平・長柄徳次郎・大山岩次郎の諸氏同町迄同車見送りたり(両野新報掲載)
○館林に於ける青淵先生 青淵先生、夫人・令嬢同伴、四日午前十二時四十六分館林駅着の列車にて来館せるが、先是右一行歓迎の為め館林町長・清水署長・森郡書記・正田・橋田・小室・千金楽・星野・三銀行支配人、其他重立たる百余名は停車場ホームに整列し列車の到着を待ちしが、一行の到着と共に歓呼湧くが如く、男爵一行は一同の歓迎者に対し、簡短に挨拶して夫より熊谷町長を先頭に車を聯ねて港屋本店に至り、中餐を喫しつゝ一同に会し、午後二時十分尋常高等小学校に於ける講話会に望まれしが、町民は孰れも経済界の覇王男爵の講話を聞かんと先を争ふて犇々と詰め掛け、差しも広き講堂も立錐の余地なく、廊下まで聴衆を以て埋められ無量六・七百名と注せられたり軈て男は壇上に進み、館林町と男との由縁より説き起し、大要三期に分ち、男が青年時代館林町に於て勉学せし事、進で壮年期に於て四十銀行創立に対し尽力せる経過、及び其当時と現在の館林との比較を為し、将来尚発展を希望すと結び、其間約三十分間許りなるが、簡にして要を摘み、頗る有益なりき、右終てモスリン会社の縦覧を遂げ、実業談話会の請ひに応じて揮毫を為し、夫より停車場に引返し、午後四時四十分発列車にて一行帰京の途に就かれたり。(両野新報所載)
   ○栄一桐生・足利・館林ニ於ケル講演筆記ヲ欠ク。