デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

3部 身辺

6章 旅行
1節 国内旅行
■綱文

第57巻 p.559-560(DK570270k) ページ画像

明治45年4月14日(1912年)

是日栄一、東京ヲ発シ埼玉県越生町ニ赴キ、同地小学校ニ於テ、銀行関係者及ビ織物業者等ノタメ演説ヲナシ、更ニ黒山ニ赴キテ、渋沢平九郎ノ遺跡ヲ探リ、十五日帰京ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四五年(DK570270k-0001)
第57巻 p.559 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四五年     (渋沢子爵家所蔵)
四月十四日 晴 暖
午前六時前起床、直ニ朝飧ヲ食ス、此日ハ越生町ニ開催セル各銀行ノ集会ニ出席スル為メ、七時王子発ノ汽車ニテ九時川越ニ抵リ、夫ヨリ人車ニテ十二時越生町ニ抵ル、地方人士多ク来リ迎フ、着後先ツ越生銀行ノ二階ニ小憩シ、午飧後、同地ノ小学校ニ於テ一場ノ演説ヲ為ス来会者堂ニ満ツ、畢テ黒山ニ抵ル、地方人多ク同行ス、黒山ニ抵リ、寺院ニ休息シ、平九郎ノ遺跡ヲ探リ、五時越生ニ帰ル、一旅亭ニ開催スル歓迎会ニ出席ス、来会者凡弐百名斗リ頗ル盛会ナリ、席上一場ノ挨拶ヲ為ス、畢テ樋口某ノ家ニ一宿ス、夜地方人多ク来リ話ス、越生銀行頭取等終始附随シテ款待ニ尽力セリ
四月十五日 晴 暖
午前六時半起床、入浴シテ直ニ朝飧ヲ食ス、七時半越生ヲ発シ毛呂村ニ抵リ小学校ヲ一覧ス、後毛呂神社ヲ参拝シテ直ニ人車ニテ十一時川越ニ抵リ、喜多院ニ於テ古跡ヲ探リ更ニ一茶亭ニテ午飧シ、午後一時発ノ電車ニテ大宮ニ抵リ更ニ汽車ニテ三時王子ニ着ス、家ニ帰リテ暫時休憩シテ後、兜町事務所ニ抵リ、種々ノ雑務ヲ処理シ、且数多ノ来人ニ接シ、午後六時半新橋発ノ汽車ニ搭シテ大阪ニ赴ク事トス ○下略


竜門雑誌 第二八七号・第五八―五九頁 明治四五年四月 青淵先生の埼玉県越生旅行(DK570270k-0002)
第57巻 p.559-560 ページ画像

竜門雑誌  第二八七号・第五八―五九頁 明治四五年四月
○青淵先生の埼玉県越生旅行 青淵先生には埼玉県入間郡銀行会の請を容れられ、去十四日秘書役増田明六君を随へ、同行尾高次郎・古田惇次郎両氏及前日案内として上京したる斎藤小十郎氏と共に、午前七時十七分王子駅を発し、大宮駅にて川越電車に乗換へ、九時川越に着し、玆に出迎えられたる同郡銀行家と共に、人力車を連ねて途中六里を経て正午越生町に着、同地人士の出迎を受けられ、越生銀行楼上にて午餐の饗を受けたる後、同地高等小学校に設けられたる講演会に臨
 - 第57巻 p.560 -ページ画像 
み、銀行関係者及織物業者及一般聴講者の為めに有益なる一場の講演を為し、後同校庭に紀念の植樹を為し、夫れより二里を隔つる故渋沢平九郎氏の墓(渋沢平九郎氏は青淵先生が慶応三年仏国洋行の際、当時の制度に依り見立養子と定められたる人なり)を黒山に訪ひ、尚ほ同墓地を数丁隔たりたる同氏屠腹の旧蹟を弔ふて、越生町に引還し、休憩の間も無く、同地銀行家並に織物業者の主催にかゝる歓迎会場に出席せられて、又一場の演説を為したる後、兼て旅宿に充てられたる樋口吉平氏宅に投じられたるは午後の八時なり、翌十五日は午前七時旅宿を発し、帰途同郡毛呂村有志の懇請に応じ、同村尋常小学校及鎮守神社の両庭に紀念の植樹を為し、十一時川越に帰着して喜多院を訪ひ、東照宮を拝し、十二時三十分同地発電車に乗じ、大宮を経て午後三時王子駅に着し、直に飛鳥山邸に帰館せられたり。
   ○栄一講演筆記ヲ欠ク。