デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

3部 身辺

6章 旅行
1節 国内旅行
■綱文

第57巻 p.560-561(DK570271k) ページ画像

明治45年4月15日(1912年)

是日栄一、東京ヲ発シ大阪ニ赴キ、関西銀行大会及ビ其他ノ会合ニ出席、大阪築港及ビ神戸大倉山ヲ視察シ、十八日帰京ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四五年(DK570271k-0001)
第57巻 p.560-561 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四五年     (渋沢子爵家所蔵)
四月十五日 晴 暖
○上略 午後六時半新橋発ノ汽車ニ搭シテ大阪ニ赴ク事トス、山本大蔵大臣モ同車ニテ下阪ス、夜中寝台列車ニテ或ハ読書シ或ハ就眠シ、翌暁七時米原駅ニテ寝台ヲ離ル、八時頃西京ニ近クニ及ンテ、多数ノ新聞記者来リテ経済界ノ意見ヲ問ハル、午前九時頃大阪着、中ノ島自由亭ニ投宿ス、大阪停車場ニ来リ迎フル者頗ル多シ
四月十六日 晴 暖
午前九時頃大阪ニ着ス、多数ノ会衆ニ迎ヘラレテ中ノ島自由亭ニ抵ル小山・伴野二氏来リ、今夕催ス処ノ関西銀行大会ノ順序ヲ告ク、熊谷西園寺其他大阪支店員、大紡会社員等多ク来話ス、十時過神戸行ノ汽車ニテ神戸ニ抵ル、大倉山一覧ノ為ナリ、熊谷辰太郎・野口弥三二氏同伴ス、大阪紡績山辺氏モ途中ヨリ同伴ス、神戸停車場ニテ下車ス、直ニ接伴ノ人々ト共ニ大倉山ヲ一覧ス、伊藤公ノ銅像ニ参拝ス、暫時休憩シテ後市長其他ノ人々ト共ニ常盤花壇ニ抵リテ午飧ス、畢テ午後四時頃大阪ニ帰リ、六時ヨリ大阪公会堂建築事務所ヲ一覧シ、直ニ大阪ホテルニ抵リ、銀行大会ニ出席シ、夜飧後一場ノ演説ヲ為ス、夜十時散会帰宿ス
常盤花壇ニテ午飧セシ後神戸支店ニ抵リ、店員一同ニ訓示ヲ為シ、店務ヲ視察ス
四月十七日 曇 軽寒
午前七時起床、入浴シテ朝飧ヲ食ス、後数多ノ来人ニ接ス、十時綱島ニ藤田平太郎氏ヲ訪ヘ、故伝三郎氏ヲ追悼ス、霊前ニ香ヲ奠シテ、十一時大阪支店ニ抵リ、店員一同ニ会見ス、十二時堂島門野ト云フ料理店ニ抵リ、地方銀行者ノ饗宴ニ出席ス、午飧後余興アリ、畢テ大阪川
 - 第57巻 p.561 -ページ画像 
口ニ抵リ、山本氏ト共ニ築港ヲ一覧ス、川蒸汽船ニテ川口ヨリ港内ニ抵リ、桟橋附近ニテ上陸ス、曾テ大隈伯ト共ニ一覧セシ時ヨリハ、電車ノ聯絡、市街ノ開設等アリテ、大ニ面目ヲ改メタルヲ覚フ、築港ヨリ電車ニ搭シテ六時大阪ホテルニ抵リ、夫ヨリ同所ニ開カレタル経済会ニ出席ス、山本氏モ共ニ出席セラル、食後一場ノ演説ヲ為シ、経済上ニ付政府ノ施設ニ関シテ企望ヲ述フ、畢テ旅亭ニ帰リ、十一時過ヨリ梅田停車場ニ抵リ、東京行ノ汽車ニ搭シテ帰京ノ途ニ就ク、送別者頗ル多シ、十一時三十五分大阪発車ス
四月十八日 曇 軽暖
昨夜十一時四十分頃ヨリ寝台列車ニテ大阪ヲ発シ、十二時過西京ニ抵リ、中川・井上氏ノ来訪アリ、中井其他ノ大阪ヨリ同行者ハ此処ニ下車ス、夫ヨリ就寝、翌暁荒井二川辺ニテ起床、洗面シテ朝飧ヲ汽車中ニテ食ス、朝来淡雲四望分明ナラス、天竜川・大江川《(井)》ヲ過キ、静岡附近ヨリ富岳淡靄中ニ隠顕ス、風景佳絶ナリ、午飧モ汽車中ニ於テシ、車中頻リニ伝記ノ原稿ヲ読ム、午後二時新橋着、直ニ事務所ニ抵リ、佐々木氏ト会見シ、又事務所員ニ留守中ノ要務ヲ聞知ス、夕方王子ニ帰宿ス、夜飧後新聞紙ヲ読マシム


竜門雑誌 第二八七号・第五九頁 明治四五年四月 ○青淵先生大阪へ出向かる(DK570271k-0002)
第57巻 p.561 ページ画像

竜門雑誌  第二八七号・第五九頁 明治四五年四月
○青淵先生大阪へ出向かる 青淵先生には関西銀行大会の招待に応じ四月十五日東京出発、翌十六日午前八時無事大阪に着し、少憩後十時半梅田発の汽車に乗じ、神戸に赴きて、大倉山を巡覧して午後四時帰阪し、直に関西銀行大会に臨みて山本大蔵大臣と共に一場の演説を為し、十七日午前藤田氏邸を訪ひて弔詞を述べ、正午大阪銀行家の招待会に臨みて一場の演説を為し、午後築港を見物し、同六時同地経済界の招待会に臨席して演説を為し、同夜十一時三十五分梅田発の汽車にて翌十八日朝無事帰京せられたり。
   ○関西銀行大会ニ関スル資料ハ本資料第五十一巻所収「金融関係諸会」中「関西銀行大会懇親会」ノ項ニ収ム。
   ○四月十七日ノ大阪経済会ニ於ケル栄一演説筆記ヲ欠ク。