デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

3部 身辺

6章 旅行
1節 国内旅行
■綱文

第57巻 p.570-572(DK570278k) ページ画像

大正2年10月12日(1913年)

是日栄一、東京ヲ発シテ西下シ、比叡山延暦寺ニ於ケル慈覚大師千五十年忌法会ニ参列シ、桃山御陵ニ参拝シ、伏見商業会議所ニ於テ演説ヲナシ、十六日帰京ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四五年(DK570278k-0001)
第57巻 p.570 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四五年    (渋沢子爵家所蔵)
一月二日 晴 寒風強シ
午前八時起床、半身浴ヲ為シテ、後家人ト共ニ屠蘇酒ノ祝盃ヲ挙ク、朝飧後種々ノ祝賀客ニ接ス、延暦寺大僧正来訪セラル、本年ヨリ住職スルトノ事ナリ、且本年ハ比叡登山ノ事ヲ勧誘セラル ○下略


竜門雑誌 第三〇五号・第六四―六五頁 大正二年一〇月 ○青淵先生京都旅行(DK570278k-0002)
第57巻 p.570-572 ページ画像

竜門雑誌  第三〇五号・第六四―六五頁 大正二年一〇月
○青淵先生京都旅行 青淵先生には桃山御陵参拝を兼ね京都比叡山慈覚大師千五十年忌法会参詣の為め、令夫人と共に十月十二日午前八時半新橋発汽車にて旅行の途に上られたり、同日は大津にて下車、紅葉館に一泊、翌十三日午前十時比叡山に登り、慈覚大師千五十年忌法会に参列、同日夕人力車にて京都に到り、玉川楼に投宿、十四日午前京都発関西線列車にて桃山駅に下車、御陵に参拝し、後宇治に到りて各所を巡覧の後、伏見に到り、午後四時伏見商業会議所に於て如左経済談を試み、六時京都に帰着、十五日午前中訪客に応接し、午後五時よ
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り同地有力なる銀行家の招待に応じて京都美術倶楽部に於て晩餐の饗を受け、十六日午前九時廿四分同地発列車にて、同日午後八時廿五分無事新橋に帰着直に帰館せられたり。
宇治商業会議所《(伏見)》に於ける演説の大要は左の如し。
 我国の財界沿革より現在に到る趨勢を述べんとするに当つて、時間の都合上綿密に申難いが、我国の位置を進め体面を保持し、海外列国に国威の発揚を図るには、政治・外交・軍備等凡て進めて行かねばならぬ、要するに相当の力なくては国を完全に進めることが出来ぬのである、然るに軍備を完全に進めんとして、経済力を阻みたるために、国の活動力を減じ、遂に長日月の不景気を惹起して事業の蹉跌を見たるは必然の結果にて、胃が丈夫だからと云つて食過ぎては食傷をし、健康体であるからとて興奮すれば逆上すると云ふ工合で、何れも程度を超えて一方に偏する為めに、五体の或部分に不足を起すのと同じく国家の経営も度合ひを外してはならぬ、我国が一等国の伍班に列したは、何が原因であるか、勿論日清・日露両役に於ける連戦連勝の結果の致す所なり、然らば今後は如何にして此の国威発揚を務むべきかと云ふに、一口に云へば兵力の増進を図らねばならぬことになるが、其裏面には経済界の発達を図らねばならぬ即ち兵糧を整へねば戦に勝つことが出来ぬが、其兵站部は個人の力に依つて国富を増進するに務め生産力を増し、貿易を進めねばならぬ、現今海軍拡張・二個師団の増設問題の唱へられ居るも、経済界は之れに対する定論なるものはないが、内閣の幾度か変遷して(日露役以来)経済界上下して一定の歩調が保たざるに、兵事のみ拡張を云々することは或は其程度の分つて居らぬ様に感じる、例へば敵を某国として海軍を拡張し、又某国を敵として二個師団を増設した処が、到底之れだけでは対等して行くとは思はれないが、若し勝利に帰すとして、日清の如く三国干渉の様なことを持出された場合、何処までも押通すの用意が有るか、其れこそ国民は乾上つて仕舞ふから、此処が甚だ六ケ敷い、今日軍備の拡張をするに当つて、制度整理、財制整理等を行ひ、大に節約を図りて税を軽減し、内外国債を償還し、尚ほ剰余金あらば、同拡張費に充つるも可ならんかと思ふ、現内閣は来議会に於て、之れが整理を行ひ得る処は四千万円の節減と、自然増収七・八千万円を見ることになつて居る、之れと同時に諸税の軽減的改正をなし、内外国債の償還、次で軍備の拡張を図ることが出来るとのことだ、而して自分は今後の経済界は如何なるかと云へば、頗る沈調に行くは免れない、従つて諸物価は下落して不景気を喞つに至るであらうが、一歩進んで海外の輸出を奨励し国力の増進を図りたい、吾国は一ケ年殆ど一億円の輸入超過を見るに至つて居るが、之れが影響は金融にも及ぼすものであるから、之等に留意して海外輸出の法を講じられんことを希望する、更らに海外関係は什麼かと云ふに、国の進むに従つて責任が重くなる、東西共に種々の出来事があつて、日本は却々心配の多い国である、第一隣国の支那に対しては、日本は同文同種の国柄だけに、迷惑を受けることが多い、彼の北清事件の際、列国は利権の獲得をなし、既に
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露国は蒙古を、英国は西蔵を、独逸は膠州湾を、仏国は営口を手に入れて居るではないか、日本は正金・三井・大倉・高田等の商人が商売して居る外、政府としては何一物を得て居らぬのは甚だ遺憾である、吾人は玆に鑑みる所があつて、将来日支関係を深からしめん目的で中国興業会社を設立したるに、図らずも成立の間際に至つて今回の第二次革命戦のために行悩みの姿となつて居るが、早晩発展の時機到来を確信して、諸君の援助を乞ふ次第である云々(京都日出新聞所載。)