デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

3部 身辺

6章 旅行
1節 国内旅行
■綱文

第57巻 p.572-578(DK570282k) ページ画像

大正4年4月2日(1915年)

是日栄一、国産奨励会ノ用件其他ノタメ、東京ヲ発シ、大阪・神戸・京都及ビ名古屋等ノ各地ニ赴キ、十四日帰京ス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正四年(DK570282k-0001)
第57巻 p.572-576 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正四年       (渋沢子爵家所蔵)
四月二日 半晴
午前五時起床、入浴シテ朝飧ス、今日出発シテ京阪ノ旅行ヲ為スニ付朝来旅装ヲ整フ、兼子同行ス、午前六時四十分家ヲ発シ、七時二十分東京駅ノ汽車ニ搭ス、多数ノ人来リテ行ヲ送ル、沼津駅ニテ午飧シ、午後二時過興津駅ニテ下車シテ、井上侯爵ヲ訪問ス、種々ノ談話ニ時ヲ移シ、四時六分興津発ノ汽車ニ搭シテ名古屋ニ向フ、浜名湖ヲ夜中ニ経過シ午後九時過名古屋ニ達ス、神田鐳蔵夫妻其他多数来リ迎フ、名古屋支店長清水・永田二氏ハ豊橋駅ヘ迎ノ為メ出張セシ由ナルモ、行違トナリテ面会セス、名古屋丸文楼ニ投宿ス、伊東守松氏其他来訪《(伊藤守松氏)》
 - 第57巻 p.573 -ページ画像 
ス、夜十一時過就寝
四月三日 朝来雲深ク天雨ナラントス
午前七時起床、入浴シテ朝飧ス、伊東守松氏・中井巳次郎氏其他数人来訪ス、神田鐳蔵氏来リテ蟹江行ノ手順ヲ談ス、午前九時過名古屋停車場ニ抵リ蟹江ニ赴ク、神田氏家系碑除幕式ノ為メナリ、松井知事・阪本市長其他地友ノ人士多数来聚《(方カ)》ス、蟹江停車場ヨリ自働車ニテ須成村ニ抵リテ、神田氏旧宅ニ於テ小憩ス、夫ヨリ人車ニテ建碑ノ場処ニ抵ル、一寺院中ニ小公園ヲ設ケテ建碑スルナリ、雨天ナカラ来会者多人数アリ、式場ニ於テ一場ノ祝辞演説ヲ為ス、知事・市長相次テ演説アリ、式畢リテ園中ニテ立食ス、畢テ再ヒ蟹江ヨリ名古屋ニ抵リ、一時過発ノ汽車ニテ大阪ニ向フ、汽車大津ニ到レル頃、大阪時事新聞記者来《(報)》リテ時事ヲ問ハル、京都ニテ中川氏等来リ迎フ、午後八時頃大阪ヲ通過ス、明石夫妻其他大阪支店長以下来リ迎フ、明石夫婦ト相携ヘテ住吉ニ抵リ、明石氏ノ寓居ニ投宿ス
四月四日 半晴
午前八時起床、風邪気ナルニヨリ入浴ヲ廃ス、午前九時過朝飧ス、後川崎助太郎氏来訪ス、熊谷辰太郎・大川英太郎氏等来話ス、時事新報記者来リテ撮影ス、野口大坂支店長夫人来話ス、昨夜落手セシ松井外務次官来状ニ対スル回答書ヲ認メ、明石氏ニ托シテ東京ニ発送ス、午飧後明石・川崎氏等同行、一時二十分住吉発汽車《(ノ脱)》ニテ大坂ニ抵リ、先ツ公会堂建築事務所ニ抵リ、岩本・栗山二氏ニ会見シ、建築場ヲ一覧ス、土居通夫氏来話ス、畢テ大坂ホテルニ抵リ、同地ニ開催スル竜門社員会ニ出席ス、来会者約八十名許リナリ、野口弥三氏ヨリ開会ノ趣旨ヲ述ヘラレ、尋テ阪谷評議員長ノ演説アリ、余モ政争ニ対スル実業者ノ態度ト題スル趣旨ニテ一場ノ演説ヲ為シテ、開会《(閉カ)》シ、後食堂ニ於テ上領純一氏ノ挨拶、尾高次郎氏ノ竜門社ノ創設ニ付テノ懐旧談アリ食事後雑談ニ時ヲ移シ、夜十一時住吉帰宿《(ニ脱)》ス
四月五日 晴
午前八時起床、入浴シテ後、平岡虎之助氏ノ来訪アリ、身上ノ事ヲ詳話ス、山下亀三郎氏・山辺丈夫氏等来ル、杉田富夫人来話ス、朝来野口大坂支店支配人来リ、午後神戸同行ノ事ヲ約ス、来客去リテ後朝飧ヲ食シ又新聞紙ヲ一覧ス、畢テ階上ノ一室ニテ日記ヲ編成ス、又書類ヲ調査ス、午飧後山下亀三郎氏自働車ニテ来リ迎フ、同車シテ川崎造船所ニ抵ル、松方氏ノ案内ニテ工場全体ヲ一覧ス、更ニ新造軍艦榛名号ニ抵リテ、船越艦長ノ案内ニテ船内ヲ一覧ス、榛名ノ新造《(ハカ)》ノ戦闘艦ニシテ弐万七千五百噸、八万馬力余ノ力ヲ有シ、大砲二十門余ヲ有スル大艦ナリ、其構造ノ雄大ニシテ緻密ナル只驚クニ堪ヘタリ、一覧後オリエンタルホテルニ抵リテ、地方人士招宴ノ席ニ列ス、来会スル者約百名許リ、頗ル盛宴ナリ、食後一場ノ挨拶ヲ為ス、十時過散ス
(欄外記事)
此夜服部知事来会、余ノ謝詞ニ対シテ一場ノ答辞ヲ述フ
四月六日 晴
午前七時起床、入浴シテ朝飧ヲ食ス、清水某氏来話ス、午前十時野口大阪支店長来ル、相伴フテ住吉ヲ発シ、大阪ニテ野口氏ト分レ京都ニ
 - 第57巻 p.574 -ページ画像 
赴ク、汽車中ニテ午飧ス、午後一時半京都停車場ニ抵リ、浜岡京都商業会議所会頭浜岡光哲氏来リ迎フ、中川・船阪其他多人数来リ迎フ、浜岡氏ト共ニ商業会議所ニ抵ル、武井男爵モ大阪駅ヨリ同伴ス、午後三時武井氏ト共ニ会議所ニ於テ、国産奨励会ノ為メ一場ノ講演ヲ為ス来会者七・八十人許リナリ、大森知事来会ス、畢テ浜岡氏ノ主催ニテ会議所ニ於テ夜飧ヲ饗セラル、午後九時散宴ス、玉川楼ニ止宿ス、夜老妓数名来リテ往事ヲ談ス
四月七日 雨
午前七時起床、入浴シテ朝飧ヲ食ス、中川知一氏来訪ス、午前九時京都第一銀行支店ニ抵リ店員ニ会見ス、尾高次郎氏来会ス、中川支配人ト行務ヲ談話ス、午前十時過七条発ノ汽車ニテ大阪ニ抵ル、梅田停車場ニテ野口支店長来リ迎フ、第一銀行支店ニ抵リ行務ヲ談ス、午飧後阿部房次郎氏来話ス、岡十郎氏来リテ漁業会社設立ノ事ヲ談ス、稲畑勝太郎氏来話ス、午後二時半大阪商業会議所ニ抵リ、武井氏ト共ニ国産奨励会ノ為メ一場ノ講演ヲ為ス、後再ヒ第一銀行ニ抵リ、行員一同ヘ一ノ訓示ヲ為ス、畢テ店員ノ企望ニヨリテ揮毫ス、午後七時灘万楼ニ抵リ、土居通夫氏ノ招宴ニ出席ス、饗宴極メテ鄭重ナリ、夜九時二十分発ノ汽車ニテ住吉ニ帰寓ス、夜新聞紙ヲ読ム
(欄外記事)
終日小雨ニテ気候寒冷ヲ覚フ
 此日国産奨励会ノ為メ来会スル者百三・四十名許リナリキ
四月八日 晴
午前八時起床、入浴シテ朝飧ヲ食ス、後杉田神戸支店長来訪ス、午前九時住吉発ノ汽車ニテ神戸ニ赴ク、杉田氏同伴ス、十時前神戸第一銀行支店ニ抵リ店員一同ニ会見シテ一言ノ訓示ヲ為ス、更ニ兵庫支店ニ抵リ同シク店員ニ面会ス、十時半県立商業学校ニ於テ学生一同ヘ一場ノ講演ヲ為ス、十二時銀行集会所ニ抵リテ午飧ス、後同所ニ於テ小憩ス、午後三時半商業会議所ニ抵リ、国産奨励会ノ為メニ一場ノ講演ヲ為ス、武井氏同伴ス、畢テ県知事・市長・会議所会頭其他ノ地方人士ト会談ス、午後六時常盤華壇ニ抵リ神戸商業会議所有志者ノ開催スル招宴ニ出席ス、畢テ九時二十分ノ汽車ニテ住吉帰寓、夜日記ヲ編成ス
(欄外記事)
此日ノ来会者約百名許リナリキ
 此日雨晴タレトモ春寒料峭タリキ、朝来感冒ノ気味ナルモ、事ヲ処スルヲ妨クルニ至ラス、夜ニ入リテ稍快方ヲ覚フ
四月九日 晴
午前七時起床、入浴シテ朝飧ヲ食ス、午前九時発ノ汽車ニテ大阪ヲ経テ堺ナルセルロイド工場ヲ一覧ス、森田茂吉氏専務トシテ担当ス、各部局ヲ詳細ニ観覧ス、一覧前先ツ其製品ヲ示シテ、会社ノ沿革ト製品販路ノ事共ヲ説明セラル、一覧後大浜ナル一力楼ニテ午飧ス、海ニ瀕シテ眺望快闊ナリ、食後水族館ヲ見物シ、後住吉神社ニ参拝ス、一力楼ニハ愛子児女ヲ伴ヒ来リテ一行ニ加ハル、天王寺ニ抵リテ兼子及婦人児女ト分レテ、大阪ナル東洋紡績会社事務所ニ抵ル、但同社取締役岡常夫氏自働車ニテ南海停車場ニ来リ迎ヘルナリ、事務所ニ於テ社員
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一同ニ訓示演説ヲ為シ、畢テ大阪ホテルニ抵リ、支店ニ於テ開催セル宴会ニ出席ス、大阪大方ノ人士来会ス、食後一場ノ食卓演説ヲ為ス、大阪府知事大久保氏ヨリ答礼ノ演説アリ、十分ノ歓ヲ尽シテ夜十時頃散会、十一時住吉ニ帰宿ス
(欄外記事)
此夜東京ヘノ書状ヲ認ム、荻野・増田・原諸氏ヘ発送ス、又今井清彦氏ヨリ伊勢大廟参拝ノ勧誘アリシモ、時日ナキヲ以テ書状ニテ謝絶ス
四月十日 稍晴
此日ハ阪神ノ要務ヲ終了スルヲ以テ、苦楽園ナルラジユーム温泉場一遊ノ催ヲ為ス、明石夫妻児女同伴ス、午前七時起床、入浴朝飧例ノ如クシテ、直ニ電車場ニ抵リ、特別ノ車ニテ先ツ尾崎氏経営ノ大正園ニ抵リ、花卉栽培ノ実況ヲ一覧ス、後苦楽園ニ抵ル、園ハ六甲山腹ニ在リ、松樹点々シテ各処ニ園池アリ、和洋各客舎ヲ設備ス、眺望佳絶ナリ、園中ノ茶亭ニ於テ午飧ス、調理頗ル佳ナリ、遊覧畢リテ、更ニ電車ニテ大阪ニ抵リ、文楽ニテ義太夫ヲ聴ク、午後六時頃灘万楼ニ抵リ阪神ナル銀行主任者其他ノ近親ヲ会シテ小宴ス、一同歓ヲ尽シテ、更ニ相携ヘテ道頓堀ナル蘆辺踊ヲ一覧ス、夜十一時頃電車ニ搭シテ十二時過御影ナル僑居ニ帰宿ス
四月十一日 朝来雨降ル
今日ハ住吉ヲ発シテ西京ニ赴ク筈ナルニヨリ、七時起床、入浴朝飧例ノ如クシテ、明石ノ家ヲ発シ、九時ノ汽車ニテ大阪ニ抵ル、明石夫妻及児女、野口夫妻・熊谷夫人モ同伴ス、十時大阪ニ抵リ、小山・大川其他多数ノ送別ノ人来会ス、直ニ発車シテ十一時西京ニ達ス、中川知一・稲畑勝太郎氏及地方人士来リ迎フ、停車場ヨリ自働車ニテ南禅寺側ナル稲畑氏ノ家ニ抵リ、其招宴ニ応ス、野口・明石等同伴ス、但愛子ト児女トハ大阪ニテ告別住吉ニ帰ル
稲畑氏ノ午飧会ニハ狂言踊等ノ余興アリ、庭宅園地共ニ清絶ナリ、食後揮毫ヲ為シ、畢リテ玉川楼ニ小憩シ、五時半祇園演舞場ニ抵リ都踊ヲ一覧ス、昨夜大阪ニテ観覧セシ蘆辺踊ト同調ナルモ、大ニ優レルヲ覚フ、一覧後中村楼ニ抵リ、田中源太郎氏ノ招宴ニ出席ス、余興ニハ踊数番アリ、夜十時頃玉川楼ニ帰宿ス
(欄外記事)
明日御陵参拝ノ予定ナリシモ、風邪気ナルヲ以テ見合ハス事トス、依テ午前十時三十九分発ノ汽車ニテ名古屋行ト定ム
四月十二日 雨 昨日来天気悪シク朝来降雨強シ
七時半起床、入浴シテ日記ヲ編成ス、今朝ハ御陵参拝ノ筈ナリシモ、少シク風邪ノ気ナルヨリ見合ハス事トセリ、朝飧後二・三ノ来客アリ午前十時三十分京都発ノ汽車ニテ名古屋ニ赴ク、清水百太郎氏同行ス汽車中ニテ午飧シ、四時頃名古屋ニ着ス、先ツ丸文楼ニ入リテ小憩ス来訪者頗ル多ク、且東京ヨリ書状来ル、午後五時半魚半楼ニ於テ、第一銀行支店開催ノ得意先招宴ノ席ニ列ス、来会者三十名許リ、皆得意先ノ商工業者ナリ、酒席ニ於テ一場ノ挨拶ヲ為シ、更ニ一場ノ企望ニ応シテ、戦後ノ実業ニ関スル問題ニテ講演ヲ為ス、夜十時頃散会、丸
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文ニ帰宿ス
四月十三日 半晴
午前八時起床、入浴シテ朝飧ヲ為ス、後来客ニ接ス、此日ハ名古屋市ヲ去ル二里許リ東郊八勝山《(事)》ニ於テ、東洋生命保険会社ノ尾勢濃三州ノ各代理店主任会合ノ事アリテ、余ニモ出席ヲ請ハレタレハ、午前十時ヨリ自働車ニテ八事山八勝館ニ抵リ、来会者一同ニ向テ一場ノ講演ヲ為ス、畢テ山上ノ茶店ニテ種々ノ饗応アリ、且手踊等ノ余興ヲ見ル、午後三時第一銀行支店ニ抵リ、店員一同ニ一場ノ訓示ヲ為ス、畢テ丸文楼ニ帰リ小憩ス、午後五時名古屋美術倶楽部ニ抵リ、第一銀行支店主催ノ地方人士招宴ノ席ニ列ス、来賓ニ対シ一場ノ挨拶ヲ為ス、杯酒間種々ノ余興アリ、夜十時散会帰宿ス
四月十四日 風寒シ曇
午前六時起床、朝飧ヲ食ス、後来人ニ接ス、此日ハ当地ヲ去リ帰京ノ筈ナレハ、来訪者頗ル多シ、午前九時旅装ヲ整ヘ名古屋ヲ発シ、十一時蒲郡ニ抵リ、車ヲ下リテ人車約十四町、一旅館ニ抵リ小憩ス、蓋シ清水百太郎氏ノ勧誘ニ応シテ同地ノ風光ヲ探ル為メナリ、旅館ハ滝兵右衛門氏ノ建創セシ家屋ノ由ナリ、構造壮大ニシテ設備充実ス、小邱アリ、邱上動物園又陶器製造所等アリ、各所散歩ノ後午飧ヲ為シ、午後一時蒲郡発ノ汽車ニテ二時豊橋ニ抵リ、最大急行列車ニ乗替ヘ、夜九時東京ニ着ス、来リ迎フル者多シ、十時頃帰宅後、諸方ヨリ留守中到来セル書状ヲ点検ス
(欄外記事)
[名古屋出立ノ際地方人士及得意先ノ人々多人数停車場ニ来リ送別ス


竜門雑誌 第三二三号・第四三―四五頁 大正四年四月 ○青淵先生の関西旅行(DK570282k-0002)
第57巻 p.576-578 ページ画像

竜門雑誌  第三二三号・第四三―四五頁 大正四年四月
    ○青淵先生の関西旅行
青淵先生には令夫人同伴にて、四月二日午前七時二十分東京駅発汽車にて関西地方に向はれ、途中興津駅に下車して井上侯を見舞ひて、再び乗車、名古屋に向はれしが、其後京阪神各地新聞紙の伝ふる所の概要は即ち左の如し
 △京都日の出新聞 国産奨励の主旨講演を兼ね、同会維持金募集の為め、二日西下の途に就きたる渋沢男爵は、同日午後五時名古屋駅に下車し、直ちに名古屋ホテルに投宿、三日海東郡蟹江町大字須成に於て挙行されたる、神田鐳蔵氏先考清三郎氏の建碑除幕式に参列の後、今夜大阪に向ひたるが、来る六日入洛、先着の筈なる武井守正男と落合ふ予定なりと
青淵先生には須成に於ける神田鐳蔵氏の先考建碑除幕式終了後、直に名古屋に引返して、夫れより御影に赴きて明石照男君邸に一泊せられたる由
 △大阪朝日新聞 渋沢男の薫陶誘掖を受けたる人士を以て組織せる竜門社員の在阪者は、今回同男の来阪を機とし、四日午後四時より大阪ホテルにて集会を催せり、来会者約百名、開会に先だち旭堂南陵の講談一席あり、発起者を代表し野口弥三氏挨拶を為し、夫より阪谷男起つて得意の財政談を為し、結局、竜門社の綱領たる正直と
 - 第57巻 p.577 -ページ画像 
勤勉とを以て帝国の前途に幸多からしむべしと結び、引続き渋沢男は立ちて兎角政治と実業との調和を欠くを頗る遺憾とすと前提を置き、男が維新の際政治に志しながら心機一転して実業に身を委ぬるに至れる径路を述べ
  是れ畢竟政治と産業と互に相扶翼すべきに拘らず、兎角実業者は政治家の足下に服する有様なるを慨き、微力ながら実業の光輝を発揚せんと思ひ立ちたる結果に他ならず、爾後数十年の変遷を経て近頃に至り、実業者は稍々勢力を得るに至れるも、尚予の理想を距る頗る遠し、予は真に国富を増進せんとする内閣ならば、何人が組織したりとて敢て好悪を抱かず、然れど官尊民卑の風未だ消えずして、実業家は稍々もすれば官吏の軽蔑を被ること甚だし殊に下級の官吏に至るほど傲慢を極む、斯の如くにして如何にして帝国の富強を望むべき、此官尊民卑の弊風を打破するこそ目下の急務なるが、実業家も此際竜門社の綱領たる正直と勤勉とを以て各其業務に精勤せんには、其地位の向上は従うて得るべし云々
 食卓に就き、了りて晩餐を共にして午後九時散会せり
 △神戸又新日報 第一銀行頭取渋沢男爵は、五日午後六時半より市内官民百余名をオリエンタルホテルに招待して盛宴を張れり、七時半開宴デザートコースに入るや、男は立て一場の挨拶を為し、更に語を継いで「神戸市の発達は他都市の比例に超過し健羨に堪えざる所なれども、発達には弊害の伴ふものなれば、実業家諸君も亦人格の砥励と思想の健実に留意し、益神戸市の発達に尽力せられん事をとの趣意にて希望を述べ、来賓一同の健康を祝し、服部知事は来賓を代表し、男爵の訓諭は実業家一同の格守せざる可らざる所也と答辞を述べ、尚近来老朽の語流行すれども、大隈伯若くは渋沢男等が老躯を以て国家社会に奔走せらるゝは、大に人意を強ふするに足るものあり、老朽の語には語弊あり、男爵の如きは老熟老巧老練と称すべきものなりとて、男の一代が我邦財政経済と密接の交渉ある所以を略述し、終りて男の為に乾盃し、斯くて宴を撤し散会したるは九時半なりき
 △京都日の出新聞 六日入洛せし渋沢男爵は予定の如く七日午前十時三十三分京都駅発西下せり
○中略
 △大阪朝日新聞 国産奨励会顧問渋沢及び会長武井男は八日来神、午後四時より神戸商業会議所にて、武井男は国産奨励会設立の趣旨並に其後の経過につき、又渋沢男は我邦現下の状態に鑑み同会の必要なること及び男が同会の設立に賛成したる所以を述べ、交々同会の事業発展に同情すると同時に奮つて入会されんことを希望したり当日の来会者は市内の実業家凡そ百名、夫より両男爵は国産奨励会関係者の請待に係る常盤花壇に於ける晩餐会に臨み、渋沢男は西宮へ、武井男は大阪へ引返したり
 △大阪新報 第一銀行頭取渋沢男爵は今回の来阪を機として、九日夜大阪ホテルに当地各銀行の代表者並に重なる実業家を招きて盛宴を張るべしと
 - 第57巻 p.578 -ページ画像 
 △大阪時事新報 阪神間の景勝地として知られたるラヂウム温泉六甲苦楽園の風光に就き、大隈伯並に昨秋来久しく同園に滞在せる近藤廉平男等より来遊を勧められ居たる渋沢栄一男は、十日午前中より夫人同伴苦楽園に入りたるが、或は近藤男の如くこれを機会として改めて西下の上久しく入浴するやも知れずと
 △大阪朝日新聞 京都に滞在中なる渋沢男夫妻は、来る十二日午前十時四十分京都発にて同日午後三時五十三分名古屋着、二日間滞在第一銀行取引先請待会及び東洋生命保険会社支部の代理店請待会等に臨席、十四日帰京する筈
青淵先生関西旅行の概略は右の如くなるが、十四日午後九時五分東京駅着にて無事帰京せられたり。
   ○右関西旅行ニ就イテハ本資料中左ノ各条参照。
    第四十九巻「神田家家系碑除幕式」。
    第五十巻「株式会社第一銀行」大正四年一月二十六日。
    第五十六巻「財団法人国産奨励会」大正四年一月二十一日。
    第五十一巻「東洋生命保険株式会社」大正四年四月十三日。