デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

3部 身辺

6章 旅行
1節 国内旅行
■綱文

第57巻 p.624-627(DK570294k) ページ画像

大正6年7月8日(1917年)

是日栄一、東京ヲ発シ群馬県高崎市ニ赴キ、同地高盛座ニ開カレタル報知講演会ニ出席、講演ヲナシ、即日帰京ス。


■資料

集会日時通知表 大正六年(DK570294k-0001)
第57巻 p.624 ページ画像

集会日時通知表  大正六年        (渋沢子爵家所蔵)
七月八日 日 午前七時五三分王子駅発 報知社講演会(高崎ヘ御出向)


竜門雑誌 第三五〇号・第一二五―一二七頁 大正六年七月 ○高崎市に於ける青淵先生(DK570294k-0002)
第57巻 p.624-625 ページ画像

竜門雑誌  第三五〇号・第一二五―一二七頁 大正六年七月
    ○高崎市に於ける青淵先生
 高崎市に於ける報知新聞主催の第七回報知講演会に臨席の為め、青淵先生は添田同社々長及び上島同社主筆と共に、七月八日上州高崎市に赴かる。右に就き其詳細は同社の群馬版九・十・十一日の三日間に亘りて記載せられたる所にして、高崎市が青淵先生の一行を迎へて如何に熱狂したるかは、其駅前の光景が高崎駅開闢以来の盛観を呈せりと云ふに観るも同市の歓迎想ふに余りあるべく、その歓迎員を先導としたる青淵先生一行の腕車が、高崎市民有志の歓迎会場たる岡源楼に向ふ俥列の長きこと、蜿蜒として長蛇の如しと云ふも亦宜なりと云ふべし。而して其歓迎会場に於ける高崎市実業界の長老にして水力電気会社の創立者たる須藤清七氏が、同市の有志を代表して鄭重なる歓迎の辞を述べたるに対し、青淵先生は謝辞に次ぎて凡そ左の如き希望を述べられたる由、同紙は報ぜり。曰く
  私は十年前に一度此地に来た事がありますが、其際私は諸君に向つて、第一に其土地の発展は全く工業にある、何れの土地に行つても先づ最初に大煙突の有無を観て其地に於ける商工業の発展如何を
 - 第57巻 p.625 -ページ画像 
窺ふべく、第二には空飛ぶ鳥も吹出す煙の為めに真黒になる位でなければ、迚も其土地を隆盛ならしむること能はず。と云つた事を記憶して居るが、十年後の今日再び御地へ参りまして、空飛ぶ鳥が黒くなつて居るかどうかは之から皆さんのお話を伺はなければ解りませんが、自分が住つて居る王子の如きは、東京市内でも遊山の地として風光明媚の声名を有する処でありますが、現在では工場もあれば会社もあると云ふ有様で、今後も益々事業の拡張をすると云ふ勢ひでありますから、以前の風光明媚は全く破壊されて了つたのであります。我上州の如きも天下に風景絶佳を以て知られた土地であるけれ共、国家の為めには時に之を破壊しても工業の発展を計らねばならぬと思ふのであります。然し充分御経験のある商工業大家諸氏のお集りに対して、斯くの如きことを申すは、或は無益ならんかとも思はれまするが、我国商工業界の前途を思ふの余り、失礼を顧ず聊か愚見を申述べました次第であります。云々
 と。而して其講演会場たる高盛座に於ける青淵先生の講演は大略別項記載の如くなるが、今其会場に於ける盛観を同紙に拠りて誌せば、聴衆千七百余人開会前既に満員を呈して場内立錘の余地なく、正一時開会の辞に次ぎ、上島氏及び添田博士の講演あり、最後に青淵先生は「思出多き高崎市」なる演題の下に登壇せらるや
○中略
 と、斯くて当日午後十時半高崎駅に着せられたる青淵先生は、同日午後五時八分再び朝来の如く多数の市民有志諸君に見送られつゝ、帰京の途に就かれたる由。


竜門雑誌 第三五〇号・第六一―六三頁 大正六年七月 ○思ひ出多き高崎市 青淵先生(DK570294k-0003)
第57巻 p.625-627 ページ画像

竜門雑誌  第三五〇号・第六一―六三頁 大正六年七月
    ○思ひ出多き高崎市
                      青淵先生
 本篇は七月八日高崎市高盛座に於ける報知新聞社主催の講話会に臨席せられたる青淵先生の講演大要にして、同十一日の同紙に掲載せられたるものなりとす(編者識)
 私の青年時代、郷里埼玉から信州へ往復の際には、当高崎へ立寄つて旅の労を癒したものであります。江戸は見ないが高崎は見たと云つた位、昔から高崎の名が四隣に伝へられて居つた其往時を顧み、夫れから六十年の長い生涯を実業界に送つた自分としては、この高崎に対する種々の希望もあり、又観察もあつたのでありましたが、今や実業界を去つて余世を精神界の開拓に委ねんとする私には、実に思出多き高崎市であります。私は明治六年以来第一銀行頭取の椅子に碌々として暮しましたが、維新当時と大正六年現在の実業界とを比較しますと実に天地霄壌の大差があります。第一銀行の如きも其当初より観れば実に十数倍の膨脹を致しましたけれども、中には百倍以上に発展向上した事業も決して少くはない程、帝国の実業界が長足の進歩を為たのであります。私は当時から実業界開発の為めに資本合同の必要を感じ是れからの社会は一個人の力を以て如何ともする事が出来ない、同志の糾合団体の協力に俟たねばならぬと思ひ、運輸保険等に対しても此
 - 第57巻 p.626 -ページ画像 
確信を実行して来たのでありますが、幸ひ今日の帝国は此傾向益々顕著となつて発達して来たのであります。添田博士は能く此国柄を述べ数度の戦ひに依つて日本の地位を高めたのであると説かれましたが、これは御尤もの事と存じます。併し此地位を維持し拡張する事に堪ふる国民の実力を養成しなければ、此進歩発達は決して完全なものとは申されず、是の如きは到つて偏頗な表面上の発達に過ぎぬと申さねばなりませぬ。今後世界の状態が益々複雑となるに従ひ将来倍々実力の涵養に努めなければ、其地歩を将来に持続する事が不可能である許りではなく、却つて其地位を危からしむる事ともなりませう。国民に世界実業界に処する実力と準備がないならば、帝国の将来は実に寒心すべきものであらふと思ひます。棚から牡丹餅と云ふが、寝て居つて左様な旨い事はあるものではない、若し餅が落ちて来ても口へは這入らずに足の方へ転げ込んで仕舞ふ。現に欧洲は戦禍の巷になりまして、生産界は其実力を失つた今日、我国に向つて軍需品其他の註文が来たと云ふのは、慥かに棚からボタ餅とでも申しませう、処が我国民の大多数に其実力がない為め、其需要に応ずる事が出来ないので、腕を拱いで米国の金儲を見て居るのでありますから、ボタ餅が自分の口へは入らずに、他処へ転がつて行つたと云ふ訳ではなからうか。今日の如き実業界絶好の機会に於て、尚ほ斯の如くであります。況んや戦後欧米と経済戦を試むるやうな場合に当つて、国民に実力と準備がなかつたならば如何であらうか、此点に就て諸君に篤と御考慮を煩はしたいのであります。此実力とは即ち富を作る処であります、我実業界の状態を観察しまするに、如何にも精神上の欠点が多いやうであります、其教育の程度や風習は現代の実業界に適合して居りませぬ、私が余生を精神界の開拓に送らんとするのも、多年の実験と此所感に依るものであります。私共日米関係に就て十数年来研究もし、微力も注いで参りましたが、我同胞が米国に於て如何の待遇を享けて居るかが、延いて国交の上に危殆な事象を齎して居たのであります、故に添田博士の如き、親しく其実状を探究して同胞を指導し、私も亦米国の官民有識者と相接して融和の策を講じましたので、ハースト氏の如きは極力排日思想を鼓吹して居つたものでありましたが、昨年私が渡米して懇談の結果、大分日本人と云ふものを理解して来たのは寔に喜ばしい事であるが、是等は我同胞に精神的欠点があるからであります。私は更に渡米の際、支那問題は日米両国の協定に依つて解決せねばならぬ事を主張し、米国人の多数も賛同しましたが、我々は東洋に於て既に重大の責任を有するに止まらず、欧洲戦争は我実業界に好影響を与へ、将に世界的大活躍を試むべき機会に遭遇しつゝある此時代に処し、我実業家が苟も粗製濫造を敢てして各地に日本製品非難の声を聞くは、洵に遺憾の極でありまして、為めに此好期を逸し去り将来永く其禍根を貽すといふことは、これ何れも精神の堅実ならぬ証左であります。又最近成金なる一派の連中が骨董品の入札に多額の金を投じ、竹筒一箇に八万円乃至十万円を投じて之を誇りとして居る人々が私共の友人にも少くないので、如何にも心苦しく感ずるのであります。日本の現在は左様に悠々閑々たり得る時代でありませうか。諸君、其心理状態を
 - 第57巻 p.627 -ページ画像 
察しては洵に其人々を気の毒に思ふのであります。左様な事をして喜んで居る内には、又売飛ばして了はねばならぬ時期の来る事にお気が附かれないのでありませう。一は境遇を喜んで粗製をする、一は小成に安んじて贅沢な真似をして居る、我実業界の精神に、斯る欠陥が根深く張る事ともならば、其実力は決して充実し得るものではない。故に先づ根本的に精神界の開拓を為し、以て堂々実業界に臨まねばならぬと云ふ事を自覚して頂きたい為め、此事を思出多き諸君に対して、一言申上げた次第であります。