デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

3部 身辺

6章 旅行
1節 国内旅行
■綱文

第57巻 p.644-650(DK570301k) ページ画像

大正7年5月19日(1918年)

是日栄一、東京ヲ発シ横浜ニ赴キ、横浜毎朝新報社主催講演会ニ出席、講演ヲナシ、即日帰京ス。


■資料

集会日時通知表 大正七年(DK570301k-0001)
第57巻 p.644 ページ画像

集会日時通知表  大正七年        (渋沢子爵家所蔵)
五月十九日 日 午後一時 横浜毎朝新報社講演会(横浜記念館)
             後一時五十分東京駅御出発
             弐時四十二分横浜駅御着ノ筈


竜門雑誌 第三六一号・第七九―八〇頁 大正七年六月 ○横浜市に於ける青淵先生の講演及歓迎会(DK570301k-0002)
第57巻 p.644-645 ページ画像

竜門雑誌  第三六一号・第七九―八〇頁 大正七年六月
○横浜市に於ける青淵先生の講演及歓迎会 青淵先生は五月十九日横浜に赴かる。これ同市の横浜毎朝新報社が今般五千号発行の記念として、戦後経営講演会開催の席上、先生の来臨を得て講演の栄に浴すべく其の懇請を容れられたるに因る。会場は横浜開港記念館にして、時は定刻零時半より開会せられたり。聴衆約二千余名、階上階下立錐の
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余地なし。 ○中略 最後に、青淵先生は徐ろに歩を壇上に運ばれ「戦後に於ける国際道徳問題」なる演題の下に、醇々として其熱烈なる平生の意念を吐露せられて(別項参照)壇を下らるゝや ○中略 散会せるは午後六時に近かりしと。
 而して右講演会終了後、同市三十余名の紳士紳商、矢野市会議長・増田増蔵・石川徳右衛門・渋沢義一等諸氏は、先生及び諸氏の来浜を機とし、同日午後六時より弁天橋畔銀行倶楽部に於て懇篤なる歓迎晩餐会を催したり ○中略
 矢野氏の挨拶終るや、青淵先生は立つて大要左の如き謝辞を述べられたる趣、横浜毎朝新報は報ぜり、曰く
 年長の故を以て一言拙者より矢野君の御言葉に対し御礼を申述ぶべし、本日横浜毎朝新報五千号の祝賀に臨みし事は余より進んで祝意を述べん為めに来りしなり、然るに却つて諸君より斯る盛宴に招待されし事は恐縮の外なし、余の講話は何等益なきものなりしが、三宅博士の御講話中には御地に関する直接問題もありき、然れども東京と横浜との関係に就いては殊更に諸君の心労とすべき程の問題も起らざるべく、又例令他日起り来る形勢ありとするも其の際は亦夫に処すべき好都合の解決方もあるべく、決して諸君の神経を悩ますべき程の事はなからん、余は二十七年以来東京の市区改正や港湾計画の調査に関係し来り、其の経過は昨夜精養軒の会合にても申述べし次第なるが決して京浜両地の背馳するが如き事なきに付、諸君も諒せられん事を乞ふ、玆に諸君の健康を祝し併せて好意を謝す云々
斯くて主客十二分の歓を尽して其散会せるは八時頃なりき。因に青淵先生は当夜八時三十二分横浜発列車にて帰京せられたり。


竜門雑誌 第三六一号・第二四―三一頁 大正七年六月 ○戦後の国際道徳 青淵先生(DK570301k-0003)
第57巻 p.645-650 ページ画像

竜門雑誌  第三六一号・第二四―三一頁 大正七年六月
    ○戦後の国際道徳
                      青淵先生
 本篇は青淵先生が五月十九日横浜毎朝新報社主催の戦後経営講演会に於て講演せられたるものゝ由にて同社紙上に掲載せられたるものなり(編者識)
 毎朝紙のこの御目出度い五千号記念の大講演会の御催しに、私の如き不肖なる者迄、参与することの出来て、親しく諸君と相見ゆる機会をもちましたのは、甚光栄に存ずる次第であります。この講演会は実に、大講演会でありまして、このやうなる盛況を来し、既に私の前に三宅・新渡戸・平沼諸博士の講演がありました後に、私の如き筆も口も叶はない、そして至つて浅学な、いくらか近頃では腕も叶はなくなつて来た老衰の残体を、壇上に現はすといふことは甚だ臆面もない僭越至極の事と存じますが、そして皆様も甚だ御迷惑な事と存じますが私は簡単に『戦後に於ける国際道徳』といふ私としては至つて不似合な、学者的な問題について少し御話して見たいと思ふのであります。
 私は従来実業界に多く力を尽して来ましたが、近頃それを引退して及はずながら精神界の方面に力を尽したいと思つてゐるのであります一村の村夫でも、敢て斯様な問題について、自分は自分なりに論じて
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はならないといふこともないでありませう。戦後に於けると云ひましても之は甚だ漠然とした云ひ方で、現在行はれつゝある戦争が、何時終熄するかといふ予想もてんでつかない今日の有様では、そして其人の予想が若しついたとしても、斯様な大変な戦争勃発の予想さへもまるでつかなかつたやうな私にしては、甚だあやふやな、且至つて御粗末至極なものであらうと思ひますけれども、私は私なりに若し皆様の多少の御参考になるやうな事でもあつたら、甚幸だと思つて申述べたいと思ふのであります。その前に一寸私が何故この大戦の勃発について否定的な考へ方もつてゐたかを一言して見ますると、之には多少の理論も無きにしもあらずであります。只今も新渡戸博士の御講演中に従来は農民の多い国民が戦争にはいつも一番強いと云ふ事になつてゐたが、今日ではそれにかはつて、工業国即ち職工の一番多い国が、一番強いといふ事になつたと申されましたが、それについて思ひ出すことは、確か三十八年頃だと覚へてゐますが、当時多少有識者と云はれる人々の間に非常な興味を以て迎へられつゝあり、又私も盛んにそれを愛読した著書に、ロシアのグルンといふ人の『戦争と経済』といふ本がありました。その中から要点をかいつまんで申しますと、文明が段々進歩して来れば如何に戦争といふものが精神的に及び物質的に困難になつて来るか殊にその甚だしきものは、工業の国だといふことを力説詳論してあつたのですが、それには一応尤もだと思はしむる幾多の合理的な説があつたのです。即ち段々文明が進んで来ると、戦争の方法もあらゆる方面に於て科学的になり精密になつて来ますと、所謂『攻勢は三倍を要す』といふ原理の通りに戦争か益困難に、そして時日を要するやうになつて来るのだから従来のやうに、おいそれと軽挙妄動は取られないといふのであります。又戦争勃発数年前にも米国のスタンホード大学のジヨルダンといふ教授も盛んに之と似よつた議論をはいてゐました。
 斯様な人達の議論は又私をして首肯せしむるものがありました。だから私は独逸とフランスの軋轢烈しく、最早戦争の勃起の気運が張り切れるやうに切迫してゐる時にも拘らず、矢張り至つて楽観説を奉じてゐたのであります。戦争は滅多に起るものではない、そんなことがあつて堪まるものかと思つてゐたのであります。処が果然、この大戦争は世界の真只中に勃然として起りました、然も世界に於て、いづれ劣る処なき文明の国であると誇つてゐたヨーロツパのドイツ、フランス、イギリスがその最大主戦国であります。私は尠からず驚かずにはゐられなかつた。そして其戦争は今猶五年の後までも続いてゐるのであります。この戦争が何時終熄するか、そしてそれによつて世界の形勢は如何に変遷するか、事実は事実をもつて解決する外、その外に確実な方法はないのであります。或人々は利巧さうな顔をして経済界の或現象から、又は社界現象の或変徴から、色々な臆測や想像を逞しくして、さも戦後世界を見て来たやうな口吻を漏しますが、論理としては前の戦争不可能論の如く、最もで合理的な説もあります。けれども果してその真相が、その人達の論理の如く行くか行かないかは、大なる疑問であります。貿易の方面から云ひましても今度の戦争で、最も
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利益を獲得すべく思はれたのはアメリカでありました、殆ど凡ての一等国と云はれる勢力ある国は、当時交戦国でありましたのに、米国だけは其頃何うか斯うか中立を保つてゐたのでありました。之に就いて喜んだのは我国の生糸業者です。今度のやうな事はこれこそ事実に於て千載一遇な好都合でありますから、斯んな時儲けなければ外に儲ける時はないと思つたのであります。処が青島戦の頃おいから、アメリカの貿易はすつかり沈滞して仕舞つた。そして殆ど閉塞に近い様な奇観を呈したのであります。その少し前迄には九百円より千円に上つてゐた生糸相場が、七百円及び六百五十円位に落込むでしまつた。だから堪らない、信州初め各地の有数なる生糸屋は一たまりもなく倒れてしまつたので、政府では驚いて生糸の保護即ち帝国蚕糸会社を建設して之の救済に努めた程であります。そして各地は火の消へた様な有様で、今迄大燥ぎに燥いでゐた人々は俄に頭痛鉢巻と云つたやうな惨めな姿になつたのであります。最も近年に到つて次第々々にその景況も回復しては来ましたが……又この戦争の勃興につれて急激なる変化を齎したのは、船舶の需要激増であります。この船舶の激増は造船経営に従事する少からざる人々をつくり、そして所謂当年の名物たる『船成金』抔といふ幾多の特種なる人々を造りました。而し斯の如きは実に偶然なる仕合せであつて、将来に於て長く又この幸運を持続するといふことは甚至難なことであります。否殆ど絶無なことゝ云つていゝかも知れません。即ち現在ではこの『船成金』の夢想も、着々失態をまねいて、これが為め、非常な損失を蒙つた人々も多々見受くるやうであります。果して現在に於てさへも然うであつたら何うして未来の的確な予想がつき得るでありませう。実に現在それ自身が五里霧中であると共に、又同時に未来……戦後の世界の変化及びそれについての経営といふ考察も五里夢中に彷徨するのであります。
 斯様な訳でありますから『戦後に於ける国際道徳』といふ問題に就ても決して私は、的確な或予想のもとに自分の意見を述べるといふことは出来ません。併し戦争が始まつた以上はいつかは必ず終るべきである、それが一年後になるか、二年後になるか、乃至は四年五年の後になるか知らないけれども、兎に角終ることは終るので、その後に起るものは、又平時に於ける貿易及び産業の競争でありませう。こゝに於てか私が是に述べんとする『国際道徳』の問題は至つて適切な問題となるのであります。
 国際道徳を完成せんとするには、先づ何物よりも重要な根本的必要条件は個人の道徳思想の養成といふ事であります。国家や社会がとりもなほさず個人の集団をもつて形ち造られてゐるが如く、又この国際間の道徳といふものも、個人の道徳思想を置いて又外に論ずべき何物もないのであります。個人の道徳といふ言葉の内には最も卑近な事から申しますと、一家団欒、親族間及び朋友間の務め、近隣に尽す道、商売上の道徳――と云つたやうな幾多の見地があるのでありませう。けれども現在に於てこれ等の道徳がどれだけ完成されてゐるでありませう、無論いつの時代を通じても各個々の人々が、完全に近い道徳を奉じてゐるといふことは望まれますまいが、現在では余りに甚だしい
 - 第57巻 p.648 -ページ画像 
道徳の破産時代に遭遇してゐるのではあるまいか。昔の諺に『人を見れば泥棒と思へ』といふ言葉があります。この言葉の諷する処は、又それより後おそらくは何百年か経過した今日でも適切を極める有様ではありますまいか。人類はいつまでこの野蛮なる境地をぬけ出ることは出来ないのでありませう。一個人はまあいゝとする、一国の政治はよい政治家が出来て或程度迄の治まりを見るとする、然し海を隔てゝ一歩乗り出すともうお互に喧嘩をする現在の人類の事実は、一体何といつたらいゝでせう。人間と云ふものは万物の霊長であると云ふ。しかし自分の養はれてゐる家では余程温順にしてゐる小犬も一歩外にでると、すぐもう他の犬に吠かるゝといふ畜生と何等異なる所あるでありませうか。彼等の口を出づるものは人道であり、正義である。しかしそれは唯彼等の喧嘩の合言葉であつて、実に犬が他の犬を見て吠かかるあの野蛮な兇暴な怒声と何等異なる所ないのであります。
 私はアメリカ人でベリーといふ一人の宗教家を知つてゐます。其人はニユーヨークとかの生れで余り詳しい事は知りませんが、明治二十五年頃早くも日本に来り、未だ二十代の若さにも拘はらず非常な熱心と勇気とをもつて当時の監獄制度に就て深く研究する処があつたのであります。その当時はまだ日本は維新早々で、至つてそれ等の制度も完成して居らず、彼の野蛮な拷問制度も盛んに行はれてゐたのでありましたが、彼はそれを痛く憂慮し、時の内務卿故大久保利通氏に申請して、それ等の悪風矯正の為めに非常に尽力し、若いながらも色々な利益を齎した人であります。
 私は未だ其時官海に居りましたが其後実業界に入り、今では又それを退きましたが、或日偶然に或場所でその人と再会し、今度の戦争のことより、談たまたま国際道徳の問題に及びましたので、私は兼て自分が抱懐してゐた、現戦争の勃発に対するヨーロツパ諸国につきての疑義を其人に語つたのであります。
 私のヨーロツパ諸国に対する疑義といふのは大略次の如くであります。由来ヨーロツパ諸国の宗教は概ね基督教であります。宗教と云へば仏教にしろ儒教にしろ又基督教にしろ大方は平和の教ならざるはない。世の進歩に従つて宗教家の地位も段々と向上して来ます。彼等の言葉を仮つて云へば、神は人の幸福を日夜守り祝福してゐて呉れる。しかもこの文明の進歩せる世の中に文明の精華を誇るヨーロツパの諸国に、そして各宗教の中最も平和的なキリスト教を奉ずる彼等の間に斯様な惨虐極まりなき大戦争の勃起したのは如何なる訳であるか、之れは誠に遺憾千万なことである。神様は何処に行つたか、宗教の力は如何なつたか、彼等の云ふが如く果してキリスト教を信ずるものが世界人口の三分の二を領してゐるとするならば、何故キリスト教はこれを取り静めることは出来ないか、之ではまるで宗教の権威は地に落ちて仕舞つたではないか、宗教の価値は絶無ではないか、今度の大戦争は実に世界稀有の惨酷を極めてゐる。子は親を離れ親は子を離れ夫は妻と別れ兄弟・朋友・親戚・血族皆散々となり、或は職を奪はれ命を棄て訳なくして婦女子供は殺戮され、富は覆へされ巨大なる建築は崩壊し、その悲惨暴虐は実に眼もあてられない有様である、然らば文明
 - 第57巻 p.649 -ページ画像 
とは何を意味するものであらう。動物は相互に相争ふ、猫と犬は其面を合す度ごとにいがみ合ふ、しかしこんな比較的力の弱い動物はその相争ふに於ても、至つて他愛のないものであるが、しかし力の烈しいもの例へば、虎や狼の如きものに至つては、その精力と鋭い牙とをもつて全力を尽くし、その悲惨は彼力弱きものに数倍するものがある。之と同じ原理によつて人類も又文明が進む程その戦争も惨虐を極めて来る。例へば毒瓦斯を放射する、空中より爆弾を投げる、凡ゆる科学の力はこゝに於て一段の害厄を逞しくする。然らば文明の進歩は呪ふべきかな、科学の進歩は呪ふべきかな、私達の世界は科学の進歩の程度の低い程それだけ安全であり、惨酷の度数が減ずるのであります。斯く申す私は至つて宗教には縁遠いものでありまして、若い時は外国に対しては一つの非常な嫌悪をもつてゐたのであります。それは何故かといふと、西洋といふ国は他の多くの方面には成程よく発達してゐるかも知れないが、自己の利益といふことについては、まるで目のない国だ、飽く事なき貪婪と利己主義の国だといふ概念が早くより私の頭を支配してゐたからであります。丁度ペルリが来た時が私の十四の時で、私は其時漢書に親しんでゐましたが非常に之を憂へ、猛烈な鎖国攘夷を主張したことがありました。しかし二十八歳の時初めてフランスに行きましたが其時親しく彼地の文明にも接し、私が十数年間抱いてゐた思想は、また彼地の真の文明を理解しない誤解に基く事を痛切に感じ、それから物質文明も大いに人類の為めに貢献する処大である事を知り、之を進める事を四十年来務めて来たのですが其の間商業道徳の至つて不振なること、及び又人間の欲望の如何に弊害ある事等を切実に感じ、普通の家族的義務以外に又大なる国家としての義務あるを痛感し、その徳義をあやまらないやうに注意に注意を重ねて来たのですが、ヨーロツパの現在の境遇は何うであるか、此徳義心について又宗教の進化について、出来ない相談ではあるがそれらについての良い御考はないかと、斯様なことを云つたのであります。
 斯の私の問ひに対して、宗教家ベリー氏の答へは国際上の道徳問題の点からも、又戦争に対する点からも甚だ満足に遠いものでありましたが、大略次の如く答へられました。
 御言葉の通り、現在のヨーロツパの有様は、実に哀れ至極な有様である。由来人類の知識の進むにつれて人々が物質的に流れ易いのは、寔に悲しむべき徴候である。過去に於てナイチンゲールを出した国民が、現在では火花を散らして戦つてゐると云ふ事は、実にその矛盾も甚しい。併し此戦争の一事を見て、直に宗教家及一般の人々の間に、神の威厳が没落したと解する事は、余りに早計に失しはしないだらうか。之は決して神の威厳が没落したのでなくて人の悪魔が勝つたのである。併し今度の戦争に於て、人のこの悪魔なるものが、如何に恐るべきものであるかを凡ての人は了解した、だから戦争が終局を告げると共に、宗教は又平時に数倍した力を回復し、人と人との関係の上に又国と国との関係の上に、非常な力をもつて働きかけるであらう。であるから現在お互に注意し且つ努めなければならないのは、全く此の宗教心と徳義心=国際間の道徳思想の涵養であつて、宗教家として
 - 第57巻 p.650 -ページ画像 
の私の云ふことは唯これだけである、と。
 要するに今のやうなお話で、将来の国際道徳が如何になるか、そしてそれを如何に定案すればいゝかと云ふ事に就ては、私の如き浅学と智識の狭隘とを以てしては、何うともすることが出来ない事である。之はひとり宗教家・学者・政治家・道徳家に問ふの外はない。併し、前のベリー氏の話しでも少しは察せられる通り今度の戦争終局後、国際の道徳思想の復興及個人の道徳の復興といふことは、疑ひもない事実であるらしい。私達は之に対して出来るだけの注意が腎要であります。現在或一部の社会には盛んに経済及社会各方面に於ける自給自足論が唱へられてゐます、しかし現在の世界文明の複雑は、もう厳密なる意味の自給自足をゆるさない。それを強いて行ふとするなら、経済は立ち所に休止して仕舞ふのでありませう。斯様な立場にある、世界各国では此大戦終熄後従来に一段と増した国際道徳の必要が、生ずるのは論を待たないのであります。
 私は従来四十年間、実業界に棲息して商業道徳の鼓吹に努めて来たのも、大にしてはこの国際道徳に及ぼす国民の利徳を思つたからであります。力は当然必要であります。個人の富を増し国家を有福にするといふ事は、之れは疑ひもなく必要なそして何等恥る所のない、正当な事であります。然し共に相欺き相争ふといふ野蛮な行為は少くとも人間として人類の一員として、お互の幸福の為めに、斯様なことは無き様にしたいと思ふのであります。