デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

3部 身辺

9章 終焉
■綱文

第57巻 p.719-722(DK570338k) ページ画像

昭和6年10月31日(1931年)

是日、主治医入沢達吉ノ名ヲ以テ、栄一ノ容態ヲ親戚及ビ知人ニ通知シ、同時ニ、日本電報通信社ヲ通ジテ各新聞社ニ発表ス。


■資料

泰徳院殿御葬儀記録 一 【渋沢子爵御病中日録】(DK570338k-0001)
第57巻 p.719-722 ページ画像

泰徳院殿御葬儀記録 一        (渋沢子爵家所蔵)
渋沢子爵御病中日録
十月卅日
 御容態 発表なし。併しその後の御容態順調ならず、食慾殆どなく憂慮すべきものなるに、何時までも之を公にしないで置いては、子爵の公人であるに鑑み、渋沢家として社会への義務を欠くものであらうと云ふことから、種々協議した上、此日曖依村荘で開かれた同族会に之を諮り、林正道氏が「渋沢子爵容態書」草案二種を立案し第一案を親戚・知人、第二案を御郷里八基村の人々に対して発送することに決し、猶各新聞社に対しては第一案の要領を発表することになつた。かくて卅一日主治医入沢博士の名を以て夫々発表した。
    渋沢子爵容態書(第一案)
  本年春以来頑固の便秘を来し、時々緩下剤により小康を得つゝありしが、八月上旬東京帝国大学附属医院塩田外科に於てレントゲン検査の結果、大腸S字状部に於て著しき狭窄を認む、幸に病人自覚症甚しからざるも、高齢の事とて閉塞症状の来らざる限り手術は見合すことに決す、然るに十月初旬に至り腹痛頻発、七日には腹部膨満、劇甚なる苦痛を伴ひ、腸閉塞の症状突発し、応急処置によりて一時辛うじて危険を免れたるも、再度一層甚しき閉塞症状の襲来を防かんが為、人工肛門造設手術を行ふに決し、特に御自身の切望により自宅に於て充分の準備を整へ、十月十四日塩
 - 第57巻 p.720 -ページ画像 
田博士執刀の下に、主治医立会、約二十分にて手術を完了せり。手術後第二日より中等度の発熱あり、食慾不振なりしも、局所の経過は良好にして、第二週を過ぎて手術当初の目的を達し、日々滞りなく排便を見るに至り、人工肛門は完成せり、但時々腹満あり、軽熱を伴ひ、食慾不振、意気沈鬱、御自身に於ても頻りに再起し難きを訴へられ、且食物摂取を嫌はれ、為に栄養稍衰へ、気力減退す、而も特に胸部等重要機官に於ける合併症を見出し難きも、全体の経過順調ならずして、脈搏九〇前後、体温三七・〇―三七・八、呼吸二八―三〇、尿量一日六〇〇―八〇〇、御疲労稍増進の模様なり、要するに御頽齢の為に恢復力弱く、御経過の遅遅たるものと認め、目下極力御快癒の速ならんことを祈り、御治療に全力を尽しつゝあり
    十月卅日          主治医 入沢達吉

    渋沢子爵容態書(第二案)
  本年春以来稍頑固の便秘を来し、時々緩下剤により小康を得つゝありしが、八月上旬東京帝大附属医院塩田外科に於てレントゲン検査の結果、大腸S字状部に著しき狭窄を認む、幸に病人の自覚症は甚しからざるも、高齢の事とて恐るべき閉塞症状の来らざる限り手術は見合す事に決す。然るに十月初旬に至り腹痛頻発し、七日には腹部膨満、劇甚なる苦痛を伴ひ、見るに忍びざる腸管閉塞の症状突発し、応急処置により一時辛うじて危険を免れたり。腸管閉塞の症状は、其高度に達する時は、腹部膨満、劇烈なる腹痛を伴ふは固より、遂には頑固なる吐糞症を呈するを常とし、其苦悶見るに忍びざるものにして、然も其場合に至つては、内科外科ともに、此高齢の病人に於ては策の施すべきなきものなり。
  此場合に於ても、再度一層甚しき閉塞症状の襲来するは勿論の事なるを以て、此高齢に対して好んで行ふべきに非ざるも、如上の危険を防がん為に、止むを得ず人工肛門手術を行ふに決し、特に病人の希望により、手術室を自邸に設け、十分なる準備を整へ、十月十四日塩田博士執刀のもとに主治医立会ひ、約二十分にて都合よく手術を完了せり。

御見舞の人々
     渋沢敬三氏    佐伯先生    渡辺得男氏
     白石先生     白石喜太郎氏  佐々木勇之助氏
     穂積歌子氏    林先生     渋沢篤二氏
     渋沢敦子氏    渋沢登喜子氏  阪谷寿子氏
     渋沢美枝子氏   渋沢元治氏   佐藤先生
     大滝先生     入沢先生    塩田先生
     福島三郎四郎氏  永野護氏    明石愛子氏
     堀越梅子氏    渋沢信雄氏   斎藤とら子氏
     渋沢秀雄氏    阪谷芳郎氏   阪谷琴子氏
     穂積重遠男    穂積仲子氏   渋沢鄰子氏
 - 第57巻 p.721 -ページ画像 
     明石照男氏    渋沢正雄氏   渋沢武之助氏
     尾崎哲之助氏
 尚ほ本日宿直した人々は渋沢敬三氏・林先生・白石先生・白石喜太郎氏である。
御見舞品 ○品名四種、四名氏名略ス
十月卅一日
昨夜卅日同族会にて決定せし通り、入沢達吉の名を以て子爵の病状を各新聞に発送することゝし、午前中渋沢事務所より日本電報通信社を通じ、左の記事を夫々送達した。
 本年春以来頑固の便秘あり、容易に治癒に向はず、其際時々左腹部に隆起を認むることあるを以て、八月上旬レントゲン検査を行ひたるに、大腸に狭窄症あるを確認せり、然るに十月上旬に至り腹部膨満に伴ふて腹痛を発せられ、一時腸管閉塞の症状を呈し、其苦悶堪へ難きを以て、已むを得ず、十月十四日自宅に於て塩田博士執刀にて人工肛門手術を行ひたり、其後経過は順当なりしに、近日に至り微熱出で食思不振となり、随て栄養稍衰へ、昨今は幾分衰弱の徴候現はれたり
 体温 三七・〇―三七・八
 脈搏 九〇前後
 呼吸 二八―三〇
                  主治医 入沢達吉
渋沢事務所内の空気何となく落付かず、一同御容態を憂慮し思ひは飛鳥山邸に馳せて居る。果して午後に至り病勢よろしからずとの電話あり、事務所員全部御見舞を兼ね急ぎ飛鳥山邸に赴く。恰度左の近親並に特に懇親の方々へ電話で知らせて居る所であつた。又渋沢敬三氏は宮内省に関屋次官を訪問、非公式に子爵の御病状を報告した。
     綱町邸     三光町邸     阪谷邸
     穂積邸     西ケ原邸     宮仲邸
     上ノ台邸    明石邸      渋沢元治殿
     渋沢治太郎殿  渋沢信雄殿    渋沢智雄殿
     阪谷希一殿   穂積律之助殿   大川平三郎殿
     田中栄八郎殿  尾高文子殿    尾高豊作殿
  第六天徳川公爵家殿  石黒忠篤殿    諸井恒平殿
     永田甚之助殿  佐々木勇之助殿  第一銀行
     古河男爵家殿  大倉男爵家殿   浅野家殿
     其他
電話なき向へは左の如き書面を速達にて発送した。
  拝啓 然ば当主人予て病臥中の義は御承知の事と存候処、本日午后より憂慮すべき容態と相成候間、不取敢御承知置願度如斯御座候 敬具
   昭和六年十月卅一日          飛鳥山 渋沢
   久米治平殿同令夫人     皆川信子殿     皆川巌殿
       伊藤栄子殿    佐々木哲亮殿    高梨英男殿
   田中王堂殿同令夫人     福原信和殿  男爵池田勝吉殿
 - 第57巻 p.722 -ページ画像 
     伯爵橋本実斐殿  伯爵清水谷実英殿    佐藤俊次殿
   山本勇夫殿同令夫人 野依辰治殿同令夫人    福原信三殿
而して御病状、新聞の各夕刊或はラジオのニユースによつて一般に報道せられたゝめ、午后三時過より御見舞客の数を増した。此の日より渋沢事務所は留守の者を残すのみにて、殆ど全員曖依村荘に詰め切ることゝし、第一銀行よりも応援を請ひ事務の担当を左の通り定めた。
    御病中事務担当
 第一、来客応接 渡辺・白石・小畑
 第二、庶務

図表を画像で表示第二、庶務

  (イ)容態発表  白石・小畑  (ロ)食事    井田・上田・八木・芝崎  (ハ)車馬    荒山・近藤・足立・清水  (ニ)受付    井田・鈴木・高橋・中野・斎藤・平田・倉持           伊丹  (ホ)通信、連絡 佐治・小川・鈴木(リン)・杉本  (ヘ)邸内取締  酒巻・上田・根岸  (ト)記録    高田・岡田・保志・大塚(春子)  (チ)到来品受付 上田・小川・斎藤 


尚ほ各新聞社(朝日・日々・電通・聯合・報知・時事・中外)より特派の記者来邸につき、青淵文庫を開放して控室に充つることゝした。此の日午後四時に至り入沢・佐藤・大滝・佐伯・塩田・白石・林の諸国手来邸、叮寧なる診察をなし、午后八時主治医の名を以て左の如き発表をなした。
  午后一時半より約一時間に亘る悪寒あり、午后三時体温大に上り夕刻に至るも下降せず
    体温 三九・〇 脈搏 一一二 呼吸 三六
 尚ほ正午以降発表されたる体温・脈搏・呼吸は左の如し。
   正午   午后三時 同四時  同六時  同八時  同九時
体温 三七・五 三九・〇 三九・四 三九・五 三九・〇 三八・九
脈搏 一〇〇  一一四  一一八  一二〇  一一二  一一六
呼吸 二八   三六   三六   三六   三六   三六
本日御見舞の人々は左の通りである。
洋館玄関 ○三七名氏名略ス
日本館玄関 ○七一名氏名略ス
電話 ○九名氏名略ス
電報 ○一一名氏名略ス
此の日受けたる御見舞品は次の通りである。
   ○品名九種、九名氏名略ス。
 猶埼玉県八基村公民学校二部同窓会代表者たる鶴田静雄・大谷多喜男・福地智也・設楽啓治・林武平の五氏は、子爵病気平癒祈願のため、本日より毎日村社に参拝する旨の報があつた。
徹宵枕頭にて宿直せられし人々は大滝先生・桜沢先生・佐伯先生・渋沢敬三氏・同正雄氏・渡辺得男氏である。