デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

3部 身辺

9章 終焉
■綱文

第57巻 p.728-730(DK570340k) ページ画像

昭和6年11月8日(1931年)

是日栄一、長男篤二ヲ通ジテ、病気見舞ノタメニ来訪ノ郷誠之助・佐々木勇之助・石井健吾其他ノ財界有力者ニ告別ノ辞ヲ伝フ。


■資料

竜門雑誌 第五一八号・第一一―一二頁 昭和六年一一月 病状(二)(DK570340k-0001)
第57巻 p.728-729 ページ画像

竜門雑誌  第五一八号・第一一―一二頁 昭和六年一一月
    病状(二)
○上略
八日
新聞にて容態悪化の旨が報道されたので、朝来見舞客が増して来た、しかし病状の経過は意外によろしく、寧ろ一同愁眉を開いた、しかし勿論警戒を大いに要するのである。そして御病床の青淵先生は、恰度郷誠之助男・佐々木勇之助氏・石井健吾氏その他財界の有力者が御見舞に見えて居る旨を聞かれ、己の病気を忘れたる如き口吻にて次の如く伝へられたいと、その心事を語られた。
 私は帝国民としてまた東京市民として、誠意御奉公をして参りました、そして尚ほ百歳までも奉公したいと思ひますが、この度の病気では最早再起は困難かと思はれます、しかしこれは病気が悪いので私が悪いのではありません、たとへ私は他界しても、皆さんの御事業と御健康とを御祈し守護致します。どうか亡き後とも他人行儀にして下さいますな
正午主治医の発表は左の如くである
 右側肺炎ありし部位、聊か再燃の気味あり、其為め昨夜体温昇騰せるものと思はる、今朝に至り体温下降し一般状態格別変化なし
      体温 三七・五
      脈搏 九〇
      呼吸 二五
また午後六時の発表は次の通りである
 正午の御容態と同様なり
尚当日の体温・脈搏・呼吸は次の通りである

    午前三時 同六時  同九時  正午   午後三時 同六時
 体温 三八・八 三八・四 三七・七 三七・五 三六・七 三七・二
 脈搏 一〇五  一一五  九二   九〇   九二   九三
 呼吸 二七   三〇   二四   二五   二四   二六

此の日高松宮家より西洋花の寄植を頂戴した。
 - 第57巻 p.729 -ページ画像 
○下略


中外商業新報 第一六四四〇号 昭和六年一一月九日 邦家を思ふ赤誠と明鏡止水の心境 渋沢子爵病床の述懐;経過頗る良好 ぐつと持ち直した渋沢子きのふの容体;高松宮家からお見舞ひ(DK570340k-0002)
第57巻 p.729-730 ページ画像

中外商業新報  第一六四四〇号 昭和六年一一月九日
    邦家を思ふ赤誠と
      明鏡止水の心境
        渋沢子爵病床の述懐
七日深更に至り渋沢老子爵の病勢頓みに険悪となつたが、八日午前に至つて別項の如く、ぐつともち直したので家人はやゝ愁眉を開いた、老子爵は秋陽うらゝかにさし込む十六畳敷洋館のベツドに静かに仰臥したまゝ、過ぎきし日を瞑想しながら、すこぶる元気で、午後零時半入沢博士の診察後、多数の見舞客があつたのを聞いて、長男の篤二氏を病床に招き、あたかも光栄ある一生を送りし偉人の最後とも見えるやうな言葉を次の如く語つた
 「帝国臣民として、また東京市民として不行届きながら御奉公申し上げてきたが、百歳を過ぎてもと思ひつゝも、こゝに病を得て誠に残念に思ふ、私がゐなくなつた後は財界の事をよろしく頼む、よしんば幽明境を異にするも、皆さんの御事業と御健康とがますます栄えんことをお祈りして止まない」
篤二氏は直ちに控へ室で容体を気遣ひながら待ちうけて居た見舞客に右の言葉を伝へたので、人々は、臨終近しと悟りて、なほ国家を思ふ子爵の言葉と明境止水の如き心境に一同襟を正して深く感動した
    経過頗る良好
      ぐつと持ち直した
        渋沢子きのふの容体
渋沢翁の病状は七日夜の急変に驚かされ、八日朝にかけて同邸は頓に緊張した空気を漂はせてゐたが、八日朝に至り平調に帰し、側近への談話の数も増し、正午、午後三時、午後六時の診察では、全く前夜来の憂ひは一掃されるに至つた、八日午後九時の林主治医の診察の容体は、体温三七度八、脈搏九六、呼吸二八で、右診察を終つて、林博士は語る
 「八時頃から少量の睡眠剤をあげたので、よく寝入つて居られる、午後九時の臨時診察の容体は今発表した通りである、何しろ昨日の今日であるから心臓はいくらか弱つてゐるが、寒気はない様であるまづまづ幸運な経過である、九日朝頃はいくらか持ち直されるであらう、一分間二グラムで三百グラムの人工営養点滴管の注腸は依然行はれてゐる、大腸の人工肛門による排便も非常によく、消化力も衰へてゐない、この分なら今晩は安心だから、私も一旦引揚げやうと思ふ
林博士も午後十時過ぎには帰宅し、邸内には新たに明るさが加はつたが、午前零時熟睡中の翁を宿直の佐伯・梅沢両医師が診察した容体は体温卅七度四、脈搏百、呼吸廿七で、強心剤を注射したが、営養やゝ不足の様に見受けられたと
    高松宮家から
    お見舞ひ
 - 第57巻 p.730 -ページ画像 
七日夜渋沢子爵重態に陥ると報導されたため、滝野川の邸には八日朝から見舞客相つぎ、高松宮家からは石川別当が殿下の御言葉を伝達し美しい西洋草花一鉢を下賜せられた、この日の見舞客の主なる人々は
 佐々木勇之助・石井健吾・西野恵之助・古河男・清水谷伯・郷誠之助男・後藤市蔵伯・鶴見祐輔夫妻・大川平三郎・鎌田栄吉・赤池濃大久保侯・河合皇后宮大夫・井上秀子・徳川実枝子等の諸名士の外朝鮮の渋沢といはれる朝鮮生命社長・漢城銀行頭取韓相竜氏の顔も見えた