デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

3部 身辺

14章 記念事業
節 [--]
款 [--] 1. 財団法人渋沢青淵翁記念会ノ事業
■綱文

第57巻 p.831-836(DK570366k) ページ画像

昭和8年11月11日(1933年)

是日、栄一ノ三回忌ニ当リ、当会ノ記念事業トシテ常盤橋公園内ニ建設セル、栄一ノ銅像除幕式挙行セラル。


■資料

渋沢青淵翁銅像除幕式次第 【(印刷物) 除幕式次第】(DK570366k-0001)
第57巻 p.831 ページ画像

渋沢青淵翁銅像除幕式次第       (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
    除幕式次第
          昭和八年十一月十一日午後二時三十分於常磐橋公園(日本銀行向河岸橋畔)
一 開式挨拶                  司会者         大橋新太郎殿
一 式辞                    記念会理事長   男爵 郷誠之助殿
一 工事経過報告                建設委員        西野恵之助殿
一 除幕                                渋沢雅英殿
                                 補道 朝倉文夫殿
一 祝辞                    来賓総代内務大臣 男爵 山本達雄殿
一 挨拶                    遺族総代     子爵 渋沢敬三殿
一 東京市ニ対シ銅像並建造物一式寄附目録贈呈  記念会理事長   男爵 郷誠之助殿
一 挨拶                    東京市長        牛塚虎太郎殿
一 閉式挨拶                  司会者         大橋新太郎殿


(財団法人渋沢青淵翁記念会) 第一回報告書 昭和八年度 自昭和八年一月一日至昭和八年十二月三十一日 第一―八頁 刊(DK570366k-0002)
第57巻 p.831-835 ページ画像

(財団法人渋沢青淵翁記念会) 第一回報告書 昭和八年度
             自昭和八年一月一日至昭和八年十二月三十一日  第一―八頁 刊
    銅像除幕式概況
渋沢青淵翁銅像除幕式ハ、昭和八年十一月十一日故翁ノ三回忌ヲ卜シ晩秋ノ細雨煙ル旧常盤橋門趾公園ニ於テ挙行セラレタリ。故翁ノ御一門ヲ始メ朝野ノ名士参列スルモノ七百名ニ上リ、式ハ午後二時三十分司会者大橋新太郎君ノ挨拶ニ始マリ、記念会理事長郷男爵ノ式辞、西野銅像建設委員ノ工事経過報告アリタル後、故翁ノ曾孫雅英君ノ手ニ依リ満場ノ拍手裡ニ除幕セラレ、翁ノ温容生ケルガ如ク中空ニ現出セリ、次テ来賓総代ノ祝辞、遺族総代ノ挨拶ニ引続キ、東京市ニ寄附ノ目録贈呈ヲ了シ、東京市長ノ挨拶、司会者ノ閉式挨拶ヲ以テ午後四時滞リナク終了セリ。式辞・祝詞・挨拶等左ノ如シ。

    開会ノ辞        司会者 大橋新太郎君
閣下並諸君、除幕式開会ノ御挨拶ヲ申上ゲマス。
予テ渋沢青淵翁記念会ノ事業トシテ計画致シマシタ故子爵ノ銅像モ各位ノ多大ノ御援助ノ下ニ竣工致シマシタノデ、玆ニ青淵翁三回忌ノ御命日ニ当ル本日ヲ卜シテ除幕式ヲ挙行スルコトニ致シマシタ。考ヘテ
 - 第57巻 p.832 -ページ画像 
見マスレバ、本日ハ世界大戦ノ平和克復記念日ニモ当リマスノデ、故子爵ガ御生前国際親善ニ最モ力ヲ尽クサレタコトニ鑑ミマスレバ、本日此式典ヲ挙クルコトハ一層意義ノアツタコトヽ存ジマス。然ル処御遺族ノ方々ヲ首メ朝野ニ於ケル代表的ノ各位ガ、御多忙中ヲ御繰合セ下サツテ、斯ク多数御臨席ヲ得マシタ事ハ、単ニ本会ノ名誉ノミニ止マリマセン、玆ニ厚ク御礼ヲ申上ゲマス。
尚此ノ銅像ト附属ノ諸設備一式ハ、本会ヨリ改メテ東京市ニ寄附シ、市民共有ノ公園トシテ永久ニ維持管理スルコトヲ東京市ニ御願スル次第デアリマシテ、除幕式ニ引続キ目録贈呈ヲ行ヒマス。
終リニ臨ミマシテ、故青淵先生ガ御危篤ノ折柄、財界ノ後進ニ対シマシテ『余ハ今病ヲ獲、遂ニ百歳ノ寿ヲ保チ国運ノ進展ニ竭ス能ハズ、国家益々多事ナラントスルノトキ諸君ノ奮励ヲ望ムコト甚ダ切ナリ、余ハ仮令幽明境ヲ異ニスルトモ、魂魄ハ永久ニ此ノ地上ニ留マツテ諸君ノ健康ト財界ノ隆昌トヲ護持セント欲ス』ト語ラレマシタコトヲ永ク記念致シ度イト存ジマス。
ソレデハ御手元ニ差上ゲテアリマス順序ニヨリ、只今カラ除幕式ヲ挙行致シマス。

    式辞    記念会理事長 男爵 郷誠之助君
故子爵渋沢青淵翁ノ銅像玆ニ完成シタルヲ以テ、翁ノ三回忌辰ヲ卜シ本日其ノ除幕ノ式典ヲ挙グ。
顧レバ今ヨリ五年前、翁ノ米寿ノ佳辰ニ丁リ、同志相謀リ翁ヲ請ジテ賀莚ヲ設ケタル際、記念事業トシテ寿像ヲ建設シ、翁ガ本邦ノ産業、財政救恤、教化其ノ他百般ノ事業ニ貢献セラレタル業績ヲ不朽ニ伝ヘムコトヲ決議シ、幸ニ朝野内外ノ甚大ナル賛助ヲ得、爾来着々事ノ進捗ヲ図リツヽアリシニ、天翁ニ年ヲ仮サズ、溘然トシテ幽明境ヲ隔ツルニ至リ、翁ノ生前工ノ成ルヲ見サリシハ寔ニ千載ノ恨事ナリ、今ヤ巨匠ノ霊腕ニヨリ翁ノ奕々タル風丯ヲ帝都核心ノ要地ニ髣髴トシテ相見ルヲ得ルハ、聊カ吾人ノ衷情ヲ慰ムニ足ラン。
翁ガ九十有二年ノ生涯ヲ通ジ国運ノ進展ノ為ニ寄与シタル豊功偉勲ニ関シテハ、既ニ世論ノ定マルアリ、翁ノ醇正敦厚ナル風格ハ実業人ノ典型トシテ世人ノ斉シク瞻仰スル所、是亦贅賛ヲ要セサルベシ、方今内外多端国歩艱難ヲ告クルノ秋、一世ヲ扶掖誘導スルコト翁ノ如キ偉大ナル先覚者ヲ渇仰憧憬スルノ情更ニ切ナルモノ有リ、此ノ時ニ当リ吾人後進ガ翁ヲ思慕スル熱誠自ラ凝ツテ此ノ鋳像トナリ、之ヲ翁ト関係深キ東京市民ニ贈ル所以ノモノハ決シテ偶然ニアラサルナリ、惟フニ此ノ像ヲ仰キ、生ケルガ如キ温容ニ接スル者、翁ノ事蹟ヲ追懐シ、翁ノ徳業ニ感激シテ、立志発憤君国ニ報効スルノ念ヲ新ニスルアラバ独リ吾人ノ喜ビノミニアラサルベシ、一言以テ式辞ト為ス。
  昭和八年十一月十一日
            財団法人渋沢青淵翁記念会
                理事長 男爵 郷誠之助

    工事経過報告      建設委員 西野恵之助君
 - 第57巻 p.833 -ページ画像 
私ハ銅像建設ニ関スル委員トシテ、玆ニ銅像ノ製作並ニ工事ノ概要ニ付御報告ヲ申上タイト存シマス、青淵翁ニ対スル建像ノ計劃ハ、昭和三年故子爵ノ米寿祝賀会ニテ寿像建設ノ決議ニ初マリマシテ、敷地ノ選定中、計ラズモ子爵ノ御長逝ニ遭遇シマシタガ、其後財団法人渋沢青淵翁記念会設立セラレマシテ、其事業ノ一トシテ銅像建設ヲ致スコトニナツタ次第デ御座リマス。而シテ幸ニ東京市ノ格別ノ御厚意デ、敷地トシテ市ノ中心地タル此常盤橋公園ノ御許可ヲ得マシタノデ、一昨年以来金拾万円ノ予算ヲ以テ設計ヲ進メ、前美術学校長正木氏ヲ顧問トシ、銅像ノ製作ハ東京美術学校教授朝倉氏ニ、工事ノ設計ハ田村林学博士並井下東京市公園課長ニ、諸工事ノ施行ハ合資会社清水組ニ又敷地ノ護岸工事及公園設備ハ東京市役所ニオ願致シマシテ、此ノ如ク出来上ツタ次第デ御座リマス、尚詳細ハ皆様ニ差上マシタ工事報告書ニアリマスカラ、夫ニ就テ御承知ヲ願ヒトウ御座リマス。終リニ本工事ニ付キ、設計及工事ヲ担当セラレマシタ正木・朝倉・田村・井下ノ諸氏、合資会社清水組及其現場関係ノ各位ガ献身的ニ御従事下サツタコト、並ニ東京市役所、殊ニ公園課並河川課ノ各位ガ一方ナラヌ御尽力賜ハツタコトヲ御報告申上ゲ、此機会ニ厚ク厚ク御礼ヲ申上ケタイト存シマス。簡略ナガラ此ヲ以テ報告ヲ終リマス。

    祝辞    来賓総代 内務大臣男爵 山本達雄君
一世ノ偉材子爵渋沢栄一君逝キテ玆ニ二年、邦家今稀ニ覯ルノ非常時ニ遭ヒ、挙国振張更生ノ途ニ邁進スベキノ秋、君ヲ思フノ情愈々切ナルモノアリ、君身ヲ維新草創ノ際ニ起シ、一意国家社会ヲ以テ念トシ力ヲ道徳風教ノ振作、経済産業ノ発達、教育文芸ノ興隆、社会事業ノ助長、労資ノ協調、国際ノ親善、世界平和ノ促進ニ竭クセルコト真ニ日モ亦足ラサルノ概アリ、君カ九十二年ノ全生涯ハ総テ是レ奉公報国ノ志業ニアラザルナク、身後猶其ノ邸宅庭園ヲ挙ケテ公共ノ用ニ供シ以テ生前ノ志望ヲ継続達成セムコトヲ遺嘱ス、生キテ朝野ノ重望ヲ負ヒ、死シテ後昆ノ景仰ヲ受クルハ固ヨリ其ノ所タリ、君ノ薨去ニ丁リテ畏クモ 聖誄ヲ賜ハル、余栄長ク且大ナリト謂フベシ、頃者同志胥謀リ資ヲ醵シテ君ノ銅像ヲ建ツ、寔ニ其ノ至情ニ出テタルヲ信ス、予君ト相識ルコト年久シク、今ニ於テ追憶ノ念転々禁スル能ハサルモノアリ、玆ニ除幕式ノ盛儀ニ臨ミ虔ンテ敬慕ノ忱ヲ表ス。
  昭和八年十一月十一日  内務大臣 男爵 山本達雄

    挨拶      遺族総代 子爵 渋沢敬三君
遺族総代ト致シマシテ一言御挨拶ヲ申上ゲタイト思ヒマス。今日ハ青淵翁記念会ノ事業ノ一トサレマシテ、祖父ノ銅像ヲ其三回忌ノ日ヲ機会ト致サレマシテ、玆ニ盛大ニオ開キ下サイマシタコトハ、吾々一同衷心カラ深ク深ク感佩致ストコロデゴザイマス。
先程理事長閣下カラノオ言葉ニモゴザイマシタ通リ、今マデノ間ニ此銅像ノ御建設ニ付キマシテハ多大ノ御配慮ヲ重ネラレマシタ次第デゴザイマス。只今除幕ニ依リマシテ、其銅像ガ斯クモ見事ニ出来マシタコトハ、吾々心カラ有難ク存ジマス。朝倉先生ノ御力作、又其周囲万
 - 第57巻 p.834 -ページ画像 
端ニ付テ田村先生・井下サン其他皆々様方ノ御努力ニ依リマシテ、稀ニ見ル程美シク且ツ簡素質実ニ出来マシタコトハ、吾々感謝ノ言葉ヲ見出スニ苦ムノデゴザイマス。只今除幕サレマシテ祖父ノ此銅像ヲ遺族トシテ眺メマスルトキニ、目ノアタリ活ケル故人ニ会フ心地ガ致シマス。吾々ハ心ノ内デハ無論ノ話デハゴザイマスケレドモ、更ニ斯ク形トシテ祖父ヲ此処ニオ掲ゲ下サイマシタ以上、遺族ト致シマシテハ将来誠心誠意国家社会ノ為ニ、例ヘソレガ如何ニ微力デアラウトモ、十二分ノ努力ヲ致シマシテ、皆様方ノ御好意ニ報イタイト存ジマス。又常ニ此処ヲ通リマシタトキニ、此銅像ヲ拝見致シマスト、常ニ将来ヲ戒メラレルヤウナ感ジガ致スノデゴザイマス。私ハ尚此席ニ馬越翁ガ若シオ出下サイマシタナラバ、サゾオ喜ビ下サイマシタラウトモ存ジマシテ、感慨ノ深イモノガゴザイマス。従来此銅像建設ニ対シマシテ又記念会ニ付キマシテ色々御奔走下サイマシタ幹部ノ方々ニ、又製作其他庶務万端ニ付キマシテ御努力ヲ願ヒマシタ方々ニ対シマシテ、遺族総代ト致シマシテ深甚ノ謝意ヲ表シタイト存ジマス。猶今日ハ特ニ大臣閣下御臨席ノ上、只今ノ如キ有難イ御祝辞ヲ賜リマシタコトヲ玆ニ改メテ有難ク御礼ヲ申上ゲマス。(拍手)

    挨拶        東京市長 牛塚虎太郎君
故渋沢子爵ノ銅像ガ竣工致シ、全ク活キテ居ラレルヤウナオ姿ヲ拝シマシテ、誠ニ感慨無量デアリマス。故子爵ノ、天下ノ子爵デアリ、世界ノ渋沢翁デアツタコトニ付キマシテハ、私何モ附加ヘル必要ヲ認メナイノデアリマスガ、唯一ツ東京市ノ為ニ大市民トシテオ尽シニナツタ点ニ付キマシテハ、私不思議ナ因縁ヲ以テ比較的前後ヲ通ジテ能ク諒承致シテ居ルト云ツテ宜イト考ヘルノデアリマス。ソレハ東京ニ対スル自治、東京ノ事業モ初ハ東京府ノ名ノ下ニ行ハレタモノデアリマスガ、後東京市政ノ進展ト共ニ東京市ノ名ノ下ニ行ハレタノデアリマス。而シテ故子爵ハ初メ東京府ノ名ノ下ニ行ハレタ時代ニ於キマシテ今日残ツテ居ルヤウナ大キナ事業ハ悉ク子爵ガ参画御指導ニ相成ツテ居ルノデゴザイマス。今日ノ東京府ノ庁舎ノ建築然リデアリマス。今日瓦斯会社ノ事業ニナツテ居ルアレガ初メ起ツタトキニハ、矢張渋沢子爵ノ手ヲ煩ハシテ居ルノデゴザイマス。其他枚挙スルニ遑アラヌ程デアリマスガ、後東京市ガ独立ノ一体トナリ、段々市政ガ進展ヲ致シマスト云フト、悉ク其事ニ就テ御参画ニ相成リマシタノデ、丁度曩ニ知事ノ経歴ヲ持チ、今現ニ市長ニナツテ居ル私ト致シマシテハ、前後ヲ通ジテ大市民トシテ市民ノ共存ノ為、共栄ノ為ニ誠ニ御尽力下サイマシタコトヲ能ク存ジテ居リマスノデ、特ニ感慨ノ深イモノガアリマス。而シテ此処ニ子爵ノ御指導ヲ受ケラレタ方トカ、今日子爵ノ御分身ノ如ク各方面ニ活動シテ居ラレル最モ有力ナル方々ガ相集ツテ銅像ヲ御建設ニナリマシテ、之ヲ市ヘ御寄附ニナツタノデアリマスカラ、之ヲ私謹ンデオ受ヲ致シマシテ、努テ御趣旨ニ添フヤウニ之ヲ維持・管理・保存ヲ致シマシテ、サウシテ此大市民タル渋沢翁ヲ仰ギ、五百万市民ヲシテ充分ニ自治共存ノ為ニ努力致シマスヤウニオ手本トシテ之ヲ保存シテ行キタイト考ヘマス。一言所感ヲ申上ゲマシテ私ノ御挨
 - 第57巻 p.835 -ページ画像 
拶ト致シマス。(拍手)


渋沢青淵翁銅像建設経過並工事概要 【(印刷物) 渋沢青淵翁銅像建設経過並工事概要】(DK570366k-0003)
第57巻 p.835-836 ページ画像

渋沢青淵翁銅像建設経過並工事概要  (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
    渋沢青淵翁銅像建設経過並工事概要
                   財団法人渋沢青淵翁記念会
一沿革    故子爵渋沢青淵翁銅像建設ノ計画ハ、昭和三年十月一日帝国劇場ニ於テ翁ノ米寿祝賀会開催ノ際寿像ヲ建設シテ翁ノ事績ヲ永久ニ記念セントノ決議アリタルニ始リ、之ガ為同月日本工業倶楽部ニ発起人協議会ヲ開催シ、井上準之助氏ヲ委員長ニ(井上氏入閣ノ後郷男爵之ニ代ル)男爵郷誠之助氏・男爵中島久万吉氏・大橋新太郎氏・西野恵之助氏・佐々木勇之助氏・矢野恒太氏ヲ委員ニ推シ、之ニ一切ノ計画ヲ依嘱シタリ、委員会ハ前美術学校長正木直彦氏ヲ顧問トシ、坂本公園・浜町公園・大塚公園・日比谷公園・常盤橋門趾等ニ付慎重比較研究ヲ重ネタル結果、昭和六年七月旧常盤橋門趾公園予定地ヲ建設敷地ト定メ、東京市ニ出願シテ其許可ヲ得タリ、同年十一月十一日翁ノ薨去ニ遭遇シタルモ、其ノ後故子爵ノ遺業ヲ追慕顕彰スル趣旨ニ依リ財団法人渋沢青淵翁記念会ノ設立セラルヽアリ、同会ハ其ノ事業ノ一トシテ前計画ヲ承継シ、西野恵之助氏ヲ銅像建設委員ニ挙ゲ、以下各項ニ準拠シテ工事ヲ進メ玆ニ建設ノ事業ヲ果スヲ得タリ
一敷地    旧常盤橋門趾石塁ヲ囲ル一帯ノ地面積九百九拾九坪ヲ敷地トシ、東南部約弐百七拾坪ヲ銅像及其附属設備ノ建設場所ニ当ツ
一銅像    高十二尺(地上ヨリ高二十九尺)
一台座及附属建造物
       イ、様式 近世式
       ロ、前壇 露壇前面ヨリ外濠護岸ニ沿ヒ幅九尺、高弐尺、延長百弐拾弐尺ノ前壇ヲ設ケ、内、外濠沿ヒノ六拾弐尺ノ部分ニ藤棚及固定腰掛ケヲ設備ス
       ハ、露壇 方参拾五尺高四尺トシ、床上高参尺壱寸ノ檣壁ヲ囲ラス
       ニ、台座 基壇方拾四尺、竿石方五尺、全高露壇上拾参尺トス
       ホ、題字 台座前面「青淵渋沢栄一」ノ文字ハ故子爵ノ筆蹟ニシテ、裏面ノ「昭和八年十一月十一日財団法人渋沢青淵翁記念会建之」ノ文字ハ男爵中島久万吉氏ノ揮毫ニ係ル
       ヘ、泉池 前面広場ニ直径弐拾弐尺ノ泉池ヲ設ケ、中央高七尺ニ噴泉口ヲ置ク
       ト、附属設備 周囲ニ植樹帯及照明灯ヲ設ク
 - 第57巻 p.836 -ページ画像 
       チ、使用石材 岡山県産出竜王万成石
一公園設備  旧常盤橋ニ通ズル中央ハ広場トシ、周囲ニ適宜植樹帯ヲ設ケ、水呑場・園丁詰所及手洗所ヲ設ク
       道路沿ヒニハ「コンクリート」造人造石小叩仕上地覆上ニ鉄柵ヲ建ツ
一工事関係者 銅像製作 東京美術学校教授 朝倉文夫
       設計監督 林学博士 田村剛
       施工 合資会社 清水組
一工程    起工 昭和八年五月十日
       地鎮祭 同年七月十一日
       竣工 同年十一月九日
一建設者   財団法人渋沢青淵翁記念会
   理事長 男爵 郷誠之助
   常務理事   大橋新太郎   佐々木勇之助
   理事     石井健吾    西野恵之助
          堀越善重郎   渡辺得男
       男爵 中島久万吉   阿部房次郎
          膳桂之助
   監事     服部金太郎   矢野恒太
          植村澄三郎
   ○右銅像ハ、第二次世界大戦中銅鉄資源トシテ供出セラレ、台座ノミ残存セル処、戦後、有志ノ発起ニヨリ、原型ニヨツテ改鋳ノ上、原位置ニ再建セラレ、昭和三十年十一月十一日、其除幕式挙行セラル。


財団法人渋沢青淵翁記念会関係書類 【(印刷物) 拝啓 昭和九年一月廿九日午後三時ヨリ日本工業倶楽部ニ於テ、財団法人渋沢青淵翁記念会評議員会ヲ開ク…】(DK570366k-0004)
第57巻 p.836 ページ画像

財団法人渋沢青淵翁記念会関係書類     (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
拝啓 昭和九年一月廿九日午後三時ヨリ日本工業倶楽部ニ於テ、財団法人渋沢青淵翁記念会評議員会ヲ開ク、出席員拾八名ニシテ、目的事項タル議案第一昭和八年度事務報告、議案第二回決算報告、議案第三同十二月末日貸借対照表・財産目録、議案第四昭和九年度予算ハ別冊 ○略スノ通リ一括承認可決相成、議案第五評議員会長互選ノ件ハ、互選ノ結果男爵郷誠之助当選相成散会致シ候、此段御報告申上候 敬具
  昭和九年二月       財団法人渋沢青淵翁記念会
                理事長 男爵 郷誠之助
    賛助員各位