デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

3部 身辺

14章 記念事業
節 [--]
款 [--] 2. 渋沢青淵先生頌徳碑
■綱文

第57巻 p.855-863(DK570369k) ページ画像

昭和8年12月11日(1933年)

是日、渋沢青淵翁記念碑建設会ニヨリ、京城府奨忠壇公園内ニ建設セラレタル、栄一ノ頌徳碑除幕式挙行セラル。


■資料

子爵渋沢青淵先生頌徳碑建設事業報告書 渋沢青淵翁記念碑建設会編 第一―二四頁 (昭和八年一二月)刊(DK570369k-0001)
第57巻 p.855-860 ページ画像

子爵渋沢青淵先生頌徳碑建設事業報告書 渋沢青淵翁記念碑建設会編
                     第一―二四頁 (昭和八年一二月)刊
    子爵渋沢青淵先生頌徳碑建設事業報告書
子爵渋沢青淵先生ノ徳風ヲ景仰スルト共ニ、特ニ朝鮮ニ貽サレタル偉業ヲ永遠ニ記念スル為メ頌徳碑ノ建設ヲ企画シ、先生ニ縁故ヲ有セラルル篤志各位ノ賛助ヲ得テ、昭和八年七月十三日起工、同年十二月五日竣工セリ
一 位置
  京城府奨忠壇公園内 六百五十五坪(京城府ヨリ借受)
二 工事ノ概要
 (イ) 碑身 高七尺、幅三尺、厚二尺
     忠清南道保寧郡藍浦面産烏石、表面ニ「渋沢青淵先生頌徳碑」裏面ニハ上部ニ御沙汰書、其ノ下部ニ先生ノ功績ヲ銘記ス
 (ロ) 碑閣 高サ地盤ヨリ十八尺、幅六尺、奥行四尺
     総体花崗石、基壇ハ二重、壇上四隅ニ径一尺八寸ノ四天柱ヲ立テ屋根ヲ冠ス、又周囲ニ玉垣、正面及側面ノ三ケ所ニ階段ヲ附シ、石柱上ニハ狛犬ヲ配ス
 (ハ) 碑面
     経学院大提学鄭万朝氏撰シ、崇禄大夫前判敦寧院事尹用求氏書ス
 (ニ) 境内植樹
 (ホ) 玉垣周囲鉄柵
 (ヘ) 設計及監督者
     小川敬吉氏・浅川伯教氏
 (ト) 工事施工者
     碑閣 合資会社清水組京城支店
     碑身 株式会社朝鮮美術品製作所
 (チ) 工事ノ起工及竣工
     昭和八年七月十三日起工、同年十二月五日竣工
三 総経費
 - 第57巻 p.856 -ページ画像 
  受入
                          円
   寄附金              二〇、一三四・九〇
   利息                  一一三・八九
     計              二〇、二四八・七九
  支払
   建設費              一五、一六〇・七七
   地鎮祭及除幕式費          二、〇四二・〇八
   通信費・印刷費・事務費及雑費      六八九・五二
   維持費(京城府ヘ寄附)       二、〇〇〇・〇〇
   渋沢青淵翁関係社会事業寄附金      三五六・四二
     計              二〇、二四八・七九
四 除幕式
  昭和八年十二月十一日除幕式開催、宇垣朝鮮総督閣下・渋沢子爵閣下初メ多数官民諸名士ノ臨席アリ、発起人工事関係者等参集盛大ニ挙行セリ
五 建設物京城府ヘ引継
  頌徳碑其他ノ建造物ハ一切ヲ京城府ノ所管ニ移ス為メ同府尹ヘ引継ヲ為スト共ニ、之カ維持費トシテ金弐千円ヲ寄附シタリ

    渋沢青淵翁記念碑建設趣意書
青淵子爵渋沢栄一翁カ其ノ九十二年ニ亘ル永キ生涯ヲ通シ、円満ナル人格ト高邁ナル識見ト絶倫ノ精力トヲ以テ明治・大正・昭和ノ三代ニ跨リ、我国家社会ノ幸福ト繁栄トノ為ニ奉公ノ至誠ヲ致サレタルコトハ夙ニ世ノ知ル所ニシテ、就中翁カ全幅ノ努力ヲ捧ケテ経済産業ノ発達ト道徳風教ノ振作並ニ社会事業ノ助成トニ終始シ、尚進ンテ国際間ノ親善ニ貢献セラレタル偉績ハ内外ノ斉シク瞻仰スル所ナリ
斯ノ如キ広範囲ニ亘ル翁ノ遺業ハ、独リ内地ニ止ラス、朝鮮ニ於テモ亦、夙ニ明治十一年翁ノ経営ニ係ル第一銀行ノ支店ヲ創設シテ半島ニ於ケル金融ノ疏通ヲ図リ、銀行業ノ発達ト財政幣制ノ確立ニ寄与スル所多ク、又明治三十二年当時外人ノ建設ニ依ル京仁鉄道ノ譲渡、次テ京釜鉄道ノ敷設ニ関シ幾多ノ困難ニ遭遇シツツ日韓朝野ノ間ニ苦心奔走ノ労ヲ取リ、遂ニ之ヲ成就セシメラレタルカ如キ、未タ世人ノ記憶ニ新タナル所ニシテ、其ノ他鉱山・農業ノ開発、瓦斯電気事業ノ創設等各般ノ方面ニ於テ半島ノ産業・経済・文化ノ発展ニ貢献セラレタル所頗ル大ナリトス、顧レハ翁逝イテ玆ニ一年有半、我朝鮮ニモ翁ノ名ヲ不朽ニ伝ヘ、半島民衆ノ亀鑑トシテ永遠ニ其ノ感化ヲ享ケシムル為下名等相謀リ記念碑ノ建設ヲ図ラントス、今ヤ帝国ハ内外多事、国歩艱難ノ秋、翁ノ如キ醇正忠厚ナル偉人ノ遺風ヲ偲ヒ、其ノ徳業ヲ称フルハ極メテ有意義ノ業ナルヲ信ス、仍テ汎ク有志各位ノ協力ニ俟チ、本計画ノ完成ヲ期セントス、冀クハ奮ツテ賛同アランコトヲ
  昭和八年五月 日
          発起人
            今井田清徳   林茂樹
            朴泳孝     迫間房太郎
 - 第57巻 p.857 -ページ画像 
            井上清     新田留次郎
            飯泉幹太    朴栄喆
            尹致昊     朴承稷
            白完爀     張弘植
            林繁蔵     張憲植
            李允用     山口太兵衛
            柳正秀     前田昇
            劉銓      松本誠
            加藤敬三郎   松井民次郎
            香椎源太郎   松原純一
            賀田直治    藤井寛太郎
            韓相竜     古城菅堂
            韓翼教     有賀光豊
            吉田浩     浅川真砂
            吉田秀次郎   金漢奎
            田淵勲     金〓洙
            武者錬三    金用集
            篠田治策    申錫麟
            志岐信太郎   閔大植
            進辰馬     森悟一
      要項
一 金額    (募集総額金弐万円見当「後ニ訂正」)
一 寄附締切日 昭和八年七月末日
一 送金先   京城府寛勲洞一一八番地朝鮮実業倶楽部内
         渋沢青淵翁記念碑建設会
         会計理事 武者錬三(振替京城二一、二一七番)
一 建設場所  評議員ニ一任ノコト
一 建碑ノ時期 昭和八年十一月ノ予定
一 建碑ノ方法 評議員ニ一任ノコト
      渋沢青淵翁記念碑建設会会則
        第一章 名称及事務所
第一条 本会ハ渋沢青淵翁記念碑建設会ト称ス
第二条 本会ノ事務所ハ京城府寛勲洞一一八朝鮮実業倶楽部内ニ置ク
        第二章 目的
第三条 本会ハ故青淵子爵渋沢栄一翁ノ遺業徳風ヲ永遠ニ記念スル為メ記念碑ヲ建設スルヲ以テ目的トス
        第三章 資金
第四条 本会ノ資金ハ一般篤志者ノ寄附ニ依ルモノトス
        第四章 役員
第五条 本会ニ左ノ役員ヲ置ク
 一 会長   一名
 一 理事   若干名
 一 評議員  若干名
 一 幹事   若干名
 - 第57巻 p.858 -ページ画像 
第六条 会長ハ本会ヲ代表シ本会ノ事務ヲ総理ス
 理事ハ理事会ヲ組織シ本会ノ常務ヲ処理ス
 評議員ハ会長ノ諮問ニ応シ重要ナル事項ヲ協議ス
 幹事ハ会長ノ指揮ヲ承ケ本会ノ事務ヲ執行ス
        第五章 部署
第七条 本会ノ事業ヲ遂行スル為メ左ノ部署ヲ置ク
 一 庶務部
 一 会計部
 一 建設部
第八条 庶務部ハ会議其ノ他一般事務ヲ、会計部ハ資金ノ出納其ノ他一般経理事務ヲ、建設部ハ記念碑ノ設計建設ヲ掌理ス
        第六章 解散
第九条 本会ハ本会ノ目的ヲ達成シタルトキハ之ヲ解散ス
 本会解散ノ場合資金ニ剰余アルトキハ本会ノ目的ト同一又ハ類似ノ事業ノ為メ之ヲ処分スルモノトス
  (役員)
    会長     李允用
    理事     韓相竜
    同      朴栄喆
    同      張憲植
    同  会計部 武者錬三
    同  庶務部 松原純一
    同      申錫麟
    同  建設部 森悟一
    同      進辰雄
    幹事     橋本茂雄
    同      張弘植
    同      韓翼教
    同      青柳新三郎
    同      森秀雄
    同      河口弥七
    除幕式状況
昭和八年十二月十一日午後二時ヲ期シテ渋沢青淵先生頌徳碑除幕式カ挙行セラレタ
○中略
      式辞
本日玆ニ青淵渋沢先生ノ頌徳碑除幕式ヲ挙行スルニアタリ、閣下並各位ノ多数参列ヲ辱フシマシタ事ハ洵ニ感謝ニ堪ヘマセン。
故先生ハ人ト為リ人格円満、見識高邁其卓越セル手腕ヲ以テ我国財界ノ先達トナリ、一方国民外交家トシテ将又社会事業トシテアラユル方面ニ奉公ノ至誠ヲ尽シ、九十二年ノ永キニ亘リ終始一貫セラレマシタ事ハ玆ニ喋々スルマテモナク、普ク世ノ瞻仰スルトコロテアリマス。翻ツテ我朝鮮ニ於ケル先生ノ偉業ヲ見ルニ、明治十一年ニハ早クモ其ノ経営ニ係ル第一銀行ノ支店ヲ創設シテ、半島ニ於ケル金融ノ疏通ト
 - 第57巻 p.859 -ページ画像 
銀行業ノ発達トニ貢献セラルルト共ニ、爾来其ノ財政並幣制ノ確立ニ寄与セラレ、又今日半島交通上ノ基幹タル京釜鉄道ノ敷設ニ関シテハ幾多ノ困難ヲ排シテ日韓朝野ノ間ニ斡旋是レ勗メ、遂ニ之ヲ成就セラレタルカ如キハ顕著ナル事例テアリマス。
尚先生ハ常ニ朝鮮ノ開発ヲ念トセラレ、深厚ナル同情ト周密ナル指導トヲ賜ハリ、終始渝ラナカツタノテアリマス。
半島ノ今日アリ、其ノ経済界カ著シキ進展ヲ見ツツアリマスルコトハ実ニ先生ノ賜テアリマス。
真ニ先生ハ、我朝鮮ニトリテモ一大恩人テアリマス。
先生逝イテ既ニ二年、今ヤ内外トモニ多事多端ノ秋、世ハ益先生ノ如キ人格手腕ヲ兼備スル人物ヲ必要ト致シテ居リマシテ、今更哀惜欽慕措ク能ハス、玆ニ一碑ヲ設ケテ先生ノ偉功ヲ勒シ、鴻恩ノ万一ニ酬ヒ其ノ名ヲ千載ニ伝ヘテ、永ク先生ノ遺徳ヲ偲ハントスル所以テアリマス。
一言以テ式辞ト致シマス。
  昭和八年十二月十一日  渋沢青淵翁記念碑建設会会長
                   男爵 李允用
      祝辞
故正二位勲一等子爵渋沢栄一閣下夙ニ高邁ノ資ヲ以テ経世済民ノ志ヲ抱キ、少壮ヨリ世ニ出テ、或ハ官場ニ、或ハ民間ニ、往クトシテ可ナラサルナク、旧幕末ヲ経テ、更ニ明治・大正・昭和ノ三代ニ跨リ至誠一貫、国家社会ノ繁栄ニ力ヲ効シ、殊ニ経済産業ノ発達及道徳教育ノ興起並ニ社会事業ノ助成ニ寄与シ、又進ミテ支那・米国ヲ首メ爾余各国トノ国際的親善ニ貢献セラレタル偉功ハ世人ノ倶ニ瞻ル所ナリ、而シテ我カ朝鮮ニ在リテモ亦閣下畢生ノ事業タル第一銀行ノ支店ヲ早クモ明治十一年韓国釜山ニ開設シテ、爾来半島銀行業ノ発達ト財政幣制ノ確立トニ寄与セラレタル所甚大ナルノミナラス、当時外人経営ニ係ル京仁鉄道ノ譲受ケ、乃至京釜鉄道ノ敷設ハ勿論、鉱業及農業ノ開発電気瓦斯事業ノ創始等其ノ効績顕著ニシテ欽仰措カサル所ナリ、閣下一昨冬九十二歳ノ高齢ヲ以テ逝去セラルルヤ、疆内有志者相謀リ広ク浄財ヲ内鮮各地ニ醵集シ、閣下ノ記念碑ヲ京城奨忠壇ニ建設シ、玆ニ之カ除幕式ヲ挙行セラル、方今世相錯雑、時局重大、偉人ノ徳業風格ヲ欽仰スルコト愈々切ナルノ秋ニ当リ、本企画ノ極メテ有意義ナルヲ知リ、只管一般人士ノ閣下遺徳ニ私淑スル所アランコトヲ望ム
一言所懐ヲ述ヘ以テ祝辞ト為ス
  昭和八年十二月十一日     朝鮮総督 宇垣一成
      祝辞
渋沢青淵先生頌徳碑今ヤ建設ノ功竣リ、本日ヲ卜シテ除幕ノ式ヲ挙行セラル、惟フニ先生ノ高風清節ハ燦トシテ中外ノ等シク景仰スル所ナリ、今玆ニ建碑成リ必スヤ後世国民道徳ノ振興ニ将タ経済ノ発展ニ寄与スル所多カルヘク、緬想追慕一層切ナルモノアルヲ覚ユ、敢テ祝ス
  昭和八年十二月十一日       侯爵 朴泳孝
      祝辞
子爵渋沢青淵翁頌徳碑建設其功ヲ竣ヘ本日ヲ以テ除幕式ヲ挙行セラレ
 - 第57巻 p.860 -ページ画像 
我等幸ニ之ニ参列スルノ栄ヲ荷ヒ、感激深キモノアルヲ感ス、惟フニ翁ハ正ニ我邦実業界ノ太陽タリ、我邦ノ実業カ皆暉々タル、翁ノ光ニ照サレテ暢育シタルモノナルコトハ中外ノ斉シク認識スル所ナリ、而カモ其ノ事功ノ赫灼タルノミナラス、其ノ徳行並ニ其ノ人格ニ於テ克ク後進ヲ薫化シ、世界ヲ光被スル所多シ、加フルニ翁ノ経済・道徳調和ノ大精神ハ進ンテ社会事業並ニ国際親善ノ上ニ活動シ、幾多ノ恩沢ヲ現代ニ霑洽シ、今尚ホ後人ヲシテ追慕措ク能ハサラシムルモノアルヲ感セシム
殊ニ翁ハ我朝鮮実業界ノ草茫時代ニ於テ夙ク或ハ幣制確立ニ、或ハ銀行創始ニ、或ハ鉄道布設ニ、或ハ瓦斯電気事業建設ニ、或ハ土地経営ニ、或ハ金鉱助長ニ、其ノ絶代ノ卓越セル実力ヲ以テ至誠至仁能ク其ノ基ヲ開キ、永ク後世ニ貫クノ偉績ヲ樹ツ
今ヤ南山寿松影静ナルノ境、翁追慕ノ人ノ手ニ謝恩ノ碑ヲ建テ、長ヘニ其ノ功徳ヲ欽スルコト又以ヘアル哉、是レ正ニ永遠ニ世道人心ヲ照ラスノ光明碑タルヲ感ス
聊カ所懐ヲ陳テ祝辞ト為ス
  昭和八年十二月十一日    京城商工会議所
                   会頭 賀田直治
      府尹挨拶
歴史的ノ偉人、国家社会ニ功労アル人々ノ銅像又ハ記念碑等ヲ建テ、ソノ効績及事業ヲ永久ニ記念スルコトハ国民ノ士気ヲ鼓舞シ、国民生活ノ基調ヲ表示スルモノニシテ、社会徳教ノ上ニ多大ナル効果ヲ齎ラスモノナルコトハ今更言ヲ俟タス、今回京城ニ於ケル有志ノ協力ニ依リ、我国ノ功臣、我等ノ敬仰措ク能ハサル偉人青淵子爵渋沢栄一翁ノ頌徳記念碑ヲ名モ奨忠ノ公園常盤木繁ル中ニ建設シ、本日玆ニソノ除幕式ヲ挙行セラル、洵ニ慶祝ニ禁ヘサル所ナリ
惟フニ我国ハ明治維新以来国勢駸々トシテ進ミ、今ヤ世界一大強国トナリタリ、コレモトヨリ済々多士ノ功ニ待ツコト多シト雖モ、其ノ一代ノ事業別ニ独特ノ天地ヲ開拓シ、我邦産業ノ発展ニ一新紀元ヲ劃シ更ニ時勢ノ推移ニ伴フテ各種ノ社会的事業ニ参劃シ、国利民福ノ進歩ニ貢献シタル者ニ至ツテハ、実ニ子爵青淵翁ヲ推シテ第一人トナササルヘカラス、而シテ又其ノ功業勲績偉大ニシテ、恵沢ノ生活ニ洽ク、特ニ我朝鮮ニ及フコト世人悉ク之ヲ認ムル所ナリ
今ヤ我国ハ内外多事未曾有ノ時艱ニ遭遇セリ、此ノ時ニ方リ明治・大正・昭和ノ三朝ニ亘リ財界ノ重鎮トナリ、社会ノ泰斗トシテ欽慕セラルル青淵翁ノ如キ偉人ノ遺風徳業ヲ不朽ニ伝ヘ、半島民衆ノ亀鑑トシテ永遠ニソノ徳化ヲ受ケシムルハ、洵ニ時機恰当ノ施措ニシテ、記念碑建設会ニ対シ深甚ナル敬意ト多大ノ感謝ノ意ヲ表スモノナリ
而シテ、只今同記念碑建設会長ヨリ此ノ意義深キ記念碑ニ特ニ維持費ヲ添ヘ、コレヲ京城府ニ寄贈セラレタリ、、府ハ同会ノ特篤ナル美挙ニ対シ衷心感謝ノ意ヲ表スルト共ニ、コノ記念碑建設ノ目的ニ副フヘク永遠ニコレヲ保管シ、府民教化ノ指導精神タラシメルコトヲ期スルモノナリ、以上所懐ノ一端ヲ述ヘテ挨拶ニ代フ
  昭和八年十二月十一日     京城府尹 伊達四雄
 - 第57巻 p.861 -ページ画像 


竜門雑誌 第五四三号・第一二六―一二八頁 昭和八年一二月 青淵先生頌徳碑除幕式(DK570369k-0002)
第57巻 p.861-862 ページ画像

竜門雑誌  第五四三号・第一二六―一二八頁 昭和八年一二月
    青淵先生頌徳碑除幕式
 昭和八年十二月十一日午後二時を期して、渋沢青淵先生の頌徳碑除幕式が挙行せられた。場所は京城府奨忠壇公園内林間の小丘に位し、松の翠色弥々深く、辺りには掬すべき清流あり、又時に小鳥の声さへ聞ゆる等、絶好なる景勝の地である。此の日、朝来初冬の風肌に薄寒かりしも、一天拭ふが如く霽れ渡り、神人共に先生の遺徳を偲び、此の盛事を寿ぐの感あり。
 式場は前日来清掃せられ、碑閣は純白の垂幕によりて蔽はれ、通路には玉砂利を布き正面階段前両側には来賓席・遺族席・発起人席、其の下段に休憩席又別に祝宴場を設くる等絢爛の美はなきも、極めて瀟洒なる趣向によりて設備せられ、碑前には篝火型盛花を立てられた。
 午後二時を告ぐるや、来賓宇垣朝鮮総督閣下を始め、軍部の将領、総督府局課長、道知事、府尹代理、商工会議所会頭、道会議員、府会議員等の公職者、銀行会社首脳者、地方名士、又遺族側としては故先生の令孫にして嗣子たる渋沢子爵閣下、穂積真六郎氏同令夫人、尾高朝雄氏同令夫人・令嬢等、其の他発起人側を合せて二百廿五名参集、爆竹を合図に着席せり。
 斯くして式は開始せられた。
 先づ司会者韓相竜氏慇懃なる態度を以て、之より除幕式を挙行すべき旨の開式挨拶を述べたるに次いで、予ねて高齢に加ふるに常に病褥に在る会長李允用男爵は、此の日会長としての重任を果すべく病躯を押して参列あり、張弘植氏に式辞を代読せしめらる。然も男爵の故先生を偲ぶの心事は敬虔なる態度に依りても深く想像せらるゝものがあつた。引続き建設部理事森悟一氏進みて、工事報告に代ゆるに印刷物を以てする旨を述べ、愈々参列者一同渇仰の的となれる除幕に入る。
 玄孫に当る尾高都茂子嬢徐ろに蓮歩を運び碑前に進むや、垂幕はひらひらと揺曳して相迎ふるものゝ如く、万籟は忽ち声を潜め、心臓の鼓動も亦止まんかと思はるゝ刹那、幕は可憐無心なる令嬢の手に依りて、さつと切て落された。此の瞬間は満場全く無我の境地であつた。
 仰げば東洋古美術の復活式とも称すべき朝鮮式を、更に現代化したる碑閣、烏石の碑、玉垣に配せられたる狛犬は夕陽に輝きつゝ、清楚なる全貌を現はした。碑面の大文字は「渋沢青淵先生頌徳碑」と刻され、崇高の瑞気昇天するの概があつた。余栄としては京城府に一の名勝を増し、又碑閣の様式は恐らく後世建碑史上に一新機軸を劃せるものと思はる。又松の梢を隠見して、維新の元勲伊藤公爵の霊を祭れる博文寺大屋根の甍と、相対して屹立せるも亦何等かの因縁ならむか。
 次いで宇垣朝鮮総督閣下、商工会議所会頭賀田直治氏及侯爵朴泳孝閣下(張憲植氏代読)何れも祝辞の朗読あり。
 これに対して渋沢子爵閣下は遺族一同を代表せられ、謙譲なる表情を以て「祖父の細さやかなる努力に対して難有御言葉を拝し、加之建碑までして戴きまして、万謝唯感激あるのみであります」と挨拶せらる。閣下の容貌態度の、故先生の壮時に彷彿せるものあるを見て、一
 - 第57巻 p.862 -ページ画像 
同追慕の情を新にせり。
 斯くて建設会会長李男爵閣下は、本建造物一切を京城府の所管に移し度き希望を以て府尹伊達四雄氏(代理)に目録を贈呈したるに対し府尹伊達四雄氏(代理)は、永く保存の責を尽し、期待に背かざる旨の挨拶を為す。次いで施工者清水組京城支店並に朝鮮美術品製作所が熱心施工に当られ、所期の完成を遂げられたる労を多とし、会長李男爵閣下より夫々感謝状を贈呈せられ、司会者韓相竜氏閉会の旨を述べ一同祝宴場に移る。来賓は各々思ひ思ひに碑の四囲より、其の精巧なる出来栄を観賞し、順次右側に設けられたる祝宴場に入つた。
 会場は周囲を紅白の幔幕を以て廻らし、中央にはストーブ数基を据ゑ、野宴とは思へざる周到の用意を尽されてある。一同着席するや、先づ司会者立つて今回の企てが極めて順調に滞りなく完了し、本日閣下並に各位を迎へ除幕式を挙げ得たることは、一に来賓各位の御後援に依るものにして、関係者一同衷心より謝意を表する旨の挨拶を述ぶるや、之に対し宇垣総督来賓を代表して、関係者に対し建設中の労苦を犒ひ、其の出来栄は推賞に値する旨の挨拶あり。次て一同鮮産の酒肴に美味を賞し、午後三時散会した。(第一銀行京城支店発)


竜門雑誌 第五四三号・巻頭写真 昭和八年一二月 ○青淵先生頌徳碑(其の二) 裏面に刻されたる碑文(DK570369k-0003)
第57巻 p.862-863 ページ画像

竜門雑誌  第五四三号・巻頭写真 昭和八年一二月
    ○青淵先生頌徳碑(其の二)
      裏面に刻されたる碑文
自古功著国家沢被生民者必拠公侯之貴握将相之権而後能之而有以匹夫辞官界而其事業能為為公侯将相者之所弗能為者僂指古今有一人焉故子爵渋沢青淵先生是耳先生諱栄一青淵号也考市郎右衛門天保十一年庚子二月十三日生於武蔵国之血洗島少助父為製藍業時幕府末運海内多事遂感於時勢離郷入京仕于一橋慶喜卿整財政編農兵制及卿為征夷大将軍随入幕府尋従将軍親弟清水民部大輔渡仏国歴詧欧洲文物制度乃大覚悟慨然以打破官尊民卑及合本組織為志及帰国始営商法会所常平倉尋徴為大蔵省租税正進至大丞与台閣議事不合去刱第一国立銀行自是国中諸銀行及公私協会大小学校或為長或膺顧問者為数百余又用意於海外諸国巡遊窮遠以敦交際尤於米与支那致力多所施設以図永遠親善至於朝鮮最為著目費神自歳戊寅始設銀行支店於釜山継設於元山仁川京城諸処時海関税約成管其事務至乙巳当整理貨幣得発銀行券之特権券面印其肖像為久紀念也及韓国銀行立挙其特権而譲与之先是買得京仁鉄道敷設権於外人又創京釜鉄道皆合資而竣工刱瓦斯会社仍買収電気事業於外人而以旺其業継有興業倉庫拓殖金鉱等株式会社以奨農工而潤民産融財政而裕国計凡公工社会靡弗尽力而其経済施設之労指道誘掖之化懇眷同和之義開発成就之功所以家尸戸祝而弗忘也庚子以茂績列華族授男爵庚申陞子爵累進至従二位勲一等旭日桐花章辛未病〓進授正二位以十一月十一日卒寿九十二 帝悼之𨹓十行隠卒至矣尽矣嗚虖若先生古所謂生栄死哀者也粤二年追思者立石以銘曰
博施済衆聖猶病諸津梁丈六仏亦疲於偉哉淵翁環顧莫如維国維民貨不自居位正二尊寿望百余天褒隆隆以永終誉恵遍槿域追惟霑裾斲珉紀美万不一書
 - 第57巻 p.863 -ページ画像 
  昭和八年十一月 日  経学院大提学 鄭万朝撰
         崇禄大夫前判敦寧院事 尹用求書