デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

3部 身辺

15章 雑資料
節 [--]
款 [--] 1. 自動車事故ニヨル負傷
■綱文

第57巻 p.869-870(DK570373k) ページ画像

明治45年7月2日(1912年)

是日栄一、駿河台下ニ於テ、乗用車ノ事故ニヨリ、顔面ニ軽傷ヲ負フ。


■資料

(芝崎確次郎) 日記 明治四五年(DK570373k-0001)
第57巻 p.869 ページ画像

(芝崎確次郎) 日記  明治四五年   (芝崎猪根吉氏所蔵)
七月二日
夜九時半頃飛鳥山男爵高田商会招宴ヨリ御帰途、小川町東明館附近にて、殊ニ雨中ナリ、自動車転覆、為メニ御怪我、右ノ眼ノ上方疵出来御手当相成候、午後二時頃御帰館相成候《(前)》
七月三日 雲
例刻出勤候事
昨夜飛鳥山君公御怪我被成候よし承り、電話にて不取敢御見舞申上候
○下略
七月四日 半晴
今朝飛鳥山邸出頭、君公御負傷御見舞申上候事、朝来訪問者多ニ付手伝ひ致居、為メニ出勤遅引相成候事
○下略


中外商業新報 第九四〇七号 明治四五年七月七日 渋沢男の経過良好(DK570373k-0002)
第57巻 p.869 ページ画像

中外商業新報  第九四〇七号 明治四五年七月七日
    渋沢男の経過良好
去る二日夜自動車にて負傷され、王子邸にて静養中なる渋沢男爵は、其後の経過誠に良好にして、傷も先づ化濃する憂ひなく、傷下右眼の瞼腫れしも、是れ亦漸次良好に癒へつゝありて、初めより別に発熱もなく、元気に談話などを為しつゝあり、此の分なれば数日を経ば全快せらるべく、医案に依れば傷跡多少残るやも知れざれど、何れへも何等の障りなく元との通りに恢復さるべしと、男爵の負傷が斯くの如く比較的軽傷に済み、経過も頗る好良なるは、全く男が自働車中に在りても威儀端然として体をくずされざる為め、非常の危険に際し尚ほ軽傷に済み、且直に応急手当の行届きしため其経過も又良好なるを得たるなりと、因に男爵負傷の事伝はるや、東京は勿論地方各地より訪問又は電報続々と慰問し来るより、男は六日特に「負傷も幸に軽微にて此後数日間静養致し候はゞ、全快可致との医案も御座候間御安心被下度云々」との意を加へたる鄭重なる礼状を発せられたりと。


中外商業新報 第九四一一号 明治四五年七月一一日 渋沢男益々軽快(DK570373k-0003)
第57巻 p.869-870 ページ画像

中外商業新報  第九四一一号 明治四五年七月一一日
    渋沢男益々軽快
本月二日夜帰邸の途上過ちて右眼上に微傷を負はれ、爾来引籠り療養中なりし渋沢男爵は、其後さしたる発熱も疼痛もなく経過至極良好に
 - 第57巻 p.870 -ページ画像 
て、旬余の今日此頃は既に繃帯も取り去り僅に傷所に腫脹を見る位にて、殆ど平生と異る処なき状態なれど、医師は大事を取りて外出を許さず、之には流石の男も閉口の体なり、併し九日夜帝国ホテルに開催のヱリオット博士招待会には、主人役の事とて強て出席せられ、一場の演説を試みられしも聊かの異常なきより、十日には早朝より外出せんとせしに、医師より縫合の糸を抜き取る故、今日丈外出を見合せてはとの強ての忠告により外出を見合せ、明日より外出するつもりにて楽み居る次第なりと快談し居たり、尚ほ男は「御覧の如く傷と云つても大した事にあらず、若いものか労働者ならば何んでもなき事なれど老年の事なり傍々彼是れ心配する故、大事を取りて引籠り居れる迄の事なり、然るに大袈裟に世間に伝へられたる為め、つまらぬ事にて世間を騒した様な事にて気の毒なりし」と語り居られき。


竜門雑誌 第二九〇号・第六九―七〇頁 明治四五年七月 ○青淵先生の負傷経過(DK570373k-0004)
第57巻 p.870 ページ画像

竜門雑誌  第二九〇号・第六九―七〇頁 明治四五年七月
    ○青淵先生の負傷経過
青淵先生には七月二日午後九時半、高田慎蔵氏の招筵を辞して、自働車に乗じ大雨を冒して王子自邸へ帰らるゝ途中、神田駿河台下に差蒐るや、同停留場左側には電車の停留せるあり、左道に避くるの便悪しかりしより、運転手は気転を利かして右方に柁を転ぜんとする一刹那前方より電車の疾駆し来るあり、扨はと更に柁を転じて左方に避くる途端、瓦斯管埋没の新路、忽ち自働車の前輪没して左方に傾く刹那、急に停止せる其機みに、青淵先生の体は前方にノメリて、硝子窓に前額を打当て、為めに硝子は破れて、顔面右額眉上に長さ一寸、深さ骨膜に達する不規則なる傷を負はれて出血あり、尚ほ左頰処々に擦過傷を負ひたるより、先生には直に自働車を降られ、附近の時計屋に立寄りて、取敢えず傷所を洗滌し、夫れより俥を僦ひて神田錦町医師堀井宗一氏宅に到りて応急の手当を受け、尚ほ東京病院副院長高木喜寛氏を招き、傷を縫ひて繃帯を施したり。此方自働車は人夫を雇ひて引揚げたるに、唯硝子窓の破れしのみ、機関には異状なかりしを以て、青淵先生には再び之れに乗じて、無事に王子自邸へ帰着せられたるは八日午前一時なりき、其後の経過の概略を記さんに、気分には更に異状なく、又発熱もせざりしかど、傷所の微痛を感じ、面部稍腫膨せり、当時主治医の説によれば、全治までには最良の経過を遂ぐるも二週日を要すべく、此処一週日は殊更ら安静を要すとの注意あり、幸に其後容態には何等の変化もなく、漸次快方に赴きて、五日には微痛も去り九日には仮に繃帯を取りて兜町の事務所に出勤せられたる程にて、頃日傷所は略々全治せられたり、我社の北斗と仰ぐ所の青淵先生が、此不測の奇禍に罹りて負傷せられたるは、会員一同の痛心に堪えざる所にて、其後の経過如何あらんかと気遣ひたるに、幸に前記の如く経過頗る良好にして、略々快癒に向はせられたるは、吾人の欣喜に堪えざる所なり。